13話 弱音を吐く
カーンカーンと二つ、鐘の音が響いた。
煉瓦造りの時計塔の上で、青銅色の鐘が揺れている。
その大きさに圧倒され、私は思わずポカンと口を開けたが、ガラスの向こうにいる人々もまたポカンと口を開けてこちらを見ていた。
「わー……めちゃくちゃ、なんじゃこりゃって目で見られてますよ? オーナー」
「それはそうだろう。私も初めてこれを見た時は、なんじゃこりゃと思ったからな」
「あー、そんな感じでしたよね」
「まさか自分が、町中でそれを走らせることになるとは夢にも思わなかった」
ミランドラ公国にやってきて二日目。
昼食をとった後、私とオーナーはキッチンカーに乗ってミランドラ公爵邸を出発した。
向かうはカルサレス帝国との国境近くにある領事館。
ミランドラ公爵邸が公国の東端にあるのに対し、領事館は西端に位置しているという。
領事館との名の通り、ミランドラ公国が属するカルサレス帝国から派遣された領事が駐在しており、主に両国のパイプ役を務めている。
ミランドラ公爵邸と領事館は大通りの端と端にあり、時計塔があるのはちょうどその真ん中辺りだそうだ。
馬車や荷車が行き交う石畳の大通りは広くてしっかりとした造りになっており、キッチンカーの走行にも十分だった。
道の両側には建物がびっしりと立ち並び、ほとんどが一階を店舗、二階以上を住居としているようだ。
装飾の凝った木骨造とあちこちに飾られた花々を見ていると、一度だけ行ったことのある、フランスはブルターニュの街並みを思い出す。
やがて差し掛かった橋の下を、花をいっぱいに積んだゴンドラがのんびりと進んでいった。町の真ん中には川が流れており、運河として利用されているらしい。
「素敵な町ですね、オーナー」
「そう言ってもらえると、光栄だな」
「あっ、小さい子が手を振ってる。オーナーはハンドル握っててくださいね。片手運転はいけません。僭越ながら、私が代わりに手を振り返しておきますからね」
「はいはい」
小さな子供はともかくとして、町の人々は戸惑っている様子だった。
乗り物といったら馬か馬車だけだった大通りに、いきなりキッチンカーのような見慣れない物体が現れたのだから無理もない。
対向から来た馬車の馬にまで、二度見されてしまった。
それでも、行く手を阻まれたり囲まれたりしないのは、単に治安がいいというのもあるだろうが、一番の理由はやはり運転しているのがオーナーだからだろう。
ミランドラ公爵に注がれる人々の視線は、確固とした信頼と尊敬に満ちていた。
と、そこまで考えて、私ははたと気づく。
「ま、待ってください……この国の一番偉い人に運転させて、助手席から手を振るなんて……もしかして私、今とんでもなく偉そうなやつじゃないですか?」
「いや、こちらも好きで運転しているのだから、ココが気にする必要は……」
「そうだ! ワットちゃんに代わりに手を振ってもらいましょう! ワットちゃんなら可愛いからきっと許されるはずです!」
「いや、可愛いと許されるならばココでも……」
ここで、大通りを横断しようとしていた老婦人に気づいてオーナーがブレーキを踏んだ。
その隙に、私は助手席の足下にいたカワイ子ちゃんを抱き上げる。
「みゅー」
「ひえー、かわいいー! ねえ、オーナー! 可愛いですよね!?」
「うん、可愛い可愛い。……しかし、シビレモグラの鳴き声なんて初めて聞いたな」
本日付で、『Crepe de Coco』のスタッフとなったシビレモグラのワットちゃんだ。性別はちょっと分からない。
私はそのバレーボール大の身体を窓の高さまで持ち上げると、ぷっくりとしたピンク色の前足を掴んで外に向かって振った。
「ああー、かわいい。尊い……」
「待て待て、ココ。民を余計に困惑させてしまったが?」
ワットちゃんにデレデレする私に苦笑いしながらオーナーが言う。
確かに窓の向こうでは、大人達はもちろん、さっきキッチンカーに手を振ってくれた子供まで、ワットちゃんを素手で抱いた私に目を丸くしていた。
シビレモグラに触れてはいけないというのが、やはりこの世界の常識らしい。
やがて、老婦人が無事渡り終えたのを見届けて、再びキッチンカーが走り出す。
時速はだいたい三十キロ。他に大通りを走っている馬や馬車があることを考えると、これ以上のスピードを出すのは難しい。
ミランドラ公爵邸を出発して中間地点である時計塔まで、おおよそ半時間。
単純計算だと目的地である領事館まではさらに半時間かかり、合計一時間――距離にするとおおよそ三十キロの道のりとなる。
満充電の状態で出発したため、おそらく途中で充電しなくてもミランドラ公爵邸に帰り着くことができるだろう。
窓の外に手を振らせるのをやめると、ワットちゃんは私の膝の上でのんびりクルミを齧り始めた。
私は寝た針に沿ってその背中を撫でながら、そういえば、と口を開く。
「今日これからオーナーや領事さんと会談する方と、いい機会だから顔繋ぎしてもらうよう、アルヴァさんに言われたんですけど」
「ああ、私もココを連れてきた目的の半分はそれだな。相手は、建国以前からミランドラのある土地に住んでいる魔女だ」
とたんに私の頭の中には、黒い衣装ととんがり帽子で箒に跨った鷲鼻のおばあさんの絵面が浮かんでくる。
魔女は、エッダという名前らしい。サラマンダーの古物商ヨルムさんと同じく、古くから人間と共存してきた魔物の一人だ。
「エッダは南の一帯に大きな農園を持っていてな。薬草を管理し民間療法に精通している他、珍しい果物や野菜も育てている」
「バナナとかキウイとか南国系のフルーツは、私の元いた国でも気候的に露地栽培が難しかったんですけど、そういうのも扱っていらっしゃるでしょうか?」
「エッダの農園なら、おそらく。クレープに使う分を卸してもらえるよう、私が掛け合ってみよう。その他、生地などに必要な材料は十分か?」
「はい、小麦粉とか卵とか、アルヴァさんが厨房に話を通してくださったので、ばっちりです!」
オーナーもアルヴァさんも、材料費に関しては売り上げが十分に出てからで構わないと言ってくれたが、好意に甘え過ぎないよう頑張って稼がねばと決意を新たにする。
そうこうしているうちに、キッチンカーは無事領事館に到着した。
ミランドラ公爵邸にも劣らない立派な屋敷の背後には森があり、それを抜けた先にカルサレス帝国との国境があるという。
オーナーはキッチンカーを領事館正門前の通りに止めると、戸惑う門番に見張りを頼んでから私を連れて中に入った。ワットちゃんは助手席でお留守番である。
しかしながら……
「オーナー、私の格好……これ絶対場違いですよね?」
「うん……まあ、前衛的ではあるな」
私はこの時、ミランドラ公国にやってきた時と同じ、スタッフTシャツにダメージジーンズといった格好をしていた。
初日に転んで汚したそれらはミランドラ公爵邸のメイドさんに洗濯してもらい、ダメージジーンズに至っては隅々まで補修されて返ってきたのだ。
それにしても、隙あらばアップリケを付けたがる祖母から死守してきたのに、まさか異世界に来て縫われてしまうとは夢にも思わなかった。
ちなみに、補修してくれたのはメイドさんではなくロドリゲスさん。裏には丁寧に当て布まで施されており、しかもそれが破れ目からチラ見えしてかなりオシャレな出来栄えになっている。
とはいえ、いかにも貴族の紳士といったフォーマルな格好をしているオーナーと並ぶと、不釣り合いにもほどがあった。
「こんなことなら、またアルヴァさんにブラウスを借りればよかった……こんな格好の私を連れていて、オーナーの沽券にかかわったりしませんか?」
「ココが心配することは何もない。領事も魔女も気さくな人物だし、公式の場ではないから服装にこだわる必要はないだろう」
「胸にデカデカとイチゴを描いて、ツギハギのズボンを穿いててもですか? 本当に? もう一度、私の目を見て言ってください」
「……本当に。ココは、そのままでいいんだ」
正門を潜ってから領事館に入るまで、すれ違った人々にはことごとく二度見されてしまい、私は居た堪れない心地になる。
しかしながら、出迎えてくれた初老の領事は、オーナーの言う通り私の格好を問題にすることはなかった。
魔女はまだ到着しておらず、領事はオーナーに別件で用があるらしい。
私達がまず通されたのは、領事一家が生活する棟の一室だった。
「わあ……赤ちゃん」
こぢんまりした部屋には揺り籠が置かれ、赤子が寝かされている。
扉を開けて私達を迎え入れたのは、赤子の母親らしい、私とそう変わらない年頃の女性だった。
とはいえ、赤子に気安く近づいていいものか分からず、私は扉を入った所で立ち止まる。
一方、オーナーと領事はさっさと揺り籠を覗き込んで、頭を突き合わせて難しい顔をし始めた。
「そこにいる末の娘が先月産んだ子なんですが、どうやら先祖返りのようで……。公に診ていただこうと思っていたのです」
「……ああ、なるほど」
オーナーが揺り籠からお包みごと赤子を抱き上げる。
その母親がひどく不安そうな顔をしているのを見て、私はそわそわとした気分になった。
すると、ふいにオーナーが片手で赤子を抱いたまま私を手招きする。
「ココ、おいで。領事、彼女に赤子を抱かせてもいいだろうか?」
「ええ、もちろん。ぜひ、抱いてやってください」
私は訳がわからないまま、オーナーからお包みを受け取った。
母親に似て目元がぱっちりとした可愛らしい赤子である。
私がそれをまじまじと見つめると、なぜだか領事が息を呑む気配がした。
「ひえー、かわいいー……って、あれ? この子の目、赤……?」
「ううっ……」
とたん、隣にいた赤子の母親が涙ぐむ。
何か悪いことを言ってしまったのか、とおろおろする私の背中を宥めるように撫でてオーナーが言った。
「赤い目は総じて魔力が大きいことを意味している。ミランドラには時たま、この子のように格別大きな魔力を持って生まれてくる人間がいるんだ。おそらく、先祖に魔物の血が混ざっているのだろう」
「あっ、だからさっき、領事さんは先祖返りとおっしゃったんですね?」
「人間に変わりはないし、身体的に不自由があるわけでもない。ただし、どれだけ愛情深い母親でも目を合わせることができないんだ」
「それは……ちょっと寂しいですね」
魔力が大きい者の一存で小さい者と強制的に目を合わせることは可能だ。
しかしその場合、魔力の差が大きいほど後者に精神的負担を負わせてしまうことになり、結果的に関係が拗れる要因になるという。
もちろん、赤子や小さい子供にそのような配慮を求めるのは難しい。
そのため、大きな魔力を持つ我が子に無理やり目を合わせられることで精神を病んだり、あるいは我が子と正面から向き合えない自身を責めてノイローゼになってしまう母親もいるのだとか。
それを聞いた私は、母親を差し置いて赤子の目を見てしまったのが申し訳なく思えてくる。
すると、そっと赤子の両目を手のひらで覆ってオーナーが続けた。
「大きすぎる魔力を抱えて人の世は生きづらい。だから早いうちに、こうして魔力を吸い取ってやるんだ」
「魔力を、吸い取る……マノンさんにしたみたいに?」
「小さい子供ほど魔力の器が柔軟だからな。定期的にこれを繰り返していると、やがて少ない魔力で定着して常人と変わらなくなる」
「あっ! 赤ちゃんの目の色が……」
オーナーの手が離れると、驚くことに赤子の目は赤から青に変化していた。
隣で固唾を呑んで見守っていた母親の目と同じ色だ。
私が慌てて赤子を差し出すと、受け取った母親は食い入るように我が子の目を覗き込み、そしてわっと泣き出した。
母親は泣きじゃくりながら、オーナーに何度も何度も礼を言う。
私はそれに面食らいつつ、ふと思った。
「オーナー?」
「うん?」
オーナーの目も赤い色をしている。それこそ、母親も目を合わせられないほど大きな魔力を持って生まれたという赤子のそれより、もっとずっと鮮やかな。
私には、オーナーがどれほどの魔力を内包しているのかは計れないが、今まで誰も彼と目を合わせらなかったという旨を度々耳にしていれば想像は付く。
オーナーは、きっとここにいる赤子よりも――他の誰よりも、もっとずっと大きな魔力を持っているのだろう。
「オーナーも、生きづらいんですか?」
私は、オーナーにだけ聞こえる声でそう尋ねる。
すると、彼は一瞬赤い目を見開いて……
「……そう思ったことがないと言えば、嘘になるな」
ちょっとだけ弱音を吐くみたいに、小さな声で返した。




