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34話 道を示す



「どうぞ、お納めください」


 そう言って私が両手で差し出した小袋には、色とりどりの宝石のようなお菓子が入っている。

 グミみたいな食感の砂糖菓子の中にシロップを詰めたそれは、カルサレス帝国定番土産の一つだという。

 領事館に併設されたアンテナショップ的な店で売られており、私は一目見てそのカラフルさに魅せられてしまった。

 そんなお土産を恭しく捧げる相手は、マノンさん。

 彼とは今朝、せっかくキッチンカーを手伝ってもらっていたのに喧嘩別れみたいになってしまったため、お礼と仲直りを兼ねてお土産を用意したのだ。

 マノンさんは私が差し出すお菓子をしばし胡乱な目で見下ろしていたが、やがて袋の中から自身の目の色に似た一粒をつまみ上げて口に放り込んだ。


「ふーん、ヘンテコな食感……って、あま!」

「そのまま食べても、ワインや紅茶に入れてもいいそうですよ」

「へえ、色によって味が違うんだ……あ、僕これ好き。この赤いの。ココ、これ何味?」

「っむぐ……これ、フランボワーズじゃないですか?」


 マノンさんのようなアンドラ送還待ちの魔物が滞在している離れには、基本的に国境警備隊員以外の出入りが禁じられている。

 にもかかわらず、こうして私がお土産を持って訪ねることができたのには、もちろん理由があった。

 私の口に砂糖菓子を一粒放り込んだマノンさんが、それで? と問いかける。

 フランボワーズ色の目は、私の背後に向けられていた。

 

「ミランドラ公爵閣下直々に、この子の送迎? 随分と過保護なことだねぇ?」

「ココの首に縄を付けておけと言ったのはお前だろう」

「そうだね、言ったね。何なら、その縄の先を僕が握っておいてやってもいいけど?」

「それには及ばない。私の手首に括り付けておくからな」


 にこにこと、マノンさんとオーナーが微笑みを浮かべながら言葉を交わす。

 けれども、生粋の魔物たる前者の赤い目も、それよりさらに鮮やかな後者の目も全く笑っていなくて、私は思わず首を竦めて抗議した。


「あのぅ……私の首に縄を付けるの前提で話をするの、やめてもらっていいですか……?」


 カピバラもどきやスライムら魔物が関わる騒動があったこの日も、キッチンカーは日暮れ前に無事ミランドラ公爵邸に戻ってきた。

 あのカピバラっぽい魔物――実は、彼らはシビレモグラと同じようにミランドラ公国建国以前より住み着いている無害な種族であるという。

 カルサレス帝国との国境まで広がる森を住処としており、臆病な性格のため人前に出てくることは滅多にないそうだが、今日はスライムの気配に興奮していたのかもしれない、というのがオーナーの見解だった。

 オーナーの影に呑み込まれたスライムも、ちゃんと地下牢に収容されていた。

 しかしながら、あのスライムは魔力を糧にすることから一般の人間を襲うことはないという。

 つまり、スライムがいると知らないままかの高貴な御仁を乗せた馬車が通ったとしても、何の問題も起こらなかった可能性は高い。

 その事実に私は拍子抜けしたものの、スライムがアンドラへの送還対象であることに変わりはないため、少しはオーナーの役に立てたと思いたかった。

 ちなみに、カピバラもどきが一匹スライムに呑み込まれたが、魔力を吸った後は即行吐き出されていたらしく、無事仲間と一緒に森の奥へ帰ったようだ。

 そんな騒動の回想もそこそこに離れから戻ってきた私は、今宵もチーズケーキ作りに奮闘する。

 何しろ、メルさんに出された宿題の期日は、もう明日に迫っていた。


「格段に美味くなったと思うがな」

「うんうん、おいしーおいしー! めちゃくちゃおいしー!!」


 厨房の隅にテーブルと椅子を並べて優雅にワイングラスを傾けつつ、オーナーはアルヴァさんとともに相変わらず私を褒めて育てるスタンスを貫いている。


「これはおいしいですね」

「ほ、本当ですか!?」


 そして、これまで鞭役に徹してきたロドリゲスさんからの評価も、ここにきてようやく上がってきた。

 初めてロドリゲスさんの口から〝おいしい〟の言葉が聞けて、私はぱっと喜色を露わにする。

 ところが、彼は甘くはなかった。

 しかし、と冷や水を浴びせるみたいに続けたのだ。


「メルさんのチーズケーキと同じかと問われれば……はい、とはお答えできないでしょう」

「そ、そう、ですか……」


 私はガックリと肩を落とす。

 しかし、ただの美味しいチーズケーキと、キャンベル焼き菓子店の看板チーズケーキは別物だというロドリゲスさんの意見はもっともだった。

 むしろ、何度も何度も試食に付き合って、その度に率直かつ的確な意見を述べてくれることには感謝しかない。

 私がそう伝えると、ロドリゲスさんはにっこりと微笑んで言った。


「ココさんが生半可な気持ちではないのは、見ていて分かりますからね。こちらも妥協した意見など申し上げられません」

「ありがとうございます……」


 私の努力を認め、それに真摯に向き合ってくれようとするロドリゲスさんに胸が熱くなる。

 と同時にふと、彼は私に娘さんを重ねているというオーナーの言葉を思い出し、ついついこんな言葉を口走ってしまった。


「私の父も、ロドリゲスさんみたいな人だったらよかったのに……」

「……おやおや」


 言ったところで詮無いことなのは分かっている。

 けれども、父がロドリゲスさんのような人だったならば、私の人生も少しは違っていただろうか。

 いや、そんなことを思うことこそが詮無いことだろう。

 今は、チーズケーキ作りに専念すべき。

 頭の中をぐるぐると巡る余計な思考から逃れようと、私はブンブンと頭を振る。


「変なこと言って、すみません。今のは忘れてください」


 そうして、冗談めかして誤魔化そうとするも、ロドリゲスさんは何だか大真面目な顔をしてオーナーに向き直った。


「ノヴェル様、ココさんをよしよししていいですか?」

「いや、なんでノヴェルに断るのよ。ココちゃん本人に断りなさいよ」

「ロドリゲスは父親枠だからな。特別に許そう」

「だから、なんでノヴェルが許可出すのよ。ココちゃんの意思を確認しなさいよ。っていうか、父親枠って何よ。自分は何枠だって思ってるのよ」


 珍しく、アルヴァさんが怒涛の突っ込み役に回っている。

 オーナーの許可を得たロドリゲスさんは私の頭を撫でながら、改めてチーズケーキについて論じ始めた。

 

「もしかしたらですが、レシピを盲信しすぎているのかもしれませんね。メルさんのことですから嘘は書いていないでしょうが、そこに全てがあるとは限りません」

「レシピが完全ではない、ということか?」

「その可能性は否定できません。メルさんが単に書き忘れたのか、それともココさんが気付くことを期待してなのかは、分かりませんが」

「なるほど……ココ、大本であるメルのチーズケーキの味を思い出してみて、自分の作ったものとの違いで明確に口にできることはあるか?」


 オーナーの言葉にアルヴァさんと顔を見合わせた私は、メルさんのチーズケーキの味を必死に思い出す。

 レシピに書かれていたチーズケーキの材料は、クリームチーズ、生クリーム、砂糖、卵、小麦粉の五種類。

 味も見た目も、私が元いた世界にあったバスク風チーズケーキにそっくりで、表面は真っ黒でほろ苦く、中はしっとりとして濃厚だった。

 けれども、私が最初に受けた印象がそれだけではなかったこと気づく。


「確か、最初食べた時に柑橘系の風味がして――あっ、そうでした! 思い出しました! シトロンの果汁が少しだけ入っているって、トニさんから聞いたんでした!!」


 シトロンの果汁は、レシピには書かれていなかった。単に書き忘れただけなのか、意図して書かなかったのかは分からないが、とにかく今度はそれを加えてチーズケーキを焼いてみる。

 そうして出来上がったものを試食して、オーナーもアルヴァさんも、今度はロドリゲスさんも及第点をくれたのだが――


「だめ、だめです……」


 私は、今までで一番頭を抱えることになった。

 だって、気づいてしまったのだ。

 メルさんのチーズケーキに近づけば近づくほど、目の前に越えられない壁があるということに。

 そもそも、十年もの間パティシエをしているメルさんとまったく同じものを、ド素人の私に作れるわけがない。

 いや、同じものを作ろうとしていたことさえも烏滸がましく思えた。

 領事館のメイドさん達が求めていたのはメルさんのチーズケーキであり、それを模しただけの偽物なんかではない。

 万が一メルさんが私の作ったチーズケーキに及第点をくれたとしても、それを本物だと言って彼女達に差し出せる勇気はなかった。

 もう潔くあきらめるしかないのだろうか……そう思いかけた時だ。

 頭を抱えた私の前に腰を落とし、オーナーが静かに問うた。


「――ココ、君は何屋だ?」

「えっ……?」


 顔を上げると、すぐそこにオーナーの赤い目があった。

 オーナーは瞬きもせずに私を見つめて続ける。

 

「おそらくはメルも、たった五日でココが自分のものとまったく同じチーズケーキを作り上げてくるとは考えていないだろう。しかし彼は、人に挫折を味わわせて面白がるような意地の悪い輩ではない」

「は、はい……私も、そう思います」

「うん。メルは、このレシピを渡す際、君に何と言った?」

「ええっと……ケーキは作ったことがないとお伝えしたんですが、いいからやってみろって。メルさんが満足するものを作れたら、キャンベル焼き菓子店の名前を出してそれを売っていいって……」


 ここで私は、はたと気づいた。

 そうだった。

 メルさんはチーズケーキのレシピを私に渡して一回自分の手で作ってみろとは言ったが、完璧に同じものを作れとは言わなかった。

 メルさんが満足できるものを、と言ったのだ。

 それを告げると、オーナーは一つ頷いてから再び同じ質問をした。


「ココ、君は何屋だ?」

「クレープ……私は、クレープ屋です」


 この瞬間、ぱああっと目の前に道が開けたように感じた。





 クレープ生地の上にホイップクリームを絞る。

 その上にチーズケーキを短冊形に切ったものを並べ、ビターキャラメルソースとオレンジソースをトッピングした。

 ただチーズケーキをクレープ生地で巻いただけでは、わざわざクレープにする意味がない。

 トッピングの代表選手ともいえるホイップクリームは必須で、それによって甘みと濃厚さが増した分、ビターキャラメルソースで表面の焦げ目を、オレンジソースで柑橘系の風味を際立たせた。

 キャンベル焼き菓子店の看板チーズケーキとはまったくの別物だ。

 けれども、クレープ屋『Crepe de Coco』の私、はそれをクレープとして再現しようと試みたのである。

 私がミランドラ公国に来て十八日目。

 宿題の提出期限となったこの日の閉店後、トニさんと一緒にミランドラ公爵邸を訪ねてきてくれたメルさんは、私の作ったチーズケーキクレープを無言で完食した。

 そして、固唾を呑んで見守っていた私に、ちょっとだけ口の端を釣り上げて言ったのである。


「なかなか、面白いんじゃないか?」


 我が『Crepe de Coco』と『キャンベル焼き菓子店』による、初のコラボメニューが誕生した瞬間だった。




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