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二、与式:『フィクション ∈ 人生』

 前回の対話から数日。文机と書棚しかない六畳間で、あぐらをかいて座りながら天狗仮面は考えていた。前回の終わりに三衣から出された問い、"フィクションとノンフィクションの境目について"の事である。

 三衣のことなので、どうせ屁理屈をこねくりまわすに決まっているのだ。目には目を、屁理屈には屁理屈を。やられる前にやってしまえとばかりに天狗仮面はフィクションの定義を調べ、そしてそれを元にして三衣を凹ませるための屁理屈を練り上げていた。


「どうせ、奴のことである。

 境目など無いと言い張るに違いあるまい」


 天狗仮面が書棚の資料から調べたフィクションの定義は『虚構』であり、また『事実でない事を事実らしく作り上げること』であった。

 ノンフィクションとは、言葉の面でとらえるならば『虚構ではないもの」を指す。彼は考えた。そして一つの結論を出し、呟く。


「何を以てして虚構とするか、その一点が争点であるな」


 果たして、天狗仮面と三衣の弁論対決はどうなるのだろうか。




   ○   ○   ○




 ふすまが勢いよく開き、すぱぁんと小気味良い音を立てる。

 三衣が六畳間に入ってきたのだ。


「さて天狗よ。

 今日も楽しく論じようやないか」


「うむ。結論から言うのである。

 ノンフィクションとは、フィクションのある一部分である」


 三衣が口の端を上げ、文机に座る。

 置いてあったペンをかちかちと鳴らし、彼は応えた。


「つまり、部分集合やと言いたいんやな?」


 そういって紙に大きな丸を書いて横に"フィクション"と記した。さらに円の中に小さめの円を書き、小円の傍らには"ノンフィクション"と書いた。オイラー図である。三衣は理系出身の男であるので、自らが理解するためによくこうして数学を持ち出す。

 さらに下に"nonfiction⊆fiction"と式で記した。


「論拠を聞こうやないの。

 一般的にはフィクションとノンフィクションは対義語ぞ?」


「いいや、否である。

 肯定と否定は必ずしも対にはならぬ。例を示そう」


「おお、ばっちこい」


 天狗仮面は紙に一つ三衣を真似るように丸を書いた。


「これは、円である」


 そして、横に四角を書いた。


「これは円ではない」


「はあん、なるほど」


 確かに、円形と四角形は対の存在であるとはいえない。円形と、円形でないものを対にした時に、必ずしも全体集合と同値であるとは限らないのだ。

 三衣は頷き、「異論あらへん」と言った。


 それを受けて、さらに天狗仮面は続ける。


「では、話をフィクションとノンフィクションに戻すのである」


 フィクションとは何か。それは虚構であり、ノンフィクションとは虚構でないものである、と天狗仮面は調べた定義を示し、その上でこう付け加えた。


「虚構とは何か。前回同様、これも捉え方が個人によって違うものである」


「一理ある」


 例えばサンタクロースを心から信じる者にとって、サンタクロースは虚構の存在などではないのである。


「お主に問う。私は虚構であるか?」


 天狗仮面は問う。一般的に言えば彼は虚構であるだろう。三衣の書く文の中にのみ存在する一介のキャラクタなのだから。

 三衣は答えた。


「いいや。事実、天狗は今、目の前におる。

 紺色のジャージ着て、マントつけてな。

 せやけど、それを第三者に証明する術はあらへん」


 一つ頷き、なおも続ける。


「虚構かと問われれば、お前さんは虚構や。

 しかしながら、実在する。これは矛盾せん」


「それが私の示す論拠である。

 虚構かどうかは個人がそれぞれ決めれば良いのである」


 つまるところ、全体集合としてすべての事柄はフィクションである可能性を秘めている。そして、大多数のものが虚構ではないと相対的に認めたものがノンフィクション、つまり事実であると付け加えて、天狗仮面は論を括った。


「裁量は個人に依る。多くの人に事実と認められたフィクションこそが、

 ノンフィクション足り得る、っちゅうこっちゃな」


「左様。事実とは、必ずしも一つではない。

 真実もまた、人の数だけ存在するのである」


「お前さんはあれか。

 見た目は子供で頭脳は大人な名探偵を敵に回すつもりか」


「何を言う。よそはよそ、うちはうちである。

 東の名探偵に異論を吹っ掛けたつもりはないのである」


 そこまで言って、二人は笑った。




   ○   ○   ○




「立派な詭弁やった。

 納得することにしといたるわい」


「うむ、私の勝ちであるな。

 して、お主はどのように論じるのだ」


「大筋は変わらんのう。

 ほなまあ、とくと聞くがええ」


 そうして三衣なりのフィクション論が六畳間に打たれた。大したことも言っていなかったので割愛するが、筋をまとめてしまえば彼が言いたかったことは二点。

 "世の中は全てフィクションである"

 "どのフィクションを選び取るかの連続が人生である"

 とのことだった。これは主にフィクションを"創造物"という定義で捉えての論であり、三衣は文にしろ人生にしろ自分で作っていくものだと息巻いた。


「他人から見て事実かどうかは些細な問題やっちゅう点では、

 天狗の意見と似とるなあ。人生これ即ちフィクション。

 三衣語録に付け加えとこか」


 言いながら、三衣の手は文机の上にある紙にすでにその言葉を書き記していた。


「その言葉は、見る者によっては

 "人生は虚構だらけ"とも取れるのではないか?」


「別にええんちゃう?

 事実でも嘘でも、そない変わらんし」


 三衣の暴論ではあるが、彼は価値を見出すことが最も重要なファクターだと考えている。"秘伝スープのこだわりラーメン"の看板の真偽はどうでも良いのだ。彼にとって美味いかどうか。そこが最も重要視されるところであり、彼にとって美味ければ、秘伝のスープでなくても目分量レシピの曖昧ラーメンでも構わないのである。


「そうであったな。

 お主は"職業:嘘吐き"とまで言ってのける稀代の阿呆。

 実に度し難い男である」


「よせやい。

 褒めても何にもやらんぞ」


「褒めておらん。

 お主は一度、思考回路を繋ぎなおすべきである」


 それを聞いて、三衣は愉快そうに笑った。


「阿呆天狗め。

 知った上で俺はこの脳内回路を組んだんや」


 実に理解に苦しむ。世間一般を知った上でそこから外れる行為は奇特であるとしか言えない。しかし、三衣は言う。


「観測っちゅうもんは外からしか出来んもんや。

 自分が世間の中におったら世間は見えん。

 他を知りたい気持ちは当然の欲求やろ」


「お主は世捨て人か仙人にでもなるつもりであるか。

 社会の歯車としてキリキリ働くのである」


「一応、歯車としての責任は果たしとるつもりよ。

 対価の金が無いと食いもんが買えんからなあ」


 いくら三衣とはいえ、霞を食って生きていくことは出来ないらしい。

 フィクションについての弁論はあらかた終わったとみて、彼は大きく伸びをした。


「さて、今回と前回のメモをまとめるとしよか」


 文机の引き出しから黒い綴じ紐を取り出し、前回の備忘録と今回のそれを彼はするりと器用にまとめて綴じた。表紙に一枚追加して『随筆とフィクションについて』と題をつける。


 しかし、今回の備忘録はおよそその役割を果たしているとは言えない。

 なぜならば、つまるところ今回の弁論を簡潔にまとめてしまえば一言で終わってしまうからである。


 ――どこからどこまでを随筆とするか。これは人による。フィクションとノンフィクションの境目はどこか。これも人による。


 なんとも役に立たない備忘録である。

 しかし序文でも述べたように、三衣の文は根が無益なのである。それを考えれば当然の帰結であるといえるかも知れない。

 三衣は胸を張って言う。この文はエッセイだと。

 もちろん、その是非は読者諸賢にお任せしたい。




   ○   ○   ○




 場をお開きにする前に、天狗仮面が次の議題について質問を投げる。


「次回はどうする、三衣よ」


「そうやなあ。真面目な話題もええけど、くだらんのがええなあ」


 どの道、真面目な話題であっても屁理屈と詭弁でくだらなくしてしまうのだから、この際話題は何でもいいのである。


「せやな、バナナはおやつに入るか否か。

 これでいこう」


「また何とも実益のなさそうな論題である」


「いつも通りやろ」


「相違ない」


 満足そうに頷いて、来た時と同じように三衣は六畳間を去った。変わらずふすまを小気味良く鳴らして。これが三衣と天狗の間で交わされる弁論の一部である。

 今回は多少堅苦しい話であったが、普段はもっと阿呆らしいやりとりをしているのだ。


 その辺りの詳細は、次回で明らかになることだろう。

 題からして既に益のなさそうなことが見て取れるのだから。


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