柊美咲~お気に入りの喫茶店~
多摩モノレール沿線の立川北駅。巨大なショッピングモールや百貨店、家電量販店には目も暮れず、高松駅方面――簡単に言うと田舎サイド――へ向けて歩くことおよそ十分。
真っ青な看板を掲げた会計事務所と三階建ての小型マンションの間に、個人経営の小さな喫茶店がポツリと佇んでいる。私はこの喫茶店の常連客だ。
外装はかなり質素。真っ白な箱の上にチョコレート色の切妻屋根――三角形の屋根――を乗せただけって感じの造り。おまけに、内側からカーテンでブロックされているせいで窓や扉から中の様子を見ることが出来ない。
更に変わっているのはこの喫茶店、なんとインターホンを押さなければ入店できないのだ。
家かよ。とツッコミを入れたくなるレベル。
なぜこの喫茶店が好きなのか。
そう問われると、返答に頭を抱えてしまう。
私が好きなのはこの喫茶店、というよりもここの店長さんだから。
私はその日も、『喫茶とみぃ』特製ジャパニーズアメリカンメキシカンという奇天烈な名前のアメリカンコーヒーを片手に、ぼんやりと時間の経過を堪能していた。
「ああ、それでは私は……あの人を消せるのでしょうか?」
輪郭の無い甘ったるい時間は、鬼気迫った中年女性の声により一瞬で破たんした。
思わず聞き入ってしまいたくなる会話が後方から聞こえてくる。
室内で一番奥にあるカウンター席に腰掛けている私は、聞こえていないフリをするまでもなく、全ての会話を盗み聞きすることが出来る。
元々地獄耳だし。
にしても物騒な会話だ。
「ええ。力が解放されれば、容易な事ですわ」
冷徹で、それでいて澄んだ声が聞こえる。
この声の持ち主がここの店長さん。西浦セイラちゃん。
多分、私とそんなに歳は変わらないだろう。20くらいだと思う。
「ですが、それまでは耐えてくださいませ。力が真価を発揮する瞬間。その瞬間が訪れるまで、手を出してはいけません」
「セイラさん、私……今すぐにでも殺したいんです……殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい……」
まるで発作のように、震えた声で話す中年女性。
羅列された不穏な言葉に思わず耳を塞ぎたくなる。
……ということはなく、私は無遠慮かつ興味津々に彼女たちの会話を尚も拝聴し続ける。
怨嗟に満ちた話に好奇心を抱かない人間なんてこの世に存在しないんじゃないかとすら私は思っている。
「相田さん、私を信じて。その瞬間が訪れるまでは、この喫茶店に通い詰めてくださいませ。さすれば、道は開かれますわ」
「こんな首輪が無ければ……」
「そんな些細な問題は関係ありませんわ。私には既に見えています。あなたが悲願を達成するその瞬間が」
ああ、良かった。セイラちゃん、平和的解決に向けていつも通り上手く誘導してるみたい。
このまま相田さんという女性を放っておいたら確実に殺人事件が起きちゃうよ。
好奇心で盗聴した身とはいえ、実際に事が起きてしまうのは気分が悪いものだ。
ともあれ、張り詰めていた店内の空気は僅かながら緩和された。
私はホッと息をつき、カップを持ち上げ、再度アメリカンコーヒーを口にしようとした。
まさにその瞬間だった。
全体から見えるよう、高い場所に設置されている24インチの小型テレビから『首輪狩り』についてのニュースが報道された。
モニターに目をやると若い男性のニュースキャスターが沈痛な面持ちで、それでいて淡々と文章を読み上げていた。
「防醒対象者を標的とした暴行事件、通称『首輪狩り』が都内各地で発生しています。被害者の共通点は防醒チョーカーを装着することを義務付けられた防醒対象者という一点のみであり、たとえ女性であろうと子供であろうと容赦なく被害者となり得る可能性があります。
防醒対象者の皆様は外出の際、十分に注意してください。
次のニュースです」
「えぇっ、そんだけ!?」
思わず声を張り上げてしまっていることに後になってから気が付いた。
周囲を見渡すと、店中の視線がモニターではなく私に集中している。
私はなんとなく気まずくなり、背を丸めてカウンターの内側に居るバイト君――萩原雄太郎君に小声で話しかけた。
「やけにあっさりしてなかった? さっきのニュース」
「え? ま、まぁ」
雄太郎君は分かり易く『困惑』という感情を全面に押し出した表情でしどろもどろな返事をする。
彼は、長身で中々のルックスを誇るイケメン眼鏡男子なんだけど、いつも眉を八の字に傾けている。
困惑の顔が似合うようにすらなりつつある。
なんと勿体無い。
「なんというかさー、塩対応っていうか……自分たちには関係ねぇや感がさー」
「それは、そうでしたね。うん。美咲さんの言いたいことはわかりますよ」
そう言ってグラス磨きを始めた雄太郎君はちらりと相田さん、そしてセイラちゃんが居る席を見た。
「平等な立場で物事を伝えなければならないメディアですらあの様子じゃ、当人たちはもっと辛い目に遭ってるんだろうなぁって思っちゃいますよね」
「ここが別の目的で賑わっちゃうのも仕方ないかー。せっかく人が滅多に来ないカフェを見つけたーって思ったのになぁ」
「美咲さん。サラッとこの店をディスるのやめてください」
事実、この店に来店する客の8割はセイラちゃん目当ての客らしい。
超能力が使えるようになりたいっていうぶっとんだ願望と野望を携え、殺気立ったオーラを身に纏いながら入店してくるとかなんとか。
元々は超能力者の存在のせいで防醒チョーカーという黒い首輪が発明された。
それによる二次被害を喰らっている人達が多いらしい。
(具体的には、風評被害による差別行為や過激派の反超能力者団体による嫌がらせなどなど)
しかしながら、彼らの怒りの矛先はその発端である超能力者には向かない。
むしろ首輪を付けることを義務付けられた一般人の多くは超能力者に憧れているという傾向にある。
そんな人々を救いたい、とかつてセイラちゃんは言っていた。
ふと、後ろを振り向く。
セイラちゃんと目が合った。
大きな碧い瞳、肩甲骨のあたりまで伸びた艶々の銀髪、そして豊満な胸。
黒いコルセットにより、そのスタイルの良さが強調されている。
女性の私ですらドキリとしてしまうほどに、彼女は美しく、魅力的だった。
その首には漆黒の首輪が巻かれている。
「着こなしてるなぁ、セイラちゃん」
誰にも聞こえないようにポツリとそう呟き、私は空になったカップをカウンターに置いた。
そう、彼女はいとも簡単に万物を着こなしてしまう。使いこなしてしまう。
だから私はセイラちゃんのことが好きなんだ。