一、随筆は”しょうゆラーメン”である
三衣がかちかちとペンの先を出し入れする。
これは彼の癖であり、何かを始める前の慣習でもある。
「さて、天狗よ。随筆とはなんやろうなあ」
六畳間の文机に差し向かいになりながら、三衣は天狗仮面に問いかけた。相手はさしたることもないと返事をする。
「辞書でも引けばよいではないか。
お主も文士の端くれ。知らねば恥であるぞ」
そう言って、天狗仮面は立ち上がり辞書を持って来ようとしたが三衣がそれを手で制した。違うのだ。そうではないのだ。
辞書的な意味など知っても何の足しにもならない。知りえた知識を自らの中で研鑽し理解する作業がもっとも大切なのだと彼は常日頃から言っている。
「知らんはずあるかい。話はその先や。
先人たちの残した随筆についての定義はこの際どうでもええ」
「随分と横暴であるな」
「必要なことはたった一つ。
自分の中でどう区切りをつけるか、や」
随筆というもの定義を見た所で、三衣がそれをどう捉えているかは分からない。天狗としてはどうなのかも分からない。これはつまり、人によって解釈が異なるということだ。
定義はあくまでも定義であり、そこから先の理解は人によって異なるものなのだ。三衣が思う存分論じたいと考えているのはそこだった。
さらに言えば、随筆やエッセイ、コラムや評論、果ては漫筆や論文といったものまで全てを明確に区分けすることはできないのではないかと彼は考えている。これらは互いに関係し、共通する部分も少なからず存在するからだ。
「つまり、ラーメンみたいなもんやと思うわけよ」
「どういうことであるか」
「醤油ベースのラーメンを"しょうゆラーメン"と呼称しよか。
これに対して異論はあるか」
「否。ちなみに出汁は何で引くのであるか」
「鶏ガラ。一番好きやからな」
「お主の好みはどうでもよかろう」
「あ、そう?
ほな天狗よ。問おう。"とんこつラーメン"とは何ぞ」
ここまで言われて、天狗仮面はその口を閉ざした。三衣の言わんとするところに気が付いたからである。つまり、その二つは両立し得るのだ。
豚骨で出汁を引いたものを一般的に"とんこつラーメン"と呼ぶが、そこに醤油で味付けをした"とんこつしょうゆラーメン"なるものも存在する。どこかにれっきとした境目があるわけではないのだ。醤油メインの豚骨スープもあれば、豚骨メインの醤油スープも存在する。
和歌山ラーメンがよい例であろう。極地域内に二つの味が近く存在している様をみることができる。
「数学で考えてもええかもしれんな。
集合の単元や。共通部分はあると思うで」
「先にその例えを出した方が利口に見えたのではないか?」
「その言い方やと、まるで普段は利口やないように聞こえるんやけど」
「事実であろう」
「事実やなあ」
三衣は潔い男である。事実だと認めていることは例え自分の汚点であっても何事もなかったかのように肯定する。それゆえに美点を卑下することもないので、見方に因れば正直者であると言えるかもしれない。ただし、三衣に美点と呼べる点があれば、の話であるが。
「色の話でもええけどな。
例えば、青と緑の中間色は無限にあるから決められん。
境目は人によりけりやな」
「明らかにその例えの方が分かりやすいではないか!
なぜ話を分かりにくくするのであるか」
「そんなもん、俺がラーメン好きやからに決まっとる」
天狗仮面は一つため息をついた。
そうだ。三衣はこういう男なのだ。あれこれ言っても仕方がないことは分かっていたので、天狗仮面は話題を変えることにした。
「して三衣よ。なぜ急に随筆の話を持ち出したのであるか」
「おお、二つほど思うところがあってなあ――」
つい先日、三衣は自らの文を賞に応募するためにさまざまな公募やコンテストを物色していた。そしていくつか見つけた中に、エッセイのコンテストがあった。
三衣には甘い恋愛を描いた文は書けない。返り討ちにあったものが多くを占める凄惨たる恋愛遍歴の持ち主であるからだ。異世界ファンタジーも書けない。異世界に行ったことがないからだ。
エッセイは三衣自身が好む文であった。応募要項を見た三衣は「むう」と唸り、腕を組んで思考の世界へと沈んだのである。
「役に立つエッセイを、または体験を基にしたフィクションを寄越せと。
もちろん、その規定に異論はあらへんよ。寄越せというなら献上しよう」
「ならば、何を思うのであるか」
「まず一つ。"役に立つ"とは何ぞ」
実用的、実務的とされる文章は"実用書"として書店に並ぶ。経済学の書物や心理学の本。自己啓発のものまで幅広い。資格を取得するための書籍もある。
しかし、これらの評価はやはり個人によって様々である。
「人によって価値が違うのは世の真理である。
絶対的なものなどあるはずもなかろう」
「せやろ?一般論でしか測られへんわけよ。
例えばこの本。"ゼロから学ぶ相続税"
この本は役に立つか?」
「ふむ。役に立つと言ってもよかろう」
「アホか。
こんなもん、天涯孤独の老人に見せたら相続するモンが
おらん悲しみで死期を早めてまうかも知れんやろが。
自殺推奨本やろ。有害図書待ったナシやぞ」
「やはりお主は阿呆である。
そうならぬ者の方が一般的である。
そもそも、天涯孤独の老公は"それ"を手に取らぬ」
三衣が文机をペンでぱしりと叩く。勢い込んで座布団の上に立ち上がり、天狗の面の鼻先を指差した。
「そこ!そこやねん天狗よ!
よお言うてくれた!」
天狗仮面は腕組みをしたまま何でもないことのように座ったままだ。
三衣は尚も言葉を続ける。
「万人にとって役に立つもんはない。なぜか!
本人の預かり知らんモン、及び興味がないモンはそもそも
役立つかどうかの審議すらされへんからや!」
六畳間をぐるりと一周してきて再びどっかりと座布団に座り、なおも落ち着きなく文机をばしばし叩いた。
「読んだもんが決めることやからな。
せやから、これが規定にあるっちゅうことはアレや。
"第三者に役に立つと思わせるような"文を寄越せっちゅうこっちゃ。
しかも言外に"審査員が考える第三者の"のニュアンスつきで」
「回りくどいのである」
「せやけど、そういう事になるやろ。
書く方が価値を認めてるかどうかはどうでもええんやなあ、と。
これが、思った事一つ目」
賞に自分の作品を送るという事は、少なくとも作者である自分は作品に対して価値を見出しているはずである。しかし、客観的に役に立つかどうかは第三者に客観視されるまで分からない。
なかなか無茶な話だと三衣は考えた。
自らの中にある他者としての視点がどこまで世間のそれと近いかを測る術はないのだから。どこまでいっても、思い込みと自己判断しかできないのである。
そして三衣はいっとう我が強い人間なので、客観視がとても苦手である。自分の書いた文章は面白いと常に思っているのだ。
「さて、続いて二つ目に思ったことなんやけども――」
「待つのである」
天狗仮面がずいっと手のひらを三衣に見せて静止する。
「今回はこれくらいにしておくのである。
お主との会話はいささか疲れるのだ」
「ワガママなやっちゃなあ」
「それはお主が一番よく知っているであろう」
「ほなまあ、続きは次回やな」
三衣は文机の上にある紙束からペンを離した。
あれこれとメモしてあるその紙束をまとめて、書棚の空いた空間に放り込む。
「天狗よ。宿題を出そう」
「断る。それはもうきっぱりと、だ」
「次回はフィクションとノンフィクション。
その境目について話をしようと思う。
そこで、解答をお前さんなりに考えといてくれい」
「お主、話を聞いておらんのであるか」
「異存も異論も異議もなかったことにする」
「我儘な奴であるな」
「天狗が一番よく知っとるやろ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべてそう言うと、三衣はふすまを開けて六畳間を後にした。
残された天狗仮面はやれやれと言ったように首を振り、律儀に問いの答えを考え始めるのだった。