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15話 天を仰ぐ



 ギラリと光る尖った爪。ぞろりと並んだ鋭い牙。

 たとえそれらをかわせたとしても、あの巨体にぶち当たってはただでは済まないだろう。

 私はいつ襲いくるかもしれない衝撃と痛みにブルブルと震えつつ、腕の中の女の子とワットちゃんをきつく抱き締めた。

 ところがである。


「……あれ?」


 いつまで経っても、衝撃も痛みもやってこない。

 不思議に思った私は、恐る恐る背後を振り返り――はっと息を呑んだ。

 見覚えのある背中に庇われていることに、ここでようやく気づいたからだ。


「えっ? オ、オーナー……!?」


 私達の背後に立ち塞がり、魔物の鋭い牙を受け止めていたのは、領事館の中にいたはずのオーナーだった。

 片手に、槍の先に斧を取り付けたような大きな武器を軽々と掲げている。

 魔物はその斧の部分に牙を塞がれて、あがあがと喘いでいた。

 鋭い爪を生やした両の前足が、がむしゃらに宙を掻く。

 超巨大黒猫の超強力猫パンチが、オーナーに向かって振り下ろされようとした時だった。

 ぐっと両手で武器の柄を掴んだオーナーが、その先に魔物の牙を引っ掛けたまま大きく空を薙いだのである。

 ブンッと音を立てて、魔物の巨体が振り回される。

 されるがままのその姿は、まるで風に翻弄される木の葉のようだった。

 そうして、次の瞬間――


 ドーン!!


 凄まじい音を立てて、黒い巨体が石畳の上に叩きつけられたのである。


「ぴえっ……」


 あまりの衝撃に、地面にへたりこんでいた私の身体までぴょんと飛び上がった。

 土埃がもうもうと立ち上る中、ようやく斧を肩に担いだドットさんが駆け寄ってくる。


「さっすが、長だぜ! 瞬殺じゃねーか!」

「これくらいの相手に手こずるとは、お前らしくないな、ドット。こいつ、形は大きいがまだ幼体だぞ」

「いやー、直前に爆食いしたせいで腹が重くってよ! はは、うっかりうっかり!」

「まったく……しっかりしてくれ」


 オーナーとドットさんはそんな風に軽口を叩き合いながら、地面に仰向けに転がった黒い巨体を見下ろす。魔物は、目を回していた。

 オーナーがすっと両手を伸ばしてその目元を覆う。

 ちょうど、領事の孫である赤子の魔力を吸い取った時と同じように。

 ちなみに、オーナーが持っていた武器はいつの間にかなくなっていた。

 やがて、私の目の前で不思議なことが起こる。


「ええ……っ!?」


 あれほど大きかった魔物の身体が、膨らませた風船から空気が抜けていくみたいに、みるみる萎み始めたのである。

 私がポカンと口を開けて眺めているうちに、超巨大黒猫は子猫サイズまで縮んでしまった。

 ドットさんがその首根っこを摘み上げるのを見届けて、オーナーがようやくこちらを振り返る。


「ココ、無事か?」

「……っ、オ、オーナぁあああ……」


 オーナーの顔を見たとたん、私の両目からぶわわっと涙が溢れ出した。

 慌てた様子で駆け寄ってきたオーナーが傍に膝を付く。

 領事館に避難していた人々も大通りに出てきて、またもや遠巻きに見られている気がするが、構ってなどいられなかった。

 

「こわ、こわかったぁああ……」

「よしよし、もう大丈夫だ。ケガはないか?」

「うう、ないです……ロドリゲスさんがズボンを縫ってくれてなかったら、また膝を擦りむいているところでしたけど……」

「そうか。帰ったらロドリゲスに礼を言わないといけないな」


 べそべそ泣く私の背中を撫でながら、オーナーがほっとため息を吐く。

 腕の中に抱えた女の子は、そんな私達を目をまん丸にして見比べていた。

 こんなに小さいのに泣きもしないなんて、よほど胆が据わった子なのか、それとも涙も出ないくらいにショックだったのか。

 先に腕の中から抜け出したワットちゃんが、おろおろした様子で周りをぐるぐる駆け回っていた。

 私はみっともなく鼻を啜りつつ、女の子のおかっぱ頭を撫でる。


「ぐすっ……こわかったねぇ。泣かないで、えらいねぇ……」


 女の子の目の色も、やはり赤だった。

 瞬きもせず泣き顔を凝視されて、大人のくせにめそめそしている自分がだんだんと恥ずかしくなってくる。

 慌てて手の甲で涙を拭っていると、ふいに頭を撫でられた。後頭部と前頭部の二か所を。

 後頭部を撫でているのは、さっき魔物の巨体を一瞬にして地に伏したオーナーの手。そして、前頭部を撫でているのは……


「……へ?」


 私の腕の中から伸びた、女の子の小さな手だった。

 きょとんとする私に、女の子がにっこりと満面の笑みを浮かべる。

 一方、オーナーは呆れた様子で口を開いた。


「エッダ、どこで油を売っていたんだ。約束の時間をもう一時間以上過ぎているんだが?」

「一時間遅れたくらいでガタガタぬかすんじゃないよ、ノヴェル」


 オーナーの苦言に、幼い声が悪怯れる風もなく言い返す。彼女の名に聞き覚えがあった私は、零れ落ちんばかりに両目を見開いた。

 

「エ、エッダって!? まさか……いやいや、まさか、そんな……」

「ばーちゃん! いたんだったら言ってくれよ! っていうか、あんたなら長が出てくる前にあの魔物制圧できてただろ!?」

「うるさいね、犬っころ。どれ揉んでやろうかと思ったら、このお嬢ちゃんに抱っこされてしまったのさ。――まあ、たまには守られるのも悪くないねぇ」

「え、えええええっ!?」


 黒いおかっぱ頭と、赤いワンピースにキャメル色のブーツを合わせた、どこからどうみても幼女にしか見えない彼女が、まさかもまさか――魔物の国アンドラの女王とも幼馴染だという魔女エッダ、その人だったのだ。

 一人大通りに立っていたのも、取り残されたわけではなく魔物を制圧しようとしていただけで、彼女にはそれが可能なだけの力量があるという。

 領事館に避難した人々が誰も助けようとしなかったのは、自分達が手出しする余地などないと知っていたからだった。


「私、余計なことをしちゃったんですね……ごめんなさい」

「いやいや、身を挺して守られることなんざ久しくなかったからね。実はちょっと嬉しかったんだよ?」

「そ、そっか……何も知らないで出しゃばってしまったの、恥ずかしいけど……エッダさんがそう言ってくださるなら、よかったです」

「お前さん、いい子だねぇ」


 エッダさんの小さな手がなおもよしよしと頭を撫でてくれる。

 オーナーも、何だか無言で私の後頭部を撫で続けていた。

 やがて、遠巻きに見物していた人々も解散し始める。

 領事館の門番も、ようやく元通りの定位置に戻った、その時だった。


「――おおっと?」


 ドットさんに首根っこを掴まれていた超巨大黒猫改め子猫サイズの魔物が、ふいに目を覚ました。

 オーナー曰くまだ幼体――つまり、子供らしい魔物は、周囲を見渡して自分の身体が小さくなっていることに気づいたのだろう。

 みゃっ! と鳴いて全身の毛を逆立てたかと思ったら、ジタバタと暴れ出した。

 持て余したドットさんがもう片方の手で支えようとするも、ついに彼の手からすり抜けてしまう。

 石畳の上に飛び降りた魔物の子は、瞳孔をかっぴらいたまん丸な目でおろおろと辺りを見回すと、だっと駆け出した。


「うわっ、待て! このっ、チビっ!!」


 ドットさんが慌てて捕まえようとするも、まさしく子猫のごとくすばしっこい。

 やがて、ドットさんのグローブみたいな手から逃げ切った魔物の子は、ふわふわの安全圏――ワットちゃんのお腹の下に逃げ込んでしまった。


「みゅっ!?」

「あー……まいったな、こりゃ」


 驚いたワットちゃんが、バババッと背中の針を立てる。こうなっては到底手出しができず、ドットさんは困った顔をしてガシガシと灰色の頭を掻いた。

 私はウニみたいになったワットちゃんと、隣で呆れた顔をしているオーナーを見比べる。


「オーナー、この魔物の子の処遇ってどうなるんですか?」

「次の新月まで、うちで保護することになるな。まあ、小さい姿のままなら悪さもできないだろうから、比較的自由に過ごせるだろう」


 高等な魔物の中には厄介なものもいるらしいが、今回の相手のような獣型の魔物は巨体ではあるものの生態自体は普通の獣とそう変わらないそうだ。

 特に、オーナーに魔力を吸い取られてしまった今は、見た目の通り子猫と大差がないという。

 牙と爪を剥き出しにして飛びかかられそうになった時は、私も寿命が縮まる思いだったものの……


「みぃ……」

「はうっ……完全にネコチャンです!」


 ワットちゃんのお腹の下からおそるおそる顔を覗かせた魔物――もう、ほぼ子猫のつぶらな目に見つめられてしまっては、キュンとしないはずがなかった。

 そっと人差し指を近づければ、その子はフンフンと鼻を近づけて匂いを嗅ぎ始める。


「よちよち、おいでー、ボルトちゃん。こわくないよー」

「うん、ココ? 待ちなさい。なぜ、それに名前を付けた?」


 電力の単位であるワットに対し、ボルトは電圧の単位である。

 ぎょっとするオーナーは置いておいて、私はおそるおそる這い出てきた子猫魔物改めボルトちゃんを両手で抱き上げる。

 この頃には、ワットちゃんの背中の針もなだらかになっていた。

 ボルトちゃんを膝に乗せれば、ワットちゃんが興味津々で匂いを嗅ぎにくる。

 鼻キスをする二匹を見た私は、鼻息も荒くオーナーに向き直った。

  

「オーナー! あの、ご提案なんですけど!」

「いやな予感がするぞ……」

「この子、次の新月までうちのスタッフにしていいですか?」

「言うと思った……」


 オーナーは、額に片手を当てて天を仰いだ。




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