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さよならも届かないどこかへ


「君が私を助けてくれた時、本当に嬉しかったんだ。誰にも何も言えないまま、どうせすぐに転校なんだから我慢しようなんて、自分を納得させてた」


 安っぽいホットドリンクに口をつけて、彼女は語った。


「実際辛いのは本当だったのに。ただ、言い出すのが怖かったのかもしれない。周りはみんな敵に見えていたし、君だって、『そっち側』だった」


 少し、自嘲的な笑いを交えながら。隣に座った顔と、目は合わせられない。


「だから、私は君に押し付けたのかもね。そうすれば、私は無事に逃げ出せると思ったし、事実そうなった」


 過ぎたことは変えられないけれど、でもそれを素直に話すことは、無意味じゃない。今の僕はそう思える。慣れ親しんだ缶コーヒーの苦味を堪能して、ふっと浮き上がる幼い日の彼女の顔を、今の横顔に当てはめてみる。


「君を見つけられた時、嬉しかった。でも、君の顔を見るたびに、私は悲しくなった。私の所為であんな顔をさせてるような気がして。自分勝手だけど、私に、何かできるならしたいと思った」


 結局一言も交わすことなく、離れた幼い日の僕らは別れた。そして今、そんなに上手に言葉にできない想いを必死に相手に届けようとしている。


「私は、今更君を狂わせたかもしれない。でも、これは私のエゴだから。もう謝ることしかできないね」


 向き直って、ふっと笑う彼女。僕は苦笑いして、もう一口コーヒーを口に含む。過去から喉を伝って混み上がってくる苦味を打ち消すために。


「あの日から僕は躓くことが極端に怖くなって、誰かに舗装された道しか歩けなくなって、それで、そんな自分を無理やり肯定したくて、あの日の僕を否定していた」


 詰まりながら、絞り出していく言葉。稚拙で、幼稚で、下手糞な表現でも、彼女が隣で頷いてくれるなら、吐き出す意味もあるかもしれない。いや、意味なんて考えなくても。今は、彼女が聞いてくれているのだから。


「思い出したくなんてなかった。認められることなんて考えてもなかった。それに、あの日の僕が認められるってことは、あれ以来の僕の全てを否定されるってことだから。すごく、怖かった」


 自分が、誰にも認められないかもしれないなんて恐怖。所詮他人は、僕のことなど見ていない、頭の中では分かっていても、それでも誰かに認められたいという綺麗事に収まりきらない欲求。開き直って認めてしまえれば楽なのに。


「僕が何を言えばいいのか、正直まだ分からない。誰かを助けたい、なんて気持ちがあったのかどうか、今はもう分からないし。だけど、一つだけなら言える」


 勇気を振り絞った君を放り捨てて、立ち去った僕から。


「ゴメンなさい」


 勇気を振りかざした僕に押し付けて、逃げ出した君から。


 二人同時に、そう伝えた。


「また会える?」


「多分ね」


 そう、簡潔に言葉を交わして僕らは別れた。それは、小さな約束。何の力もなくて、何の頼りにもならないのに、何よりも大事な。何を恐れることもなく、僕は心のどこかで彼女との『次』を確信していた。


「じゃあ、ね」


 告げた別れに、ひょいと小さく片手を上げる。未来を掴むようにひらひらと踊ったそれは、ずっと後の僕の瞳に、まだ残っている。



 時は、至って平凡に過ぎていき。僕はちょっとした平穏を手に入れていた。まだ自分の中に疑問は残っていても、必要の波がそれを覆い隠してくれる。多分、答えなんか手に入れる必要はなかった。ただ、求めることを忘れなければ、それで。

 自然に、至って自然に彼女との関係は消えていった。最後に見たのは、もう何年前になるだろうか。幸せそうに、今の生活を語っていたのをうっすらと覚えている。あのころ激しく募らせた思いも、いつしか時の間に朽ちていって。寂しい、ことかもしれないけど。だけど、その代わりの出会いと時間も手に入れている。


 忘れたわけじゃない。痛みも、あの時感じた恐怖も。そして彼女と過ごした確かな時間も。掴み処のないままに過ぎていった瞬間たちを、僕はちゃんと覚えている。それはまだ、僕の中で確かに生きていて、僕自身を生かしている。

 自分を信じてくじかれて、泣きながら歩いた11歳。大袈裟な真理だとか、大仰な生きる意味だとか、そういうものは掴めなかった16歳。そして、何も分かっていないことを理解した上で、割り切って自分の為に生きられるようになった今。失った時に泣きたくなる人は、何人かできた。それだけでも、充分じゃないだろうか。


 あの日手を引かれて、まっすぐ正面から自分の奥底まで除かれるような気がして、僕は、やっと自分を見つける切っ掛けをもらった。何度だって言おう。彼女は、僕にとって誰よりも大きな何かだったと。僕の不出来で、安っぽいストーリーの中で、間違いなく重要な部分を占めていたと。


 今なら言える、あの時僕は、間違いなく最高に楽しい瞬間を過ごしていたと。それが、その時分からないなんてことも、君の言ったとおりだったと。だから、君の不安なんて杞憂だった。僕は、君といたあの瞬間こそ、何でもない時間を過ごしてあの時こそ、楽しくて仕方がなかったのだから。


 だから何度だって伝えよう。綺麗とは言い難いこの声でも。純粋さだけじゃないこの心でも。僕が伝えたいと感じてしまうシンプルな言葉を。もう、ずっと遠くにいるだろう君に。


 さよならも届かない場所にいる君に、ありがとうと。



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