飯田線を走る―その3―
吉田城のあります今の豊橋公園を出まして旧の東海道を西へ進んで頂きまして、今の『豊橋』。かつての『吉田大橋』を渡り、国道一号線へ真っすぐ向かわず左に曲がり、旧の東海道を更に進んで行きますと、それなりに趣のある建物が軒を連ねております。
それら昔ながら?と言うのでありましょうか。建物が尽きた辺りからは魚を始め。食料品を取り扱う市場に問屋。そこから仕入れた品々を基に商売をされるかたなど大型量販店とはまた異なる風情を醸し出す。そんな通りを更に北西へと進んで行きますと、
(これがあるから安心して暮らすことが出来るんだよな……。)
の豊川放水路に架かる橋を超えますと
(……たぶん昔はここが、人が住まいを構えることの出来る境界の意味も持っていたのだろうな……。)
の菟足神社を横目に見ながら坂を上っていきますと、区画整理とは異なる。それぞれのかたがたが思い思いに集まり出来上がったのであろう。良い意味で雑多な佇まいの中。現れてくるのが飯田線の小坂井駅であります。
力のあるかたでありましたら、これだけの素材があればもっとしっかりとした文章や映像を創り出すことが出来るとは思うのでありますが、
(……私にはその力はございません……。)
散歩などするには程よい距離なのではありますが、昔の道にクルマが走っているところ。二川宿まで酷くはありませんが、歩道が無い箇所がありますので特に平日。市場が開いている日のジョギングは避けたほうが無難かもしれません。(旧東海道のすぐ横には車道と歩道がしっかりと区分けされている国道1号線が走っております。)
このルートを私は一度だけ。歩きで散策したことがありまして。日曜日と言うこともありましたのでクルマの通りに関しては特に気にしなくても良かったのでありますが、反面。見どころの1つとなるのでありましょう。市場とその周りの店が休み。開いてない市場の光景もそれはそれで景色になるのではありますが。
(……私にそれを描き切るだけの能力は備わっておりません。)
歩道が無いとは言え、
(この道幅ならジョギングも出来るかな?)
とテクテク歩いて行きまして、一部既に豊川市に入っているのでありますが、実質的にはこれが豊橋市と豊川市の境と言っても良いのかな?の豊川放水路を渡る橋を目にした時私は
(……ここはクルマ以外通ってはいけない)
ことを悟りました。
橋の真ん中にはセンターラインが引かれております。そのセンターラインを守っていれば、乗用車同士が正面衝突する事態は避けることは出来ます。トラックも含むクルマに関しては避けることは出来るのでありますが、それら乗用車が橋を渡っている時。それもすれ違いを伴う場合。歩行者が逃げることの出来る場所はありません。禁止はされてません。禁止はされておりませんが、
(すぐ横に国道一号線の橋がありますので。)
極力このルートを生身で渡ることは控えたほうが良いと思われます。
それで小坂井駅でありますが、ウォーキングないしジョギングを始めてからこの駅を利用したのはその時の一度だけであります。本数に問題は無いのでありますが、豊橋駅を起点とした場合。ゴールにするには少し距離が物足りないことに加えまして、20年近く前に無人駅になってしまったこと。で。私はICカード乗車券を用いる程、普段鉄道を利用しているわけでは無いことに加え、仮にワンマンカーを利用した場合。
(昔は改札口と清算所は別の場所にあったよな……。)
駅改札口での手間が増えることになることもありまして、なるべく豊橋駅発のバスも含め、極力乗る前に支払いを終えるため、鉄道は有人駅を利用するようにしています。そうなって来ますと自ずと飯田線でのゴール地点は牛久保か豊川になります。
(ハーフマラソン並みに頑張れば新城と言う選択肢。もっと頑張れば本長篠や湯谷もございますが……。)
で。その小坂井駅で乗って来られたかたの中で印象に残っていますのは、土木工事などをする時に便利な作業着を身に纏い、首には黒の蝶ネクタイを締めた。特に髪をセットしているわけでも無い白髪交じりの
(普段。炎天下での仕事に従事されているかたなのでありましょう。)
人工的では無い日の焼けかたをされている。鼻と口の間に髭を蓄えられた
(年齢がわからないな……。)
たぶん私よりは年上であろうと思われるかたが小坂井駅から2両あります列車の後部車両に乗り込まれまして……。乗車するなり彼は、列車の安全を指を指しながら確認される。それもホームとは反対のドア側で……。しかもその列車……。本当の車掌も乗務されている……。そのまま下地。船町と到着するたびに同様の作業を。……切符の回収業務はされてません。を繰り返され、終点の豊橋駅に到着するなり蝶ネクタイのかたは、乗り換えのタッチパネルにカードをかざし、颯爽と名鉄のホームへと消えていきました。
そんなかたに出会える駅。それが小坂井駅であります。