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2話 表情が和らぐ



「おおーい、ミランドラー。とりあえずさぁ、あんたの家に行こーよ」


 ふいにそう言って割り込んできたのは、ゴスロリ君だった。

 魅入られたようにミランドラさんの目を凝視していた私は、はっと我に返る。

 いつの間にか、空が白み始めていた。


「闇ももう閉じちゃったことだしー、これ以上ここにいたって無意味でしょ? 僕も、ミランドラも、この子もさ」

「確かにそうなのだが……お前が言うな」

「そういうわけで、一月お世話になりまーす!」

「断る――と言えれば楽なんだがな。仕方あるまい……」


 うんざりとした様子でため息を吐くミランドラさんをニコニコ眺めていたゴスロリ君が、よいしょっという掛け声とともに立ち上がろうとする。

 男性陣の会話の意味は分からないものの、ゴスロリ君にキッチンカーをぶつけてしまったことを思い出した私は、慌てて彼のフリフリの袖を掴んだ。


「う、動いても大丈夫なんですか!? 後からどんな不具合が出るかもわかりませんし、一応お医者さんに診てもらった方がよくないですか!?」

「いやいや、ちょんって左腕を掠っただけだよー。医者に診せるほどじゃないし、そもそも僕を診るとしたら医者じゃなくて魔じょ……」

「そうだ! 保険会社に電話しないと! あとは、警察にも連絡した方がいいかな? それから、えーと、えーと……」

「おーい、ねー、僕の話聞いてるー? 医者に診せなきゃならないのは、むしろあんたの方だからねー?」


 事故を起こしてしまった事実は変えられないので、できる限りの対処をしなければ、と私は膝を擦りむいたのも忘れて立ち上がる。

 ゴスロリ君の元気そうな様子から救急車は必要ないかもしれないが、一刻も早く自動車保険の担当者に連絡をして、警察を呼んだ方がいいか相談すべきだろう。

 私はバタバタとキッチンカーへ駆け戻り、助手席に置いていたスマートフォンを手に取った。

 ところがここで、想定外の事実が判明する。


「えっ……圏外!? ここ、圏外なんですか!?」

「うん、懸崖? いや、違うと思うが……」

「あのね、僕の直感なんだけどね、あんたらの話ね、絶対噛み合ってないと思うんだよね」


 電波表示が圏外になっており、Wi-Fiどころかモバイルデータ通信まで使えない状態だったのだ。これでは、位置情報を取得するどころか電話さえもかけられない。

 私がスマートフォンを握りしめて立ち尽くしていると、後ろから画面を覗き込んだゴスロリ君がミランドラさんを手招きする。


「なーに、それ? うわ、めちゃくちゃ光ってる! ちょっと、ミランドラ! あんたも見てみなよ!」

「お前は自由でいいな……いや、確かにめちゃくちゃ光っているな」

「何これ、小さな四角がいっぱい……ねえ、ミランドラ! これ何だと思う!?」

「さて、私も初めて見る。何かの暗号か……」


 アプリのアイコンが並んだホーム画面で盛り上がるゴスロリ君とミランドラさんをよそに、私はスマートフォンが不具合を起こしている可能性を考えて再起動してみたが結果は同じだった。

 画面に表示されている時刻は、現在午前五時五十分。

 音楽フェスの開始は正午からで、キッチンカーの営業はその一時間前からとなっている。


「保険会社に連絡して、警察呼んで、それからゴスロリ君を病院に送り届けて……まだ、何とか間に合うかも……」


 この期に及んでと思われるかもしれない。

 けれども、どうしてもキッチンカーを成功させる必要のある私は意を決して顔を上げる。

 すると、ミランドラさんとまた目が合った。

 物珍しそうにキッチンカーを覗き込んでいるゴスロリ君とは違い、気安い雰囲気の相手ではないため緊張してしまうが、私は縋るような気持ちで彼を見つめて口を開く。


「あの……この先って、広い道に繋がっているかどうかご存知ですか?」

「この先にあるのは私の屋敷だ。それを越えれば、大通りに出られるだろうが……」

「えっ、あなたのお屋敷ってことは……もしかして、ここって私道だったりします?」

「私道というより……そもそも、我が家の敷地内だな」


 それ聞いた私は、たまらず両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまった。


「わあああん! カーナビ君、どうしてなの? なんで、私有地に繋がる道に案内してくれちゃったの!?」

「かーなび、とは人名だったのか? 君はその者に案内されてここに来たと?」

「中古で買った車に元から付いていたものだから? もしかして、壊れかけてた!?」

「中古で? 人を? 買ったのか? 壊れかけていたとは……」


 カーナビ自体の不具合に加え、いきなり仕事を放棄したのはこの辺りが圏外だったからだろう。

 とはいえ、機械に恨言を言っても始まらない。

 私は気を取り直し、何やらますます訝しい顔をしたミランドラさんと向かい合った。


「私有地とは知らず、勝手に入り込んでしまって申し訳ありませんでした。あの、その上でまた不躾なお願いなんですが、大通りに出るのにお宅を通らせていただけませんでしょうか?」

「それは、かまわないのだが……」


 ミランドラさんは私から視線を外さないまま、ふいに探るような目をする。

 かと思ったら、なにやらおかしなことを言い出したのだ。


「君は……人間なのか?」

「……はい?」

「魔物……には見えないが、しかし君が現れた状況をどう判断すべきか……」

「ええっと……」


 彼の質問の意図が分からずに一瞬ぽかんとしたものの、ここで私はピンときた。

 ミランドラさんとゴスロリ君は音楽の方向性の違いについてはなく、もしかするとバンドメンバーに欠員が出たことを話し合っていたのではなかろうか。

 なぜこんな時間に道のど真ん中で、とは思わなくもないが……それぞれ事情があるのだろう。

 とにかく、魔物キャラ担当のメンバーが抜けて困っていたミランドラさんは、事故と不法侵入を犯して負い目のある私をひとまず代役として立てようと思いついたのかもしれない。

 私は、いやいや! と慌てて首を横に振った。


「無理です! 私、音楽はからっきしで! いやでも……ううーん……タ、タンバリンなら、何とか……」

「……うん、たんばりん、とは?」

「じゃなくて! そもそも私、キッチンカーを営業しないといけないので、バンド活動をする余裕はないんです! ごめんなさいっ!!」

「君はいったい……何の話をしているんだ……?」


 二つ折りになるくらいの勢いで頭を下げた私と、目を丸くしているミランドラさん。

 そんな私達を見たゴスロリ君が、お腹を抱えて笑い出した。


「あははは! ちょっと待って、何なのこの子ー! どうしたどうした、公爵様! さっきから調子崩されっぱなしじゃん! 稀代のミランドラも形無しだな!」

「では聞くが、お前には彼女が何を言っているのか理解できているのか?」

「いーや、全然! ただ、ミランドラ公爵様の困惑してる姿が面白すぎるから、いいぞもっとやれって思ってる!」

「他人事だと思って……」


 ゲラゲラ笑うゴスロリ君に、ミランドラさんが心底うんざりした顔をする。ところで、ミランドラさんは公爵様という設定なのだろうか。

 そんな二人の関係性に首を傾げつつも、私はひとまず大通りに出るべくキッチンカーを動かすことにした。

 後部座席を改造したキッチンは土足厳禁。中を見たがったゴスロリ君には靴を脱いでそちらに乗ってもらい、まさしく困惑の極みといった表情のミランドラさんを半ば強引に助手席に座らせる。

 そうして自分も運転席に乗り込み、いざパーキングブレーキを解除しようとして……


「あ、あれ……?」


 私は、自分の身体が言うことを聞かないことに気づいた。

 助手席のミランドラさんも異変を察知して眉根を寄せる。

 

「君、どうした?」

「あの、身体が……固まっちゃって……」


 実を言うと、私はもともと車の運転が苦手だった。いや、それどころか致命的に下手くそだったのだ。

 教習所の実技試験では何度も落ちまくり、教官に頭を抱えられたことも数知れず。どうにかこうにか免許を取得してからも、すでに数回脱輪してロードサービスのお世話になっていた。

 とはいえ、キッチンカーを営業するならば運転しないことには始まらない。そう自身を鼓舞しながら、今朝はどうにかこうにかここまでやってきたのだが……


「あ、ど、どうしよう……どうしよう……」


 今からまた車を運転するのだと思ったとたん、さっきの急ブレーキの耳障りな音と車体に何かが当たったあの衝撃が蘇ってきて私を苛み始めた。

 私が運転したら、また事故を起こしてしまうかもしれない。

 今回はたまたま大事には至らなかったが、次は違うかもしれない。

 誰かを傷つけてしまうかもしれないし、最悪の場合は死に至らしめることにもなりかねない。


「どうしよう……こわい、こわい……」


 いつの間にか、背中が冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 ハンドルを握りしめた手はブルブルと小刻みに震えている。

 今の今まで忘れていた額と右膝の怪我までジンジンと痛み出した。

 まるで全身が心臓になってしまったみたいにすさまじい動悸に見舞われ、息をするのさえ苦しくなる。

 ついには頭痛まで始まって、意識が遠のきそうになった――その時だった。


「――君、落ち着きなさい」


 助手席から伸びてきたミランドラさんの手が、ハンドルを握り締める私の手を掴んだのだ。私のものよりもずっと大きく、そして温かな手だった。

 とっさに、縋るように彼を見上げる。

 目が合うと、ミランドラさんはなぜだかまた息を呑んだようだったが、すぐに表情を和らげて続けた。


「ゆっくりと、息を吸って……そう、上手……上手だ……」


 最初はあんなに固くて事務的だったのが嘘のように、慈しみのこもった柔らかな声だった。

 その声に宥められながら、必死に呼吸を整える。

 やがて鼓動が落ち着き始めると、私はようやくほうっと安堵の息を吐き出した。 

 それを見届けたミランドラさんが、私の手を優しくポンポンしながら言う。


「先程の体験が君にとってよほど衝撃だったのだろう。私にも、覚えがある症状だ。無理はしない方がいい」

「はい……」


 私は小さく頷いてから、もう一度ミランドラさんを見上げる。

 今度は、目が合っても驚かれなかった。

 そのかわりに、心の奥を見透かそうとするみたいにじっと覗き込まれて、なんだかそわそわとした心地になる。

 ミランドラさんの目は、やはり赤かった。


「えー、ちょっと? 何なのよ、お二人さん。見つめ合っちゃってさ」


 さらには、茶化すように言いながら仕切り窓から運転席を覗き込んできたゴスロリ君の目も赤いことに、ここでようやく気づく。

 そんな彼は、私とミランドラさんの顔を見比べると、それにしても、と続けた。


「今代のミランドラの目を見られる人間なんて……いるんだ」




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