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毒はむ姫と白い花  作者: 夕藤さわな
第二章
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第八話

 街とは反対方向にある川までは、一時間ほどの道のりだ。腹筋、背筋、屈伸と準備運動をしてから、ゆっくりとしたペースで川まで走って、折り返して戻ってくる。

 お決まりの運動をこなして診療所へと戻ってくると、彼女はベッドに倒れ込んだ。毒のせいではなく、元からの体力のなさが原因らしい。

 彼女が休んでいる間に夕飯を作り、彼女といっしょに食べ。お皿を洗い終えたら、診療所のベッドへと向かう。

 手首に指をあて、脈を確認する。ベッドに横たわらせて、腹部を手で押すと彼女は首を横に振った。聴診器を当てて、問題がないことを確認して、解毒剤を渡した。彼女はビンに入った液体を一気に飲み干した。

「隣にいるから。気持が悪いとか、少しでもおかしなところがあったら声をかけるように」

「マーガレットは寝ないの?」

 黙って頷く私を見上げて、彼女は唇を尖らせた。

 投与後の運動は毒のまわりを速める。当初は準備運動の時点で嘔吐していたが、半年のあいだで準備運動のあと、二時間のマラソンを行っても、目標であった三十六時間を耐えられるようになっていた。

 あと一週間で、彼女は十六才の誕生日を迎える。国からは彼女が誕生日を迎えたら、すぐに嫁がせるようにと手紙が届いていた。

 彼女と私の一年に及ぶ共同生活も、これでおしまいだ。

 毒の訓練自体は、これで最後だ。三日ほど経過観察をしたあと、彼女は自分が生まれ育った邸に戻る。そして誕生日を迎え、あの悪魔の元に嫁ぐのだ。

「あっという間だったね」

 私の心を見透かしたかのように、彼女はぽつりと呟いた。寂し気な表情を隠そうともしない彼女に、私はあいまいに微笑んだ。

「王様も、あっという間に殺されてくれないかな。そうしたら、すぐにでもマーガレットのところに帰って来れるのに」

「家族のところに……だろ?」

「ううん、マーガレットのところ。もちろん、母様のところにも帰るよ。でも一番初めはマーガレットのところ!」

 ベッドの端に腰かけると、彼女は待っていましたとばかりに私の足に頭を乗せた。仰向けになって私を見上げて、にひっと歯を見せて笑った。子供のような笑顔に微笑み返して、そっと銀の髪を撫でると、

「ねぇ、マーガレット。私のキスは王様を殺すための道具なんだよね」

 彼女が私の手首をつかんだ。

 一年間、いっしょに暮したけれど、彼女はいつだって少女らしい表情しか見せなかった。私の心を軽くしようと、ふざけて、お道化ていた。それなのに――。

「マーガレット。一つ、お願いがあるの」

 そう言って、体を起こした彼女は怖いほど真剣な表情をしていた。大人びて、艶めいた表情をしていた。

 一週間後、彼女は十六才になる。

 十六才は大人として扱われる年齢だけど、突然、大人になるわけじゃない。

「私の、初めてのキスを受け取って」

 子供は徐々に大人に。少女はゆっくりと女に変わっていく。

「誰かを殺すための道具じゃなく。大好きな人に、大好きって気持ちを伝えるためのキスは。初めてのキスは、マーガレットがいい」

 ベッドが軋む音がした。紫紺の瞳が私を見つめたまま、ゆっくりと近づいてきた。灯かりのついていない薄暗い部屋で、彼女の白い肌と宝石のような瞳は自ら光を放っているようだった。

 彼女を止めようとして、結局、やめた。お姫様のわがままはできるだけ聞きたいから、というわけではない。 

 この一年、私の心は彼女に救われていた。純粋な無邪気さと、気遣いからの無邪気さと。どちらもあっただろう。それでも確かに、彼女に救われていたのだ。

 彼女を愛しいと思うようになるには、十分な理由だ。


 目を閉じて。彼女のキスを、気持ちを、受け取ろうとして――。

「マーガレット」

 彼女の声に、私は彼女の肩をつかんで、押し戻していた。

「イオ……!」

 反射的に彼女の――エララの姉の名を叫んで。二年前にあの悪魔に殺された、愛しい女性の名を叫んでいた。


 彼女は――エララはゆっくりと目をしばたたかせた。紫紺の瞳が揺れた。一瞬、泣くかもしれないと身構えたが、

「ひどいなぁ、マーガレットは」

 エララは困ったように笑うと、ベッドに横たわり、毛布を頭まで被った。

「やっぱり生真面目だよ、マーガレットは」

 彼女はそう言って、私に背中を向けた。


 ***

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