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1 彼女の名は
「えっと、その、近くない?」
「そう?」
しれっとした表情で長い黒髪をかき上げる彼女。
両の拳を膝小僧の上に張り付けたまま、正座で身動きの取れない僕。
衣擦れの音より更に近く、熱を持った吐息を首筋に感じる。熟したメロンのように甘い芳香が鼻先を掠めた。心臓が痛いほどに跳ね上がる。
ああ、どうしてこうなってしまったんだろう。
六月三十日、一九時五分。
ここは彼女の部屋の中だ。
フローリングに散らばったチェスの駒、チェス盤にぽつりと佇んでいる赤色のルーク、そして明滅するスマートフォンの画面――
彼女の名は瓜生姫子。
僕の恋人志願者、だそうである。