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飯田線を走る―その2―

 豊橋駅東口を出てすぐの道を北へ向かって走ったところに『豊橋とよばし』と言う橋が架かっております。これは元々『吉田大橋』と呼ばれておりまして、明治時代に架け替えられた際、現在の名称であります『豊橋』変更され、昭和に入り。国道1号線が整備された際、吉田城本丸西に架けられた橋のことをややこしいことに『吉田大橋』と命名され現在に至っております。

 その元の『吉田大橋』にあたります『豊橋』のたもとには看板が設置されておりまして、そこには『豊橋』の西にあります『船町』の起源が記されております。詳しい内容は忘れてしまいましたが、うろ覚えで思い出してみますと。どうやら池田輝政が吉田に入った際、「ここで商売をさせとくれ。」と言ってきたモノがおりまして。どうやら北近江の浅井家に通じるかたであったようなことが記されておりました。この『船町』と言うのがどのような場所なのか?と言いますと、東海道より外の低い位置にありまして、低いところにある分。豊川の水運を利用するには便利である反面。その水の制御が出来なくなりますと……。と言う場所でもあったのだろうな。の名残を留めていますのが船町駅の住所が『北島町』。水に翻弄されやすい場所でありましても安定している場所。北島に町が形成され、駅も作られることに相成った。と……。加えて物資の集散地であったことも関連しましてか鉄道の貨物の積み下ろしにも長年利用された場所でもありました。(今もトラックが出入りする形ではありますが鉄道貨物のコンテナが行き来しております。)

 そんな船町駅でありますが、まずは貨物の置き場のほうへ走った時の話を綴ってみようと思います。

 一番簡単なアクセス方法は豊川の堤防を伝って進むことでありまして、『豊橋』から西へ堤防を走っていきまして10分程チンタラ走っていきますと在来線の橋が見えてまいります。いよいよ橋だな……。と言うところで突如として川にあります何かあったら自己責任の堤防内の広場へ降りるよう指示される看板が設置されている南側が船町のコンテナ置き場になっております。これは鉄道貨物をトラックで輸送するかたから聞いた話なのでありますが、東海道線に飯田線。更には名鉄線に少し西側には新幹線の橋が見える場所にコンテナ置き場があることもありましてか。写真を撮影するために立ち入るかたがいらっしゃるそうでありまして……。貨物列車は入ってくることはありませんが、トラックは行き来しておりますし、コンテナの中には5トンを超える荷物が入っていること。たとえ空であったとしてもコンテナそのものも、けっして軽いものではありませんので……。と言うことを仰られておりました。

 ジョギングコースとしましては豊橋駅もしくは吉田城のあります豊橋公園を起点としまして豊川沿いに進んで頂きますと、歩道が無い関係で乗用車に注意しながらにはなりますが、比較的容易に辿り着くことが出来ますし、鉄道橋の下を潜って頂きまして(ここは通って問題ありません。)少し西に在ります上渡津橋を渡らず南へ進みますと国道23号線に合流することが出来、そこからですと比較的本数のあるバス路線が豊橋駅に向かって走っております。もちろんそのまま駅に向かって進んで頂きましてもそれ程の距離ではありません。

 一方、旅客駅としての船町駅でありますが、正直な話。地図を持っていても辿り着く自信が私にはありません。理由としましては昔ながらの入り組んだ道が残っておりまして……。(対岸にあります下地駅のほうは川沿いを走っていけば……。でも道幅の狭さと通るクルマの多さを考えますとジョギングでのアクセスはお勧め致しませんが到達することは可能であります。)

と言うこともありまして私が船町の駅を訪れたのは牛久保からの帰り。たまたま船町駅にも停車する列車に乗った時でありまして、車掌さんから『船町ですが。』(豊橋まで行くのとでは料金が20円変わります。)と念を押されて線路と線路の間の階段を下り船町駅を出ましたの感想を述べさせて頂きますと。

「元は一本の道を挟み、商店が思い思いに立ち並んでいたんだろうな……。」

と言う区割りをそのまま利用しての宅地が建てられている……。

商店街であった名残を留めているのが、今も経営している理髪店と、建物がしっかり造られているため、逆に壊すのが大変であるのか。持ち主が手放すほど経済的に困っていないのだろうな……。の壁一面に落書きが施され、入り口内部にモノが詰め込まれている元病院と思しき鉄筋の構造物。の元駅前商店街と思われる一本道を過ぎたところで私は。……迷子になりました。太陽を眺めながら(……たぶん東はこっち。)と思いながら辿り着いたのが船町の起源を知らせる看板でありました。その途中で木材加工の会社を幾つか見掛けたのでありますが、木材加工が出来るだけの木を持ってくることが出来る。と言うことは。今はもちろんトラックを使って。になるのでありますが、元々は水運を利用して。であったこと。その木も大きなものであったと思われますので当然、それ相応の動力を持った水が加工場近くまで流れ込んでいたことを思いますと、(……住まいを構えて良い場所と、今は堤防が守ってくれてはおりますが。)と言うところもあるんだろうな……。

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