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22話 一人で納得する



「――チーズケーキ、ですか?」


 カルサレス帝国からの査察官ことハリー坊ちゃんを迎えてひと騒動あった翌日。

 私はまた、領事館前でキッチンカーを営業していた。

 前回クレープを買ってくれた客からの口コミで、開店するなり行列ができてんてこ舞いだったが、一時間ほどしてようやく客足が落ち着く。

 領事館で働くメイドさんが二人、連れ立ってやってきたのはその頃だった。

 私とそう年が変わらないこともあり、彼女達が注文したキャラメルクリームとバターシュガーシナモンを作りながら話も弾む。

 そんな中でふいに話題に上ったのは、とある焼き菓子店の名物チーズケーキだった。


「叔母がミランドラ公爵邸の近くに住んでいてね。去年だったかしら、泊まりに行った時に店に連れていってもらって食べたのよ。キャンベル焼き菓子店の名物チーズケーキ!」

「キャンベル焼き菓子店……どんなチーズケーキなんですか?」

「私もそれ、ずっと前に食べたことあるわ。表面は真っ黒でほろ苦くて、中はしっとりとして濃厚なの。甘さは控えめで、紅茶にもワインにも合うのよね」

「えー、おいしそうですね。私も食べてみたいです」


 ミランドラ公国に来てそろそろ一週間になるが、外出するのはオーナーが運転するキッチンカーが向かう先ばかりで、ミランドラ公爵邸周辺をじっくり散策したことがなかった。

 それにしても、メイドさん達が絶賛するキャンベル焼き菓子店の名物チーズケーキは興味深い。

 聞いた限りでは、日本でも流行っていたバスク風チーズケーキに近いのだろうか。

 そんなことを考えながら、私はでき上がったクレープを紙に包んでそれぞれに差し出した。

 さっそくかぶりついたメイドさん達は、おいしい! と目を輝かせつつ、冗談めかして言う。


「あのチーズケーキもまた食べてみたいけれど、遠くてねぇ」

「クレープ・ド・ココみたいに、あちらから来てくれると嬉しいんだけれど」


 キッチンカーでなら一時間の距離だが、徒歩で行くには無理があるし、チーズケーキのためだけに乗合馬車に乗るというのも現実的ではないのだろう。

 そんなチーズケーキにうっとりと思いを馳せるメイドさん達を見て、私はあることを思いついたのだった。




「キャンベル焼き菓子店……メルの店か」


 帰りの車中のことである。

 膝の上でワットちゃんとボルトちゃんがじゃれ合うのを見守りつつ、私は領事館のメイドさん達との話をオーナーに聞かせていた。

 彼は、どうやらキャンベル焼き菓子店を知っている様子である。


「メルさんって方がパティシエなんですか? オーナーもそこのケーキを召し上がったことあります?」

「パティシエとは……ああ、菓子職人のことか。あいにく、私は甘いものはそれほどなので店には縁はないが、メル個人とは面識がある」

「メルって可愛いお名前ですね。何だか焼き菓子屋さんのイメージにぴったりです」

「ん? うん……」


 とたん、なぜだかオーナーは微妙な顔をしたが、私は気にせず続けた。


「キッチンカーなら最速でお届けできる上に冷蔵機能もありますから、遠方で販売するのも衛生上問題ないんじゃないかと思うんです。どこで開店するかはオーナーのご予定次第なので受注販売はできかねますが……」

「なるほど。委託販売の場合、通常は商品の値段に手数料を上乗せすることになるが……」

「いえ、できれば手数料はいただかないようにしようかと」


 魔物二匹のじゃれ合いがヒートアップして、身軽なボルトちゃんがダッシュボードに飛び乗った。

 ちょうど前の馬車が速度を落としたためにブレーキを踏んでいたオーナーが、ボルトちゃんを片手で捕まえて私の膝の上に戻す。

 私は、二匹の背中を撫でて宥めつつ言葉を続けた。

 

「せっかく、オーナーにキッチンカーを運転してもらっていろんな地域を回れるんですから、行く先々の方達に喜んでもらえればと思うんです」

「民を思い遣ってもらえるのは、私としてはありがたいことだが……」

「あとぶっちゃけますと、有名店の名を出すことによる相乗効果も期待してます」

「うん、ココのそういうちゃっかりしたところは嫌いではない」


 オーナーは面白そうな顔をしたが、すぐにそれを苦笑いに変えて言った。


「ただし、メルは一筋縄ではいかないかもしれないぞ? 私から話を持ちかけてもいいが……肩書きによって便宜を図るような相手ではないしな」

「もしかして、気難しい感じの方なんですか?」

「……いや、先入観を与えるのはよくないな。自分の目で確かめてきなさい。むしろ、私が口出ししない方がうまくいくかもしれない」

「ええ……一人で納得しないでくださいよー」


 かくして、この日。

 ミランドラ公爵邸に戻るなり、私は町へと繰り出した。

 件のキャンベル焼き菓子店までは、歩いて五分ほど。

 大通りから一つ中に入った静かな路地にあり、小洒落た料理屋と老舗風の仕立屋に挟まれていた。

 扉を開けば、上に取り付けられていた真鍮製のベルがカランカランと音を立てる。

 それに、はーい、と溌剌とした声が応えたかと思ったら、店の奥から中年の女性が現れた。

 

「――いらっしゃいませ……あら、ココさん!?」

「わわっ、こんにちは! いつもお世話になっております!」


 相手は私も面識のある人物だった。

 ミランドラ公爵邸正門前でキッチンカーを営業している日は、毎回欠かさずクレープを買いに来てくれる常連客なのだ。

 私の母親が生きていたとしたら、彼女くらいの年齢になっていただろうか。

 小柄でふくよかな体型の、おっとりとした可愛らしい人である。

 しかし、まさか彼女がメルさんだったとは思いもしなかった。

 オーナーの話では気難しい人のようだったのでいささか緊張していた私は、ほっと安堵のため息を吐く。

 

「チーズケーキが評判だと聞いてお邪魔したんですが、まだ大丈夫でしょうか?」

「まあまあ、それは光栄だわ。ちょうど最後の一つだったんですよ。ここで召し上がっていかれます?」

「はい、お願いします」

「どうぞ、座ってお待ちください。紅茶を淹れますのでね」


 扉を入って左手の隅には、わずかながらもイートインスペースが設けられていた。

 テーブルに着いた私は、店内を観察する。

 右手には階段があり、上の階の住居スペースに続いているようだ。

 正面にはガラス張りのショーケースが置かれ、様々なケーキがまだたくさん陳列されている。

 ショーケースの向こうにはカーテンが掛かった出入り口があり、カチャカチャと食器を扱う音がしていた。

 きっと、奥が厨房になっているのだろう。

 私は椅子に座ったままショーケースを眺めて、ケーキと値札を見比べる。

 この世界の文字はまだろくに読めないが、取り急ぎ数字だけは習得したのだ。

 実はここに来る前、オーナーから軍資金という名のお小遣いを握らせてもらったので懐は温かかった。

 キャンベル焼き菓子店以外も散策して好きに使っていいと言われたが……


「ケーキをお土産に買っていこう。オーナーとアルヴァさんとロドリゲスさん、それからマノンさんの分……」


 ケーキの値段は、銅貨一枚から三枚の間で設定されていた。

 私が頼んだチーズケーキの値段は銅貨二枚。

 日本の価格に換算したら二百円くらいだろうから、若干リーズナブルな感じがする。

 とはいえ、時刻はそろそろ午後六時になる。

 閉店は六時半らしいのに、まだこんなにケーキが残っていて大丈夫なのか――なんて心配は、杞憂に終わった。

 私が、メルさんが運んできてくれた紅茶とチーズケーキに舌鼓を打っている間に、仕事終わりらしい客が次々とやってきて、ショーケースは見る間に閑散としていったのだ。

 オーナー達へのお土産を取り置きしておいてよかった、と私は胸を撫で下ろす。

 そうして、ちょうどケーキを食べ終わったタイミングで、接客を終えたメルさんが声をかけてきた。


「ケーキはお口に合いましたかしら?」

「はい、とてもおいしかったです! ほんのりと柑橘系の香りがしたように思うのですが……オレンジでしょうか?」


 領事館のメイドさん達から聞いた通り、件のチーズケーキは表面が真っ黒でほろ苦くて、中はしっとりとして濃厚だった。

 味も見た目も、やはり元の世界にあったバスク風チーズケーキにそっくりだ。

 柑橘系の香りは、シトロンの果汁がわずかに入っているためらしい。


「今日、領事館の前でクレープを売っていたんですが、そこのメイドさん達に教えてもらったんです」

「あら、そんな遠い所の方達にも知っていただけているなんて、光栄だわぁ」


 にこにこと嬉しそうなメルさんを見て、私は改まって口を開く。


「それで、ですね――あの、一つご相談したいことがあるのですが」

「まあまあ、何かしら?」


 彼女が向かいの椅子に腰をかけるのを見届けると、私は早速委託販売の交渉を始めた。

 店から遠く離れた場所にも、キャンベル焼き菓子店のチーズケーキは需要があること。

 キッチンカーで不定期に各地域に赴き、その先での販売を請け負いたいこと。

 その際、手数料は一切いただかないということを、私は順序立てて説明した。

 メルさんは、あらあらまあまあと合いの手を入れながら、満更でもない様子で話を聞いてくれていたが……


「どんないい条件を提示されても、うちの商品を他人に預けるつもりはない――帰ってくれ」

「ぴえっ!?」


 ふいに、目の前にいるメルさんのものとは違う無愛想な声が飛んできた。

 他に人がいるとは知らずビクリとしてしまった私だが、さらに奥の厨房からコック服越しでも分かる筋骨隆々の男性が現れて椅子の上で飛び上がる。

 彼は、見る者に鮮烈な印象を与える、燃えるような赤い髪をしていた。

 しかし、最も強烈な衝撃を覚えたのは、この後だった。


「あらぁ、メルさん」

「メルさん!? こ、こちらの方がっ!?」


 私がメルさんだと思っていた女性が、ゴリマッチョな男性をその名で呼んだのである。



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