19話 まともに取り合わない
「な、並べだと……お前、私を誰だと思っている!」
そう声を荒げた性悪貴族が、肩を怒らせてズンズンとキッチンカーに迫ってくる。
さりげなく、ロドリゲスさんが私を背に庇うようにその進路に身体を割り入れた。
背の高い彼に視界を塞がれて、性悪貴族が一瞬うっと怯む。
私はまさしく虎の威を借る狐のごとく、ロドリゲスさんの後ろから顔を出して続けた。
もちろん、顔には営業用スマイルを貼り付けたまま。
「もちろん、大切なお客様だと思っておりますよ?」
「な、なんだ、分かっているんじゃないか……そうだ、私は客だぞ!」
「はい、お客様。メニューをご覧になりますか? 本日のオススメは、朝採りの瑞々しいベリーをふんだんに使ったベリー尽くしのクレープです。甘いものがお嫌いでなければ、ぜひご賞味ください」
「ふ、ふん……甘いものは、別に嫌いじゃないけどな! よし、そのベリー尽くしとやらを用意しろ!」
どうやら、甘いものは嫌いじゃないどころか好きそうだ。メニューを見てそわそわしている姿は微笑ましくさえある。
かしこまりましたと頷いた私は、にっこりと微笑んで続けた。
「では、最後尾にお並びください」
「はぁ!? だから、私は客だと言っているだろうが!!」
「はい、存じております。そして、今お並びいただいている皆様も、当店の大切なお客様です」
「なっ……このっ、無礼者が! 私を、ここにいる有象無象と一緒にするな!」
とたん、有象無象呼ばわりされた人々の冷たい視線が性悪貴族にグサグサと突き刺さった。
それにしても、この完全アウェーな状態でここまで空気を読まない言動ができるなんて、いっそ感心する。
初めに最後尾に並べと言った辺りから面白そうな顔をしていたマノンさんが、彼を眺めてフフッと小馬鹿にしたみたいに笑った。
白けた空気にも気づかず、顔を真っ赤にした性悪貴族がなおも続ける。
「お前では話にならん! 責任者を出せ!」
とたん、ウェスリー侯爵からの手紙に目を通していたオーナーが顔を上げて私を見た。
満面の笑みを浮かべれば、やれやれと言いたげな苦笑いが返ってくる。
オーナーは手紙をアルヴァさんに預け、つかつかとこちらに向かって歩いてきた。
「責任者は、私だが?」
「うおっ……あ、あんたかよ……」
必然的にオーナーとロドリゲスさん――長身の男性二人に挟まれる形になった性悪貴族が目に見えて怯んだ。
するとここで、それまで傍観していたウェスリー侯爵家の御者が口を挟む。先日会った領事くらいの初老の男性だ。
「坊ちゃーん、もうよしなよ。カッコ悪いぜ。旦那様に報告できねーよ」
「う、うるさい! 坊ちゃんって言うな!!」
お付きの御者にまで諫められて、彼の沽券はズタズタである。
何だかかわいそうに思えてきた私は、小さい子に対するように優しく言った。
「駄々を捏ねなくてもクレープはお作りしますから、ちゃんと並びましょう。ね、坊ちゃん?」
「坊ちゃんって、言うなぁあ!!」
私の言い方が気に入らなかったらしい性悪貴族は、ますます顔を真っ赤にして吼える。
よしなって、とまた御者が呆れた風に口を挟んだ。
「お前、うるさいぞ! 私に指図するな! クビになりたいのか!」
「わしをここでクビにしたら、帰りの馬車は誰が動かすんですかい、坊ちゃん?」
「坊ちゃんはやめろって言ってるだろう! 御者の代わりなんか、いくらでも……」
ここふと、性悪貴族は言葉を切った。
そうして、オーナーをちらりと横目で見たかと思ったら、次の瞬間――
「そうだ――代わりは、ミランドラ公にお願いしよう」
底意地の悪い笑みを浮かべて、そう告げたのである。
成り行きを見守っていたミランドラ公国の人々が、とたんにざわりとした。
当のオーナーは涼しい顔をしたままだが、アルヴァさんは初めて見るような険しい顔をしている。
ロドリゲスさんは私の盾役をオーナーと交代して、アルヴァさんの側に戻った。
坊ちゃん! と御者が語気を強めたが、それを無視して性悪貴族が続ける。
「査察なんて面倒なこと、お互いさっさと終わらせたいでしょう? 公に馬車を駆って領内を案内してもらうのが一番手っ取り早いではありませんか」
さも合理的な提案のように言うが、身分制度に詳しくない私でも眉を顰めるくらい、あまりにも礼を欠いた発言である。
そればかりか、たっぷりの悪意までこもっていた。
「まさか、馬が苦手だなんて――そんなみっともないこと、おっしゃいませんよねぇ?」
性悪貴族は間違いなく、オーナーが馬にトラウマを持っていることを知っている。
その上で御者をしろと要求し、それが難しい彼を貶めようという魂胆なのだろう。
当のオーナーは小さく肩を竦めただけで、性悪貴族の悪意にまともに取り合う様子はないが……
「……馬が苦手で、何が悪いんですか」
「あ?」
私は、どうしても我慢がならなかった。
背中を向けて立っていたオーナーが、赤い目を丸くして振り返る。
私は手に持っていたトンボを、ビシリ! と性悪貴族に突きつけて叫んだ。
「ちょっと、そこの坊ちゃん! よろしいですか!?」
「ぼ、坊ちゃんって言うなっ!」
「誰だって苦手なものの一つや二つや三つあって当然ですし、それをわざわざ取り立てて言うなんて、自分は器が小さいですよーって吹聴しているようなものですよ!? 器、ミジンコですか? いえ、ミジンコに失礼です! 謝ってください!!」
「なんで!?」
一気に捲し立てた私に、言われた当人も、アルヴァさんもマノンさんも御者も、その他周囲で見守っていた人々までポカンとした顔になる。
オーナーなんて、両目をぱちくりさせて私を凝視した。
唯一ロドリゲスさんだけ、またブフフッとうけている。
私はそんな周囲の反応にも構わず、バックドアから身を乗り出して続けた。
「さっき、これは何かとおっしゃいましたよね。これ、キッチンカーって言います。全財産を投げ打った上、半年以上を教習に費やしたのに、私はろくに運転できませんけどねっ!」
「それ、胸張って言うことかよ!?」
「けど、うちのオーナーはすごいんですよ! 私が口で説明しただけですぐに運転できるようになっちゃいましたし、しかもめちゃくちゃ上手なんですからね! オーナーの隣でなら私は安心して居眠りできますけど、果たしてあなたにそれが可能でしょうかねぇ?」
「な、なにおう……この、言わせておけば!!」
性悪貴族は沸騰したヤカンみたいに、頭からピーッと湯気を噴き出しそうな様相を呈してきたが、彼以外は随行の御者を含めて、微笑とも苦笑とも判断つかない表情になっていた。
「やってやろうじゃないか! こんなもの、私にかかれば造作もないわ!」
無駄にプライドの高い性悪貴族は、私の言葉に簡単に煽られてくれたようだ。
キッチンカーから降りた私は運転席のドアを開き、肩を怒らせてズンズン歩いてきた彼を誘導する。
すれ違い様にフンッと鼻を鳴らしてきた彼の小物感たるや。
「ココ? 話がおかしな方向に進んでいるようだが?」
「ご心配なく、オーナー。ぬかりはありません」
困惑した様子のオーナーに、私は自信満々で親指を突き上げる。
そもそも、キッチンカーをオーナー以外に運転させる気なんてこれっぽっちもないのだ。
性悪貴族はハンドルを握るどころか運転席に座ることもできないだろうと確信していた。
何しろ……
「――ぎゃあ、何コレっ!?」
運転席の上には二匹の魔物――ワットちゃんとボルトちゃんがいる。
いきなり現れた見知らぬ性悪に驚いて、ボルトちゃんは背中の毛を逆立ててフーッ! と威嚇し……
ワットちゃんに至っては、大きなウニみたいになっていた。




