第十話
この国の空は晴れることがほとんどない。イオを見送った日も曇り空だった。今日、エララを見送るこの日も鈍色の空が広がっていた。
邸の玄関の前にはエララと、彼女の母親――領主様が立っていた。国からの馬車が到着するのを待っているのだ。
エララは真っ白なドレス姿だった。花嫁衣装だろう。領主の娘にしては質素なドレスなのは、領主様のせめてもの抵抗だろうか。
うつむいていた彼女が不意に顔をあげた。
「マーガレット!」
歩いてきた私に気が付いたらしい。ぼんやりとした表情が、この一年間で見慣れた無邪気な笑顔に変わった。
ドレスのスカートのすそをつまんで、走りにくそうにしながらも駆け寄ってくると、私の首に飛びついた。一年で少しだけ背が伸びていた。私は彼女の背中をそっと撫でた。
「二人とも」
領主様が低い声で言った。街を真っ直ぐに貫く石畳の道を、邸に向かって黒い馬車が走ってきた。彼女を迎えに来た馬車だ。
「エララ、あの悪魔の血を根絶やしにするんだ」
「わかっています、母様」
母親の呪いのような言葉に笑顔で頷いて、彼女は私から体を離そうとした。そんな彼女を、私はもう一度、強く抱きしめた。
「絶対に帰ってくるんだ」
この一年、私は心地よいぬるま湯に浸かっていたのだ。
「待って、いるから」
あの悪魔を無事に殺せた、そのときは――現実と向き合わなくてはいけない。
「マーガレットは生真面目だなぁ」
私の心を見透かしたように言って、エララはくすくすと笑った。
「うん、待っていて。マーガレット。絶対に帰ってくるから」
もう一度、私に抱き付いて、彼女は体を離すと背筋を伸ばした。今まさに到着しようとしている馬車を見つめ、艶然とした笑みを浮かべた。
エララは馬車に乗せられ、悪魔が待つ王宮へと向かった。馬車が小さくなって、見えなくなって、あたりが暗くなっても。私は馬車が走っていった方角を見つめていた。こうやって何人を見送っただろう。母や友人や、イオ――。
祈るように、両手を強く握りしめようとして、私は力なく腕を下ろした。
神に祈っても無駄だ。なら、何に祈ればいいのだろう。
次話より最終章、残り六話となります。
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