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28話 悶々とする


 

 満月の夜が明けた。

 馴染みのメイドさんが朝食を差し入れてくれたもののほとんど喉を通らず、私は寝巻き姿のままぼんやりと過ごしていた。

 午前八時を知らせる鐘が鳴って少しした頃のことだ。

 私の部屋を、ある人物が訪ねてきた。


「――ドットさん!?」

「ココちゃああん! 昨日はごめんよぉおおお!!」


 昨夜は怖い思いをさせたみたいで申し訳なかったと謝る彼に、私も私で満月の夜に安易に出歩いたことを詫びる。

 そうして、二人して散々ペコペコ合戦を繰り広げた末、私達は顔を見合わせて苦笑するのだった。


「いやー、それにしても見てみたかったなー! 長がぶちギレるところなんて、今まで一度だって見たことねーもんな!!」

「そ、そんな……どどど、どうしよう……」


 付き合いが長いであろうドットさんでも見たこともないくらい、ひどくオーナーを怒らせてしまったのだと、私は改めて愕然とした。

 ところが、ドットさんは違う違うと手のひらをひらひらさせる。


「いつも余裕綽々としている長の調子を崩すなんて、ココちゃんすンげーなって話だぜ? 長もよっぽど肝を冷やしたんだろーさ。振り回すのもいいけど、ほどほどのしてやれよぅ?」

「ふ、振り回しているつもりなんて、ないです……全然」


 太陽みたいなドットさんの笑顔が眩しくて、私は堪らず俯いてしまった。

 次に扉がノックされたのは、正午を知らせる鐘が聞こえた直後のこと。


「ココちゃーん、お姉ちゃんですよー。一緒にお昼ご飯食べよー」

「アルヴァさん……」


 寝巻き姿のままぼんやりと過ごしていた私に、アルヴァさんはあらあらと苦笑いを浮かべた。

 掃き出し窓の側に置かれた小さなテーブルに昼食の入ったバスケットを載せ、一人掛けのソファに私が、その横にアルヴァさんの車椅子が陣取る。

 向かい合わせではなく、二人で窓の向こうの庭園を眺めるよう横並びになった。

 私の丸くなった背中を、アルヴァさんが隣からポンポンと叩いて言う。


「ノヴェルにデッカい雷落とされたんだって? 大丈夫?」

「う、はい……自業自得、なので……」


 悄然とする私に、アルヴァさんはバスケットと一緒に持ち込んだワインの栓を開けながら続けた。


「昨夜は満月だったからねぇ。ノヴェルも、感情的になるのを抑えきれなかったんでしょう。ミランドラ家も魔物の末裔だもの」

「あ、そういえば……」


 確か三百年前のミランドラ公爵が、魔物の国アンドラの王女を妻に迎えたという話だった。

 つまり、随分と薄まったとはいえ、オーナーやアルヴァさんは今もまだ魔物の頂点に君臨するアンドラ女王の血縁ということになる。

 ドットさんが狼男そのもののような姿になったみたいに、彼らにも満月が作用したとしても不思議ではない。


「アルヴァさんも……昨夜は、何か影響があったんですか?」

「ううん。私はねぇ、見ての通り普通の人間と変わらないから」


 私の問いに、二つのグラスにワインを注いでいたアルヴァさんは小さく肩を竦めて首を横に振った。

 ミランドラ公爵家当主の最初の子供は、これまでの三百年間、例外なく多胎児として生まれてきたのだという。

 なにしろ、アンドラ女王の血はただの人間の身には荷が重すぎる。

 胎児は生きるため、本能的に母親の胎内で血とそれに付随する魔力を分かち合うと考えられてきたそうだ。

 ところが……


「私達に限っては、ノヴェルがほぼ全ての魔力を受け継いでしまったの」


 親や姉である自分とも――そして、いつか現れるかもしれない愛する人とも、見つめ合うことさえできないであろう弟を、アルヴァさんは憂いた。

 そしてまた、カルサレス帝国の盾となって魔物に対峙し続けるミランドラ公爵家の責務を、半分どころかわずかも担えないことを、ずっと負い目に感じてきたのだという。


「楽な人生を送らせてもらっているのが辛いだなんて、そんなの贅沢な悩みだって言われちゃいそうだけどねぇ」

「そんなことないです! 贅沢だなんて、そんなっ……!」


 ワインをくるくる回しながら自嘲するみたいに呟かれた言葉に、私は慌てて首を横に振る。

 彼女の目元はオーナーとよく似ているのに、瞳の色は彼とは違って青色だ。

 もしかしたら、そんな色の違いもアルヴァさんを苦しめてきたかもしれないと思うと、鼻の奥がツンとした。


「アルヴァさんの悩みはアルヴァさんのもの……誰も軽んじていいものではないです」


 そう呟いた私に、ありがとう、とアルヴァさんが小さく礼を言う。


「ノヴェルの目をまっすぐに見つめられる子が――ううん、他の誰でもなく、ココちゃんがこのミランドラに来てくれたこと、心から嬉しいと思っているの。どうか、ノヴェルのことを嫌いにならないであげてね?」

「えっ、どうしてそんな話に? 嫌いになんてならないですよ!?」

「だって、怒ったノヴェルは怖かったでしょう? ココちゃんが怯えていたって、ロドリゲスから聞いたわ」

「それはまあ……でも、本当に自業自得なので。私は、ただただ反省するだけです……」


 そう言ってしょんぼりと俯く私を、アルヴァさんが隣から抱き寄せてくれる。

 アルヴァさんは、温かくて柔らかくて、いい匂いがした。

 母の温もりというのも、こんな感じなのだろうかとふと思う。

 自然と目を閉じた私の髪を、それこそ我が子を慈しむように優しく撫でながら、アルヴァさんがそっと耳元に囁いた。

 

「あのね、ココちゃん。これは、ノヴェルには絶対言えないことなんだけど……聞いてくれる?」

「はい」

「落馬事故からノヴェルを庇って、足がこうなってしまった時ね……実は私、少しほっとしたの。あの人が背負わされる苦労のうちの一つだけでも、自分が肩代わりできたんじゃないかって思って……これ、内緒よ?」

「……はい」


 やがて、昼休憩の終わりを知らせる鐘の音とともにロドリゲスさんが迎えに来ると、事務方トップとして忙しい身のアルヴァさんは仕事に戻っていった。

 オーナーが歴代のミランドラ公爵よりも大きな魔力を持っている理由。

 それが彼だけではなく、持たざる者として生まれたアルヴァさんをも苦悩させていることを知った。

 それでも、互いを大切に思い支え合ってきただろう姉弟に、私は羨望を抱く。

 さっきアルヴァさんが訪ねてきたのも、自室謹慎を食らって凹んでいる私を気遣ってというより、オーナーをフォローするためだろう。


「私も……そんな兄弟がほしかったなぁ……」


 そう、ぽつりと独り言を零した時だった。

 カリカリ、と庭に面した掃き出し窓の方から何かを引っ掻くような音が聞こえ、顔を上げた私は目を丸くした。


「――ボルトちゃん!?」


 開けて開けてというように、窓を引っ掻いていたのは、子猫みたいな姿の魔物ボルトちゃんだった。

 アンドラ送還対象であるボルトちゃんは離れで寝起きしており、キッチンカーまでは私が朝晩送迎をしている。

 今日は私がこの部屋から出られないため、離れを管轄するロドリゲスさんの部下が代わりに散歩をさせてくれる手筈になっていたのだが……


「ココ……あんた、何かやらかしたわけ?」

「――えっ、マノンさん!?」


 テラスのフェンスの向こうから、胡乱な目でこちらを見ていたのは、マノンさんだった。

 どうやら、ロドリゲスさんの部下ではなく彼がボルトちゃんを連れ出してくれたらしい。

 少しだけ窓を開ければ、ボルトちゃんが飛び込んできて私の足下にじゃれついた。

 一方、マノンさんはフェンスの上に頬杖をつき、私をじろりと見て続ける。

 その目の赤がいつもより鮮やかに感じたのは、気のせいだろうか。


「今日はさぁ、いつまで経ってもココがそのチビを迎えにこないし、キッチンカーは門の内側に止まって閉まったままだし」

「あ、はい……」

「ミランドラは珍しく馬車で出かけていったし」

「そ、そうなんですか……?」


 何があった? と問われた私が、昨夜の自分のしでかしと、それによって自室謹慎中だということを告げた――とたんである。


「はぁああ!? なんだって外に出てたんだよ! 満月の夜は危ないって聞いてなかったのか!?」


 いきなり叫んだ彼に、私は思わずビクンッと飛び上がる。

 ちょうど、ボルトちゃんに気づいてテラスによじ登ってきていたワットちゃんも驚いて、背中の針をバババッと立てた。

 ウニみたいになったワットちゃんとマノンさんの鬼気迫る顔を見比べつつ、私はしどろもどろに続ける。

 

「き、聞いてましたけど、あの、のっぴきならない事情がありまして……」

「事情って何!? あーもう、ココ! あんたさぁ、のんきなのもいい加減にしてよね!!」

「マノンさん……どうしてそんなに怒ってるんですか……?」

「怒ってる……? は? 怒ってるって? 僕が?」


 いつも飄々としているマノンさんが、目を三角にしていることに驚く。

 それをまじまじと眺めつつ指摘すれば、彼ははっと我に返ったような顔をした。

 それから、ばつが悪そうに言う。


「別に、怒ってなんかないし」

「はあ」

「たださぁ、ココのさぁ、その危機感が足らないところとか、短絡的なところとか……見ててほんっっっと、腹立つんだよね!」

「やっぱり怒ってるんじゃないですか?」


 そう問う私を、マノンさんは今度は鋭く睨みつけて叫んだ。


「うるさいなぁ! 何で僕が、ココが危ない目に遭ったってだけで怒らないといけないわけ? 無事でよかったとか、全然思ってないし!」


 そうして、ぷいっと顔を背けると、庭の向こうへ去っていってしまう。

 私は、足下にくっついているワットちゃんとボルトちゃんと顔を見合わせ、ぽつりと呟いた。


「マノンさんって、もしかしてツンデレ……?」



 カーンカーンと続けて六つ、この日最後の鐘が鳴る。

 離れを管轄するロドリゲスさんの部下がボルトちゃんを回収していくと、ワットちゃんも寝床に戻った。

 そうして、窓の外が暗くなり始めた頃、コンコンと部屋の扉がノックされる。

 私の返事を待って扉を開けたのは……



「オーナー……」



 私に自室謹慎を申し渡したその人だった。




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