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六、文士と文豪の生物学的関係性について


 文士は奇妙な生き物である。

 ありとあらゆる言葉を食し、また自らも言葉を紡いでいく。


 文士によって好む分野があり、言葉を食すことのみを行う種もあれば、自ら生み出した言葉を自らで食す種もいる。見た目も様々だ。華やいだ文士は時に周りからもその注目を集め、文豪などと呼ばれる例もある。その生態は多種多様に渡っており、未だ多くは謎に包まれている。


 生物学者たちは「言語を食す生き物など、生物学会において認められない」と文士の探求を放棄し、文学者たちは「誰が書いたよりも、何を書いたかが重要である」と作品やその歴史背景を研究する。

 両学会、ならびに他分野からも爪はじきにされ、存在そのものにはあまり注目されず、いつの世も作品を通してしか世間に見られない存在。


 それが文士である。


 そして三衣もまた文士であり、彼は自らのことを三文文士と自称している。本稿で記されるのは、文士としての三衣の生態である。




   ○   ○   ○



 三衣は一つ、大あくびをした。

 冬の朝。しんと冷える六畳間には暖房器具は存在せず、彼は自ら六畳間に持ち込んだ毛布にくるまって文机に向かっていた。


 彼は今、文を書いている。ここしばらくは鍋を極めようとする男の話にかかりきりで、季節物の短編執筆や他のユーザーとの交流も減少している傾向にある。


 この六畳間は天狗と無益な議論をするだけではなく、彼が文を書く際にも使われる。今年の初めに買った新しい辞書を文机の隅に置きながら作業を進めていた彼はふとその手を止めた。


「書道用の筆の種類、どっかに纏めた気がするのう」


 訳の分からないことを言いながら毛布にくるまったままで彼は書棚の前に向かう。書き溜めてある備忘録の中から目当てのものを見つけ、それらを見直しながらそれぞれの筆の特徴や用途をぷつぷつと呟き、また文机に戻ってきた。そして納得したように一つ頷き、"淀みのない仕草で書を一気に仕上げた"と文を書く。


 一方、天狗仮面はその様子を同じ部屋で眺めていた。彼はいつもと変わらぬ紺色のジャージを着て、唐草模様の外套をつけている。顔につけた天狗面越しに、「何をしているのであるか」と尋ねた。尋ねざるを得なかった。


「あん?」


 三衣が手を止めて天狗仮面を見る。


「どう見ても文を書いとるようにしか見えんやろう。

 食事しとるように見えるか?」


「それは分かっている。

 私が問うたのは、お主の先ほどの行動の真意である」


「……んー?別に変なことしとらんやろ?」


「なぜ、"書を仕上げた"という文を書くにあたって

 筆の種類を確認する必要があるのであるか」


「え、要るやろ」


 三衣は文を書くにあたって、非常にややこしい方法をとることで知られている。書く話を決めた後に、その話を分解し、登場する人物それぞれの視点で話を書いていく。その後、再び文を組み立てて必要な部分、重点を置きたい部分を吟味し、物語として作り上げていくのである。その経過において、用意した文のほとんどは削られていく。


 今回の場合であれば、登場人物がどのような筆を使い、どのような書を書いたのかをイメージした上で、"書を仕上げた"とするのが彼の無益なこだわりなのである。そうすることで、使う言葉や文を吟味し、より自分の思う物語へと近づけることができると彼は公言している。


 この作業を行うことを、『文士の吊り天秤にかける』と三衣は呼んでいる。


「文を書くのにそれほどまでに迂遠な思考が必要であろうか」


「文士たるもの、その辺の矜持は捨てられるもんやないからなあ」


「ふむ。時に三衣よ」


「なんや、天狗よ」


「お主は文士であると自らのたまうが、文士とは何であるか。

 作家や小説家、物書き等、ほかにもいくらでも呼称はあろう」


「んー、順を追って説明しよか。

 前提として、師業と士業の違いからやな」


「そこまで大層なものでもないと思うのであるが……」


「まあまあ、聞いていけい。

 ちょっと小説が行き詰って気分転換したかったんや」


「体のいい暇つぶしではないか」


「ええからええから」


 そういって三衣は文机の上の小説道具を片付け、紙束とペンを出してきて、そのノック式のペンをカチカチとやりながら話し出した。




   ○   ○   ○




 師業とは、医師、看護師、教師などの職を指す。

 士業とは、弁護士、会計士、司法書士などがある。


「で、師業と士業の違いなんやけども」


「そこまでは求めておらぬというに」


「まあまあ」


 三衣は天狗仮面の態度をよそに、己の持つ知識を並べ立てる。


 大きく分けて、非常に大きく分けてではあるが、教え、導く立場にあることに重きを置くのが師業であり、特別な技能を有することに重きを置くのが士業であると区分されている。

 しかし、新しい社会の制度、新たな倫理観から生まれる職種なども多くあり、全てがこの区分にあてはまるとは一概には言えない。


「それを踏まえて、持論をとうやないの」


 三衣は立ち上がり、こほん、と一つ咳ばらいをしてから深く息を吸い込んだ。




 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐(キリトリ、ココから)‐‐‐‐‐‐‐‐   




 ――後世に伝えるべきものは師業、深く探求し己の糧にするのが士業。

 乱暴に言うたら、"誰かのために、後の世のために"を一番に考えるのが師であり、"自分の成長"を優先するのが士やと言うてもええ。せやから俺は自分の事を文士と名乗るんや。

 

 ほな、その境目はどこにあるか。師業と士業の境目はどこか。

 これは社会の大きな倫理観に決定されると言うても過言やあらへん。後の世に教え伝えていく必要があると社会に認められた時、師業は師業たり得る。


 倫理観。社会にとってこうするべき、ああするべきと言った不確定要素を持った社会的通念やわな。

 アリストテレスは言うた。人は社会的動物であると。本能として、社会を形成して規範を創り出すのが人であると。


 文を書くとは如何なる事か。文とは、表現であり、内面であり、また理想であり、絵空事である。画家はカンバスと色彩で描き出す。文士はそれを言葉で行使する。

 一種の芸術として文を捉えるならば、芸術とは倫理の外にある存在であり、それゆえ真に文を追及せんと欲すならば倫理の外を見なければならぬ。そびえる倫理の壁に穴をあけ、生涯で身に付けてきた常識、偏見、固執、妄執の一切を捨て、己が身一つで真理の荒野へと歩み出さねばならぬ。

 真の芸術に師はいらぬ。真理は教えを乞うて得るものではなく、自らで探し求めてこそ価値があるからである。


 ……とまあ、そんな求道的な姿勢が俺にあるはずがない。そういうのは文学者に任せる。俺は文学者になりたいんやなくて文が書きたい。

 

 自分が面白いと思う文を書いて、世に送り出す。それがミツイとしての、文士としての責務や。

 世の中には、三人は自分に似た人間がおると世間は言うとる。ほな、少なくともその三人には面白さが伝わる。それでええ。もしも多くの人に伝わるようなことがあれば、それは幸運や。


 文を読むのも、映画を見るのも、世のあれこれを見て学ぶのも、すべては自分の文のため。面白い文を書くためにのみ、文士としてミツイは存在する。




 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐(キリトリ、ココまで)‐‐‐‐‐‐‐‐ 


※キリトリ内を読み飛ばしても内容の理解には支障ありません。




   ○   ○   ○




 長々と、非常に長々と三衣は一説を講じた。

 身振り手振りを交えて熱を込めて語った証拠に、額にはじわりと汗が滲んでいる。


「以上ッ! これより質疑応答の時間にしよか」


「……む。終わったのであるか」


 腕組みをして胡坐をかき、微動だにしていなかった天狗仮面は、三衣が腰を降ろしたのを見て大きく伸びをした。


「聞けやぁ! 俺の渾身の暇つぶしを」


「聞かずともおおよそ分かるのである。

 三衣よ。お主はもう少し他に迎合せよ」


「俺は自分には嘘は吐かん」


「職業:嘘吐きとまで言われているではないか」


「古来より、文を書くことは嘘を組み立てることと同義や。

 日本の島々を産み落とした兄妹は実在せんし、

 天地創造を六日で行って一日休んだ存在もおらん。

 竜宮城も鬼ヶ島もM78星雲の光の国もないッ!」


 三衣は右の拳を固く握り締めた。


「しかしそれらは"ある"。

 なぜなら、"知られている"からや。

 これが言葉の力であり、嘘の持つ可能性や」


 いつでも三衣はこうして嘘を並べて世界をつくり、削ぎ落としては文にする。文士の吊り天秤にかけられた言葉たちはこの六畳間の書棚に備忘録として並んでいる。




   ○   ○   ○




 先だって述べたように文士の生態は様々である。三衣のようにどろりとした形態と文を持つ種もあれば、非常に爽やかで気味の良い姿と文を持つ種もある。

 三衣はどう転んでも後者にはなれぬが、それなりになかなかどうして自分の文士としての姿を気に入っているらしい。


 そして文士とは、条件が折り合えば進化する生き物なのである。これも序文で述べたことであるが、文士は進化を経て文豪と成る。

 三衣という文士はいつの日か進化の日の目を見ることが出来るのか。それは三衣には分からないことであるし、そしておおよそ誰にも分からないことである。

 芋虫が進化するためには、様々な条件が必要である。多量の栄養。適切な環境。それらは文士にも言える。多量の経験。適切な環境。ただ違うのは、進化には運が大きく絡む点である。進化の土壌に必要なのは第三者の存在であるからだ。

 自分ではない他の存在に認識され、共感を多く得られたものが進化の権利を得る。この点から見れば、第三者の視点を考えずに文を書く三衣の進化は遠いものであることだろう。

 しかしそれとて、たった一つの要因の重要性には及ぶべくもない。そのたった一つの要因の前では、経験も環境も第三者もさして重要なことではないのだ。


 『進化をする意思があるかどうか』


 これこそが、文士を文士たらしめる最低条件だと三衣は言う。


 では当の三衣は一時たりともその意思を忘れたことがないのか。答えは否である。それが出来ていれば、三衣はとうに文豪へと進化をしているに違いない。


 友人たちと酒を酌み交わす時には一介の呑ん兵衛となり、布団に入ればただの寝太郎となる。つまりは、そういった文士としての純度の低さが今を招いているのである。

 それを自認しているからこそ、彼は三文文士と自ら名乗るのだ。


 最後に、文士以外の同種の生き物として、作家や小説家、物書きなどが挙げられるがこれらについても同様に深い研究はなされていない。

 ただ、文士とそれらは共通項を多く持つ生態をしているであろうことは想像に難くないので、自らをそういった種の生き物だと感じるならば、この三文文士の生態が何かしらの役に立つかもしれない。立たぬかもしれない。役に立てば幸いである。そう淡い期待をしながら、筆者としては筆をおくものとする。


 


 

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