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毒はむ姫と白い花  作者: 夕藤さわな
第一章
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第三話

「お邪魔するよ、マーガレット」

 そう言って、領主様が診療所にやってきたのは一年ほど前の、夜遅くのことだった。


 彼女は領主らしい品の良いスーツ姿だった。見るからに値の張りそうなスーツが不釣り合いに見えたのは、青ざめた顔とこけた頬のせいだろう。

 以前よりも髪に白いものが目立つようになっていた。威厳に満ちた琥珀色の瞳も、すっかり弱々しいものになっていた。私や、周囲への負い目が彼女から生気を奪っていた。

 領内からはすでに二十人近い娘が若き国王に嫁ぎ、犠牲となっていた。母のように出仕させられ、殺された人たちも相当数いたと聞く。


 村のため、領内のため。どうか若き国王の命に背かないでほしい――。


 領主様は、そう言って領内の人々に頭を下げてまわっていた。死にに行ってくれと頼んでいるようなものだ。それを承知で、彼女は領主として頭を下げてまわっていた。

 自分の娘も、すでに五人のうち四人があの悪魔に殺されていた。


「どうして、私の娘は皆、紫紺の瞳と銀の髪をしているんだ」

 私の母と領主様は学生時代からの親友だったらしい。

 三人目の娘を王宮に見送った日。彼女は遅くに診療所にやってくると、母の胸に抱き付いていた。母に亜麻色の髪を撫でてもらって。領内の誰にも、きっと家族にも見せたことがないだろう、ぐしゃぐしゃの顔で泣きじゃくっていた。


 若き国王に選ばれる娘は決まって、紫紺の瞳と銀の髪の娘だった。この国で美しさの象徴とされる瞳の色、髪の色だ。

 多くの人々は琥珀色の瞳、亜麻色の髪。あるいは灰色の瞳、黒い髪をしていた。紫紺の瞳、銀の髪は三十人のクラスに一人いるか、いないか程度だ。母や私のように黄色い瞳、白い髪は数百人に一人と珍しいけれど、美しくないと貴族や王族たちからは嫌厭けんえんされていた。

 ただ、若き国王が紫紺の瞳、銀の髪の娘にこだわるのは美しさだけではなかった。先王と王妃――つまり、若き国王の両親は共に紫紺の瞳、銀の髪だった。

 二人そろって馬車に乗り、銀の髪を風に揺らし、紫紺の瞳を穏やかに細めて国民に手を振る姿も。二人が微笑み合う姿も。まるで絵本の一ページのように美しかった。


 だが、若き国王は琥珀色の瞳、亜麻色の髪だった。


 珍しいことではない。

 紫紺の瞳、銀の髪があまり生まれないのは劣勢遺伝だからだ。王妃の祖父母は琥珀色の瞳、亜麻色の髪だったという。優性遺伝である色が出ただけのことだ。

 だが、若き国王には――選ばれた者の子だという自負のある男には、それが許せなかったらしい。劣等感が彼を突き動かしていた。


 先代の国王は神と共に魔族と戦った英雄だった。領主様のお父様も、先王に付き従った騎士の一人だったそうだ。

 魔族討伐に尽力し、大きな功績を上げた英雄に、神々は自分たちの力の一部を分け与えた。清廉な精神に見合う、強靭な肉体だ。寿命こそ普通の人と変わらないが、治癒力は神のそれと同等のものが与えられた。

 剣で腕を切り落とされても、切られた断面をくっつければ物の数分で治った。毒を飲んでも腹を裂いて内臓を取り出し、洗って、腹の中に戻せば治った。

 奇跡の力は、しかし、若き国王が玉座についた瞬間から恐怖の力に変わった。

 これまでに何十人、何百人もの人たちが若き国王を殺そうとした。

 国や国民のため、暴挙を止めようとした騎士が。生きて帰りたいと願う娘が。娘を殺され、憎悪に突き動かされた親が。恐怖に耐えきれなくなった大臣が。

 何度も、何度も、何度も――若き国王を殺そうとした。

 だが、首を切っても、心臓を突き刺しても、毒を盛っても、高い高い塔の上から突き落としても。若き国王はどうしても死ななかった。殺せなかった。


「こういう状況を、先代たちは予想していたんだろうな。……マーガレット。これが何かわかるか」

 領主様が差し出した小さなメモに目を通して、私は青ざめた。理解したことを、私の表情から察したのだろう。領主様は唇の片端をあげた。ランプの明かりに照らされた表情は、どこか狂気染みて見えた。

「これを、何に使うつもりですか?」

「何なのかがわかれば、何に使うかもわかるだろ」

「誰かを、殺すつもりですか?」

「決まっている。あの男だ。悪魔のような、あの国王を殺す。私から娘も、大切な親友も奪った悪魔を殺す」

 そう言って、ぐっと顔を近づけた領主様は無表情だった。

「あの悪魔は紫紺の瞳、銀の髪の子が生まれるまで、国中から紫紺の瞳と銀の髪の娘をめとり続ける。だが、いまだにあの男には一人の子もいない。色目を使ってくるだの、怯えた顔をしているだの、反抗的だのと言って嫁いだ娘をすべて殺しているからだ。あの悪魔の気に障らない娘など、この世に存在するものか。

 あぁ、そうだ。すっかり話が逸れてしまった。娘だ。私の娘の話だ。

 マーガレット、お前はもうわかっているのだろう? そこに書かれているのは毒の生成方法だ。“神殺し”という名でね。私の父が、もしものときのためにと神から託された毒なのだ。

 普通の人にとっては、ただの毒だ。解毒剤を投与しなければ、いずれは死に至る、普通の原形質毒性型の毒。ドクツルタケやテングタケモドキを食べた村人を診たことがあるか? 激しい腹痛、嘔吐、下痢、脱水症状、肝不全、腎不全、肝性脳症……そういった症状を引き起こす毒だ」

 丸椅子から立ち上がった領主様は目を爛々と輝かせ、口元には笑みを浮かべ、薄暗い天井を見上げ、診察室内をぐるぐると歩き回りながら語り続けた。

「だが、悪魔には激しい腹痛も嘔吐も下痢も現れない。神の力によって何の痛み感じず、ただ内臓だけは侵され、いずれは機能を停止する。自分が毒を盛られていたと気付くこともないまま、死んでいくそうだ」

 くくっと喉を引きつらせて笑う領主様を、私はぼんやりと見上げた。品が良く、お茶目で、領主とは思えない気安さで母や私や、村の人たちを守ってきた女性が、狂ったように笑っていた。

 大切な人たちを奪われたときの欠落感は、私にもわかっていた。狂って、一線を踏み越えて、人であることをやめてしまいたくなる気持ちも。

「この毒は熱に弱いようですね」

 メモを見つめ、書き物机に頬杖をつく私を見下ろして、領主様はぴたりと動きを止めた。まじまじと私を見つめたあと、

「あぁ、料理に混ぜることはできない」

 丸椅子に腰かけて、静かに頷いた。

 この国はいつでも灰色の曇り空が広がっていて、気温はあまり高くならない。魚や野菜を生で食べる風習もない。飲み物もそうだ。必ず火を通し、温かいまま食べるし飲む。

 何人もの人たちに命を狙われてきた若き国王は、少しでも常と違うことがあれば警戒する。目新しい料理や飲み物を出すことはできない。

「だから、私の娘を使おうと思う」

 領主様の目には理知的な色が戻っていた。だからと言って、一線を越えることを踏み止まったわけではない。私という仲間を得て、意思の疎通が必要になった。ただ、それだけだ。

「五人目の娘は、もうすぐ十五才だ。十六になれば、あの悪魔から嫁ぐよう命じられるはずだ。毒への耐性をつけさせ、夜ごと、あの悪魔に毒を盛らせる」

「わかりました。明日から生成に掛かります」

「村の人たちには治療が必要なら私の邸に来るよう伝えておく。診療所は閉めろ。このことは、誰にも知られてはならない」

 私は黙って頷いた。母から受け継いだ診療所を閉めることに、なんの躊躇もなかった。

「生成したものを試す必要があるだろ。必要になったら連絡しなさい」

 領主様が何をしようとしているのか、薄々、わかっていた。わかったうえで、

「よろしくお願いします」

 そう答えた。

 私もまた、人であることをやめてでも大切な人を奪ったあの悪魔を、殺してやりたいと思ったのだ。


 ***

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