3話 正論を吐く
「ねーねー、あんたさ、名前なんていうの?」
「あ、花山です。花山瑚子といいます」
「ハナヤマ? ココ? どっちが名前なのだろうか?」
「瑚子が名前ですよ。珊瑚の〝瑚〟に子供の〝子〟と書いて、瑚子です」
なるほど分からん、という表情をして、二人の男性が顔を見合わせる。
運転を諦めた私は、貴重品の入ったリュックを背負い、キッチンカーをあの場に残してひとまず徒歩で移動することにした。
何しろ、代わりに運転をお願いしようにも、男性達は二人とも免許を持っていないらしいのだ。
それにしても、開店初日に事故を起こしてしまうなんて、まったくもって縁起でもない。ともすれば自己嫌悪に沈みそうになるため、私は努めて明るく振る舞うことにした。
「それで、お二人はバンドを始めて長いんですか?」
とたん、私の頭上でまた男性達が顔を見合わせる。
ちなみに、ゴスロリ君は〝マノン〟という名前らしい。二人とも横文字風の名前だが、顔立ちの通り日本人ではないのか、それとも芸名なのだろうか。
そう問う私に、マノンさんは呆れた顔をし、ミランドラさんはコホンと一つ咳払いをしてから口を開いた。
「何やら誤解があるようだが……私と彼も、つい先ほど出会ったばかりだ」
「えっ、そうなんですか? ということは、結成したばかりなんですね!」
「……ねえ、ミランドラ。この子の中で、僕はあんたと何を結成したことになってるわけ?」
「……私に聞かないでくれ」
私がしゃべる度に男性達が微妙な空気になっていくのはなぜなのか。
それにしても、キラキラしい顔立ちに舞台衣装のような格好をした彼らと、ダメージジーンズにTシャツ姿の私は、とてもじゃないが同じ世界線の産物には見えないだろう。
長身の二人に挟まれた上、歩き始めたとたんにうっかり三度目のすっ転びを披露しかけた私は見兼ねたミランドラさんに右手を掴まれてしまって、まるで囚われの宇宙人のようだ。
ただし、実際の意味で囚われているのは私ではなく……
「ところで、マノンさんはどうして縛られているんですか?」
「まったくだよ、ミランドラ! なんで僕は縛られているわけ!?」
いざ移動しようとなった時、どういうわけかミランドラさんがマノンさんの両手を縛ってしまったのだ。
不服そうなマノンさんと、それを冷ややかに一瞥したミランドラさんを見比べて、私はおずおずと口を開く。
「もしかして、緊縛系がコンセプトなんですか? ミランドラさんって、割と攻めた感じの芸風なんですね?」
「……なんて?」
「ただ、マノンさんはいまいち乗り気じゃないみたいですし、もうちょっと話し合った方がよくないですか? バンドを長続きさせるには、相互理解を深めるのが大事だと思いますよ?」
「いや……いやいやいや、待ってほしい。君は引き続き盛大な勘違いをしているだろう?」
とたん、ミランドラさんは困り顔になった。
最初の事務的な態度から一変したその姿には親しみが湧く。
じっと見上げる私に、彼ははあと一つため息を吐いてから、噛んで含めるように言った。
「マノンを縛ったのはな、招かれざるものだからだ。君が現れたのは、ちょうど彼を制圧した直後だったんだ」
「招かれざるもの、ですか? つまり、マノンさんも不法侵入者……?」
「まあ、不法侵入と言えば不法侵入だな。……も、とは?」
「だって、私もですよね!? 勝手にミランドラさんのお宅の敷地に侵入しちゃいましたし! わ、私のことも縛ります、か……?」
私がぶるぶる震えながらそう言って、引いてもらっていた右手に揃えるみたいに左手も差し出すと、ミランドラさんは虚を突かれたような顔をした。
けれども、すぐに苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「いや、君を縛るつもりはないから安心しなさい。とりあえず、私の屋敷で傷の手当てをしよう」
「ええー、何だよー、ミランドラー。扱いに差があるんですけどー」
「では聞くが。お前が私の立場だったとして……この子に縄をかけられるか?」
「えっ? いや……うん、無理かな? ただでさえあんよが下手くそなのに、手なんか縛ったらこの子絶対また転ぶわ。それに、縛られた姿を想像したら、あまりにも不憫……」
見ず知らずの相手に哀れまれるほど落ちぶれてはいないと言いたいところだが、すっ転んで額と膝を怪我した現状では説得力がないだろう。
うぐぐ、と口を噤んだ私に、マノンさんが追い討ちをかける。
「それにしても、さっきの乗り物……キッチンカー、だっけ? あんたさ、あれ動かすの絶対下手くそでしょ? それでよく、仕事にしようと思ったよね?」
「うっ……」
小馬鹿にしたような言い草にムッとしないでもなかったが、しかしその下手くそな運転が原因でぶつけてしまった私に反論する権利はないだろう。私は苦々しい顔をして答える。
「最初は、二人で営業するはずだったんです。だから、運転は主にもう一人に任すつもりで……」
「へえ? それなのに今一人ぼっちだってことは……もしかして、相方に逃げられちゃった?」
「言い方が意地悪です……マノンさん、本当は車をぶつけたこと怒ってらっしゃるんですね?」
「別に怒ってないけど? ただ、他人の不幸は蜜の味っていうでしょ?」
マノンさんの満面の笑みが心底恨めしい。
それをむうと睨み上げて続けた言葉に、私の右手を引いていたミランドラさんの手がピクリと震えた気がした。
「彼氏と、一緒のはずだったんです。けど……」
高校生の頃からカフェでアルバイトをしており、いつか自分の店を持ちたいと思っていた私は、やがてクレープ屋を始めることを決意。大学に通いながら有名クレープ屋で修業を重ねた末、開店資金が少なくて済むこと、また軽減税率や感染症流行の影響でテイクアウトが人気なことから、店舗を構えるのではなくキッチンカーでの営業を選んだ。
彼氏もそんな私を応援し、全面的に支持してくれていたはずなのだが……
「私が寝食削って修業に明け暮れている間に浮気されて……結局、彼はその子の親戚の会社に就職を決めちゃったんです」
「あらー……」
笑いを収めた代わりに、またもや哀れむような目になったマノンさんから視線を逸らす。
同情されるのは嫌いだった。余計に惨めな気持ちになってしまうから。
するとここで、ミランドラさんが口を開く。
「余計なお世話かもしれないが……二人で行うつもりで準備を進めていた仕事を、一人で実行に移してしまうのは無謀だったのではないか?」
「だって、彼のことが分かった時には、もう車も買って改造も始まっていたんです。それに全財産を注ぎ込んでしまっていたから、キッチンカーでお金を稼がないと生活していけません」
「なるほど。全財産を注ぎ込んだところから、すでに無謀が始まっていたわけだな」
「う……お、おっしゃる通り、です、けど……」
ミランドラさんのド正論に、私はぐっと唇を噛み締めて俯いた。
わざわざ初対面の人から指摘されなくても、今まで散々周りに言われたことだ。
あまつさえ、元凶である彼氏にまで考え直した方がいいなんて言われて、私は意地でも一人でキッチンカーを成功させる決意したのである。
「無謀なのは分かっています。でも、やるって決めたからにはやるんです」
「さっき、キッチンカーとやらを運転できなくなったのに、か?」
「さっきは無理でしたけど、時間が経ったら平気になるかもしれませんし。私、立ち直りが早いのだけが取り柄なんです!」
「そう、うまくいけばいいが……」
難しい顔をするミランドラさんから目を逸らし、私はただ前を向いた。
ここで立ち止まったって、もう戻れない。
後ろの足場は自分で叩き壊してきたのだから。
「大丈夫です。うまくいきます――ううん、絶対うまくいかせてみせます」
私はミランドラさんに答えるようで、本当は自分に言い聞かせるためにそう呟いた。
やがて、背後から朝日が上り始め、道の先には建物が見えてきた。
ミランドラさんが〝家〟ではなく〝屋敷〟と言っただけあって、なるほどとんでもなく立派である。
もういっそ城と呼んだ方がいいのでは、と言いたくなりそうなそのシルエットに圧倒されつつ、私はミランドラさんと手を離してスマートフォンを覗き込んだ。
しかし、随分開けた場所まで来たというのに、電波表示はいまだ圏外になっている。それに肩を落とした時だった。
「――ノヴェルめ、なんぞ連れて帰ってきたぞ!」
ふいに、屋敷の方からそんな声が聞こえてきたかと思ったら、誰かがこちらに向かって手を振っているのが見えた。
窓ガラスに反射した朝日が眩しくてよく見えないのだが、随分と背丈が小さいところを見ると幼い子供だろうか。それにしては、聞こえてきた声は子供っぽくない――むしろ、お年寄りみたいに嗄れていた気がするが。
首を傾げる私の横で、両手を縛られているマノンさんが顎をしゃくった。
「何だー、あいつ。アンドラでよく見る顔だけど、ミランドラにも出入りしているわけ?」
「サラマンダーの古物商ヨルムだ。建国以前からミランドラに住んでいる」
ミランドラ、というのは単にミランドラさんの姓というだけではないのだろうか。それに、アンドラだのサラマンダーだのといった耳慣れない横文字が、ほぼ初対面だという男性二人にとっては共通知識のようで、私は何だか置いてけぼりを食らった気分になった。
「あの……ここって、どこなんでしょうか……?」
とたん、なぜだかえも言われぬ焦燥を覚えた私は、ミランドラさんを振り仰いで問う。
彼を選んだのは、マノンさんよりは真面目に答えてくれそうと思ったから。
ところが、赤い目で私を見下ろしたミランドラさんは、大真面目な顔をして言うのである。
「ここは、ミランドラ公国――魔物の国アンドラと国境を接する間の国だ」
「また、魔物なんて……」
勝手に裏切られた気分になった私は、ぐっと顔を顰めそうになる。
と、その時だった。
「おい、そこの娘っ子! お前さん、何もんだ? その光る板は何だ!?」
さっきの年寄りっぽい嗄れた声が今度はすぐ近くから聞こえた。
いつの間にか足下まで来ていたシルエットに、私が目を向けたとたんのこと。
「珍しい! オレに売ってくれんか!?」
興奮気味に叫んだそれが、ぴょんと飛びついてきたのだ。
片手にスマートフォンを握ったまま、とっさに受け止めた身体は小さく――何だか、ペトッとした。
至近距離で見つめ合うことになったのは、つぶらな目が両の側面に離れて付き、尖った口の先にポツポツと二つ鼻の穴が開いた、明らかに人間とは違う顔。
ちろちろと出し入れされる舌の先は二股に分かれており、それにペロンと鼻先を舐められた私は……
「――とかげ」
ふっと目の前が真っ暗になる。
カーン、とどこかで鐘の音が鳴った気がした。




