12話 頭を撫でる
「オーナー、お願いします!」
「だめだ」
「ちゃんと責任持って面倒を見ますからっ!!」
「だめだと言っている。元の場所に戻してきなさい」
ハリネズミそっくりな魔物、シビレモグラを抱きしめる私。
そして、シビレモグラを刺激して私が傷つくことを恐れ、へたに手出しできないらしいオーナー。
ミランドラ公爵邸正門前キッチンカー横では、そんな私達の緊迫したやり取りが続いていた。
マノンさんはキッチンカーにもたれて、それをさも面白そうに眺めている。
通りすがりの人々もなんだなんだと集まってきて、遠巻きに見守り始めた。
やがて、そんな人垣をかき分けて、新たなメンバーが登場する。
アルヴァさんと、その車椅子を押すロドリゲスさんだ。
「おはよー。何、捨て犬拾ってきた子供とそのお母さんみたいなやりとりしているの、お母さん?」
「誰がお母さんだ……」
「おやおや、よく育ったシビレモグラですね。随分とココさんに懐いているようで」
「シビレモグラを飼うなんて、前代未聞だぞ……」
額を押さえてため息を吐くオーナーの顔を下から覗き込み、私は懸命に訴える。
「飼うんじゃないです! うちの店で雇いたいんです! でも、今はオーナーがオーナーですから、オーナーのお許しがないと……!」
「許してあげなよー、オーナー」
「そーよー、オーナー。ココちゃんがこんなに一生懸命お願いしてるのよー」
「お前達までオーナーオーナー言うな……」
完全に面白がっている様子のマノンさんとアルヴァさんに、オーナーは苦虫を噛み潰したような顔をする。
はいはい、と手を打ち鳴らしたロドリゲスさんが、にっこりと微笑んで言った。
「おはようございます、ココさん。ところで、どうしてシビレモグラを雇おうと思いついたのか、お聞きしてもいいですか?」
「あっ、おはようございます、ロドリゲスさん。実はですね……」
と、ここで私は、まだ挨拶もしていなかったことに気づいてオーナーに向き直った。
「オーナー、今更ですけど、おはようございます」
「……おはよう、ココ。よく眠れたか? 怪我は……もう大丈夫そうだな」
オーナーは困った顔のままだったが、マノンさんと同様に私の額を確認して安堵のため息を吐いた。
私だって、世話になりっぱなしの彼を困らせたい訳ではないのだ。
しかし、キッチンカーを続けていくため、そしてオーナーがそれを思う存分運転するためには、ここで引き下がるわけにはいかない。
カーン、とゴングみたいに七時を知らせる鐘が鳴り始めた。
私はシビレモグラのふわふわなお腹を両手で支えると、それをオーナーの目の前に突きつけて続けた。
「オーナー、聞いてください。ワットちゃんはおそらく、私達にとって必要不可欠な存在です」
「ワットちゃん? まさか、もう名前を付けたのか? ココ、さては微塵も譲る気がないな!?」
「ワットは電力の単位のことですよ。一応確認させていただきますが、この世界で一般的に使用されている動力源は何でしょうか? 電気って、ご存知ですか?」
「動力源は主に石炭や木炭などの固体燃料が使われているが……でんき、とは?」
ミランドラ公国にも、これが属するカルサレス帝国にも、電気という概念自体存在せず、もちろんそれを発生させる仕組みも確立されていない。
長距離の移動手段は、馬か馬車。カルサレス帝国内には蒸気機関車も走っているらしいが、ミランドラ公国には乗り入れていないらしい。
電気が当たり前にある世界で生きていた私には、電気が無い生活なんて考えられなかったが、だからといってそれを作り出す技術も知識もないのだからどうしようもない。
そんな中で、キッチンカーの充電を回復させたシビレモグラ改めワットちゃんの存在は、まさしく希望の光であった。
「昨日テラスでこの子に会った時、オーナーが小枝を投げて見せてくれましたよね? それで、バチバチってなって小枝が黒焦げになった現象を〝雷にでも打たれたみたい〟とおっしゃいましたけれど、電気と雷は基本的には同じものです」
「つまり、シビレモグラがその電気というものを発生させられる、とココは考えているんだな?」
「はい。さっき、キッチンカーの電気の量が突然回復したと思ったら、この子が充電口に鼻先を突っ込んでいたんです。しかも、いっぱいいっぱいまで電気を充填するには本来なら結構な時間がかかるはずなのに、一瞬で!」
「キッチンカーに向けて体内の電気を大量に吐き出した後のため、今そうしてココが触れても痛みも火傷も負っていない、という可能性もあるか……」
シビレモグラが体内に電気を溜めていくとすれば、やがてそれを放出する必要が出てくる。逆に言うと、放出さえしてしまえば、次に電気が溜まるまで感電する危険性が低くなるわけだ。
ワットちゃんがキッチンカーの充電口に鼻先を突っ込んだのは、そこが電気を吐き出すのに適した場所だと本能的に悟ったからかもしれない。
シビレモグラの習性について顎に片手を当てて考え込むオーナーに、私はますますワットちゃんを突きつけて畳み掛ける。
「この子がいないと、私はキッチンカーを営業できませんし、オーナーだって風を切って走れませんよ! 私も、オーナーも、全然ハッピーじゃなくなっちゃいます! いいんですか? いいわけないです! ――そんなの、絶対嫌です!!」
「分かった分かった、分かったから、落ち着きなさい。こら、あまりぎゅうぎゅうするものではない。電気とやらはともかく、背中に針があるのにそいつが怖くないのか?」
「全然怖くなんてないですよ。だって、こんなに可愛いです。オーナーも一度撫でてみて……って、なんで私を撫でるんですか!?」
「いや、可愛いのを撫でろと言うから……」
なぜだか私の頭を撫で始めたオーナーを、マノンさんがまじまじと眺めてぽつりと言った。
「何だよ……昨日の今日で、めちゃくちゃ仲良くなってるじゃん……」
次いで、ロドリゲスさんがオーナーの代わりにワットちゃんのお腹のふわふわを堪能しながら口を挟む。
「シビレモグラはこう見えて、自身の特性を十分把握している賢くて理性的な魔物です。こうして触らせたということは、ココさんに心を許したのでしょう。きっと、彼女の害になるようなことはしないと思います」
「なぜ、ココに心を許したんだ」
「さて、なぜでしょうね。案外、ノヴェル様と同じ理由からかもしれませんよ?」
「……私と、同じ?」
ロドリゲスさんと話しながら、オーナーはついに両手で私の頭を撫で始めた。
心から慈しまれているのを感じるとともに、何だか照れくさくてそわそわしてしまう。
すると、今度はアルヴァさんがクスクスと笑いながら、ワットちゃんの鼻先を人差し指でちょんと突いて言った。
「生まれ持った特性から他者との間に壁がある自分に、針も火傷も恐れずこんな風に触れてもらえて嬉しかったのよね?」
私の頭を撫でていたオーナーの手が止まる。
上目遣いに窺えば、彼の赤い目がじっとこちらを見下ろしていた。
「オーナー……私、オーナーの運転するキッチンカーの助手席に、もっと乗りたいです」
オーナーを見つめ返しながらそう告げる。
何だか目を逸らしてはいけないような気がした。
ロドリゲスさんもアルヴァさんも、その他周囲を取り巻く人々が固唾を呑んで見守っている気配がする。
一際強い視線の主は、マノンさんだろうか。
「……はあ」
やがて、オーナーは一つ大きなため息を吐いた。
それから、両の手のひらで包み込むみたいにゆったりと、改めて私の頭を撫でる。
それがあまりに心地よくて、思わずほうと息を吐いた私に、彼は吐息のような笑いを零してから告げた。
「午後から所用があって出掛けるが――キッチンカーで行って店を開くか? そのシビレモグラも一緒に」
「は、はいっ……オーナー!!」




