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十、ツナマヨを制する者はおにぎりを制す

 ミツイは文机に頭をしたたかに打ち付けた。

 自らの脳内から余計なものを追い出すためである。彼は文士である。ただし、三流の。一流の文士であれば自らが書く文を脳内で洗練させ、必要な時に必要な分量を書くことができる。その能力を会得していないミツイは、思い描いたことを全て一度書き起こし、その上で必要だと思うものを厳選して文にしていくのである。この余計な文を省いていく作業を、ミツイは "文士の吊り天秤にかける" と呼んでいる。


 しかし、関係のない時に、関係のない言葉が脳を埋め尽くしてしまう事がある。


 読者諸賢も覚えがないだろうか。

 ふとした時に懐かしいメロディーが頭に浮かび、いつまで経ってもそれが頭から離れない。ひどい時には日を跨いでも同じメロディーに苦しめられることもある。

 精神分析学や神経科学の世界では『イヤーワーム』、『不随意旋律』などと呼ばれ、古代中国に記された書物でも『魔音』として認知されている。しかし浅学なミツイがこれらの専門用語を知っているはずもなく、彼は単に『Aメロとかサビだけがリピートするあれ』と呼んでいる。


 さて、現在ミツイの脳内を占拠しているのはメロディーではない。そういった意味ではイヤーワームとは違ってくるのかも知れないが、それが頭から離れないといった点で同様であろう。

 イヤーワームならぬ、ワードワームとでも呼べばよいだろうか。


 この時のミツイの脳内に浮かんでいたのは、"ツナマヨ" という一片の単語だった。ツナマヨとは何か。字の如く、ツナとマヨネーズを混ぜたものである。しかし、その起源は? シーチキンマヨとの違いは何なのだろう。次から次へと湧いてくるどうでも良い疑問の数々に思考領域を侵されつつあった。


 ミツイは吠えた。そして這うように六畳間の隅にそびえ立つ書棚に向かい、ツナ缶とマヨネーズの歴史を紐解き始めたのである。

 頭から離れないのであれば、納得いくまで考え抜いてしまえ。そうして穏便に脳内からツナマヨを追放すべしと片端から書物を漁り始めた。


「天狗よ、頼みがある」


「何であるか」


「ツナマヨのおにぎりを、出来るだけ多くの種類買ってきてくれ」


「あいわかった」


 小豆色の座布団に胡坐をかき、ジャージに天狗面といった風貌で座っていた存在が立ち上がる。六畳間に居座るこの天狗は、ふすまをすぱんと開けて部屋を後にした。


 書物を読み漁りながら、ミツイは考える。

 マヨネーズの歴史は古く、その起源は1700年代半ばにまで遡る。日本に限った話をするならば、その普及は1950年代、第二次世界大戦後のことである。

 保存食品の起源は曖昧であるが、ツナ缶がはじめて作られたのは1903年、アメリカ、カリフォルニア州であると資料には残っている。日本のツナ缶の起こりは1928年であるが、ツナ缶の普及自体はやはり戦後であった。


 つまり、百年ほど前にはツナマヨを発見できる土壌が整っていたことになる。両者が日本で普及した年代を考えるならば、1950年代以降にツナマヨは市民権を得たと考えて良いだろう。


 エジソンの白熱電球のように、一人の鬼才がツナマヨを発見し、それを民衆に広く伝えせしめたのであろうか。これは否である。


 食に対する貪欲さは、生活の利便性を求めるそれと比べてはるかに欲の次元が高い。人である以上、食を避けて通ることはできないからである。

 棚にツナ缶があり、冷蔵庫にマヨネーズがあるならば、誰しもがツナマヨを発明する名誉を賜り得るのである。ツナ缶に含まれる塩気と、マヨネーズに含まれる酸味、卵のもたらすコクと旨味。これらが三位一体のハーモニーを奏でることは自明の理であるのだ。人類の食欲を満たすに余りある品格をツナマヨは備えているのだから。


 ツナマヨを民衆に広める役目を担ったのは、コンビニエンスストアに並ぶおにぎりに他ならない。サラダの添え物の立場から、立派な具材として進化を遂げたのである。


 時は1983年、セブンイレブン商品開発部がそれを手掛けたと言われている。当時のコンビニはちょうど変革期と呼ばれる時期であり、ようやく24時間営業が常態化してきたり、商品情報を本部のインターネットで管理できるPOSレジスターが導入されはじめた頃であった。

 もちろん、ツナマヨおにぎりを商品化した会社はこれ以前にも複数ある。一例をあげれば小僧寿しチェーンのシーチキン巻きが挙げられる。これは1978年に発売されたものであり、コンビニのツナマヨおにぎりよりも5年ほど先に世にツナマヨを送り出していたことになる。


 成功者の声ほど大々的に取り上げられるものであり、何よりも全国チェーンで24時間営業。いつでも、どこでも食べられるという、まさにコンビニエンスな感じが勝利の鍵であったのだろう。


 ここまでを書物、及びインターネットに頼って調べ、備忘録として紙束にまとめていると、天狗仮面が数多くのおにぎりを携えて戻ってきた。

 ツナマヨおにぎり、シーチキンおにぎり、和風ツナマヨ、手巻きシーチキンなどなどである。ぺりぺりと包みを剥がし、それらを口に放り込みながら、ミツイは調べた上で考えたことを天狗と論じる事にした。




   ○   ○   ○




 ミツイが文机の前にどっかと腰を降ろし、天狗仮面もまた差し向かいに座る。

 二人の間には、山と積まれた握り飯があった。ミツイが持っているペンをカチカチとやり、ペン先を出し入れする。


「まずは、ツナとシーチキンの違いの確認からいこか」


「別のものであるのか?」


「いや、基本的には同じもんや。

 ツナが製品としての一般名。

 シーチキンは、はごろもフーズの商品名」


 俗に言うところの、商標登録というものである。よって、シーチキンマヨ、などと記載がある場合にははごろもフーズの商標を利用していることとなり、パッケージにはそれを示すⓇの記号があるはずである。天狗仮面は積まれた握り飯の中から一つを取り、じっくりとそれを眺めてから「なるほど、確かに」と言った。


「さて、と問題はここからや」


「そんなに深刻そうな顔をしても、内容は些末なものであろう」


「当然。生きていく上で何の役にも立たん。

 それでも解決するのが浮かんだ疑問に対する筋や」


「お主の偏屈な矜持は置いておくのである。

 して、何が疑問なのであるか」


「ツナマヨって、具材なん? 調味料なん?」


「具材であろう」


「ほんまに?」


 ミツイは文机に置かれた紙束に様々な調味料の名前を書き記した。

 わさび醤油、生姜醤油、おろしポン酢にオイスターソース……。


「さて天狗よ、国語の時間や」


「どちらかと言えば家庭科に見えるのである」


「そうか? まあええわ。

 日本語における修辞法、これは圧倒的に前からかかることが多いんや」


 生姜醤油は、生姜を溶いた醤油であるし、オイスターソースは、オイスター(牡蠣)を原料にしたソースである。つまり、修辞されるものは基本的に後ろにくるのだ。ソースオイスターなどと言ってしまうと、網の上でじゅうじゅうと焼け、ソースをかけた香ばしい牡蠣を連想してしまう。


「そこでツナマヨに話を戻そう。

 ツナの入ったマヨネーズと捉えられるわな。

 ほな、マヨネーズが主役やん。調味料やん」


「異議ありである」


 天狗仮面が右手を高々と挙げる。


「柚子胡椒は決して胡椒ではないのである」


 確かにミツイもかつてそう思った。柚子胡椒が全国に広まり始めた20年ほど前、それを初めて食したミツイ青年は「これが……胡椒?」と妙な顔をしていたものである。柑橘系の風味のついた胡椒はさぞかし爽やかな味わいであろうと考えていたミツイ青年にとって、のぺっと器に盛られたそれはひどく異質なものに見えたという。


「柚子胡椒は九州、大分の特産品や。

 そしてその地方では唐辛子のことを"コショウ"と呼称した時代がある。

 柚子胡椒は、ゆず皮と唐辛子を混ぜた調味料や。

 よって、ゆずを入れた香辛料と捉えて問題ない」


 天狗仮面の異議を論破し、さらにミツイは続ける。


「話を先に進めよか。

 この前置修飾にあてはまらん奴らがおる」


 そういって紙の続きに、エビチリ、たこわさ、芋けんぴと書いた。


「順に、エビのチリソース炒め、たこのワサビ和え、芋のけんぴ干し。

 先の法則で考えるなら、チリエビやらワサタコ言わんならん」


 いくつめかのツナマヨにぎりを食べながら、ミツイは「お茶」と言った。そしてそれを言われるのが分かっていたかのように、天狗仮面はグラスに注がれた麦茶をぐいと突き出した。


「これらに共通するんは、調味料やなくて一つの完成品やという点。

 料理名を省略したもの、と捉えてええやろう。

 ほな、ツナマヨをこの括りに入れてもええか、っちゅう話よ。

 ツナのマヨネーズ和え。もしくは、ツナのマヨネーズ仕立て」


「しかし、ツナマヨが料理単体かと言われれば疑問である」


「そうよなあ。そうなんよなあ。

 初めて出てきた彼女の手料理が皿に盛られたツナマヨやったら……

 居酒屋のメニューに "ツナマヨ 280円" とか書かれてたら……」


「理不尽であるな」


「せやろ?

 よって、ツナマヨ単品料理説は否定される訳よ。

 となると、添え物とか調味料っちゅう話になる」


 天狗仮面が天狗面の隙間から器用に握り飯を食べながら言う。


「しかしそもそも、握り飯の具材など何でもありではないか」


 その言葉に、ミツイはしばらく考え込んで、人生で今までに食べてきた握り飯を思い出す。いくつ食べたかなど当然覚えていないが、腹が減った時に味噌を塗って焼いたもの、塩を振ったもの、醤油と鰹節を混ぜ込んで握ったものなど、明らかに調味料を使って手を加えた握り飯も数多く記憶にはあった。


「確かにそうなんやけどもな。個人的にはこう、区切りが欲しい訳よ。

 具入りのおにぎりと、味付きのおにぎりは区別されるべきや。

 少なくとも、俺の中では」


 例えば炊き込みご飯で作ったおにぎり。これは決して炊き込みご飯を具材として扱ったものではない。具材として炊き込みご飯を用いるというならば、白米の握り飯の中央に炊き込みご飯が存在するはずだからである。


「ツナマヨが一品料理ではなく、且つ、マヨネーズが主体であること。

 以上の点で以て、俺はツナマヨおにぎりを味付おにぎりと判ずる」


 そう言って、ミツイは紙束から新しいものを一枚取り出し、題に "おにぎり大全" と書いて一項目をツナマヨの項目とした。

 もちろん、区分けができたからといって何かが変わる訳ではない。ただただ、ミツイ自身が納得したかっただけである。


 思う存分納得したミツイの脳内は、すでにツナマヨの呪縛から解き放たれていた。

 文机にまだ山盛り積まれたツナマヨおにぎりを見ても、思考領域を埋め尽くすような疑問は最早浮かんでこない。


 自分はツナマヨに勝ったのだ。

 そしてその副産物として、余りある夜食を手に入れることができた。これで存分に文が書ける。隣に座る天狗のお株を奪うかのように高笑いをして、ミツイは揚々と文を書き始めた。


 しかしこの時のミツイは知らなかった。

 夜食にと山盛り食べたツナマヨおにぎりに含まれる塩分、油分、その他諸々によって塩分過多による吐き気を催し、数日寝込むことになる事を。


 彼は三文文士であると同時に、一流の阿呆であるのでこれは当然の帰結である。床に臥せ、彼は「ツナマヨ怖い、ツナマヨ怖い」と呻いていたと言う。

コンビニおにぎりの中では、個人的に鮭が好きです。

次点で、おかか。美味しいですよね、おにぎり。

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