第十二話
久々に下りた街は以前と変わらないように見えた。王都のように活気があるわけではないけれど、のどかな雰囲気に包まれていた。子供たちのはしゃぎ声。主婦たちの噂話。学生たちのくだらない話。
それらを聞き流しながら、私は早足で通りを歩いた。
私の顔を見た瞬間、また診療所やらないのかと声をかけてくる人がいるかもしれない。医者として、私が誰かを診るなんて許されないことだ。
それに街にはイオとの思い出がありすぎる。
いっしょに歩いた通学路。面倒な先輩を巻くために入り込んだ路地裏。お気に入りのカフェと、お気に入りのカボチャのグラタン。
どこを見てもイオの面影がちらついた。
大きな通りには日用品や食料品を扱った店が多く並んでいる。一本、奥の路地に入ると本や香水と言った贅沢品を取り扱う店が軒を連ねている。お目当ての雑貨屋も、本屋とハーブ屋に挟まれて、昔と変わらない佇まいで営業していた。
店番をしている老婆も変わってはいなかった。ドアが開く音に顔をあげて、客を一べつ。すぐに背中を丸くして、目を閉じてしまう。いらっしゃい、と言われたことは一度もない。
狭い店内は雑多な雰囲気だ。棚にはずらりとガラスビンが並んでいた。素材ごとに、テキトーに、ビンの中に押し込まれているものだから探し出すのが大変だ。白い物は見つかっても、色違いの同じ物が見つからなくて諦める、なんてこともしょっちゅうだ。
なんとかフェルト生地やガラスでできた動物モチーフのペアを見つけ出して、老婆の元へと持って行った。これだけあれば半年分にはなるはずだ。
カウンターにバラバラと探し出した小物を乗せると、老婆はそれらをじっと見下ろした。だが、一向に商品を数えたり、金勘定をしようという気配がない。
「いくらだ?」
しびれを切らして尋ねると、
「あんた、マーガレットだろ?」
しゃがれた声で老婆が尋ねた。
学生時代に何度か来たことはあるが、もう十年近く前だ。頻繁に来ていたわけでもないし、名前を覚えていたとは思えない。いぶかしく思いながらも頷くと、
「売れるのは色違いの一組だけだよ。あとは棚に返してきな」
老婆は小物の山を押しやって、そっぽを向いた。しばらく老婆を見つめていた私は、
「まさか……」
額を手で押さえ、脱力した。
「三日、四日前にあの悪魔に嫁いでった子がいただろ。あの子が頼みに来たんだよ。マーガレットってのが来て、色違いの小物をいくつも買っていくようなら売らないでくれって。頭を下げて頼んでったんだ。どういう事情かは知らんけど、無下にはできない。ほら、一組選びな。他のは戻して、次のときに買いな」
予想通りの老婆の言葉に、私は渋々、一組だけを選んで会計を済ませた。
ずいぶんと根回しが良い。私は茶色の紙包みをポケットに入れて、ため息をついた。今の私のようすを見たら、彼女はきっと歯を見せて楽し気に笑ったことだろう。
***
一週間分の毒と解毒剤を生成して。一週間に一度、街に下りて雑貨屋で小物を買う。
私の新しい生活は、こうして始まった。
やらなければいけないことは、あまり多くはなかった。
ちょうどよかったかもしれない。
最近、悪夢にうなされて起きるようになっていた。一度、目が覚めると、もう寝付けないのだ。
***