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三、学名:Musa 古名:実芭蕉 通称:バナナ

バナナはおやつに入るか否か。

ミツイなりの私見を三部にわたってお届けです。

 無益なものは、時に何よりも輝いて見えることがある。

 また、無益なことは、時に何よりも魅力的である。


 なぜか。

 諸説あるが、多くの説では"楽しいから"という点で共通している。楽しみと有益性の有無に相関はないというのが、ここ最近の研究の結果から導き出されているトレンドである。

 読者諸賢にも経験があるだろう。


 幼少の頃に、積み木をどこまで積み上げられるかに没頭したり、折り紙で延々と紙飛行機を折り黙々とそれを飛ばしたり。または何かのおまけに付いてくるような小物を全種類そろえるために製品を山のように購入したり。

 幼いころに限らず、それなりの大人と呼ばれる年齢になっても無益を愛する心を持つ人は多い。例えば、いつもの朝食のパンとコーヒーを、ちょっとお洒落な店で買ったスコーンと少し良い茶葉で入れた紅茶に変える。また例えば、ネットでも買える各地の名産品をわざわざその土地まで行って購入する。


 それらは全て、大きな枠で捉えて無益と呼ばれるものであり、これらの行動に万人が納得できるような理由をつけることは出来ない。

 ある程度は合理的な解釈が可能であったり、同好の志が多く存在する類のものであれば共感を得やすくなるだろう。


 だが違うのだ。

 無益を愛する人たちの根っこの部分は、つまるところ、端的に言ってしまえば"楽しいから"やっているのだ。何が楽しいのかを聞くほど無粋なことはない。なぜならば、"楽しいから楽しい"というトートロジーしか返ってこないのだから。





   ○   ○   ○




 三衣は無益を愛する人間である。それも、筋金入りの。

 それゆえに、有益な存在を唾棄すべきものとして憎んでいる節がある。


 今日も二人は無益なことについて延々と論を打っていた。

 バナナはおやつに入るかどうか。これを大真面目に話し合おうと言うのだ。無益以外の何物でもない。


「さて、あれこれ調べてみたんやけども」


「調べるほどのことであろうか」


「全力を出さなバナナに失礼やろがい。

 しかしながら……」


 三衣はあごに手をあてて、ふむん、と一つ息を吐いた。


「少しばかり、専門性が高すぎてのう」


「たかがバナナとおやつであろう」


「それがそうでも無かった。

 とりあえず、バナナについて論じるところから始めよか」


「異な事を言う。バナナはバナナではないか」


「バナナはバナナや。

 しかしながら! 聞いておどろけ。バナナは野菜や」


「果物であろう。なんでも出鱈目に言えば良いというものではないぞ」


「いや、野菜なんやて。せやけど、果物でもある」


 天狗仮面が怪訝そうな顔をした。仮面越しで三衣には見えていないが、発せられる雰囲気だけで十分にそれを察することができる。

 それを受けて、三衣は満足そうに言葉を続けた。


「な? 単純ちゃうやろ?重ね合わせや。シュレディンガーのバナナや!

 これはもう、専門家を呼ぼう。手に負えん」


「餅は餅屋であるか」


 三衣にしろ、天狗仮面にしろ、門外漢である話題に関しては議論のしようがない。手さぐりであれこれ調べはするが、どこまでいっても生兵法である。

 三衣は石橋を叩いて渡るような人間である。時には叩きすぎて石橋が壊れることもあるが、そうなってしまったら彼は「これは渡るべき橋ではなかった」と平然と言ってのける。


 では、調べても分からない時はどうするか。

 人に聞いてしまえばいいのである。時に外部から招くこの専門家たちのことを、三衣と天狗仮面は親しみを込めて"餅屋"と呼んでいる。


 ようやくここにきてタイトルの全容が明らかにされることとなった。普通、一話目でやることである。


「うむ。農林水産省にメールを送った。

 "バナナは野菜ですか、それとも果物ですか"と」


「行動力のある阿呆ほど恐ろしいものはないのである」


「よせよせ。褒めるな。

 そろそろ到着するはずなんやけど……」


「褒めておらんと言うに」


 天狗仮面が一つため息をつく。いそいそと三衣が座布団を用意し、"餅屋"の到着を心待ちにしていると、控えめにふすまが開き、スーツ姿の男性が姿を現した。

 三衣がにこやかに声をかける。


「お待ちしとりました!

 さ、どうぞどうぞ」


「あ、どうも。

 はい、どうも」


 彼は農林水産省に務める男であり、三衣からの不躾なメールを受け取ってしまった人でもあった。

 彼は六畳間に入るなり、天狗の面をつけた不審者の存在に身をすくませた。


 不安にさせてはいけないと天狗仮面は立ち上がり挨拶をする。それが逆効果であるとは微塵も思っていない。


「我が名は天狗仮面。

 見ての通り、一介の天狗である」


「あ、はい。

 あ、どうも。木戸です。どうも」


 おっかなびっくり木戸氏は挨拶を返し、三衣に勧められるままに小豆色の座布団に腰を降ろした。


「ほな、木戸さん。

 改めて、バナナは野菜か果物かお答えいただきたいんですわ」


 そう勧められて、木戸氏は一つ咳ばらいをしてから話し出した。




   ○   ○   ○




 農林水産省の定めるところによれば、野菜か果樹かを区別するための基準は大まかに決められているらしい。


 簡単に言ってしまえば、草に実るものを野菜。木に成るものを果樹とするのだそうだ。

 しかしここで、一般的な認識とのズレが生じる。イチゴやメロンなど蔓に生るものは野菜だとカテゴライズされてしまう。

 ちなみに、草と木の違いは年輪が出来るかどうかである。


「三衣よ。やはりお主は阿呆である。

 バナナは木に生る。やはり果物ではないか」


「と、思うやん?思うやんな?

 木戸センセ、言うたってください」


 なぜか不満そうな顔をする三衣が、木戸氏に先を促す。


「あ、はい、どうも。

 誤解されがちですが、あれは木ではなく大きな草です」


「しかし"バナナの木"と言うではないか」


「あ、はい。でも草なんです」


「そらまあ、見た目は木に見えるわなあ。

 せやけど、植物学上での分類は草本。

 幹に見える部分は茎なんやて」


 三衣もそうは言うが、どことなく納得のいっていない顔をしている。今までの常識が覆されたとき、すんなりと受け入れる器の広さを持つものもいれば、三衣のようにしばらく不条理を引きずるものもいる。


 木戸氏はそんな二人を見ながら、まあまあと両者に声をかけた。


「あの、ですね。確かに世間一般的には果物なんです。

 ですので、当方では"果実的野菜"として扱っています」


 天狗仮面が「果実的野菜……」と復唱し、世の中にはまだまだ分からないこともあるものだと一つため息をついた。

 輸出や輸入の中では野菜として扱い、国内の流通では果物として扱うというのだ。統計をとるためには必要な措置なのだと言う。


 しかし三衣は大人しく引き下がらなかった。大人になれない三衣のワガママを一つ聞いて欲しかったのだ。

 木戸氏の目前に座りなおし、文机をぺちぺちと叩いて論を始めたのである。


「いや実はそこなんですわ。

 その、"果実的野菜"っちゅうヤツ」


 ネットが普及したこのご時勢において、大概の事は調べて大筋を知ることができる。

 三衣もまた、あれこれを調べに調べていた。たかがバナナの事を躍起になって調べるとは、阿呆の権化である。もっと実生活に役立つものを調べればよいのに。

 しかし、三衣はどこまでいっても三衣なのだ。無益を壊れるほど愛しても三分の一も周りにその熱意が伝わらない。そんな偏屈な男が三衣なのだから、これはもう、しょうがない。


「あ、はい。

 と、申しますと?」


「堂々と野菜やと言うたらええやないですか。

 誰に遠慮しとるんですかホンマ」


 三衣はそういって憤慨したが、これは成り行き、流れの上で仕方の無いことかも知れないと木戸氏は言った。「私見になりますが……」との前置きをした上で氏が語ったところに寄れば、農林水産省の前身である農商務省ができたのが明治14年。

 日本にバナナがはじめてやってきたのが明治36年の春。しかしながら、この頃は省を通しての輸出入ではなく、個人の商人による買い付け貿易が主であったという。


「つまり、個人の認識が先にできてしもた訳ですな」


「はい。そうなんです」


「一度ついたイメージはしつこく残るものであるからな」


「まあ、正直なところ果物であろうが野菜であろうが

 美味かったらそれでええからなあ。別に困らんし」


「あ、はい。ですよね。

 しかし、分類上は困りますので」


 ここに、日本人らしさがよく現れていると三衣は感じた。

 "バナナは植物学上は野菜である。よって流通も野菜で無ければならない。"そういった主義、主張がでない点は、非常に日本人らしい特徴ではないだろうか。

 他を受け入れ、"まあこれでいいや"としてしまう緩やかな風土が三衣は好きである。


 つまるところ、そういった余裕を持つ心持ちが、無益を楽しむ心の大元にあるのではないか。

 それでいて、どこかしらで折り合いをつけてうまい具合を計ろうとするのも、非常に"らしい"と三衣は考えている。




   ○   ○   ○




 木戸氏に聞きたいことをあれこれ聞いた三衣は非常にご満悦であった。

 

「ほな、センセを見送ってくるわ。

 今回の議題、うまいことまとめといてくれい」


「あいわかった。

 木戸殿。此度は大変世話になったのである」


「あ、はい。どうも、はい。

 お役に立てて何よりです」


 木戸氏が天狗仮面を見る目は変わらず不審者を見るそれであったが、実害がないと判断したのか、穏やかに返事を返して三衣と共に六畳間を後にした。


 二人を見送り、天狗仮面はふむ、と一つうなる。


「バナナは野菜である、か。

 そう極論に走るものでもあるまい」


 我々にとって、バナナが野菜であれ果物であれそう大差はないのではないだろうか。バナナはバナナなのだ。それは昔から今まで一度も変わることのない不変の事実である。


 天狗仮面は、今回はバナナについてだけしか話をしていないことに気が付いた。おやつの要素はどこへいったのだろうか。しばしの間考えを巡らせた後、三衣は次回でおやつについて論じ、その先でバナナとおやつの歴史を論じるつもりなのだろうと得心した。


 文机の上のメモに一文だけ記して、天狗仮面は六畳間を去った。


 ――『バナナは、バナナであり、つまりバナナである』


 メモには、そう記されていた。

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