第三話
プリシラの街はすっかり夜の帳に包まれていた。酒場などが集まる区域はまだ煌々と灯りが灯っているが、住宅街を始め殆ど真っ暗だ。今晩はやや曇り気味で、月や星明かりはまばらにしか辺りを照らさない。
「…………」
そんな暗がりの中を何者かが静かに、素早く小走りで駆けていく。
「ユウ、何してるデスか。さっさとコッチに来るデス」
「先生、もう少し慎重に……」
二つの人影はなるべく足音を立てないように進んでいく。
「うーん、至って普通の街デスねぇ。バリア発生装置の試験運用してるようには見えないデス」
「それじゃあ昼間のアレはなんだったんですか?」
「そんなもん、私が知るわけないじゃないデスか」
先生とユウは夜になるのを待って、密かにプリシラの街へと潜入していた。昼間の襲撃で街の中は慌ただしかったが、それがかえって城門の警備を緩ませていたようだった。それに心配していた謎のバリアもユウ達が一度撤退したあとで消えたらしく、街への出入りは問題なく成功した。
そして二人は昼間のユウやクレアが見たという、謎のバリアの正体を突き止めるため、街の中を走り回っていたのだが……。
「しっかし……街の中にはそれらしいもの無いですね」
「バリア発生装置なんてもの本当にがあれば、きっと軍の機密扱いデス。でも、そんな厳重に警備されてるような場所もないデスねー」
街の中央部や城壁付近を重点的に捜索するが、特にそれらしきものは見つからない。街を守る目的でバリアを発生させるならば、このどちらかではないかと先生は踏んだのだが……。
「このままじゃ、埒があかないデスね……」
「でもどうします? あのバリアがあったら近くの基地は叩けないですよ。剣も銃も跳ね返しちゃうんだから」
ユウの言葉に先生はどこか納得できていない顔をする。
「その剣も銃も跳ね返すってのがどーも気になるデス。物理的現象とは思えないデス。透明な壁……うーむ、例えば……電磁場を応用して物質の運動エネルギーに作用する……そんなこと本当にできるんデスか……? そもそもそんなエネルギーをどこから確保するんデスかね……バリアとは一体……」
と、急に思考モードへと入ってしまった先生はその場に立ち止まってしまい、ブツブツとつぶやき出してしまった。
どうも、先生としては科学的に説明の付かない現象は否定的な立場にあるらしく、自分が納得のいく仮説が得られないとストレスが溜まる質らしい。
「せ、先生! こんな所で立ち止まらないで!」
「……もしくは空間の……いや、バリアという言葉に惑わされているだけで、本当は理力甲冑の方に何らかの作用があるデス……? いやいや、それだと銃弾の件が説明付かないデスね……」
先生自身にあまり自覚は無いが、こう見えて彼女は帝国から連合へと亡命した身である。ひょっとしたら指名手配が掛けられていてもおかしくはないのだ。
そうでなくとも、昼間に連合軍の襲撃があったばかりなのである。怪しい二人組が夜の街中でコソコソしていれば衛兵に捕まってしまうかもしれない。
「……ブツブツ……デス」
「せーんーせーいー! ほら、せめてあっちの物陰まで……」
仕方ないのでユウは先生の脇を抱えて移動しようとする。小柄な先生の体は見た目よりも軽く、ユウにひょいと抱えられてしまった。
「誰かそこにいるのか?!」
「やばっ! 見つかった?!」
突然、声を掛けられビクリと肩を震わせるユウ。暗くてよく見えないが、服装からして街の衛兵に間違いない。大柄な男で、手には槍だか警杖だかを持っている。
「先生! 逃げますよ!」
「もしかして空気を何らかの方法で固定化しているデス……? まさかそんな事が……?」
「ああ、もう!」
「待て! 怪しい奴!」
完全に自分の世界に入り込んでしまった先生を抱きかかえ、必死に走り出すユウ。だが、さすがに先生が子供のような体格といっても人一人を抱えて逃げ切るのは難しい。そこでユウはイチかバチかの賭けに出ることにした。
「確か……コッチ!」
ユウたちを追いかけてくる衛兵の足音と怒号を背中に受けつつ住宅街の中を走り、いくつかの角を曲がる。途中、追っ手を撒くために左右にフェイントを入れてみるが……あまり効果はなく、むしろ抱きかかえている先生の身体を激しく揺らすだけだった。
「ちょっと、何デスか! 人が真剣に思考に耽っているのにガタガタ揺らすなデス!」
「いいから先生も自分の足で走ってくださいよ!」
「……? 一体これはどういう状況なんデス?」
「絶対に逃がさんぞ!」
ようやく事態を飲み込めた先生は、しかし逆にユウの体へとしっかりと抱きついてしまった。あまりに強くしがみつくので、ユウは思わずつんのめって転けそうになってしまう。
「ちょっ! 先生早く降りてくださいよ?!」
「インドア派の私が長時間走れるわけないデス! それよりユウに掴まってるほうが結果として速いデスよ!」
「んな無茶な!」
言葉とは裏腹に、ユウは半ば仕方なくそのまま走り続ける。確かに先生が追っ手を振り切れるほど長く走れるかというと、それはそれで疑問が残るほど先生は技術屋なのだ。
「よし、ここを曲がれば……!」
ユウたちは事前に逃走経路確認のため、プリシラの街の地図を覚えていたのだ。だが、ユウは街の外ではなく、別の方向へと向かっている。目的地であるその場所は遠くからでもその灯りと喧騒が確認出来ていたが、間近までくるとその賑やかさは予想以上だ。
「うわ! 人が一杯デス!」
「飲み屋通りですよ! この人混みならきっと撒けるハズ!」
ユウの目論見通り、昼間に街が襲われたにも関わらず酒場や飲み屋では多くの人で賑わっていた。非常時の後でも人は酒を求めるのか、それとも被害が出なかった安心感からなのか、どちらなのかは分からなかったが今大事なのは追っ手を撒くことである。
「先生、一気に駆け抜けますから!」
先生を抱きかかえながら、ユウは人が集まる通りを駆け抜ける。ほろ酔い気分の若者、千鳥足のおっさん、頬を紅く染めたお姉さんの隙間をなんとかすり抜けつつ、両脚に力を込めた。
「イテッ! 何ぶつかってんだ!」
「うわっ! くそ、どけお前ら!」
背後からは人の波を掻き分けようと四苦八苦する衛兵の声が聞こえる。やはり大柄でしかも手には長い棒を持ったままではそう簡単に突破出来ないだろう。
「よし、この調子なら……!」
それほど規模の大きくない通りの為、人が溜まっている箇所はそう長くない。しかし、このまま走り続ければ追っ手の衛兵を撒けるだろう。ユウは走りながら後ろを振り返り、その確信を得る。
「ユウっ! 前、前を見るデス!」
「えっ? うわぁっ?!」
一瞬、目を離したのが悪かった。その僅かなタイミングで店から出てきた長身の男性にぶつかってしまう。
勢いよくぶつかったユウと先生はその場に倒れ込んでしまった。その長身の男性を巻き込んで……。
「うげげ、お、重い……。いったいなんなんだよ……」
巻き込まれた長身の男性が状況を確認すると……自身の体の上には若い青年が覆いかぶさっているようだ。その重さから逃れようと彼の体に手で触れる。
「こら、ユウ! どこを触ってるんデスか!」
「え、僕じゃないですよ?!」
「なんだ? 女の子の声?」
男性が自分の手が触れている部分に目を落とす。そこには青年と男の間に挟まれる形で金髪の少女が挟まっていた。
「うう~! 犯人はお前デスね……覚悟は出来ているんデスか?」
二人に挟まれた状態のまま、ぎろりと男性をにらみつける先生。
「ま、待った待った、知らない、君が挟まっているなんて知らなかった。だから不可抗力だ! そしてセクハラで訴えないで欲しい! 後、重いからどいて欲しい! 俺は被害者!」
「何をやってるのじゃヒロ?」
「男の子と抱き合うだなんて不潔ですヒロさん!」
続けて店から出てきた少女二人組み。どうやら長身の男性の知り合いのようだ。
「ファルナ、ベルーナ助けて! なんか体当たりされて押し倒された挙句セクハラ扱いされてるんだ!」
「なるほどなるほど、とりあえず皆さん起き上がったらどうでしょうか?」
ベルーナと呼ばれた眼鏡をかけた少女の提案に一同我に帰り、バタバタと起き上がった。
「本当にすいませんでした。ほら先生も」
「何で私が謝らないといけないんデス! これじゃ触られ損じゃないデスか!」
と、ぷいっとそっぽを向く先生。これは相当ご立腹の様子だ。
「いや、こちらもすまなかった。誤解が解けてよかったよ……多分」
「ありがとうございます……って、こうしてる場合じゃない! 先生、急いで逃げますよ!」
「げ! もうそこまで来てるデス!」
先生の言うとおり、追っ手の衛兵はもうすぐそこまで迫ってきていた。
「君たち、追われてるの?」
「え、ええ。スミマセン、それでは!」
ユウと先生がその場から脱兎の如く逃げ出そうとした瞬間。
「金髪美少女が悪漢(?)に追われている……だと? 俺はここで金髪美少女のヒーローとなる! ファルナ!」
「はぁ、やれやれなのじゃ」
ファルナと呼ばれた黒いワンピースの少女が長身の男性の背中によじ登ると、男は衛兵の方へと右手をかざす。すると衛兵は見えない壁へと激突してしまったではないか。しかも何故かその透明な壁に引っ付いたままである。
「ええ……ええ?!」
「何が起きたデスか?!」
「ふふふ、さあお嬢ちゃん。今のうちに逃げるんだ」
長身の男性はドヤ顔で先生の方を見る。が、しかし。
「おい、こっちだ! 見ろ! 仲間と合流したみたいだぞ!」
「囲め囲め!」
いつの間にか周囲から他の衛兵が何人も集まってきており、すっかりユウ達は囲まれてしまったようだった。野次馬や酔っ払いも何の騒ぎだと集まりだし、辺りは人だかりで一杯になっている。これではいくらなんでも逃げ切る事は難しい。
「ヒ、ヒロさん……なんか私達にも槍が向けられてません?」
「後先考えずに行動するからなのじゃ。ヒロよ、どうするのじゃ?」
「あ、あれ、こんなはずじゃ……? あっ、そこにいるのは昼間の兵士の人! おーい、事情を話して俺たちを助けてくれ!」
ヒロと呼ばれた長身の男性は、取り囲む衛兵の集団に昼間見た顔を見つけ出す。ヒロを軍人にスカウトし、軍の宿舎へと案内してくれたあの兵士だ。
「ちくしょう……お前、連合の間諜だったのかよ……俺たちを騙したんだな?!」
「えっ!? ちょっと待ってどういうこと!?」
「しらばっくれるな! そいつらはきっと連合軍の奴らだ! おそらく昼間に襲撃してきた連中の仲間に違いない! それを助けたってことは、お前達もそいつらの仲間なんだろう?!」
「ええーっ?!」
先程、ヒロの生み出した透明の壁にべっとりくっついた衛兵を助けようと何人かで引っ張っているが、ネバネバした何かは予想以上の粘着力で引き剥がすのに苦労している。衛兵たちからすれば、逃げる連合兵を仲間であるヒロたちが助けたように見えるのは仕方がなかったのだ。
「ユウ、これはマズイことになっちまったデスね……!」
「このままじゃ捕まっちゃいますよ! なんとか包囲を突破しなきゃ……」
ユウと先生は包囲を抜け出す隙を窺っているが、もはや衛兵たちの包囲網は完成してしまったようだ。いつの間にか野次馬たちも排除され、ユウたちがいる場所を中心に円形の人の壁が形成されていた。
剣呑な雰囲気に呑まれてしまったベルーナはぎゅっとヒロの服のすそを掴んでいる。ヒロの首に手を回して背中に引っ付いているファルナは言わんこっちゃないと苦い表情を浮かべている。
「お前達! 両手が見えるようにその場でしゃがめ! 抵抗すると痛い目を見るぞ!」
「くっ、連合の奴ら……こんな子供まで巻き込みやがって……! 恥を知れ、恥を!」
こんな子供、という単語に反応しかけた先生とファルナ。しかし、お互いがお互いにその姿を見て、ああと納得してしまう。
(確かにこんな幼女を巻き込んで悪いとは思ってるデスけど……コイツからは妙にふてぶてしい雰囲気を感じるデス)
(あんな幼い少女が衛兵におわれるとは……一体何をしでかしたのじゃ? それに彼奴からは妙にふそんな態度をかんじるのじゃ)
ギラリ、と向けられた槍の先端を見て先生はようやく今の状況を思い出す。
「くっ、もはやこれまで……デス! こんな事なら自爆装置でも……!」
「先生、そんなもの持ってたんですか?!」
「いや、あったなら良かったんデスが」
「ふざけないで?!」
「ええい、ヒロ! 魔法障壁でなんとかせい! このままではわしらも捕まってしまうぞ!」
銀髪の幼女、ファルナがヒロの耳元で叫ぶ。ユウと先生は魔法障壁という聞き慣れぬ単語が耳に入るが、気にしている余裕はなかった。
「仕方ないだろ?! そういうイベントのフラグだと思ったんだよ……。とりあえず魔法障壁を展開!」
ヒロは先程と同様に右手をかざし、ぐるりと体ごと一回転する。ユウと先生には彼が何をしたのか分からないが、彼らの周囲には透明な壁、魔法障壁が出現したのである。
「いてっ、な、なんだ?! 壁?!」
「おい、見えない壁があるぞ?!」
「くそっ、これじゃ近づけない!」
衛兵たちは見えない魔法障壁に阻まれてそれ以上前へ進むことが出来なかった。その様子にユウと先生は驚愕の表情を浮かべる。
「ユ、ユウ、これってもしかして……?!」
「コレですよ、昼間のバリア! って事はこの人が……?!」
二人は同時にヒロの方へと向き直る。いきなり注目されたヒロは困ったような、照れくさそうな顔を浮かべた。
「え、えっと、俺にかかれば展開は自由自在だけど、魔法障壁なんてあんまり珍しくないだろ?」
「それよりヒロ! このままではわしらも動けんぞ?」
「痛い痛い、それじゃあこうしよう。えーと……」
ぎりぎりと首を絞めるファルナにそう言うと、ヒロは何かブツブツと呟きだす。すると、衛兵たちの頭上にうっすらと色の着いた板状の何かが出現した。それは途中で折れ曲がり階段状となってヒロの目の前まで伸びていった。
「魔法障壁を通路代わりにしよう! そこの二人も早く!」
戸惑うユウと先生に早く来いと催促するヒロ。ヒロに続いてベルーナもタッタッと半透明な階段を登っていく。
「先生……!」
「こりゃ迷ってる暇は無さそうデスね!」
二人はおっかなびっくり階段へと足を掛ける。見た目とは裏腹に、硬質な質感としっかり固定された感覚を足裏に覚えた。原理はよくわからないが、いまこの空中には確かに板状の何かが出現している。
まるで歩道橋を歩くように衛兵たちの頭上を通り越す一行。とつぜん人間が空中を歩いているようにしか見えない光景のため、集まった衛兵のほとんどはポカンと口を開けてそれを見守っている状況となってしまった。途中でヒロが手をかざすと、地面へと降りる階段状の魔法障壁が出現する。
「おっと、こっち側も塞いどかなくちゃ」
地面に降りる階段側から向かって衛兵の集団に向けて再度、魔法障壁を展開するヒロ。これで衛兵たちは魔法障壁に挟まれる形になり、自分たちは安心して逃げられるというものだ。
五人が魔法障壁の上から地面へと降り立つと、半透明な魔法障壁が音もなく消える。どうやらヒロは念じるだけでこの魔法障壁とやらを操れるらしい。
「さぁ、逃げるぞ!」
「といっても、何処に逃げればいいんですかヒロさん!」
「うーん、ばっちり顔見られちゃったし、あの宿舎には戻れないよな……どうしよう?」
ベルーナの質問に困り果ててしまうヒロ。彼らは異邦の地に迷い込んだ身の上、協力者も居なければ土地勘も無い。逃げると言っても、アテが全く無いのだ。
「ユウ!」
「ええ、分かってます! ヒロさん、でしたっけ? 良ければ僕たちについてきて下さい!」
「え? あ、おい少年!」
ユウと先生はヒロ達の答えを聞く前にはもう走り出していた。二人はどうやらこのままプリシラの街を脱出するらしい。思わず顔を合わせたヒロ、ベルーナ、ファルナは迷っている暇はないと判断し、その後を追いかけていくのだった。




