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短編集

理由づけ

作者: サラリーマン

人通りのない急な坂道を歩く。進むほど傾斜はひどくなるようだ。広い道路の両脇には、高い塀がある。日本風な屋根のついた塀は、何処か過去に対する見栄を感じさせる。


「携帯を忘れたのが、痛恨のミスだな」


安いコピー用紙に、掠れたインク。じっと見ていると不安になる脆さがある。遅刻は厳禁。早歩きの所為でもあるが、時折、脳裏を駆け巡る不安が動悸する。


頭を忙しなく動かしながら、間隔の遠い表札をいちいち確認する。田中さん。佐藤さん。安藤さん。


周りに人がいないため、きっと住人が見れば不審者に違いないだろう。コンタクトも、し忘れてしまった。近眼には、公道から敷地内にある門にまでの距離は厳しい。そして門の近くに表札はある。


量販店で購入した安いスーツ姿の二十代の男性。手には紙が握られており、額には汗が滲んでいる。目つきは鋭く、眉も太い。ついでに唇も厚い。


「佐竹っていう表札があれば、一発なんだけどなぁ。本当に面倒くさい」


四月の寒さに、くすんだ太陽の光。丁寧に舗装された道路を踏む革靴。耳障りな音が、深閑とした一帯に響いている。申し訳ないなと思いながら、仕事という免罪符が背中を押してくれた。


「斎藤さん、後藤さん、島田さんに佐竹さん。あっ、佐竹さんだ!」


携帯もない、コンタクトもない。しかも方向音痴という、家探しには極めて不利な条件を乗り越え、やっとの思いでたどり着いた。佐竹さんの家。佐竹さんはお金を沢山持っている。そうしてその資産の一部を、生活の糧とするためにわざわざ遠いところからやってまいりました。


インターホンの音が虚しく響いている。予想外に早く、若い女性の声が黒い機械を通して聞こえてきた。


「はい、お待ちしておりました。門は開いておりますので、どうぞお上りください」


「はい、お邪魔致します」


慣れない門の開閉に戸惑いながらも、しっかりとした足取りで玄関へ向かって歩く。奇妙なほどに落ち着いている。自分の家の中でくつろいでいるような、安堵の感情。浮いてはいない。足は地面についている。


「わざわざ遠いところから、どうもすみませんでした。主人はリビングで座って待っておりますので」


「あ、はい」


日本人離れした長い手足に、ただ単純に綺麗だと思った。品のある若い顔。肉付きのいい、お尻と胸。彼女はこれからその華やかな人生を終えるのだと考えると、勿体ない気がし、哀れに感じる。


「遅かったじゃないか。予定よりも二十分も」


「あなた。東京から今日のために、わざわざいらして下さったのだから、許してあげてください。ほらお座りになって」


この家の中に入った時点で、与えられた全ての仕事は完了している。警察がやってくる頃には、夫婦の無残な死体が、家中に血をばら撒き、逮捕者も出ることなく、一種の愉快犯の犯行として犯罪歴史の一部を飾ることになるだろう。


誰も損をせず、関わった人間が等しく儲ける。佐竹さんの家を訪ねただけで、数百万の報酬を得る。実行犯にはもっと莫大な報酬が、計画を立案した雇い主には事件後一連のお祭り騒ぎにより、途方もない額の利益がたった一度の出来事で当座預金に振り込まれることになる。


さっとリビングを見回す。一般の家庭と何ら違いのない小物の数々。取り上げるとすれば、無駄に大きなテレビに、高い天井、整えられた広い庭があるくらい。


夫婦の生活の匂いが、築数年の邸宅に早くもこびりついている。時間はまだある。せいぜい余韻を楽しんでおこうと、彼は思った。


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