16話 面倒を見る
「ノヴェルの困っている顔を見るのなんて、何年ぶりだろうねぇ」
クスクス笑ってそう言うのは、魔女エッダ。
見た目は幼女だが、実はミランドラ公国に住まう他の誰よりも長く生きている。
カルサレス領事館一階応接室にて執り行われた、ミランドラ公爵、カルサレス領事、そしてミランドラの生き字引の異名を持つ古き魔女による三者会談はつい今し方終了した。
世界大戦以降、三百年続いてきた泰平の世は、血気溢れる現カルサレス皇帝によってにわかにきな臭さを帯びてきている。
そんな状況において、三者は志を同じくすることを確かめ合い、来る時に備えることで合意した。
しかしながら、そんな真剣な話し合いの最中に魔女が手に持っていたのは、羽根ペンでも魔法の杖でもなく、バナナやキウイなどの果物がこれでもかと入ったクレープである。
エッダはホイップクリームが付いていた口元をナプキンで拭いつつ、ニヤリとしてさらに続けた。
「ココ、だっけ? お前さん、随分とあの子に目をかけているようじゃないか?」
「この世界のことは右も左も分からない子だ。拾った私が面倒を見るのは当然のことだろう」
「まあ、なかなか短絡的な行動をするタチみたいだから? 誰かがちゃんと見ていてやらないといけないかもねぇ」
「ああ、そうだ……ココはまったく、危なっかしい……」
ローテーブルを挟んで、エッダの向かいのソファに座ったノヴェルは、そう言って小さくため息を吐いた。
運転操作が苦手だと自覚しながらキッチンカー営業を強行したことや、危険だと教えたはずのシビレモグラに素手で触れたこと。
そして、丸腰で無策のまま巨大な魔物の前に飛び出してしまった先程のことなど、ココの慎重さに欠けた行動は数々見受けられる。
そんな彼女は現在、キッチンカーの営業を終えて領事館の庭で時間を潰していた。
正門前での商いは予想以上に盛況だったようで、用意してきた分を売り切ってしまったらしい。
噴水の縁に腰を下ろすココと、ノヴェルは窓越しに目が合った。
とたんに、無邪気な笑みを浮かべて両手を振ってくる彼女に釣られ、小さく手を振り返す。
ココの隣からは、お守りに付けたドットが面白そうな顔を向けてきた。その足下では二匹の魔物が戯れ合っている。
ノヴェルの視線の先を眺めたエッダが、ニヤニヤしながら口を開いた。
「しかし、ノヴェルが獣型の魔物を二匹も連れ歩くことになるなんてねぇ」
「シビレモグラはともかく、先ほどの幼体を今後連れ歩くことに関しては、まだ許可したつもりはない」
「どうせ許可するさ。あの子をがっかりさせることなんて、お前さんはきっとできやしない。そうだろう?」
「……黙秘する」
そう言い交わす客人達の前に紅茶のお代わりを置きながら、苦笑いを浮かべた領事も口を挟む。
「しかし、正直驚きました。まさか、公の目をまっすぐに見られる人間に出会えるとは……。魔力がまったくないというのは、一体どういう感覚なのでしょうね?」
「ココにとっては、それが普通らしいがな。私の目を見て、おいしそう、と宣った」
「おいしそう!? 我々には天地がひっくり返ったって出てきやしない発想だね!」
ココが新月の夜にアンドラとの境界から現れたという情報も、会談の中で共有した。エッダの見立てでは、やはり彼女は魔物ではなく人間という認識で間違いないらしい。
「異世界なんてもの、本当に存在するのでしょうか?」
「まあ、アンドラだってミランドラやカルサレスのような人間の国から見たら異世界のようなものだろう? 他にも未知の世界があったって、不思議じゃないさ」
領事とエッダがそう言い交わすのを聞きながら、ノヴェルは再び窓の向こうに目をやった。
二匹の小さな魔物達に交じって地面にしゃがみ込んでいるココの姿に、自然と頬が綻ぶ。
幼い頃から彼を知っている魔女と領事が顔を見合わせ、優しい笑みを交わした。
「異なる世界が存在するのも、ココがそこから来たというのも本当だとして……」
そう呟いたエッダは、小さな両手で紅茶のカップを持ち上げる。
そして、一口飲んでから続けた。
「異なる世界と道を繋ぐなんて芸当ができそうなものは……私の知る限り、たった一人しかいないね」
「……アンドラ女王、か」
魔物の国の女王が何のために異世界と道を繋げたのか。また、本当に彼女の仕業なのかは判然としない。
そして、ココがどうしてミランドラにやってきたのか、元の世界に戻ることができるのか――はたして、彼女が置かれた今の状況が偶然なのか必然なのかも、分かる者は誰一人としていなかった。
ノヴェルもエッダも領事も、カップに口をつけつつ沈思黙考する。
必然的に応接室が静まり返った、その時だった。
「うおおっ!? ココちゃん、危ねぇ!!」
ドットの焦った声が聞こえてきて、ノヴェルは弾かれたように顔を上げる。
そうして、窓の向こうの光景にぎょっとした。
というのも、さっきまで小さな魔物達と一緒に地面にしゃがみ込んでいたはずのココが、一転して大きな木の枝からぶら下がっていたのだ。
「ちょっと目を離しただけで、どうしてそんなことになるんだっ!?」
ガチャンと音を立ててカップを置いたノヴェルが、猛然と窓から飛び出していく。
「おやおやおや」
「まあまあまあ」
彼を見送ったエッダと領事はまた顔を見合わせ、今度はにんまりとした。
「――ココ! 何をしている!」
一方、木の下に駆けつけたノヴェルに、ココは枝にぶら下がったままおずおずと口を開いた。
「そ、それがですね、オーナー。ボルトちゃんが木の上から下りられなくなっちゃって……」
「ドット! なんのためのお守り役だ!」
「しょうがねーだろー、長。ココちゃんてば、止める間もなく上っちまうんだもんよー。子猿みたいだったぜ」
木の上で立ち往生した子猫型魔物を迎えにいったはいいが、いざ下りようとしたところで足を滑らせ、ココはとっさに枝を両手で掴んだようだ。
「みゃー……」
「オーナー……」
ココのTシャツの胸にしがみついて目をうるうるさせている子猫型魔物と、枝にぶら下がって同じく目をうるうるさせている子猿……ではなくココに、ノヴェルは深々とため息を吐く。
けれども、後者の潤んだ目がまっすぐに見つめてくるのには、実のところ気分が高揚していた。
トクトクと、胸の奥で鼓動が大きくなるのを感じつつ、ノヴェルは両手を広げる。
「――ココ、おいで」
枝を掴んでいたココの手を離させたのは、わずかな期間にもかかわらず芽生えた、彼に対する大きな信頼だった。




