五、バナナの皮を食べるとポジティブになる
バナナ三部作、三つめ。
ついに結論を出す時が!
六畳間には重厚な雰囲気が広がっている。小豆色の座布団に座った三衣は同じように文机の向かいで座布団に座っている天狗仮面と正面切って真剣な眼差しで見つめあっている。文机の上にはハーフタイプの白いヘルメットと、ハリセンが一つ。
静寂に包まれていた場の空気が徐々に張りつめ、それが最高潮に達したその一瞬。
「じゃんけん」
「ほいッ」
三衣は高まった思いを発散させるように五指を限界まで開き、逆に天狗仮面は己の頑なな意思を内に秘めるように拳を握り込んだ。
「もろたぁッ!」「させぬッ!」
三衣の右手がハリセンに伸び、得物を掴んだ勢いでそのままそれを上に振り上げる。対して天狗仮面は白のハーフヘルメットを引き寄せて頭に被ろうとした。
しかし、天狗の面から突き出た鼻に阻害されヘルメットは落下した。
「已む無し!」
天狗仮面が迫りくるハリセンを睨みつけ、天狗面の額でそれを正面切って受け止めて見せた。
六畳間に響く、一撃の音。
その数瞬後に、天狗仮面の高笑いが響いた。
「受けきったのである!」
「そういうゲームちゃうから!
だいたいお前、天狗面はズルいやろうが!」
宴会の余興などでよくあるじゃんけんを使ったゲームに二人は興じていた。彼らは何のためにわざわざハリセンとヘルメットを持ち出してきたのだろうか。
二人は言う。これは今回の議論の為に欠かせない必要な作業なのだと。
○ ○ ○
――バナナはおやつに入りますか。
遠足前の児童から飛び出す定型文の一つであったセリフである。今や一種のジョークとして扱われてすらいるものであるが、そもそも、いつから言われ出したのだろう。どのような背景がその言葉に込められていると言うのだろう。三衣と天狗仮面はバナナとおやつの両サイドから議論を始めて、ようやくその格言にまでたどり着いた。
彼らの知り得た情報は、『バナナは野菜であるが、別に果物でも支障はなし。バナナはバナナであるから』というものと、『おやつは畏まった食事以外の軽い食事』という二つの真理であった。
それらを言葉の上でだけ考えるのであれば、畏まった場で食べるバナナはおやつに入れてはいけないし、気軽に食べるのであれば遠慮なくおやつに入れていいである。
それだけで終わっては、積み重なる歴史の上でこの問題に取り組んできた先人達に申し訳が立たぬ。まだ深く、もっと険しくこの問題に向き合えるはずである。二人はそう考えた。
例によって、言葉の歴史から紐解いていくことにした二人は、このセリフがおよそ1950年代から60年代、つまり戦後に出回り始めた言葉だという事を知った。
以前の項で述べたが、バナナが初めて輸入されたのは世界大戦よりも少し前、明治の頃である。そして大正を越え、昭和の初期にはバナナの輸入量は戦前最高と呼べるレベルにまで増大する。
そして起こる日中戦争。そこから日本は二度の世界大戦を経て焦土と化す。これらの戦時はバナナ等の生鮮品輸入が厳しく、保存食、携行食としての干しバナナとなっていった。戦後もしばらくの間は一般流通をすることなく、闇市で取引されたり、戦後の外貨不足による輸入制限のために抽選での販売を行ったりと、当時のバナナはとても貴重な品物であった。
この頃に輸入が行われていたのは主に台湾バナナであり、現在の主流であるフィリピンバナナと比べると台湾バナナは小ぶりで甘みが強い品種である。
1952年に日本が主権を回復し、バナナの輸入自由化が安定するのが1965年。この戦後の混沌期の中で、高価なバナナと共に広く知られていくようになったのが、件のセリフなのである。
そういった時代背景から考えると、セリフが持つ意味を想像することが出来る。
――僕は、大変貴重な台湾バナナを食することの出来る人種である。しかも、弁当に一切れだけ入れるような卑しいものではない。1房だ!これを丸々と持ってくることが出来るのだ!手で皮を剥いて食べるならば、これはおやつに入れてよろしいか?よろしいな?
平伏せ、慄け、僕はバナナを持つ人間である。持たぬものよ、バナナの幻想にのたうつのだ!
とまあ、このような主旨の言葉であったに違いない。戦後にも三衣のような捻くれた人間がいたようである。
しかしこのセリフ、高度経済成長期にはまた違った顔を見せる。
その頃のバナナといえば、すでに大衆が気軽に食べられるものへと変化していた。
国全体が豊かになり、貨幣の流通量も多くなってくる。すると先に述べたようなバナナの希少性は失われる。この時点で全国各地のお子様たちが気になるのは、駄菓子の存在である。えんそくのおやつと言えば上限金額が決められているのが常であった。バナナがおやつにカテゴライズされてしまっては、買いたい駄菓子が買えなくなってしまう。
サイコロキャラメルやどんぐり飴、コーラガムの占有地を減らしてしまうことは実に由々しき問題であったに違いない。
――バナナなんぞ、デザート扱いでいいではないか。黄色くて甘いことは認めるが、駄菓子の魅力にかなう物でもない。頼むからしたり顔でおやつの座に居座ることをやめてはもらえぬだろうか。
時代はガム、チョコ、キャンディだ!酢こんぶでもよい。果物はおとなしく弁当箱の隅に帰るがいい!
このように気炎を上げる児童が、バナナはデザート運動を起こしたであろうことは想像に難くない。
○ ○ ○
「ほな、今の時代ではどう捉えたらええと思う?」
息を切らしながら三衣が言う。どうやら、遊びは区切りになったようである。一つも息を切らしていない天狗仮面はあごに手を当てて「ふむ」と呟いた。
「もはや形式しか残っておらぬ気はするのである。
言葉に意味はなく、その言葉を発することこそが一つの儀式であるのだ」
「まあ、定番のギャグみたいなもんやしのう。
理屈で、どこが面白いか考えるもんでもないわなあ」
意味は廃れ、抜け殻となったセリフは、もはや元の意味を欠片ほども残さないただの文字へとなり果てているのだ。
芸人のギャグと同じようなもので、何が面白いのか、どこがどう面白いのかは考えてはいけないのである。ただふとその場を和ませたり、空気を変じることができれば十分にその役割を果たしていると言っていい。
「しっかし、そう考えると難しいのう。
ギャグを使いこなすにはセンスがいると思うんやけど」
「そうであるな。いつ、いかなる状態でも通じる狂言はないのである」
「天狗よ、天狗よ。ギャグの事を狂言っちゅうのはどうかと思うで」
「仔細を気にしてはいかんのである。
横文字はどうにも言い慣れておらぬのでな」
「ほなまあ、気にせんといたろ。
よっしゃ、ほな準備もできたし、初めてみよか」
そう言うと三衣は立ち上がり、六畳間の壁際へと歩みを進めた。天狗仮面は変わらず文机に座ったままである。
ぱん、と一つ手を打って三衣は声のトーンを上げた。
「ショートコントぉ、"おやつ"」
「待つのである」天狗仮面がすぐさま口を挟む。
「何で止めるんや」
「何故いきなり小芝居が始まるのであるか」
やれやれと言ったように首を振り、三衣は天狗に言う。
「ここん所、色々議論をしたわな?
バナナについて、おやつについて」
「うむ」
「考えに考えた訳や。
んで、時代によって意味が変わってくる所まで分かった」
「その通りである」
「現代におけるバナナとおやつの関係性は、誰もが見たことのない未踏の地や。
バナナとおやつが睦言を並べ立てる桃源郷を目指すならばッ!」
「いや、目指しておらん」
「これはもう、ロールプレイするしかあらへん。
俺が先生役、天狗は生徒役な」
「話がまったく通じぬ……」
「お前さん、俺が話の通じる相手やとでも思っとったんか?」
さも当然のように言い放たれるセリフに、天狗仮面はあきらめたように首を振った。
「お主は一体何を目指しているのであるか」
「自分でも分からんッ」
こうして天狗仮面はしぶしぶ、よく分からない小芝居に巻き込まれることになった。
○ ○ ○
「はい、ショートコントぉ、"おやつ"」
「教師殿!バナナはおやつに入るのであろうか」
「おう、入るぞー。天狗君。
ちゃんと税込みで300円までだぞー」
「し、しかし高地栽培されたものは一房500円ほどである!
おやつにバナナを食すなと言うのであるか!横暴である!」
「何で最高級品一択やねん!
安売りのヤツでええやろが!」
「良いものを食いたいではないか」
「スウィーティオ・スカイランドは二十歳になってから!
もっと庶民的な感覚で!やり直し!」
「あいわかった」
○ ○ ○
「教師殿、バナナはおやつに入るのであろうか」
「おう、入るぞー。天狗君。
ちゃんと税込みで300円までだぞー」
「弁当箱に入っている場合はどうなるのであろうか」
「そりゃまあ、デザートだな」
「ではチョコバナナが"でざぁと"に入っている場合は如何せん」
「弁当として持ってくる以上、そいつはデザートの一部や。
アーモンドチョコレート弁当を俺は全面的に支持する!」
ってコラ。誰が屁理屈こねろ言うたんや。一般論でいこう」
「一般論であるか」
「そ。やり直し」
○ ○ ○
「教師殿。バナナはおやつに入るのであろうか」
「おう、入るぞー。天狗君。
ちゃんと税込みで300円までだぞー」
「さ、300円もあれば闇市に行けば
たらふくバナナが買えるではないか。
教師殿、そこまでは食いきれぬのである」
「戦後か!
現代社会の話をしてくれい」
「2000年以降であるか」
「分かってるんやったらやってくれ。
それでやり直し!」
○ ○ ○
「教師殿!バナナはおやつに入るのであろうか」
「おう、入るぞー。天狗君。
ちゃんと税込みで300円までだぞー」
「しかし教師殿。バナナは野菜である。
野菜をおやつにするのはいかがなものか」
「お、天狗君は物知りだね。
バナナは確かに野菜の仲間だね。
でもね、天狗君。これだけは覚えておいて欲しい」
「うむ」
「バナナはね、みんなの心の中にあるんだよ……!」
「……」
「……ツッコめやぁ!」
「それは、あまりにも無茶振りであろう」
「拾えやぁ!関西人やったら!」
「私は一介の天狗である。
関西人はお主だけであろう」
「正論か!もうええわ!
解散や解散!はい撤収!てっしゅー!」
「いつ、私とお主が組んだのだ。
組む前に解散とはなかなかに離れ業であるな」
○ ○ ○
ひとしきり小芝居をした後、三衣はどっかと小豆色の座布団に座り直し、再び天狗仮面と差し向かいの状態になった。
「よし、そろそろええ時間やろ」
「うむ。順調に段取りをこなしているのである」
二人が行っていた事。それは遠足のおやつを再現することであった。六畳間の中でしか話し合いは行われないため、バスにのったり電車に乗ったりということは適わなかったができるだけ"遠足のおやつ"を食べる状況に近づけようと画策した末の行動であった。
机の上には『六畳遠足のしおり』と書かれた小さなメモ紙が置かれており、そこには議論のタイムテーブルやレクリエーションの内容が書かれていた。
冒頭のじゃんけんゲームも、妙な小芝居も、全てプログラムに書かれている内容である。しおりには、次はおやつの時間だと記されている。
「ほな、お待ちかねのおやつの時間や。
バナナは?」
「しかと用意してあるのである」
そう言って天狗仮面が手を伸ばしふすまを開けると、籠に入ったバナナが二本。わざわざこのためだけに買った近所のスーパーで安売りされていたものである。
「何事も経験あるのみ。さ、食おう」
籠を引き寄せ文机の上に乗せた三衣はおもむろにバナナを取り、手で剥いて食べ始めた。
「あれ、スウィーティオ・スカイランドちゃうの?」
「庶民の感覚でと言ったのはお主であろう」
天狗仮面も、器用に面をずらして隙間からバナナを食べている。ちないに、スウィーティオ・スカイランドとはバナナの銘柄の一つであり、甘みの強い高級種である。
「実際に食べてみたものの、動いた後に食うとあれやね。
ちょっと甘さがしつこい気がするのう」
「そうであるか?気になりはせぬが……」
「そら、お前さんは動いとらんもの」
「なるほど」
これで全ての要素は揃った。
バナナとは何か。おやつとは何かを精査し、遠足のロールプレイも行った。バナナも食べた。その上で今こそ結論を導き出さなければならない。
「はっきり分かった。
いや、実は話題に出す前から分かってた事なんやけども。
しっかり再確認した」
「ほう。して、結論は」
「バナナはおやつに入れてええわ。
こと、遠足のおやつにっちゅう点では満点やな」
遠足は、誰もが楽しみにするイベントである。そして、普段の生活と離れた行動をとることは大きく体に負担をかける。これは脳科学の面で定論とされているものである。
しかし、イベント中は体はさほど疲れを感じることは無い。気分が高揚している時は脳内でエンドルフィンが分泌され疲れを感じない状態になっているからである。
それでも体は着実に疲れていく。児童ともなればなおさら気持ちが前に出てきて体からの疲れのサインなど感じないかのように動き回る。そこでおやつの出番なのである。バテないようにと配慮されたプログラムの一環。それが遠足におけるおやつなのである。
なので、バナナは栄養価の面から見ても食べやすさと言う点から見ても優良なおやつなのだ。
三衣は食べ終わったバナナの皮を籠に投げ入れた。
「しかし、目的や意義を持たせてしまうならば、
それはおやつとは呼べぬのではないか?」
「おやつの定義からは離れるのう。
アレやろ。おやつの定義からは外れてまうけど、
それに"おやつ"と名付けただけやろ」
「なんとも分かりにくいのである」
「そうか?
世のおかんがゲーム機全般の事を"ファミコン"言うのと一緒やろ」
「おやつではないはずの時間を"おやつの時間"と
呼んでいるというのであるな」
「そういうこっちゃな」
三衣は大きく伸びをした。
長きに渡って考えてきた論題に、ようやく結論をつけることができたからである。
『バナナは、遠足ではおやつに入れてよし。
もちろん、入れなくてもよし』
大した論題でなかったことは言うまでもない。
しかしそれはそれでいいのだ。考えに考えることこそが彼に満足感を与えるのだから。
さらりと書かれたメモ紙を三衣は書棚にしまい込んだ。
○ ○ ○
「次はどうしようかのう」
「妖怪と怪物の違いはどうであろうか」
「調べることが多そうやから却下。
今回のバナナで懲りた。アホほど資料あったからなあ」
「ではどうするのだ」
ふむん、とあごに手をあてて三衣は考えた。そして特に話したい内容も見つからないことに気が付いた。
「新聞でも見て決めるわ。
そこらへんに話題なんぞ転がっとるやろ」
「では、次回内容は未定であるな」
そういうこともあるだろう。
面白そうな話題があれば、すぐにでも三衣は六畳間に戻ってくるに違いない。
彼から考えることを奪ってしまうと、何も残らないのだから。
大きくあくびをしながら六畳間を去っていく三衣を見て、天狗仮面はまるで遠足帰りの児童のようだと思ったが、余計な事を言うと議論が長引くので敢えて何も言わなかった。