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七、断絶恐怖症(別名、完結引き延ばし病)

 ミツイは六畳間で茹で上がっていた。


 この六畳間にエアコンなどという文明の利器はない。窓もない。あるのは天井にまで届かんばかりの書棚と、部屋の中央に据えられた文机。そして座布団くらいのものである。

 それゆえに、夏も近づく八十八夜の辺りから六畳間は蒸し風呂のようになるのが毎年の通例であった。


 下着一枚で畳に転がるミツイを尻目に、いつものようにジャージを着て天狗の面を被った存在が言い放つ。


「ミツイよ。茹で上がる暇があるならば文を書くのである」


「風でも起こしてくれ、天狗よ。茹でミツイになったら文も書けん」


 ジャージ姿の天狗仮面は身に纏った唐草模様のマントをばさりとやりながら立ち上がり言った。


「心頭滅却すればよかろう。現に、私は平気である」


「鬼か」


「否、天狗である」


 これ以上の問答は無用とばかりに天狗仮面は六畳間を去った。一人六畳間に残されたミツイは仕方なく滝のような汗を流しながら文を書き始めた。




   ○   ○   ○




 しばらく後に戻ってきた天狗仮面の手には、ミツイと同じく汗を掻いたヤカンがあった。手渡されたそれを掲げ、直にぐいと一口飲めば茶の葉の香りが鼻腔をすうっと抜けるのが分かった。


 溜息と共に魂が抜け出てしまいそうになるのを堪え、ミツイはもう2、3口、ごくりと喉を鳴らしながら茶を飲んだ。


「時にミツイよ。ここの所、鍋の話は進んでいるのであるか」


「いやあ、それがどうにも」


 いくらか落ち着いたミツイは頭を掻きながら文机の上にある文章の断片を流し見た。


 彼はどうにもうまく筆が進まぬその話を置いて、別の文を書くことで逃げを打っていた。しかし文を書くことは止めていない。ミツイは文士であるので文を書くことからは逃げられないためである。

 何事を押し進めるにも、必ず負荷がかかる。書きたい文を書いていてもストレスや疲れはやってくるのである。それら有象無象がこの窓のない六畳間に積り、言葉の吹き溜まりのようになっていく。自らの紡いだ文に押しつぶされぬためにも、息抜きは必要なのだ。文を書くことで積もるストレスは、文を書くことで解消する。これがミツイなりの文士としての在り方である。


「せやけど、短編は楽しく書けた。

 いくらかは気がマシになった気がするのう」


「それならば良いのである」


 先日、ミツイは昭和の日にかこつけた短編を書いた。その少し前には他の作品を読み、その感想めいたものをあれこれと送りつけもした。


「しかし、なぜ私の話には一向に手を付けぬのだ。

 そろそろ完結させてもよいであろう」


 書棚の片隅には、今なお未完として置かれている天狗の話がある。ミツイを形作るにあたり、欠かすことの出来ない作品である。しかしながら、企画用の作品であるので完全に自分だけの作品という訳でもない。なかなか扱いに困る子なのである。

 ジャージにマントをつけ、天狗面を被った不審人物、天狗仮面もその中で生まれた。


「それはそうなんやけどもなあ。

 一つ聞いてくれるか天狗よ」


「聞かぬといっても話すのであろうに」


「その通りやなあ。ほな、一つ述べようか」


 ミツイはよっこいせと言って立ち上がった。何かしらの論を打つ時には己の身を屹立せしめねばならぬ。決して暑さに負けて這いつくばったまま論を述べてはいけない。

 寝言は寝て言えと世間はいう。ならば、寝て放つ論は並べて寝言となり得るのだ。魂込めて吐き出す己の弁論を寝言扱いされてたまるか。

 雄大にそびえ立つ己の身から零れるからこそ尊大な論になるのではないか。そう心に誓って立ち上がるミツイではあるが、忘れてはいけない。今日の彼は下着一枚なのである。威厳など、もとよりないのだ。




   ○   ○   ○




 ――物語は、完結させてこそ作品として価値が生まれる。ほな、完結の目を見るまでは無価値か。

 いいや、答えは否や。作品としての価値はまだあらへんかも知れん、せやけど付随する有象無象はどないしたところで削ぎ落とせるもんやない。

 砕けた言い方したら、愛着が湧くっちゅうヤツやな。で、それを終わらせることに何やら分からん不安を覚える。これを文士の世界では"断絶恐怖症"と呼ぶんや。祭りが終わった後の寂寞たる想いにも似たもんが作品の完結とともにお出ましや。熱を込めたら込めるほど、もの悲しさは募るわけよ。

 "完結引き延ばし病"とも言う。これは作品と己の関係が断ち切れてしまうことを恐れるあまりに生み出される文士たちにとっての習慣病に他ならん。


 しかし。しかしや。当の本人たちにもよお分かっとる。分かりすぎるほどに分かっとる。誰も望んどらん。未完のまま作品を放り出すんはアカンと理屈では分かっとる。

 完結させる気のない文章など、言葉の不法投棄や。やけども、ここに「完結はさせたいが終わらせたくはない」という矛盾が生まれてまうんはもうしゃあない。


 ここで考えたらあかんのは、読者のためにも完結させやなと自分を偽る事や。もちろん、文は人に読まれやな無いのと同じや。でも一番最初の読者は誰や? 自分や。一番続きを読みたいのも、一番完結を願っとるんも、全て自分や。自分の一番に嘘ついたかて何も良い事あらへん。

 他人に流されず、自分がどないしたいか決めやなあかん。そして決めたらやり遂げるもんや。


 もちろん、そんな症候群とは別に風呂敷を広げ過ぎてうまくたためんと展開の袋小路に入ってしもた作品もあるやろ。それは今回は置いとこう。


 つまるところ、今、ここで。俺が声を大にして述べたいことはッ!

 例え今は未完の作品であろうが、完結をさせる腹づもりが、間違いなく俺にはあるという事や。その点だけは清い心で以てここに誓おうやないの。





   ○   ○   ○




「随分と堂に入った言い訳であったものだ」


 呆れたように天狗仮面が言う。

 そうとも、これはただの言い訳に過ぎない。


「言い訳上等、ご意見無用」


 変わらず汗を滴らせながら、ミツイはヤカンから直に茶を飲んだ。


「しかしよかろう。

 どの道、話が完結したところで私はここにいるのだからな」


「そうとも。

 うちの雇用形態は七勤零休、祝日無や」


「お主もそれに付き合うことになるが良いのであるか」


「文士に休みがあってたまるか」


 ミツイは大きく口を開けて笑った。しかし忘れるなかれ。彼は下着一枚である。

 いかに決意を格好良く述べたところで下着一枚である。半裸から生まれる威厳は、やはりないのだ。


 それが分からぬミツイは、どこまでいっても阿呆なのである。

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