一方通行
カバンの中のスマホが震える。
きっと飯田くんからだなと思い、大きな溜め息と共に取り出した。
【遅れます】
たった一言だけ。
らしいといえばらしいのだけど、せめて頭に「ごめん」だとか付けてくれたらこちらも気持ちが収まるのだけど。
真面目で優しくて頼りになって、ちょっと寡黙だけど話せばユーモアもあって楽しい。そんな同期の飯田くんを好きになった。
ただ見ているだけでいいなんて想いをひた隠しにしていたけど、突然の飯田くんの転職。
送別会をやったとき、もう会えなくなるかもと思ったら胸が苦しくなって、お酒の力を借りて勢いで告白したっけ。
「飯田くんが好きです。よかったらお付き合いしてください。」
「…よろしくお願いします。」
まさかのOKに、涙が出るほど嬉しかった記憶。
なのに…。
いつもデートの誘いは私から。
電話もメールも私から。
仕事人間な飯田くんは、毎回のように遅刻。
わかってる。
今の仕事を大切にしてること。
転職して、やっと夢を掴んだことも教えてくれた。
意志が強くてしっかりした考えを持っていて、そういうところは本当に尊敬に値する。
だけど。
私のことは大切じゃないの?
飯田くんの仕事に焼きもちを妬いてしまう。
我ながらバカだなぁとは思う。
でも、でもね。
私だって飯田くんの彼女なんだから、大切にされたい。
好きだって言ってくれたことなんて、あったかな?
ないんじゃない?
いつも私からの一方通行な想い。
子供みたいに拗ねてしまう私は、たぶんまだ子供なんだと、…思う。
飯田くんを待ちながら、空を仰ぐ。
私、飯田くんにとって何なんだろう。
飯田くんは私のことをどう思ってるの。
付き合ってもう1年。
聞きたくても聞けない臆病な私。
考えれば考えるほど辛くなってきて、視界がぼやけるのを必死に我慢した。
季節は秋。
夜にもなるとひんやりしてくる。
どれくらい待ったかわからないくらい、体が冷えていた。
「山内さん、遅くなってごめん。」
「…飯田くん。」
小走りで寄ってきた飯田くんが、すまなさそうに頭を下げた。
「どこかお店に入っていればよかったのに。」
心配して言ってくれた言葉だとは思うけど、私にはそれがとても無責任に聞こえて腹立たしく、さっきまで考えていたことも相まって思わず口をついて出た。
「飯田くんはいつも仕事ばかりね。」
「…遅れたこと怒ってるのかな?」
「違う。」
「…じゃあ、なんだろう?」
なんだろう?ですって?!
自分の胸に聞いてみなさいよ!
そう言ってやりたいのに、胸がつまって言葉にならない。
言葉を選んで受け答えをする、余裕そうに見えるその姿さえ、今は腹立たしい。
いつだって飯田くんは、飄々と振る舞うんだ。
そうやって、子供じみた私の嫉妬を、大人な対応で返してくる。
私は悔しくて何も言えない代わりに、キッと睨んでやった。
飯田くんは、困ったなという顔をして私を覗き込んでくる。
「…もう、今日は帰る。」
耐えられなくて、震えそうになる声を必死で抑えながらそれだけ言うと、私は飯田くんに背を向けて小走りに去った。
でもすぐに、私の右手首は掴まれて動けなくなる。
「放して。」
「怒ってる理由を聞かせて?」
あくまでも優しい口調の飯田くんに、諭されている気分になる。
でも、今日の私はもう歯止めが効かなかった。
たまっていたモノが、ポロポロと剥がれ落ちていく。
「いつも…仕事ばかり…。」
「…デートのお誘いだっていつも私から。」
「電話だってメールだって…。」
「飯田くんにとって私は…。」
私は何なの?
言いかけて、込み上げてくるものの方が勝って言葉が続かなかった。
目頭が熱くなって、飯田くんの顔を見ることができなくて、手首を掴まれたまま俯く。
そのまましばらく、沈黙が流れた。
「…ごめん。」
居たたまれなくなって口を開いたのは私だった。
そう、いつもそうなの。
「ただの私のわがままだから…。今のは忘れて。」
極力明るく言って、私は口元に笑みを称えた。
飯田くんから好きをたくさんもらいたいのに、言えない。
飯田くんが頑張ってる姿が好きだから、邪魔したくない。
いつも私は、防衛本能が働くんだ。
どんなに腹が立っても、イライラしても。
悔しいくらい、私は飯田くんが大好きだから。
だから、嫌われたくないの。
私の手首を掴んでいる飯田くんの手を放そうとして、空いている左手をそっと添えた。
あっと思ったときには、私の両手は飯田くんの大きな手に包まれていた。
「こんなに冷たくなるまで待たせてしまってごめん。」
「…うん。」
飯田くんは私の手をぎゅっと握って言った。
「君のことは大切に思ってる。だけど、仕事と天秤にかけることはできない。」
「…わかってる。」
「俺のせいで君が辛い思いをしているなら、無理に付き合わなくてもいい。」
ハッとなって顔を上げたら、飯田くんは辛そうな顔で私を見ていた。
違う。
違うよ。
そういうことじゃない。
飯田くんは優しいくせに鈍感なんだから。
「…なんで、そんなこと言うのよ。バカ!」
抑えることのできない涙が一気に押し寄せてきて、体ごとどこかへ流されてしまいそうだった。
今度こそ私は飯田くんの手を振りほどいて、信号が点滅している横断歩道を一気に駆け抜けた。
一言、
好きだよ
って言ってくれるだけでいいのに。
それだけでいいのに。
私は足早に帰宅してそのまま布団にもぐった。
もう今日は、何も考えたくない。
無理に付き合わなくてもいい
この言葉が頭の中をぐるぐるして、溢れる涙を止めることはできなかった。