マヤ・ファンタジー 八の巻、九の巻、十の巻
八の巻、九の巻、十の巻で、こ物語は完結となります。
八の巻
翌日から、戦さに備え、草原に対する大掛かりな土木工事が始まった。
「前回も感じましたが、戦さは、ほとんど土木工事のようなものですな」
ホルポルは竜王丸の思い切った作戦に感心したように話した。
竜王丸は始まった草原改造工事を見ながら、ホルポルに語った。
「敵を知ることは、敵の長所と短所を知ることでござる。そして、絶対的な長所は多くの場合、裏返せば、絶対的な短所にもなるのでござる。例えば、鉄砲は火薬が十分に使えてこそ、大変強力な武器になりまする。が、雨の日では全くの持ち腐れとなりまする。鉄の固まりのような重いものを持って闘うことは、それだけで兵士に取っては弱点となるのでござる。また、馬に乗って闘うということは、草原においてこそ、大変有利にはなりまするが、密林の中では馬では全く闘えない、むしろ邪魔になりまする。また、今からこの草原に造ろうとしている深い壕も十分に馬の侵入を妨げるものとなりまする。このように、事前に有利に闘える条件を作ること、簡単には負けない状況を作ることが大切なのでござる」
村人は総出で、部落の入口正面の草原に、深い壕を掘った。
その後は、持ち運び可能な馬防柵を作り、落とし穴を作ることとしていた。
馬防柵は騎馬を落とし穴に誘導するために使われる。
勿論、落とし穴はぎりぎりの時点で造ることとし、場所は極秘とされた。
義清たちは馬防柵用の樹の切り出しに精を出していた。
義清が弥兵衛に訊ねた。
「もう、国を出て何日になろうか?」
「二十日ばかりになってござるよ」
弥平次が少しからかい気味に言った。
「そろそろ、里心がつき申したか?」
「里心? 里心と言えば、竜王丸さまは如何でござろうかの?」
「お若い竜王丸さまの里心でござるか? はて?」
「義清さま、弥兵衛さま、ご心配はご無用かと」
「弥平次殿。無用とは?」
「この国には、我が国にないものがござるによって」
「はて、ますますもって、分からん」
「義清さま。女性でござるよ」
「あッ、分かったでござる。ウツコレル殿でござるか」
「さようでござる。ウツコレル殿が居りまする故、里心なぞはつき申さぬ」
そこに、竜王丸が現われた。
三人が笑っているのに気付き、竜王丸も微笑んで声をかけた。
「方々、如何致した。何か、愉快なことでも?」
「これは、竜王丸さま。何の、とりわけ申し上げる話でもござりませぬ」
義清は未だ笑みを湛えた顔で答えながら、太い樹をさくっと斬り倒した。
「しかし、義清。そなたの刀は良く斬れるの。まことに見事な斬れ味よ」
「大和鍛冶の作でござる。が、それにも増して、ククルカン殿のあの細工が効いてござる」
「時に、ウツコレル殿は見なかったか。確か、このあたりに居ると聞いたのだが。綿と称する布のことを聞きたいと思ったのじゃが」
「綿。ああ、我が国では見たことのない、あの柔らかな手触りの布でござるか。絹、麻と違い、本当に暖かな布でござるな」
弥平次が手を上げて、指を差しながら、竜王丸に言った。
「竜王丸さま。あそこでござる。縄をなっておりまする」
竜王丸は指さされた方を眺めた。そこに、ウツコレルが細い蔓を縒り合わせて縄をなっていた。
竜王丸はウツコレルの方に歩き去った。義清たち三人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。
「ウツコレル殿。少し、宜しいか?」
ウツコレルが顔を上げると、そこに竜王丸が居た。ウツコレルの顔がパッと明るくなった。
「何でございましょう?」
「実は、私たちの衣服が大分ほころび始めておる。出来れば、綿とか云う布で新しく仕立てたいと思うておるのじゃ。仕立てをお願い出来る方を、どなたか、ご紹介戴けまいか?」
「それなら、母のイシュタブが上手です。お任せ下さい。これから、母に話してみますから」
ウツコレルが周りで作業をしている村人に、持ち場を離れる旨、断った上で、竜王丸に付き添った。
「竜王丸さま。メシーカ族の動き、何か分かりました?」
「ホルポル殿の話に依れば、メシーカ駐屯地の動きがこのところ慌しくなっているとのことじゃ。おそらく、あと数日もしたら、駐屯地を引き払い、ここに進軍してくるのではないか、と思うておる」
「それまでに、この工事は間に合いますか?」
「間に合うとも。大丈夫じゃ」
「今度も勝って、昔のような平和が来れば、・・・」
「そうじゃのう。平和が来れば、それに越したことはない。但し、・・・」
「但し? 他に、何か?」
但し、と言いかけて竜王丸は口を閉ざした。時代には流れがある、大きな流れを止めることは容易ではない、マヤは都市国家のままで独立している限り、大きな時代の潮流に呑み込まれてしまう、連合国家を作り、連合の軍隊が持てるかどうかが運命の別れ道であると言おうとしたが、止めた。マヤ連合軍の創設が出来れば、大きな時代の潮流をくい止めることは可能なのだが。
竜王丸はウツコレルを見た。ウツコレルもそれ以上は言わず、ただにっこりと竜王丸を見詰めた。
数日ほど経って、戦いの時が来た。
メシーカ軍は二千人という大部隊を編成していた。
草原の壕の前で、メシーカ軍は立ち止まった。
壕は幅が三十尺(約9メートル)で深さが十尺(約3メートル)ほどあった。
メシーカ軍としては、ひと揉みにするつもりで進軍してきたのであろうが、水を差されたような形で戸惑っていた。壕の両側は密林となっていた。密林に足を踏み入れて、驚いた。毒蛇だらけだったのだ。実に、大小さまざまな毒蛇で溢れていた。とても、歩けたものではない、と判断して密林の道は諦めざるを得なかった。
壕を崩し、ならそうとした。一部分でも、傾斜を緩めれば、何とか行軍出来ると判断し、戦士の一部を工作部隊に廻すこととした。が、いざ作業が始まると、部落から矢が飛んで来た。計ったように、壕を飛び越えて、作業に取り掛かった戦士に突き刺さった。
メシーカ軍は一時、壕から離れ、撤退した。
部落の柵から、撤退を見ていたホルポルが竜王丸に言った。
「遠矢の訓練の成果ですな。実に、よく当たっていますぞ」
竜王丸は、村人に遠矢の訓練もさせていたのであった。壕を飛び越えて矢が到達する角度、引く長さを徹底して覚えこませたのである。矢は壕を飛び越えて、空から飛来し、敵の戦士に容赦なく降り注いだ。
メシーカ軍は再度、攻撃態勢を整えて進軍して来た。今度は、大きな盾を頭の上に掲げ、工作部隊の頭上を守った。
今度は、部落から火矢が飛んで来た。火矢が盾に刺さり、火矢を抜こうとして盾を頭上から外すと、火矢に紛れて、黒曜石の鋭い矢じりが付いた矢が飛来して来た。
また、メシーカ軍は撤退せざるを得なかった。
その内、夕方となり、一日目の攻撃は失敗に終わった。メシーカ軍は矢の届かないところまで退却し、野営となった。
すると、野営している野原に、無数の毒蛇の群れが押し寄せてきた。
蛇に右往左往する光景が部落からも見てとれた。
スキアが密林から戻って来て、ホルポルに言った。
「わしの可愛い蛇たちがメシーカの戦士を歓迎しておるわ」
とても、眠れる雰囲気ではなく、メシーカの戦士たちはほとんど不眠のまま、朝を迎えざるを得なかった。
二日目の攻撃は朝から始まった。
メシーカ軍は壕の幅よりも長い橋を運んで来た。昨夜の間に、密林から樹を切り出し、作ったものと見えた。
その橋を狙って、また火矢が飛んで来た。損害を出しながらも、何とか橋を壕に架けることが出来た。
大勢の戦士が一度に渡ろうとした。橋は重みに耐えかねて折れてしまった。
壕に落ちた戦士に矢が飛来し、また犠牲者を出した。
昼になって、今度は前の橋より頑丈な作りの橋を持ち込んで来た。
橋を壕に架け、盾を持った戦士が恐る恐る橋を慎重に渡って来た。
矢による犠牲者を出しながらも、百名ほど渡り終えて、壕を背後にして整列し、部隊を整えた。
盾を頭上に構えて、突進して来た。しかし、部落と壕の間に落とし穴が待ち構えていた。
落とし穴の中には、鋭い穂先を持った杭と毒蛇が犠牲者を待ち受けていた。
落とし穴に落ちるのを免れた戦士には部落を囲む柵から矢の洗礼が浴びせかけられた。
ばたばたと倒れ、あっという間に、百人ほどの死傷者を出した。
第二陣が壕を越えて整列していた。
そこに、馬に乗った鎧騎士が橋を渡ろうとした。
馬に乗った騎士が壕の手前に現われた時、部落の中から、恐怖の声が挙がった。
「怪物が現われた。四足で手が二本ある怪物だ」
義清が大声で叫んだ。
「良く、見よ。あれは、馬と言う動物の背中に、鎧を着た人が乗っているだけじゃ。怪物ではないわ」
その馬に乗った騎士が橋の中央まで来た時だった。馬と騎士の重さに耐えかねて、橋はまた折れてしまった。馬も騎士も壕の中に落ちた。と、同時に、壕を渡った戦士たちが渡って帰るべき橋も無くなってしまった。戦士たちは前進を諦め、壕の中に滑り落ちて、退却した。壕から登って上がるのはひと苦労だった。その間、情け容赦無く、上から矢が落ちてきたのであった。
馬はあえなく、その壕の中で最期を遂げた。
騎士は重い鉄の鎧を脱ぎ捨て、壕から上がろうとしたところ、上から飛来した矢が数本背に刺さり、そのまま壕に転げ落ちた。
メシーカ軍は戦意を喪失して、再度撤退した。
矢の届かないところまで撤退した陣から、数名の異装の男たちが現われた。白い肌の外国人と思われた。
その男たちは何かを構えた。火が吐かれ、轟音と共に、城門に何かがぶつかった。城門の壁が少し崩れ落ちた。
竜王丸たちは緊張した。これが鉄砲かと思った。あんなに遠くから発射しても、これだけの破壊力がある。至近距離で撃たれたら、人の体はばらばらに四散してしまうに違いないと思われた。
恐ろしい破壊力を持った武器だ、どうする、竜王丸!、と竜王丸は思った。
夜が来て、二日目の戦闘は終わった。竜王丸たちに損害は出ていなかった。
「明日も凌げば、メシーカ軍は完全に撤退することとなる」
「どうしてですか?」
ホルカッブが竜王丸に訊ねた。
竜王丸は笑って答えた。
「兵糧でござる。昨夜、ここにいる弥平次が敵の陣中に忍び入って、兵糧を調べて参った。弥平次の話に依れば、メシーカ軍は二日程度の食料しか持参していないとのことであった。一日か二日で決着を付けるつもりで来たのであろう」
「明日は食料が尽きて、撤退するとのお考えでございますか?」
「さようでござる。仲間の無残な死体を見ながらの戦闘は戦意を失くすもの故、なおさらでござる」
「今夜も、スキアは毒蛇攻撃をすると申しておりました。スキアも食えない爺さんで、普段は葉巻ばかり吸っているだけですが、今回の闘いですっかり見直しました」
「しかし、凄い術じゃのう、あのスキア殿の蛇を操る術は。弥平次、どうじゃ、スキア殿から学んでみては」
「面白そうでござるが。魔術と忍術は異なりますれば、修得出来るものかどうか?」
「弥平次にしては、珍しいのう。弥平次にも難しいものはあるのか?」
竜王丸にそう言われて、弥平次は頭を掻いた。
戦いは三日目を迎えた。
昨日までは、部落の正面の草原からの攻撃であったが、三日目は、密林の中から部落の側面、裏門を全面的に攻撃して来た。
正面からは鉄砲で攻撃してきた。矢の届かないところから、正面の城門を目掛けて弾を撃ち込んで来た。しかし、これは部落に籠もる村人への恐怖戦術でしかなく、戦士を殺傷する攻撃にはならなかった。弾は轟音と共に飛来し、壁を徒に削り取るばかりであった。
部落の側面は、頑丈な柵で防御されており、樹の枝で覆い、柵というより、むしろ塀といった方が正確であった。塀の外から中は、ほとんど見えなかった。柵の内から矢が飛び出して来て、柵に取りつこうとするメシーカの戦士を次々に射抜いていった。五千人の部落で老人、婦女子、年少者を除く三千人が兵士であった。弓の訓練、槍の訓練は怠り無く、毎日行っていた。
一方、襲ってきたメシーカの戦士は、部落の戦士の十倍とは言え、二千人に過ぎない。
堅固に守られた城を落とすには、通常、攻城方は城方の三倍から五倍の兵を必要とすると云われている。
竜王丸とホルポルは村人三千人を兵士とした。
メシーカの戦士はその事実を知らずに攻撃していたのである。
メシーカにとって、勝てる要素は何も無かったと言ってよい。
攻撃は数回にわたったが、都度手ひどく反撃され、多くの死傷者を出すこととなった。
攻撃はだんだん間隔が空くようになってきた。
メシーカの戦士に寝不足による疲労の色が濃くなってきた。
昼になり、側面及び裏門への攻撃が途絶えた。密林からぞくぞくとメシーカの戦士が草原の本隊の方に戻り始めた。
正面からの鉄砲攻撃は相変わらず続いていたが、堅固に造られた城門を破壊するまでには至っていなかった。
やがて、鉄砲攻撃も途絶えた。
攻撃が途絶えて、暫くした頃、偶像を載せた輿が現われた。神官が何か叫んでいた。
ホルポルが応えた。
戦いの終結宣言であった。
メシーカは敗北を認め、戦死者を回収して引き上げたいという。
ホルポルはアーキンマイに報告をして許可を得た。
承知する旨を告げた。
武装を解いたメシーカの戦士が壕の中に入り戦死者を回収した。
壕を越えて、落とし穴で死んだ戦士たちも回収していった。
戦死した戦友を肩に掛けて泣きながら歩いていく戦士もいた。
引き揚げに際して、突然、後方からメシーカの戦士の隊長が現われ、正面の城門近くまで歩み寄って、マヤ語を解する者を通じて、訊ねた。
「前回、今回と我々を敗北させた将軍の名を知りたい」
ホルポルが城門より進み出て、高らかに言った。
「貴下に敗北を負わせた将軍は私ではなく、もっと高位のお方だ。名を竜王丸と言い、偉大なる神・ククルカンが我々に使わされた軍神である」
メシーカの戦士隊長はククルカンと聞いて大いに驚いて言った。
「ケツァル・コアトル(ククルカンのこと)は我々に味方せず、貴下についたのか。あい分かった。勝てる戦さでは無かったのだ」
そう言い残して、メシーカの戦士隊長は悄然と肩を落として去った。
その晩は少数の者を見張りに残し、村人は久しぶりの深い眠りについた。
この三日間の戦いで、勝ったとは言え、全員が疲労困憊していた。
「そろそろ、ここを去る時が来たようだ。メシーカももうここへは攻めては来まい」
「ここまで、完璧に敗北すれば、この部落は鬼門であると諦めるでござるよ。そう言えば、ククルカン殿より貰った兵糧丸もそろそろ底を尽きまするな」
「されば、義清、弥兵衛、弥平次。早晩、明日にでも、ここを立ち退き、ククルカン殿の館に戻ることと致そう」
「竜王丸さまさえ、お宜しければ、我ら一同、異存はござりませぬが」
と、義清は何か言いたそうな顔をした。
「されば、明日にでもアーキンマイ殿、ホルポル殿に別れを告げて参ることとしよう」
「本当に良いのでござるか? 竜王丸さま。心残りはないのでござるか?」
「義清。別に、心残りは無いぞ。もう、この部落は安泰ぞ」
「ならば、良いのでござるが、のう」
弥平次が思い出したように、竜王丸に進言した。
「竜王丸さま。ひとつ、気がかりなことがござります」
「何じゃ、弥平次。遠慮なく、申してみよ」
「例の毒虫の件でござる」
「神官の息子、ナチンのことじゃな」
「さようでござる。ナチンはホルポル殿に仇をなす者にて候ほどに、この際、ナチン自身の言葉を借りれば、排除しておいた方が後顧の憂い無きかと」
「弥平次の気持ちは分かるが、実際の話としてはそうも行くまい。今回の戦さで、アーキンマイ殿の気持ちも変わったやも知れぬ。メシーカがもはや襲ってこないということになれば、和睦も戦さも無いはずであろうから」
その時、扉が静かに叩かれるのが聞こえた。
弥平次が、ウツコレル殿ですよ、と竜王丸に告げた。
竜王丸が扉を開けると、そこに何か荷物を持ったウツコレルが微笑んで立っていた。
「皆さまの衣服が出来上がりましたので、持参致しました」
竜王丸がウツコレルに頼んでおいた服が出来たとのことであった。
服は当時の日本には到来していなかった柔らかい綿布で仕立てられていた。
竜王丸がウツコレルから受け取り、弥平次に渡した。
弥平次は受け取りながら、ウツコレルに言った。
「ウツコレル殿。帰りの道は竜王丸さまに送って貰ったら如何でござる。竜王丸さま、明日の準備はそれがしたちが致しますゆえ」
竜王丸はやれやれといった表情をして、ウツコレルと並んで歩き始めた。
「竜王丸さま。明日の準備、というのは?」
「ここを立ち去る時が来たのです。明日、ここを発って、ククルカン殿の館に帰ることとします」
「・・・」
「それでも、近い内にまた、ここに来ます。ウツコレル殿に会いに」
「本当! なるべく早く、お戻りになって。お待ちしております」
月は冴えて晴れ渡り、昼間の血なまぐさい戦闘の跡を清めるように輝いていた。
二人は言葉も交わさずに、ゆっくりと歩いた。
ウツコレルの家に着いた。
ゆっくり歩いたのに、もう着いてしまった。
家がもう少し、離れていればいいのに、とウツコレルは恨めしく思った。
「ウツコレル、お帰り。あらッ、竜王丸さまに、送って戴いたの」
「家が近すぎる! もっと、遠いところに住みたかった!」
ウツコレルが頬を膨らませた。イシュタブは穏やかに笑った。
「イシュタブ殿。このたびは、それがしたちの衣服を仕立てて戴き、ありがとうござる」
「いえ、竜王丸さま。この三日間のメシーカ族との闘い、本当にご苦労さまでございました。あの衣服は、私ども村人からのほんのささやかな贈り物として、お受け取り下さい。竜王丸さまたちがいらっしゃらなければ、今頃、私たちはメシーカの奴隷となっていたことでしょう。このことは、村人みんな、承知していることです。今後は、教えて戴いた全員で闘うという教えを忠実に守り、村を守っていくことが私たちの使命だと思っています」
イシュタブの後ろで、ウツコレルが微笑んで竜王丸を見詰めていた。
翌朝、新しく仕立てられた山伏姿で四人はアーキンマイを訪ねた。
竜王丸がアーキンマイに別れの挨拶を告げた。
アーキンマイは突然の出立に驚いた様子であったが、特に止めることはしなかった。
心の中で、ようやく、竜王丸たちの威厳から解放されるという安堵感を覚えていた。
その足で、ホルポルの館に向かった。
「これはまた、突然の出立でございますな。未だ、お教えを乞うことがありましたのに、残念でございます」
「そろそろ、ククルカン殿の館に戻らなければなりません。それがしたちが居なくなっても、メシーカ族はもう力攻めには、攻めては来ないでしょう。ただ、懸念されるのは、交易という名目での、和睦交渉でござる。本来強大な敵との和睦はありえないものと心得られよ。いつの間にか、呑み込まれるのがおちでござるゆえ。また、アーキンマイ殿、ナチンには十分気を付けられよ。ナチンの動きに関しては、ホルカッブ殿かホルカン殿に見張らせておかれた方が宜しかろう」
「承知致しました。ただ、私は命を惜しむ者ではありません。死すべき時が来たら、端然と死ぬ。これが武人としての私の覚悟でございます」
ホルポルはこう言って、竜王丸たちをまっすぐに見詰めた。
「ホルポル殿。また、近い内にここに戻って来ます。それまで、ご息災に居て下さい」
ホルポルは感謝の印として、ケツァルの羽根の頭飾りを竜王丸に献呈した。
別れの挨拶をして、ホルポルの館を後にした。
部落の入口には、ホルカッブ、ホルカンたち部落の戦士が待ち受けていた。
サーシルエーク、イシュタブ、シュタバイといった村人たちもたくさん来ていた。
部落を救ってくれた英雄との別れを惜しむ声に竜王丸たち四人は感無量であった。
竜王丸はホルカッブ、ホルカンにホルポルに語った話を繰り返した。
ナチンの動きも十分気をつけるよう話した。ホルカッブ、ホルカン共に眼に怒りを漲らせて、承知した、と約束してくれた。
義清、弥兵衛、弥平次の周りにも一緒に戦った仲間との別れを惜しむ戦士の輪が出来た。
入口を抜け、少し歩いて、ヤシュチェー(セイバ)の巨木にさしかかった時のことである。太陽は熱く草原を照らしていたが、ヤシュチェーの木陰は大層涼やかに見えた。
一人の娘が佇んでいた。花のように美しい娘だった。
ウツコレルだった。
「竜王丸さま、これを受け取って下さい。私が一生懸命、織ったものです」
それは、綿糸で織った五色の鉢巻と、戦士が着用する袖なしの上着だった。
色は五色、使われていた。赤、白、黒、黄、緑というケツァル鳥の五色と同じであった。
「竜王丸さま。今、ここでお召しなされ」
弥平次が言った。
義清、弥兵衛もにこにこしながら竜王丸、ウツコレルを見ていた。
竜王丸は鉢巻を締め、戦士の上着を羽織った。
そして、ウツコレルの手をそっと握った。細く、柔らかな手だった。
八の巻 終わり
九の巻
四人はウツコレルと別れ、草原の道を歩いた。
ウツコレルは風のようだと竜王丸は想った。芳しく爽やかな、春の風だ。
南国の熱い太陽が照り付けていたが、防御服を着ている竜王丸たちは汗をかかず、快適な旅を続けた。
途中、小さな部落を幾つか通り過ぎた。村人の好奇の目には曝されたものの、水を飲ませて貰いながら、周辺の様子を知ることも出来た。
村人は、直接頭の中に響いて来る竜王丸たちの声に違和感を持ちながらも、立ち居振る舞いの優雅さ、礼儀正しさを見て、安心していろいろなことを話してくれた。
深い洞窟の奥には、メトナル(或いは、シバルバ)という地底の世界があり、そこは死者と魑魅魍魎の世界だと云う。迷い込んで行った者は帰って来ない。
永遠に、そこに閉じ込められ、地底の世界を彷徨い歩く。
平和に暮らしていた村があった。
ある時、一つ目の蛮族が村を襲い、村の人を殺し、若い娘をさらっていった。
娘は蛮族の慰み者にされ、死んだ。
その娘には恋人が居た。
勇敢な戦士だったが、蛮族の襲撃の際、娘を助けることが出来なかった。
娘はいつも死んだら、空の星になって、戦士を見守ると言っていた。
その若者は悲しみのあまり、気が狂ってしまった。
毎晩、矢をたくさん持って、小高い丘に登り、星に向かって矢を射った。
ある晩、矢を放った瞬間、流れ星があり、それは川に落ちた。
若者はその星を捕まえようと、岸壁から川に飛び込んだ。川は浅く、川床の岩で頭を砕かれた。
二人の美しい若い娘が居た。
二人は双子のように顔が似ていたが、性格は反対だった。
一人の娘は気立てがよく、村を訪れる旅人に親切だった。
宿が無ければ、自分の家に泊めてもてなした。
村人からは、売春婦と呼ばれ、相手にされなくなった。
娘は病人がいると聞けば、遠くでも行って看病していた。
寒そうにしていれば、自分の大切な着物を脱いで、その病人に与えた。
しかし、このことは誰にも話さなかった。
村人は、娘が居ない時は、他のところで売春をしているのだと噂し合った。
もう一人の娘は清く、正しく、美しく暮らしていた。
しかし、心は冷たく、貧しい人、病人に冷淡だったが表面には出さなかった。
村人はその娘を純潔を守る清い乙女だと尊敬した。
売春婦だと噂されていた娘が死んだ。
村人は娘の家に入り、驚いた。
死んだ娘は腐らずに芳香を発していた。
娘の亡骸の周りには鹿を始めとする森の動物たち、鳥たちが囲んでいた。
そして、葬られた墓には見たことの無い綺麗な花が咲き誇り、鳥が舞っていた。
品行方正で村人から尊敬されていた娘はこれを見て、村人に言った。
私が死んだら、私の亡骸はこの売春婦より、ずっと良い香りを発する、と。
村人は信じた。
時が過ぎ、その娘が死んだ。
村人はその娘の家に入って、驚いた。
娘の死体はすぐ腐り、ひどい腐臭を放っていた。
村人は腐臭に鼻をつまみながら、あわてて娘の家を出た。
その娘の墓には汚い花が咲き、嫌な臭いを発した。
竜王丸たちは、いろいろな獣、いろいろな鳥を眺めながら、草原、密林を歩いた。
鹿もよく見かけた。竜王丸たちが近づいても、恐れる様子も無く、悠然と草を食んでいた。矢をつがえ、放とうとしたが、止めた。鹿が顔を上げ、竜王丸を見た。
それから、関心をなくしたように、また元のように草を食みだした。
気高い、ホルポルとその戦士たちのようだと竜王丸は思った。
ククルカンの館の入口に着いた。教えられた呪文を唱えるまでも無く、そこにはククルカンが出迎えてくれていた。ククルカンは両手を広げ、微笑みを浮かべて迎えてくれた。
館の中に入り、白い椅子に腰をかけて、この一月ほどの旅の話をした。
竜王丸の話をじっと聴いていたククルカンは少し不満そうな表情を浮かべた。
“竜王丸。お前はまだ正直には話してはおらぬ”
竜王丸は驚いた。竜王丸としては、事実を事実として全て話しているつもりだったのだ。
ククルカンは少し微笑んで言った。
“お前の話の中に、ウツコレルという娘が出てこないのはおかしい”
竜王丸は、ククルカンが人の心まで読むのを忘れていた。ウツコレルのことは話す必要はないと思い、わざと省いていたのをすっかり読まれていたのだ。
“竜王丸。お前はまだ若く、ウツコレルとの恋は話すべきではないと思ったのであろうが、竜王丸、お前は間違えている。もっと、自分に正直になれ、自分を偽る者は他人に感動を与えない。他人を動かすものは、人の心だ。人の心は、言葉にも現れる、態度にも現れる、ひいては、その人の生き方にも如実に現れるものだ。さて、ウツコレルのことを聴こう”
竜王丸は素直にこれまでのウツコレルのことをククルカンに話した。義清たちも頷きながら竜王丸の話に耳を傾けた。ククルカンは微笑みを湛えて、じっと聴いた。
“竜王丸。お前は素直になった。お前はこれからの人生で何人かの女性を知るだろう。ウツコレルもその一人に過ぎないだろう。お前は今、少し嫌そうな顔をしたが、これは仕方がないことだ。お前の高貴な生まれがウツコレル一人だけを妻にすることを許さないのだ。しかし、ウツコレルは良い娘のように思える。大事にすべき娘かも知れない。いつか、ウツコレルをここに連れて来なさい。私が見て、値する娘であったら、その娘に特別な能力を与えてあげよう”
竜王丸たちは、疲労回復と自分たちで名付けた部屋に入り、生き生きとした顔で出てきた。ククルカンから武器を見せるよう求められたので、太刀、刀、槍を見せた。ククルカンは刃
先を仔細に診ていたが、やがて満足したような顔をして、竜王丸たちに返した。
あまり、硬いものは斬っていないようだ、まだ大丈夫だ、と呟いた。
兵糧丸は、どうだ、美味しいものだろうと冗談を言いながら、また三十粒ほど袋に入れて竜王丸たちに呉れた。
今度は北西の方に行き、海を見ながら南下するのも良かろうというククルカンの薦めもあり、竜王丸たちはククルカンの館を後にして、また旅に出た。
密林を歩く旅だった。また、多くの獣、鳥、虫を見た。密林の中は薄暗かったが、時々は巨木が倒れているところがあり、そこだけポッカリ明るく、青い空が見えた。
洞窟もあり、中に泉を湛えている洞窟もあった。また、ゾノト(セノーテ)と呼ばれる周囲が切り立った天然の大きな井戸もあった。川は相変わらず無かったが、水には困らなかった。
海が見えるところに出た。
竜王丸たちが暮らしていたところには海が無かった。琵琶湖はあったが、海では無かった。竜王丸は初めて、異国の地ではあったが、海というものを観た。美しい眺めだった。知らずと、心がのびやかに広がっていくのを覚えた。竜王丸たちは浜辺に下り立ち、暫く海を眺めた。砂浜はあったが、砂は白くなく、むしろ褐色の砂であったがさらさらとしていた。遠くに、丸木舟が見えた。漕いでいる男たちが見えた。男たちも竜王丸たちに気付いたらしく、立ち上がって、もの珍しく見ていた。
砂に寝そべって、空を見詰めた。蒼い空が目の前に広がり、雲はひとつも無かった。竜王丸は空に、ウツコレルの顔を描いた。甘酸っぱい感傷が心に忍び込んできた。竜王丸は十七、ウツコレルは十四の出会いだった。それは、竜王丸の初恋となった。
海を左に眺めながら、竜王丸たちは浜辺に沿って歩いた。浜辺がきれると、岬が聳え立っていた。小高い丘を登り、岬を越え、再び浜辺に下り立った。
夕方になった。夕陽が西に煌めきながら落ちていく。竜王丸たちは振り返りながら夕陽を見て歩いた。
夜は、椰子の木陰に四人固まって寝た。弥平次がいろんな話をして呉れた。弥平次はかつて商人の姿をして各地を回り、情報を仕入れ、その情報を必要とする大名に売るという生業をしていた。城に忍び入って、建物の様子を探ったこともあり、なかなか面白い話が多かった。
朝となった。四人はククルカンから貰った兵糧丸を呑み、また浜辺に沿って歩き始めた。地
形はククルカンの不思議な箱の画面で見ていたので、ある程度の把握は出来ていた。
画面によれば、ククルカンの館は、東西に飛び出た大きな半島の中央より北にあり、竜王丸
たちはそこから北東に出て、北の海に今出て、その浜辺を歩いているのだった。
このまま歩いて、東の海岸を経て、南の海を見てから、内陸を北上して帰るという旅であっ
た。
ククルカンの館を出て、三日ほど経った時のことである。
小さな部落があった。浜辺から海の水を汲んで、砂浜の畠みたいなところにその海の水を掛
けている光景にぶつかった。その畠は広大で延々と続いていた。乾ききった畠には白い結晶が
陽光に煌めいていた。
「塩、でござるよ。天日に干して、塩を作っているのでござる」
弥平次が感心したように言った。竜王丸たちが見ていると、椰子の林から一人の白い外国人
が現われ、竜王丸たちに鋭い一瞥を呉れたが何も言わず、畠に居る村人に話しかけた。
聞いていると、その白い外国人は塩を買いたいとのことだった。やがて、大きな袋に入った
塩を背負い、なにがしかの金を払って、また椰子の林に消えていった。
「ここにも、白い外国人が居るのでござるな」
義清が思いがけないようなものを見たような顔をして言った。
「北部からこの半島にメシーカ族と共に南下する者と今見たようにここの周辺に暮らしてい
る者と二つの群れがあるようでござるな」
弥兵衛も驚いたように語った。
「あの外国人が行ったあたりに、何があるか調べてみよう」
竜王丸が言い、四人は歩いて椰子の林を抜けた。
石造りの家が数軒並んでいた。家の窓から見ていたらしく、竜王丸たちが現われた時には男
が三人ほど剣を片手に睨んで立っていた。
「お前たちは何者だ」
中央の髭だらけの男が叫ぶように言った。
幸い、言葉は分かった。ククルカンの発明した言語翻訳器は素晴らしいと思った。
「私たちは決して怪しい者ではない。また、危害を加えるつもりもない」
「おお、俺たちの言葉が分かるのか。お前たちはどこの国の者だ」
「日本という国の者だ」
「ニホン、知らないがアジアの国か?」
「中国の東に浮かぶ島の国だ」
「それなら、ハポンだ。俺たちは、エスパニョルだ」
「貴殿たちと同じような肌をした人を西の地域で見た。メシーカ族と一緒だった」
「メシーカ族だって。ああ、アステカの残党か。一緒に居たって。あの欲張り共が」
「同じ国の仲間か」
「ああ、同じエスパニョル(スペイン人)だ。前は、一緒の仲間だったが、今はあいつらと
は手を切った。あいつらは征服者であり、俺たちは植民者だ」
話してみると、外国人同士ということで好意を示した。家に入れ、と言う。入ると、酒を勧
められた。ヴィノ・ロッホ(赤ワイン)という赤い酒だった。義清と弥兵衛は勧められるまま
に飲んだ。竜王丸たちは船が難破した日本の船員ということにした。彼らの話を通して、今ま
で分からなかったことがほとんど全て分かった。
この国の北方には、メシーカ族のアステカという帝国があったが、スペイン人に一五二一年に滅ぼされたこと、今は一五三二年(日本は天文元年)であること、この半島はマヤと呼ばれる民族が支配しているが、アステカ帝国のような強力な帝国を作ってはいないこと、北部には既にスペインからの植民者が大勢入っており、国の名前もヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)という名で呼ばれ始めていること、このマヤの地域はまだまだスペインの統治下にはなっていないこと、などが分かった。
更に、ウツコレルの両親と思われる話も噂として聞いたとのことであった。
「何でも、昔一五一〇年代の初め頃にここいらの浜辺に漂着したスペイン人の船員たちがここのマヤの女と結婚し、内陸の方に移り住んでいたが、仲間割れが起こり、その内の一人が妻と一緒に殺されたとか云う話を聞いたことがある。俺たちがここに来るずっと前の話だがね。殺されたのは船長で立派な紳士だったらしいが、持っていた金貨とか宝石が狙われたらしいんだ。もっとも、殺した仲間の方はもっと奥地に逃げたらしいが、現地人に捕まって生贄にされたらしい。喰われちゃったかも知れないな。馬鹿な話だ。ここの連中は金や宝石よりも翡翠の方がありがたがるっていうのに。ここで、金とか宝石を持っていても、何にもならない。価値観が違うのだ」
そう言って、この髭だらけの男は、机の中から、カカオの実とか翡翠の玉を見せてくれた。これだけで、一年は暮らせるのだ、と自慢した。
また、鉄砲も見せてくれた。短い鉄砲もあった。短筒とでも言えば良いのか、とにかく短く、片手で持てた。竜王丸たちは、鉄砲自体は弥平次が手に入れてくれたので、十分知ってはいたが、弾と火薬は見ていなかった。弾は鉛で出来ており、球形であった。こうやって使うんだ、ということで火薬を込め、それから弾を入れ、空に向かって撃ってくれた。
凄い轟音がした。周りに、雷鳴のように轟いた。砂浜の村人がびっくりしてこちらを見た。この鉄砲に関する知識は、竜王丸たちには大変な収穫であった。
竜王丸たちは感謝をして、そのエスパニョルの家を去った。
その後も、東から南に向かって、旅を続けた。
ところどころに廃却されたマヤの遺跡があった。密林を焼いて、焼畑の農業を営むが、一度焼いた畑は、収穫後は相当な年数を経ない限り、地味は回復しない。どうにも、回復しなくなった時、その畑は放棄される。放棄される畑が多くなった時、その地域は全体的に放棄され、人々は他の地域に移動して行かざるを得なくなる。人が住まなくなった時、かつての壮麗さを誇ったピラミッド都市は放棄され、忘却の彼方に沈み、都市は密林の中に埋もれていくのだ。
栄枯盛衰はつきものであるか、竜王丸はふと東郷金明から学んだ平家物語の一節を思い浮かべた。おごれるもの、久しからず、・・・。
海に突き出た遺跡の立ち、竜王丸たちは白い遺跡と蒼い海、白い雲と青い空を眺めた。
海の色が変わっていた。
北の海は蒼かったが、東から南の海は淡い緑の海だった。
竜王丸たちは淡く緑の海を眺め、陶然としていた。
日本の海を見ている義清たちも、このような色の海は初めてでござる、と言い、飽かず前方に広がる海を眺めていた。
夕方になると、海は更に驚くべき景観を呈した。
夕陽を受けて、海は七色の虹の光を発した。竜王丸たちは半ば茫然と海の変化を眺めた。
このような海は日本にはござらぬ、と弥平次も目を丸くしていた。
七色に輝く海を丸木舟がゆっくりと通って行く。一日の漁が済んで、妻子の待つ家に帰るところであろう。一日を精一杯働き、日が暮れたら家族のもとに帰り、働いて疲れた体を休めながら、今日起こったことを妻子に話してやる、平凡なことながら、人にはこれが一番必要なことなのだろう、と竜王丸は海を見詰めながら思った。
そのような人々の暮らしを私は守ってやりたいとも思った。
翌日も、緑の海を左に見ながら歩いた。沖に小さな島が見えた。ククルカンから言われていたことを思い出した。緑の海で、沖に小さな島が見えたら、旅を止めて、北西の内陸を通って帰って来い、というククルカンの言葉であった。竜王丸たちは見納めとばかり、小高い丘に座り、海を眺めた。
「ホルポル殿たちは、このような海を見たことがござろうかな?」
弥兵衛がぽつりと言った。
「おそらく、見てはござるまい。あの部落は内陸の部落ゆえ」
義清が言った。
ウツコレルも見てはいないだろう、と竜王丸は思った。ウツコレルにも見せてやりたい海じゃ、とも思った。ウツコレルはどんなにか、喜ぶことだろう、ウツコレルの喜ぶ顔が見たいものだ。竜王丸は知らず微笑んだ。弥平次は竜王丸の微笑を見て、心が温かく満たされていくのを感じた。竜王丸さまの微笑は、それがしには堪らない、このお方のためならば、いつでも死ねると思った。竜王丸から貰った短刀は肌身離さず、持っている弥平次であった。
浜辺を離れ、北西の内陸への道を辿った。内陸の道は厚い密林の道だった。時々、マヤの戦士に会った。誰か、と問われ、ククルカンの戦士と答えると、一様に尊敬の目で竜王丸たちを見た。メシーカとの戦闘での活躍も、或いはこの地の部族にも伝わっていたのかも知れない。
途中の道で、大きな遺跡を見た。大きなピラミッドが目を惹いた。チチェン・イッツァという遺跡であった。マヤパンの前に半島マヤ族の盟主を務めた都市国家であったが、もう数世紀も前に没落し、今は見る影もなく落ちぶれていた。都市は放棄され、草叢の中に寂しく建っていた。近くに、大きなゾノト(セノーテ)があった。断崖絶壁に囲まれた井戸で、上に立つと遥か下の水面に吸い込まれそうな感じがした。水練の不得意な義清は、早く立ち去りましょうとやや震え声で言い、皆の笑いをかった。
“竜王丸、どうであったか? 東の浜辺の旅は?”
「私はまだ海を見たことがありませんでした。海を見て、心が広がる思いを致しました。とりわけ、南の海は義清たちの話によれば、我が国の海には無い緑の海で、それは素晴らしい海でございました」
“おお、その海よ。わしも、その海が未練でなかなかこの地を離れられんのだ。このような海は他にはどこにも無い海だ”
「それと、鉄砲という武器の使い方、火薬込めから発射までの手順を偶然の機会から見ることが出来ました。これも大きな収穫でございました」
“そうか。竜王丸たちの国には未だ鉄砲が伝わっていなかったのだな”
「鉄砲の威力は凄いものです。恐らく、これまでの戦さの仕方を根本的に変えるものであると思っています。我が国に伝わってきた暁にどう対処していくのか、今考えております」
“お前の国で、鉄砲を使った戦争が始まれば、鉄砲ゆえ、死者は増えることは必定じゃ”
「ククルカン殿。お訊ねするのを忘れておりました」
竜王丸がククルカンに訊ねた。
「この防御の服は鉄砲にも大丈夫でござるか?」
“大丈夫じゃ。少し、弾が衝突する時、痛いだけじゃ。貫通はしない。安心して宜しい”
この言葉を聞いて、義清たちも安堵した。気になっていたことであった。
翌日、竜王丸たち四人はククルカンの館を出て、ウツコレルの待つ部落へ向かった。
竜王丸の足がいつもより速いのに気付き、弥平次はにこりと笑った。義清、弥兵衛は未だ気付いていないようだ。弥平次は竜王丸がウツコレルを何とか日本に連れて帰り、奥方にする日が来れば良い、と思っていた。奥方が無理ならば、側妾にでも、と思った。そのためには、ウツコレルは我が国の言葉を修得しなければならない。女言葉を教えるのは、春日さましかいない。春日さまが目を白黒させながら、ウツコレルに字を教える姿を思い浮かべ、一人ニヤニヤとしていた。存外、頭の良い娘だから、早く言葉にも慣れ、習慣にも慣れるかも知れない。竜王丸さま、ウツコレル、美男美女の組み合わせだ、早うその姿を見てみたいものぞ。
夕方には、ウツコレルと別れたヤシュチェー(セイバ)の樹のところまで着いた。
竜王丸が立ち止まり、弥平次を呼んだ。
「弥平次、すまぬが、村の様子を見て来て欲しい。どうも、妙な胸騒ぎがするのだ」
弥平次は恋する竜王丸の気後れかと思ったが、竜王丸の顔は暗く、真剣であった。
「畏まってござる。皆さま、暫くお待ちを」
弥平次は音も無く、走り去った。
正面の城門から入らず、側面の柵の上を飛び越えて入った。
入って、驚いた。村はひっそりと、と言うよりは、むしろ陰鬱に静まり返っていた。何か、良くないことが起こったのか、と思い、村人に見つからないように、屋根から屋根へ飛び移り、ホルカッブの家に来た。家の中を窺ったが、無人の家となっていた。大分前から無人の家となっている様子であった。次は、ホルカンの家に行った。ここも、ホルカッブの家と同じで、誰も住んでいる様子が無かった。ホルポルの館も窺った。やはり、無人の家と化していた。サーシルエークの家に行った。ここは、人が住んでいる様子であった。少し、灯りが点いていた。中を覗き込んだ。ウツコレルが縫い物をしていた。シュタバイは織物をしていた。ここは、無事であったが、雰囲気は前とは異なり、暗さを漂わせていた。
弥平次は竜王丸たちに部落の様子を話した。
竜王丸は腑に落ちたという顔をしていた。
「どうも、ヤシュチェーの樹まで来て、変な胸騒ぎがしたのだ。義清、弥兵衛、すまぬがここで待っていて欲しい。私は弥平次と共に、ウツコレルの家に行って、ウツコレルから様子を訊いて来る」
竜王丸、弥平次共に、音も無く、村に向かって走り去った。
ウツコレルは縫い物の手を休めて、ぼんやりと蝋燭の炎を見ていた。炎が少し揺れた。
ふと、溜息を吐いた。
「溜息は吐いた分だけ、不幸せになると申す」
懐かしい竜王丸の声だった。思わず、後ろを振り向いた。
壁の近くに、竜王丸が座っていた。
竜王丸は自分の唇に人差し指を立てた。話すな、という仕草であった。
部屋に、弥平次がサーシルエーク、イシュタブ、シュタバイの三人を連れて来た。
部屋の窓を閉め、声を潜めて、竜王丸たちが去った後の村の様子を訊いた。
「ホルポルさまが殺されました」
「何と! ホルポル殿が! 一体、誰に?」
「アーキンマイさまが勝利の祝宴と称して、部落の重臣を神殿に集めました」
「その席上、ホルポルさまと同じ心を持った方が全員毒殺されたのです」
「いつ?」
「竜王丸さまたちがお立ちになった、数日後でございます」
「同時に、戦士の長の皆さまの家にも、暗殺者の群れが行きました」
「ホルカンさま、ホルカッブさまはお逃げになりましたが、ほとんどの方は無残にも殺され
てしまいました」
「長を失って、戦士もてんでばらばらに森に隠れました」
「今、村を守っている戦士は?」
「誰も居りません。村の実権はナチンとナチンが集めた暗殺者の集団が握っています」
「アーキンマイは?」
「ホルポルさまの祟りで、俄かに病気になってしまい、今は神殿の奥の部屋で寝たきりにな
っております」
「ナチンは落ち着いたところで、メシーカ族に使いを出し、和睦の交渉を始めるとのことで
す」
「暗殺者の集団と申したが、数はいかほどであるか?」
「二百人ばかりですが、鉄砲を持っています」
「鉄砲の数は?」
「十丁ばかり、持っています」
「戦士は無抵抗で逃げたのか?」
「武器庫は事前に抑えられており、武器は持っていませんでしたので」
「スキア殿は?」
「洞窟の石牢に閉じ込められています」
「ホルカッブ殿、ホルカン殿は今いずこに潜伏しておられるのか?」
「洞窟に潜んでおります。時折り、私が食料を持って行っております」
「シュタバイ殿。良ければ、今夜、案内願いたいが」
「分かりました。ご案内します」
村の城門は、正面の城門も、裏門も全て、ナチンが連れて来た暗殺者の兵士で厳重に警戒さ
れていた。側面の柵から出ることとした。弥平次が刀で柵を斬り倒した。
暫くして、竜王丸たち四人とシュタバイ、ウツコレルの姉妹がホルカッブ、ホルカンが隠れているという洞窟に着いた。入口は小さく目立たなかったが、中は広い洞窟だった。
泉も湧いていた。
シュタバイが合図の口笛を吹いた。
奥から、ホルカッブ、ホルカン、それに戦士が十人ばかり、用心しながら出てきた。
竜王丸たちの姿を見ると皆、駆け寄って来て、手を取り合って再会を喜んだ。
感動のあまり、戦士としては珍しく、泣き出す者も居た。
ホルカッブ、ホルカンも涙を滲ませて、竜王丸たちを見た。
「竜王丸さま、申し訳ございません。ホルポルさまをむざむざ死なせてしまい。竜王丸さまに会わせる顔がございません」
「ホルカッブ殿、ホルカン殿、ご自分を責めるのはお止め下さい。ご自分を責めたとて、ホルポル殿は喜びませんぞ。力を合わせて、仇を討つこと、ホルポル殿のご無念を晴らすことこそ、ホルポル殿が喜ぶことでござる。まして、誇り高きマヤの戦士は涙を見せてはなりませぬ。敵を見事に討った時まで、涙はお残し下さい」
竜王丸に言われて、二人は溢れる涙を拭いて、竜王丸たちを力強く見詰めた。
その夜は、皆と久しぶりに語らいながら、洞窟で過ごした。
朝になった。竜王丸は森に散らばった戦士を集められる限り、集めるよう、洞窟の戦士に命じた。戦士たちの顔は生き生きとしていた。
どの顔もマヤの戦士の顔になっていた。
闘える顔になっている、と義清たちは思った。
戦士たちは洞窟を飛び出し、思い思いに心当たりのあるところに向かった。
九の巻 終わり
十の巻
竜王丸は義清たち、ホルカッブ、ホルカンを集めて軍議を行った。
竜王丸が先ず、口火を切った。
「部落の柵が破られていることは、既に発見されているかも知れぬ。発見されていれば、警戒は昨日よりも厳重になっていることと思われる」
「ウツコレル殿、シュタバイ殿はこの洞窟に留まられた方が宜しかろう」
「さて、アーキンマイは寝たきりの病人になっているとのことで、もう害はなさない」
「ナチンは許してはおけない。ホルポル殿の死の代償を払わせる」
「村人は、我々がことを起こしても、暗殺者たち、おそらくアステカ帝国で地方に分散したメシーカ族を主体とした傭兵部隊であろうが、暗殺者たちには加勢はしまい。傍観するだろう」
「問題は、その傭兵部隊である」
「おそらく、今はナチンを頭に戴いているようであるが、その内、本性を現して、ナチンを殺して、部落を乗っ取るつもりであろうよ」
「さて、この傭兵部隊をどうするか、じゃ」
「鉄砲を持っていると云う。まともな合戦になれば、こちらにも死者がでることは必定である」
「鉄砲は使わせないようにする。そのためには、どうしたら良いか、ここが思案のしどころじゃ」
「鉄砲抜きでも、メシーカ族はかなり勇敢であり、強い戦士が揃っている」
「味方の損害を極力抑えて、勝つためにはどうしたら良いか、皆の意見を聴きたい」
弥平次が膝を乗り出して言った。
「ナチンはそれがしにお任せあれ」
弥兵衛も言った。
「鉄砲に関しては、先ほども弥平次殿と話しておりましたが、火薬を湿らせることが出来ますれば、持ち腐れとなるはずでござる」
義清が断固たる口調で言った。
「いずれにしましても、今日の昼はばらばらになった部落の戦士を集めることが肝要でござる。そして、行動は夜。夜陰に乗じ、柵を斬り破り、侵入し、敵の武器を取り上げれば、それにて当方の勝ちでござる」
ホルカッブが力強く、言った。
「夜、敵が寝静まった頃、部落に入り、傭兵部隊の宿舎を襲い、武器を取り上げることは可能です。傭兵部隊が宿舎とするところは大体見当がついておりますので」
竜王丸は皆の意見を聴いた後、からからと笑い、こう言って、軍議を終えた。
「皆の者、良くぞ申した。その通りにしようぞ。昼は準備、夜に全てを託そうぞ」
洞窟の泉のほとりの岩に腰をかけ、竜王丸はホルポルのことを想っていた。
見事な将であった。
おそらく、アーキンマイの招宴で毒殺されるくらいのことは予測していたであろう。
従容と毒酒をあおって、死んでいったのであろう。不憫でならぬ。無念でもあったろう。
ホルポルが可愛がっていた、あの猿、ナコンはホルポルが死んだ後、暫くホルポルの死骸の傍に居たそうだが、その内どこかに行ってしまったとのこと。やはり、獣か。
竜王丸は微笑んだ。
「ウツコレル殿。足音を忍ばせても駄目でござる」
「あらッ、どうしてお分かりになりました」
竜王丸は後ろを振り返り、笑った。
「私の国の諺に、頭隠して尻隠さず、という諺がござるが、ウツコレル殿の場合は、匂い隠さず、じゃ」
ウツコレルは泣きそうな顔になった。
「ひどい。私はそれほど嫌な臭いなんですか?」
竜王丸は慌てて、言った。
「誤解は困る。悪い臭いでは無く、良い匂いでござるよ。ウツコレル殿は花のような良い匂いがするのでござる」
ウツコレルはにっこりと微笑んだ。
それから、竜王丸の傍に座り、ククルカンの館に戻ってからの旅のことを目を輝かせながら、あれこれ竜王丸に訊ねた。
この娘は最初に会った時もそうであったが、よく質問をする娘だ、思った。
この娘と一緒ならば、山里の侘び住まいであるが、楽しい生活が送れるかも知れないと竜王丸は思い、そのように思い始めている自分が少し可笑しかった。
部落の戦士はぞくぞくと集まり始めた。
かつては、百八十人ほど居たが、その内、百五十人が戻ってきた。
皆、再会を喜ぶと同時に、ククルカンの戦士と共にまた闘えるという誇りと喜びに満ちていた。
死は恐れるところでは無く、闘いで死ねば、戦士は必ず天の国に行く、そこで、崇敬するホルポルにまた仕えることが出来る、という喜びに満ちていた。
ホルカッブとホルカンが朝の軍議の内容を噛み砕くように、皆に伝えていた。
夕陽が残照を残して密林に消えていった。
赤い残照の空を鳥が飛んでいった。
そして、竜王丸たちはそれぞれの闘いを始めた。
ナチンは一人、部屋に居た。傭兵部隊への支払いのことを考えていた。
アーキンマイが貯めた翡翠とカカオの豆で間に合うかどうか、真剣に考えていた。
どうしても、間に合わない。
自分の財産でまかなうのは、業腹であった。
何とか、自分の家の財産を減らさずに済ませる方法はないか。
シュタバイと結婚すれば、サーシルエークの財産も少し分けて貰える。
早く、結婚するようにしよう。サーシルエークも前と違い、この頃は俺を避けているようだが、アーキンマイの跡目を継げば、ぐずぐず言わせない。
俺がこの部落の最高権力者になるのだから。
これで、メシーカ軍との和睦が出来れば、俺の人生は安泰となる。
そんなことを考えて、ナチンは笑いをこらえていた。
「ナチン。笑うのは未だ早い」
どこからか、からかうような声がした。
ナチンはびっくりして、あたりを見回した。
誰も居なかった。空耳か、と思った。
「ナチン。ホルポルは天の国に行ったが、お前は地底の国、シバルバに行く」
また、陰気な声がした。
誰か、居る。ナチンは恐怖の声を上げて、部屋の扉を開けて逃げようとした。
扉は開かなかった。誰が閉めたのだ。ナチンの頭は混乱した。
扉を開けようと何回も試みた。駄目だった。ナチンは扉を両手で叩いた。
「誰か、来てくれ! 誰か、来てくれ!」
また、声がした。
「呼んでも無駄だ。お前の家族は皆、眠りこけている。誰も、助けには来ない。また、この部屋の物音はどこにも聞こえない」
ナチンは後ろを振り向いた。
いつの間にか、部屋の中央に黒装束の男が腕組みをして立っていた。
「お前は誰だ!」
その黒装束の男は陰気な声で呟いた。地獄から聞こえてくるような声だった。
「俺は、ククルカンの命を受け、地底の国からお前を迎えに来た」
「嘘だ。ククルカンなどと云うのは神話の世界だ」
と、言いながら、ナチンは懐から短筒を取り出した。
「ほう、傭兵部隊から貰ったか。試してみたら、どうだ」
ナチンは震える手で、短筒をその黒装束の男の胸に向けた。
轟音と共に、短筒から弾が発射された。弾はその男の胸に当たった。
しかし、その男は倒れず、背中に背負った刀をゆっくりと抜いて振りかぶった。
ナチンは恐怖の声を上げた。
それが、ナチンの最期の声だった。
ナチンは頭から尻まで真っ二つに斬られ、血を噴出しながら床に倒れた。
同じ頃。
アーキンマイは神殿の片隅にある薄暗い部屋で、右手を小刻みに震わせながら、横になっていた。
右半身が不随となっていた。口元もだらしなく緩み、涎を流していた。
ふと、目を覚ました。
天井に、大きな怪物が映っていた。驚き、声を立てた。上半身を起こし、逃れようとした。
その時、陰鬱な声がした。
アーキンマイの耳には、死者が行くとされるメトナルという地底世界から聞こえて来るような不気味な声であった。
「アーキンマイ。そろそろ、お前は地底の世界に行く時だ。地底の世界に行き、長い苦悶を味わうことだ」
アーキンマイは更に驚き、声を上げて、助けを呼んだ。
「助けを呼んでも、無駄だ。皆、眠りこけている。お前は一人で死んでいくのだ」
アーキンマイは逃れようとして、立ち上がろうとした。
しかし、立ち上がることは出来なかった。
不意に、身を硬直させ、頭を押さえながら、どっと床に倒れ伏した。
目を見開いたまま、息絶えていた。
部屋の片隅に、黒装束姿の竜王丸と何か異形の動物が居た。
ナコン! さあ、行こうか、ホルポルの仇は討ったぞ、と竜王丸は優しく声をかけた。
竜王丸が神殿の寝所に忍び寄った時、どこからともなく、猿のナコンが現われ、竜王丸の肩に乗ってきたのであった。
アーキンマイの死を確認した後で、竜王丸はナコンを肩に乗せたまま、神殿を抜け出し、闇の中に姿を消した。
それから、暫くして。
竜王丸と弥平次は鉄砲の火薬の在り処を探して、傭兵部隊の宿舎を調べていた。
鉄砲はやはり十丁ほどあり、戦士とは異なる姿の男たちが大事に抱えるようにして眠っていた。しかし、火薬の袋は見当たらなかった。
ふと、目を周囲の壁に移した竜王丸が何かを見つけたようであった。大きな袋と小さな袋が壁際に天井から吊るされていた。弥平次が近寄って、袋の中身を調べた。竜王丸に頷いた。紛れも無く、火薬の袋と弾を入れた袋であった。天井から注意深く、それらの袋を外した。
ずしりと重かった。音も無く、扉を開けて外に出た。やがて、二人は周囲の闇に消えた。
明け方頃、ホルカッブ、ホルカンに率いられたマヤの戦士が部落に潜入した。
十人を一つの組として、分散している傭兵部隊の宿舎に向かった。
先ず、武器を抑えよ、と竜王丸に命じられていた。
正面の城門と裏門は傭兵部隊の戦士が深夜も交代で見張っていた。弥平次に率いられたマヤの戦士が見張りを背後から襲い、倒した。
気付いて、逃れようとした者は弥平次によって倒された。少し、悲鳴があがった。
宿舎で、目を覚ました傭兵が見たものは、矢をつがえたマヤの戦士と刀を抜き払った義清と弥兵衛の圧倒的な姿であった。
寝惚け眼のまま、起こされた兵士がほとんどであった。
傭兵は縛られた上で、ピラミッド前の広場に集められた。
二百人ほど居た。
ホルカッブが傭兵を訊問していた。
重大なことに気付き、竜王丸に近寄り、告げた。
「竜王丸さま、手違いが生じました。申し訳ございません」
傭兵隊長とその側近が逃げたとのことだった。五人、居ないと言う。
ここは、義清、弥兵衛、ホルカッブに任せ、竜王丸、弥平次、ホルカンの三人は傭兵隊長ら五人を追跡することとした。
暫く、探した後、よもやと思い、シュタバイとウツコレルが待つ洞窟に向かった。
シュタバイとウツコレルは心配そうな表情で洞窟の前に居た。
竜王丸たちの姿を遠目で見て、竜王丸たちのところに走り寄ろうとした時だった。
樹の陰から、数人の男が走り出て、シュタバイとウツコレルを捕まえた。
男たちは五人居た。傭兵隊長とその側近に間違いなかった。
傭兵隊長は、ニヤリと笑い、酷薄な表情で武器を捨てろ、と言った。
捨てなければ、この女たちの命は無い、と言った。
シュタバイは、私たちには構わないで、命なんか要らない、と叫んで、捕まえていた男に平手打ちをくわされた。
倒れたシュタバイに、その男は矢をつがえた。
竜王丸は叫んだ。
「分かった、武器は捨てる。だから、その娘の命は助けてくれ」
竜王丸は黄金造りの太刀を傭兵隊長の前に放り投げた。
全員の目がその太刀に集中した瞬間、竜王丸の手から棒手裏剣が飛んだ。
太刀を拾おうとかがんだ傭兵隊長の額を貫いた。
と、同時に、竜王丸と弥平次が傭兵の群れに飛び込み、あっという間に全員を斃した。
捕らえられた傭兵たちは全ての武器を取り上げられた上で、部落の入口から追放された。
部落の戦士隊長にはホルカッブがなり、ホルカンは副隊長となった。
そして、シュタバイはホルカッブに嫁ぐこととなった。
竜王丸たちは一週間ほど滞在し、全てが円満におさまったのを見計らった上で、部落を去ることとした。
竜王丸たちは村人全員の見送りを受け、部落を出た。
竜王丸たち四人が語り合いながら、ヤシュチェーの樹の下に差しかかった時だった。
樹の陰から、二人の男女が突然現われた。
ホルカンとウツコレルだった。
二人とも、竜王丸に連れていってくれ、と言う。
親友とは言え、人の妻となったシュタバイを見ながら、村に居るのは嫌だというホルカンと、巫女となって、竜王丸たちククルカンの軍神の世話をしたいというウツコレルの願いだった。
ククルカンの巫女になるならば、仕方が無い、とサシルエークとイシュタブは泣きながら、許してくれた、とウツコレルは言った。
竜王丸たち四人はいろいろと二人を説得しようとしたが、二人の決意は変わらず、連れていってもらえなければ、このヤシュチェーの枝に縄をかけ、首を吊ると言う。
マヤの教えでは、首を吊って自殺した者も、戦死した戦士同様、天の国に行くことができるので、死は恐れるところではない、とホルカンは言った。
持ってきた縄も見せた。随分と丈夫な縄であった。
竜王丸も根負けして、勝手にせよ、と言った。
二人は、勝手にします、と言い、四人の後にくっついて歩いた。
暫くは離れて歩いていたが、洞窟で休憩し、水浴した時から、一行は六人となった。
ククルカンの館に着いた。ククルカンは全てを知っており、ホルカンとウツコレルをも快く迎えてくれた。
ホルカン、ウツコレル共、ククルカンと広大な屋敷を見て、びっくりしたが、道中、義清たちから話を聞いていたので、それほどの衝撃はなかった。
ククルカンはウツコレルを一人呼んで、暫く話をしていた。
ククルカンはその後で、竜王丸を呼んで言った。
“あの娘は美しいばかりではなく、気立ても良く、頭の良い娘だ。お前があの娘をお前の国に連れて帰るのならば、一つあの娘に特別な能力を与えておこう。運命を予測する予知能力じゃ。お前がこれから武将として成長していく過程の中で、一番必要な能力となる。お前があの娘を大事にし、いつも傍に置いておきたくなるよう、これからあの娘に予知能力を与えることとする”
ククルカンはウツコレルを別室に連れて行った。
少し経って、ウツコレルは戻って来た。
別に、変わったところは無かった。
竜王丸はホルカンとウツコレルを呼び、日本という反対側の国に行くが、二人はどうすると二人の意思を訊ねた。
二人は一緒に行きたい、と即座に、竜王丸に願った。
二人に、迷いはなかった。
竜王丸は二人の意思を義清たちに伝えた。義清たちも大いに喜んだ。
早速、義清たちは二人に日本に関する知識をあれこれ教え始めた。
また、ククルカンは出発に際して、念のためだと言って、六人に疫病防止の消毒を施した。
ククルカンとの別れが来た。
また、あの大根のような白い車に乗って、トンネルを走り、龍神沼に向かった。
龍神沼に着いた。
別れに際して、ククルカンは竜王丸にシウコアトル(火の蛇:レーザーガン)を与えた。
これは攻撃に使ってはいけない、防御の時だけ使うように、とククルカンは言った。
また、弥平次には、半年に一度は龍神沼に来て、ククルカンに半年間の出来事を話すように命じた。
六人は龍神沼を眼下に見下ろす丘に立った。
竜王丸たち四人は直垂、袴に着替え、すっくと立っていた。
ホルカンとウツコレルは目立たぬよう、山伏の姿をしていた。
二ヶ月振りに見る日本の風景は柔らかく、優しい、と竜王丸は思った。
眼下に広がる森は鬱蒼としていたが、人を寄せつけない、あの国の密林とは異なっていた。どこか、安らぎを感じさせるものがあった。
ウツコレルも竜王丸の国の風景を好ましく眺めていた。
傍らの竜王丸に向かって囁いた。
あなたの古里で、何かが今起ころうとしています。
悪いことでは無く、あなたを世に出すための出来事が起ころうとしています。
これを見事に解決し、あなたは土地の者から尊敬されるようになる。
これがウツコレルの初めての予言となった。
竜王丸は胸を躍らせながら、これからの自分と自分を囲む者たちの行く末を想った。
全身に、力が漲っていくのを感じた。
十の巻 終わり
筆写は昔、メキシコ・ユカタン半島のメリダという街で暮らしたことがあり、マヤ文明に
興味を持っております。愛着を持って、この物語を書きました。ご愛読戴き、感謝します。