春雷
雷が好き。そう言うと大抵驚かれる。
好きなのだから、仕方ない。
私が幼少期に住んでた所は「田舎」の一言に尽きる。そして、雷の多い地域だった。夏はほぼ毎日雷様が来てた。人間の順応性の高さなのか、好きにでもならなきゃやってられない程来てた。
頻回に訪れる雷様に一々怯えていられない。だからなのか、きっと幼少の私はアレは好きなものと認識したんだと思う。気付いたらもう好きで、入道雲を西に見付けるとワクワクした。
『雷様が来たで電気消しなぁ。コンセント抜くんだよ』
お祖母ちゃんの一声で、コンセントを抜いて茶の間に集まる。古い家で、昔から雷様来たらそう言って蝋燭持って3人集まる。
お祖父ちゃんは薄暗い中で新聞、お祖母ちゃんは麦茶を出して、うちわで扇ぐ。私は、今か今かと縁側から外を見る。
『今年は雷さん来たから、豊作だな』
『うん! スイカ食べるー』
『全くいつもいつも象が食う程作って、誰が処理してると思ってんだい』
『おっかねぇ鬼ババがいるぞ』
『何だって! このクソジジイ!』
『ばあちゃんもスイカ食べよー』
『あいよ、クソジジイには内緒でたくさん切ってやっからな』
そんないつもの掛け合い。
私は笑ってた。
TVも付けられない蝋燭だけが揺らめく薄暗い中で、3人で笑った。そんな時間が好きだった。
もう、二度と来ないとても好きだった時間。
今は、とても詰まらない場所で、生きている。
「ねえ! 目障り。視界に入らないで」
「ああはいはい」
「部屋から出ないでよ!」
「……はいはい」
高校1年生の時、祖父母が亡くなって、離婚してそれぞれ別の家庭を築いていた父母に、高校生一人では住まわせられないと、東京の父の家に引き取られた。あまり親という認識がない。生まれて一月で祖父母に預けられたから。
引き取られた家は、義母と異母妹と実父が住んでいて、私はかなりお邪魔虫だ。
そのせいなのか、特に義母と異母妹には好まれていない。
祖父母と住んでいた部屋より大分手狭な自室に戻り溜め息をつく。
「あと、2年か」
5月に転校一月遅れで入ったソコは、不良多目な学校。のんびりほのぼのしていた前の学校とはあまりに今までの環境と異なり、馴染めず独りになった。加えて同年には異母妹。
可愛らしく人気のある異母妹の姉として転校してきた初日は随分ガッカリされた。離れて暮らしていた事を根掘り葉掘り聞かれたが、興味本位の質問にそれを満たすつもりもなく適当に言葉を返していたら見事にぼっちになりました。
異母妹女子力高く、お洒落な都会っ子。これが田舎と都会の差か……なんてすみません、私が面倒なだけです。スカートの長さ膝下で、髪は1年間美容室に行ってない。てへぺろ。
今日も今日とて独りで昼御飯。
西の空を眺めていると、入道雲が目に写る。
「あ、雷様が来る」
少し気分が上がった。けれど、傘は持ってなかった。まぁ濡れて帰るのも別に良いかな。洗える制服だし。よっぽどだったら、どこかで鑑賞して帰ろう。
そんな事を思っていたらちょうど帰る時間にどしゃ降りの雨。異母妹は義母が車で迎えに来て、そのまま帰ったらしい。
「くわばらくわばら……」
完全に近くなってきた雷様。お祖母ちゃんに教わったおまじないを唱えながら、雷様がよく見える場所を探して薄暗い廊下を歩く。
閃光の様な一際強い雷光が辺りを真っ白にする。直ぐに強い大きな音がなった時、真横の扉が勢いよく開く。
「ぅあああっ!!」
「ひゃっ!」
いきなり突撃してきた物体に、ぶつかりそのまま固定された。
「……?」
結構大きな体格のフードを被った男の人。
私のお腹にしがみついて震えてる。
びっくりしたけど、多分きっと雷様が怖いんだなと分かる。
「大丈夫、大丈夫よ。落ちないおまじない教えてあげる。くわばらくわばら。ちゃんと意味はあってね? 菅原道真公が雷神様となって復讐した時、自分の故郷である桑原には雷落とさなかったの。だから、落ちないおまじない。唱えてごらん?」
雷様が来て怯える近所の子供達によく言って聞かせた。お祖母ちゃんの受け売り。
故郷の夏の行事で集められた子供らのお守りをしていた時を思い出す。こんな風にしがみついてきた。懐かしくなり、思わず子供に接する気持ちで、背中を叩きあやしながら話した後、ハッと我に返る。
どこの誰とも分からない人なのに、何て事を私はしてしまったのか!
「……か?」
「ハイ?」
「……本当に落ちない?」
人の腹に顔を埋め、くぐもった低い声で確認の言葉。腹に回る腕は力が増して、顔も見えない。
震えるゴツイ身体と声。いつもは小憎らしい近所の悪たれが雷様が来る度震えてたのを思い出して可愛いと思ってしまった。
「落ちない落ちない。おまじないを唱えれば、避けて行くから大丈夫ってぇぇ?!」
いきなり腹を持たれぷらんとなったと思ったら、開いた扉の向こうに連れていかれ、私を窓側に立たせて自分は椅子に座りまた腰にしがみつく。腹に手が回り後ろから背に顔を埋められ、考えてみれば知らない男性なのだからこれは有り得ないのでは? と思いつつ、後ろに顔をやれば、被ってるフードから金髪が少し見える。
……金髪? ここまで見事な髪の痛めた金髪は周りにいなかったな……誰なんだろう? 背に埋めた顔を上げさせる勇気はなく、そのままの体勢で何故このような状況に陥ったのか考えていた。
不思議と嫌悪感はなく、故郷の悪たれを彷彿とさせる姿に、庇護欲とやらが生まれたのかもしれない。悪たれよりは、何倍も大きいけど。
「……て」
「え?」
「さっきの……唱えて」
「あぁはい。大丈夫大丈夫、くわばらくわばら。大丈夫大丈夫」
「……」
ポンポンと腕を叩きあやすようにもう一度唱える。時おり雷が鳴るが、ビクッとなる度腕を擦る。
クワバラクワバラさえ言えば、少し力が緩む。
暫しそのまま、唱えてはボーッと窓を見て、カーテンが中途半端にかかっているのが分かり、きっと見えないようにカーテン閉めようとして、特大の雷様見ちゃったんだろうなと、ツラツラ考える。
少し気温が下がり、寒気がしてふるりと震える。
「……怖い、の?」
何を今更な。
そもそもこの空き教室に入って、私を自分の盾にするように後ろに隠れているくせに。
はみ出てるけど。
「いえ? 好きですよ」
背から顔が離れたのが分かる。
「いつも雷様が来ないか待つほどです。雷様は良いものを持ってくる。涼しくなるし綺麗だし。たくさん来た年は豊作になるし、オゾンだって作り出す。雷様が来なかったら、地球は住めなかったんですから」
雷様好きが高じて少しだけ調べてみた。変人扱いされるので、少しだけ。
この知識、御披露目する場がなかったけれど、まさかこんな知らぬ方に話すことになろうとは、世の中不思議なこともあるものだ。
「らい、さま?」
「ぁ……方言です。すみません」
小さな頃から雷様、雷さんと祖父母が呼んでたのを聞いていて、癖になっている。ちょっと恥ずかしい。
「らいさま……か」
「はい」
「らいさま好き?」
「ええ、大好きですね。怖がられて嫌われているのが、少し残念です。良いものたくさん持っているのに」
「そ、か」
薄暗い教室で、なんだこの会話と状況はと思いつつも、腹に回る腕の震えが収まっていて何かやり遂げた気分になった。
「雷さ……カミナリも通り過ぎたので、これで失礼します」
「あ」
「また来たら、くわばらくわばらですよ」
「ふはっ! クックック……くわばらなんて今時聞かないけど」
向かい合わせになり、もう一度おまじないを教える。フードを被ったその人がこちらを見上げ、目を見開いて笑った。
う……わぁ。
ズクンと胸の奥から何かが湧く。
薄暗い教室にとても不釣り合いな、それはそれは綺麗な笑顔と、クスクス笑う声に私の何かがざわめく。
「っはぁ。ジジババの呪文だと思ってた。ちゃんと意味あるんだ」
「え、ええ。是非唱えてみてください。では」
この人に腹を抱えられていたのかと思うと、一気に恥ずかしくなって、逃げるように教室を出た。
何か呼び止められる声がしたけど、振り返らずに走り去る。
家に帰れば、雷様の名残で小雨になって自転車で泥が跳ねた靴と靴下を見られ、義母に叱られた。
風呂に入り、自室に戻ると先程まであった事を考えては布団の上で悶える。
「恥ずかしい。けどこれが、イケメンに限るってやつかな?」
私の腰にしがみつくのがオッサンだったら、鳥肌ものだ。あんなイケメンにそうそう関わる事ないだろうし、良い思い出として取っておこう。
綺麗な綺麗な笑顔だった。
兎に角穏便に。逆らわず歯向かわず、家でも学校でもひっそり生きてきた。単調で変化のない毎日に、まるで眠っているような心を揺さぶる目が覚めるような出来事。
もう会わないだろうけど、雷様コワイの人に、いい事したなと、誇らしげにその夜は眠った。
胸がざわめくのは気にしないようにして。
【春雷】
冬の終わりを告げる。
虫出しの雷。冬眠している虫を誘い出す雷。