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23話 したいようにさせる



「ただいま帰りましたぁ! オーナー! どうして、メルさんがゴリマッチョだって教えてくれなかったんですかー!!」

「おかえり、ココ――ゴリマッチョ、とは?」


 ミランドラ公爵邸に戻ると、すでに午後八時を回っていた。

 仕事を終えて寛いでいたアルヴァさんとロドリゲスさんにフルーツケーキとチョコレートケーキを差し入れた後、私はその足で庭園の奥にある離れを訪ねる。

 離れには、マノンさんやボルトちゃんのようなアンドラへの送還を待つ魔物達が滞在しており、オーナーがちょうど巡回を兼ねて彼らの魔力を吸い取りに来ていたのだ。

 庭園を横切る際にくっついてきたワットちゃんがボルトちゃんとじゃれ合う中、私の差し入れに気を良くしたマノンさんたっての願いにより、彼が宛てがわれた部屋でテーブルを囲むことになった。

 テーブルの上には、ティーセットではなくワインボトルと三つのグラス。

 そこに添えられるのは、マノンさんにはシナモンを利かせたアップルパイ、甘いものが得意ではないらしいオーナーにはナッツと粗挽き胡椒が入ったワインに合うチーズケーキだ。

 オーナーはそれを私に味見させつつ、それで、と問うた。

 

「どうだった、ココ? メルは、委託販売を了承したのか?」

「いえ、全然です。きっぱりお断りされてまいました」


 私の答えは想定内だったのだろう。オーナーは、だろうな、という顔をした。

 キャンベル焼き菓子店の店主兼パティシエのメルさんは、筋骨隆々とした中年の男性だった。

 ショーケースに並んでいた繊細で美しいケーキの数々は、あのグローブのように巨大で無骨な手から生み出されていたのだ。

 私が最初メルさんだと思った中年の女性はトニさんといって、主に接客を担当しているという。

 彼らは、「メルさん」「トニさん」と呼び合う、近所でも評判の仲良し夫婦で、もう十年もの間二人きりでキャンベル焼き菓子店を切り盛りしているそうだ。

 メルさんがチーズケーキの委託販売を断ったのは、他にパティシエがいないため単純に手が足りないというのが一つ。

 さらにもう一つの理由を、彼はこう説明した。


「ご自分の商品には、お客さんの手に渡るその瞬間まで責任を持ちたいとのことでした。私個人が気に入らないとか、そういうので断るんじゃないって」

「そうか。メルらしいな……」


 ワットちゃんとボルトちゃんが、椅子の周りをグルグル回って追いかけっこしている。

 それを眺めながら、私は小さくため息を吐いた。

 オーナーがそんな私を慰めるみたいに口元にチーズケーキを運んでくれる一方、マノンさんは呆れたように言う。


「そりゃ、断られるに決まってるよ。ココだってさぁ、いきなりやってきた見知らぬヤツに、お前が焼いたクレープを売ってやるなんて言われても、はいよろしくとはいかないでしょ?」

「はい……」

「なんだお前は、おとといきやがれって思うでしょ?」

「いえ、そこまでは思いませんけど……」


 アップルパイに舌鼓を打ちつつ、マノンさんは今度はオーナーに向き直って続けた。


「ミランドラもミランドラだよ。断られるって分かってるのに、なんでココを行かせたのさ。この子すぐ凹むのに、かわいそうじゃん」

「ココは言い出したら聞かないからな。危険なこと以外は、極力したいようにさせることにした」

「いや、あんた何なの? ココのお母さんなの?」

「そもそも相手がメルでなければ、ココを一人で行かせたりしない」


 どうやら、メルさんはオーナーからの信頼が厚いらしい。

 私としても、自分の作るものに確固たる責任と誇りを持ったメルさんの姿に、同じ商売人として尊敬を覚える。


「メルさんが、いきなり訪ねてきた私を信用できないのも当然ですよね……」


 グラスに視線を落としてそう呟く私に、オーナーとマノンさんが顔を見合わせる気配がする。

 彼らがどう慰めようかと思案する中――しかし、私はぱっと顔を上げると、一転して明るい声で言った。

 

「そういうわけで、明日からしばらく、開店準備と閉店作業を手伝いにいくことにしました!」

「「……え?」」


 とたん、オーナーとマノンさんが目をまんまるにする。

 こほんと一つ咳払いをしたオーナーが、しかし、と口を開いた。


「ココが手伝いにくることを、メルは了承したのか?」

「いえ、メルさんは必要ないとおっしゃいました。ただトニさんが、メルさんを怖がってなかなか従業員が集まらないので、人手があるのは助かると言ってくださったんです!」

「なるほどね。メルとかいうゴリマッチョは、奥さんに頭が上がらないわけだ?」


 肩を竦めたマノンさんが、アップルパイの最後の一切れを口に放り込む。

 オーナーも、チーズケーキの残りを私の口に運んでから、苦笑いを浮かべて言った。


「メルが頭を抱えている光景が目に浮かぶようだ」


 かくして、私がキャンベル焼き菓子店に通う日々が始まった。

 もちろん、昼間はオーナーの予定に合わせて各地に出張し、『Crepe de Coco』の営業にも励んでいる。

 キャンベル焼き菓子店を手伝うのは、朝と夜の一日二回。

 早朝から午前八時の開店までと、午後六時半からの閉店作業である。


「そこのケーキ型と木べらを洗っておいてくれ。油分が残らないよう入念にな」

「はーい」

「それが済んだらここにある小麦粉をふるいにかけておいてくれ。タルト生地の仕込みに使う」

「了解です」


 朝の開店前はだいたい仕込みの手伝い。

 夕方からの閉店作業は、調理器具の洗浄や掃除、前日から生地を寝かせる必要のあるものなどは仕込みも手伝った。

 飲食店でのアルバイトは高校生の頃からいくつも経験しているため、作業の流れさえ掴んでしまえばそう難しいことはない。

 メルさんにも、それなりに役に立つと思ってもらえたのだろう。

 トニさんに言われてしぶしぶ私に手伝わせることになったものの、ちゃんと仕事を割り振ってくれた。

 メルさんの話し振りはぶっきらぼうながらも、理不尽に怒ったり声を荒げたりすることは一切ない。

 そのため、彼を怖いなんて感じることは少しもなかった。

 そんなこんなで、六日が過ぎようとした頃のことである。

 この日は何やら大通りが混雑していてキッチンカーでの戻りが遅くなり、キャンベル焼き菓子店に到着した頃には閉店の時間になっていた。

 慌てて扉の取手を掴んだ瞬間、私はぎょっとする。

 ガシャーン! と、店の中から大きな音が響いてきたからだ。

 続けて、やめて……っ、とトニさんの泣きそうな声が聞こえてくる。

 我に返った私は一気に扉を開け放ち、なおも大きな音がしている奥の厨房に飛び込んで――叫んだ。


「な、何やってるんですか……っ!?」


 厨房は修羅場だった。

 ボウルや泡立て器が床に転がり、小麦粉や卵が散乱して、それはもうひどい有様になっていたのだ。

 しかも、コック姿のメルさんに至っては、若い女性と胸ぐらを掴み合っているではないか。

 女性は、メルさんと同じく燃えるような赤い髪をしていた。


「ベルセルクの末裔のくせに、いつまでケーキ屋なんかやってんのよ! この、恩知らずのクソ親父!! さっさと最前線に戻って、ミランドラのために働けっ!!」

「うるせぇ、クソガキが! てめえこそ、公の足を引っ張る前に、国境警備隊なんざやめちまえっ!!」


 メルさんの目は赤ではなく灰色だが、ベルセルクの血が入っているらしい。

 そして、彼と真正面から睨み合い怒鳴り合っている若い女性――どこかで見たことがあると思ったら、先日魔女エッダさんの農園で会った国境警備隊員の一人だった。

 彼女はどうやら、メルさんとトニさんの娘さんだったようだ。


「やめてっ……お願い、やめてちょうだい! 二人とも、どうか落ち着いて……!!」


 トニさんが涙ながらに止めようとしているが、頭に血が上っているのかメルさんも娘さんも聞く耳を持たない。

 私はとっさに近くにあった鍋のフタを二つ掴むと、シンバルみたいに打ち鳴らして叫んだ。


「やめてください! トニさんを――お母さんを泣かさないでっ!!」


 ガチャーンガチャーンと、それはもう凄まじく耳障りな音がした。

 メルさんも娘さんも、トニさんまでもぎょっとした顔をして私の方を振り返る。

 私は両手にそれぞれ鍋のフタを持ったまま、コアリクイの威嚇のポーズをして言った。


「メルさんも娘さんも、正座ぁ!!」

「「せ、せいざ……?」」



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