表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早春の風、爽やかに  作者: ダイ
5/6

真実と向き合う青年



「ほれほれ、きりきり働けよステヴァン。それが終わったら次は床の掃除だ」


「はぁい、よいしょっと」


 夕方、お店を開ける準備をしている酒場のご主人の指示に、ステヴァン君はのんびりした調子でそう応えました。

丸椅子をひっくり返してみんなテーブルに上げ終わると、バケツとねずみ色のモップを用意して、せっせと床を水で磨き始めます。

そうやって仕事に精を出すステヴァン君のほっぺたには、どこかに強くぶつけたような青いあざがぼんやりと浮き上がっていました。



 北の大地を長い間覆っていた長く深い冬も、このところやっと和らぎ始めてきていました。

酒場の様子も以前と少し変わっていて、床や壁はもちろんのこと、お客さんが来たことを知らせるドアのベルに至るまで、ありとあらゆるものがぴっかぴかに磨き抜かれています。

長い間壁に掛かっていた大きな獣の角はなくなっていましたが、代わりにそこには大きな張り紙がしてありました。

張り紙にはこうあります。


「義勇兵つのる。くわしくは町長宅、または討伐隊の詰所まで」


 一通り床をごしごしやったステヴァン君は、モップの柄を床につっぱって体を預け、柄の先にあごを乗せて休みながらこの張り紙を見つめました。

きりっとして立派な兵隊さんの絵が描かれた張り紙の端の方がちょっとはがれかけています。

それを見ていると、どういうわけかステヴァン君はため息をついてしまうのでした。







 

 オーガがステヴァン君の家を訪れ、それが村長さんを始め村の人たちにばれてしまったあの朝の出来事の後、ステヴァン君は村の大人たちみんなから手ひどいお仕置きを受けました。

おじさんたちから頭をゴツンと殴られたり、ほっぺたを引っ叩かれたのも一度や二度ではありませんし、おばさんたちからは口々にひどいこと言われたりもしました。

子供たちでさえ、親がやっているのを見てステヴァン君に雪玉を投げつけていました。これはこれでこたえましたが、これが冬でなかったらきっと石を投げられていたので、その点はステヴァン君自身少しほっとしているところでした。


村のみんなは怒っているというよりも、どこか怖がっているようにステヴァン君には感じられました。

 それもそのはず、みんなステヴァン君がオーガを村へ引き入れたのだと思っていたのです。




 ステヴァン君自身、あの夜のことを何と言って説明したらよいものか、さっぱり分かりませんでしたし、きっと何を言っても聞く耳を持ってもらえなかったでしょう。

 その日の内に村長さんはステヴァン君に村を出て行くように告げると、ステヴァン君の家から、ステヴァン君の持ち物をみんな外に放り出してしまいました。

 ステヴァン君は、色んな気持ちで胸がいっぱいになってしまって、結局なにもいうことができずに荷物をまとめ、しょんぼりと村を出て行くしかなかったのでした。



 そんなことがあって町にやってきたステヴァン君を助けてくれたのは、他ならぬこの酒場のご主人でした。

 事情を聞くと、ご主人はほとぼりが冷めるまでステヴァン君を雇ってくれました。宿無しのステヴァン君に空いている屋根裏部屋も貸してくれましたし、気のよい奥さんがお昼と夜にまかないを出してもくれました。ステヴァン君はこのご夫婦にはきっと一生頭が上がらないだろうなと思いながら、そうした恩を少しでも返そうと毎日一生懸命働いていたのでした。








 その晩も給仕の仕事を終わってから、お皿やらコップやらをせっせと洗って、奥さんの用意してくれていたまかないを食べ終え、ステヴァン君の一日は終わりました。


「お疲れ様、ステヴァン。今日はもう休んでいいわよ」


 奥さんが眠そうに目をこすってそういいました。

 大きなおなかに手を添えている奥さんは、もうすぐ赤ちゃんが生まれる頃でした。ご主人がステヴァン君を雇ってくれたのも、半分はこうした事情からでした。


「はぁい、おかみさん。おやすみなさい」


「はいおやすみ。ああ、ところでステヴァン。最近仕事がない日によく出かけているようだけれど、一体どこへ行っているのかしら?」


「えっ、ああ。ちょっと近くの川へ魚を捕りに行ったり、ちょうどいい石を探したりしています」


 奥さんは少し驚いたような呆れたような顔をしました。


「魚を捕りに? ああステヴァン、お腹が空いているなら、自分で捕るなんてことをしないでそう言ってくれればいいのに」


「えっ? ああ違うんです。魚は食べるためじゃなくて。なんというか、鱗とかアゴの粘膜が欲しくて。あと残った身の部分は肉屋さんで獣の腱と代えてもらったり……」


「は、はぁ? まぁ、よくわからないけれど。でも、必要なものがあればちゃんというのよ? 私の代わりに毎日お給料もなしに働いてくれているんだから」


 きっとご主人に対してなのでしょうが、事情を知らない奥さんはちょっぴり怒ったようにそういいました。

 ステヴァン君はのんびりした笑顔で返事をして洗い場を後にすると、ろうそくに火をつけ、自分の屋根裏部屋へと階段を上って行きました。


 部屋には板を組んで作った小さなベッドと、ほこりまみれの床の上に敷いたぼろの他には特に何もありません。屋根裏部屋なので、部屋の天井は真ん中に向かって傾いていましたが、端っこの方にはクモの巣があちこちに貼ってあります。


 ステヴァン君は火のついたろうそくの皿を床の上に置くと、自分も床のぼろの上に腰を降ろしました。

 ベッドの脇に目をやると、村を追いだされたときにステヴァン君の荷物が入ったひも付きの袋がさみしそうに横たわっていて、そのとなりには、真ん中のところで無残に折れてしまっているイチイの木でできた弓がありました。


 ステヴァン君が小さい頃におじいさんが作ってくれた大切な思い出の弓は、あの日、ステヴァン君の家に入ってきた村の人たちの手によって壊されてしまったのでした。

 これには温厚なる我らがステヴァン君も、さすがに声を上げて怒りましたし、声を上げて泣きました。

 しかし弓を壊されてしまった悲しみよりも、その時のみんなの様子そのものの方が今のステヴァン君には恐ろしく、そしてかなしく感じました。なにしろ弓の他にも、オーガがお土産として残してくれたウサギの毛皮や焼き菓子、塩とスパイスが入った小箱もまた、村のみんなは踏みつけ引き裂いて火の中に放り込んでしまったのですから。


 ステヴァン君はしゅんとして目を伏せ、折れた弓から目を離しました。

 それから、ベッドの下にごそごそと手を伸ばし、同じようなぼろの包みを引っ張り出しました。

 包みを開くと、姿を見せたのは大きな獣の角と小さなつぼでした。それは縦二つに割られていて、所々削られたあとがあり、小さなつぼにはどろりとしたにかわが入っていました。




 この角は、以前は店の壁に掛けられていたものでした。

 働き始めて間もないころ、ステヴァン君がご主人に無理を承知で頼んで、譲ってもらったのです。

 はじめのうち、ご主人はさすがにしぶっていました。


「ううん、なあステヴァンよ。これは俺のおじいさんのころからこの店にあるものなんだ。お前がこいつを何に使おうとしているのかは知らんが、あきらめちゃあくれないか」


 それを聞いて、しかしステヴァン君は食い下がりました。


「ご主人、僕はこの先どんなに働いてもお給料はいりません。それでももし足りなければ、どうか僕に貸しにしてください。どんなことがあっても、借りは必ずお返ししますから」


「はあ、やれやれ、誰だよこいつに貸しだの借りだの教えたのは……ああ、俺か」


 そうして、丸一日中根気強くお願いされたご主人はとうとう折れ、ステヴァン君は約束通りこれから先のただ働きと大きな貸しとを引き換えにして、この大きな角を手に入れたのでした。


「……さぁ、今日も始めよう。一日でも早く作り上げなくちゃ」


 一日の仕事を終えたステヴァン君は、そういって今度は自分自身の仕事を始めたのでした。

 寝る前に行うこの弓づくりは毎日明け方まで続き、ステヴァン君は眠る時間を少なくしてまでずっとそれに取り組んでいました。

 おかげでステヴァン君はいつもくたくたでしたが、不思議と苦にはなりませんでした。むしろ、こうして何かに一生懸命に取り組むということに、充実感というか、満足感というか、そんなものさえ感じられるステヴァン君なのでした。







 ところで、そんな一際寒さが緩んだとある陽気の日のこと。

 都の方から兵隊さんたちがぞろぞろとやってきました。町に兵隊さんが来るのは大変珍しいことなので、たちまちちょっとしたお祭りのような騒ぎになりました。

 広場では町長さんがハンカチ片手に汗をふきふき、金色のきれいな髪と青い目をした兵隊の若大将を出迎え、せこせこと握手をして歓迎の言葉を述べました。


「ああ、やっと来ていただけましたな! しかしこんなに大勢でいらっしゃるとは、聞いておればあらかじめ歓迎パーティの一つや二つ用意いたしましたのに!」


「いえいえ、オーガといえば恐ろしい人食い鬼。決して逃がさずに始末するために、私の父上がこうして準備をしてくださったのです。我らが来たからにはどうぞご安心ください」


 若大将はそういって胸を張り、兵隊さんたちに休めの指示を出しました。

 町のみんながぐるりと広場を囲み、そこに整列する兵隊さんの列を押し合いへし合いしながら見つめていました。

 ご主人の言いつけでおつかいに出ていたステヴァン君も、他の人たちにもみくちゃにされながら兵隊さんの数をひいふうみいと数えました。

 数えたところ、兵隊さんは実に七ダース(つまりは八十四人)もいます。みんなひざ上まであるマントを真鍮でできたきれいなボタンで留め、水はけ用のニスが塗られた立派な革の長くつをはいていました。


「あの兵隊さんたちは何をしに来たんです?」


 ステヴァン君は近くにいた人に聞きました。


「なにってお前、オーガ退治に決まっているだろう。もうだいぶ前に町長さんが都のお偉いさんに掛け合って以来、うんともすんとも返事がなかったらしいんだが、今になってようやく来たみたいだな」


「オーガ、退治……」


「おおよ、まあこの町でも最近じゃあ森でオーガを見たっていうやつは数知れず、そのほとんどがケガも何にも負っちゃいないんだから、なにもわざわざ兵隊さんに来てもらわなくたっていいと思わなくもないわな。それもあんなに大勢でよ」


「きっといいとこ見せたいんだろうよ、村長のおっさんは。自分はこんなに都に顔が利きますよってな具合でな」


「……」


 話がだんだん世間話になっていくのをほとんど聞かず、ステヴァン君は何かを考えているようにむっつりとしながら、そそくさとその場を立ち去ったのでした。





 

 その晩、酒場は大忙しになりました。なにせ七ダースもいる兵隊さんたちのほとんどがお酒を飲みにこぞってやってきたからです。

 たちまち椅子は兵隊さんで埋まってしまい、いつも来ている町の人は追い出されるか、立ったままお酒を飲まなくてはいけなくなりました。

 兵隊さんはご主人にたくさんお酒を注文して、次々に乾杯の声を上げていました。中には「オーガの死に!」なんていう乾杯の音頭もあって、ステヴァン君は少し苦い顔をかくせませんでした。


 はじめは、兵隊さんの中に町の人も混じって一緒にお酒を飲んでいたのですが、そのうちお酒がまわるにつれて、兵隊さんたちの態度が少しずつ変わって行きました。

 兵隊さんたちの自信たっぷりな物言いはどんどんきつくなり、どちらかというと偉そうになっていきました。まだ料理の乗っているテーブルに足を掛けたり、他のお客さんに難癖をつけてからんだり、そんな兵隊さんに町の人は徐々についていけなくなりました。


 お酒や料理を給仕しているステヴァン君も「なんだ、そんなところにいたのか。ちびっこ過ぎてわからなかったぜ」なんて笑われながら足を引っ掛けられたり、頭を小突かれたりしました。

 まあ、これくらいなら腹を立てるほどでもないと思って仕事をしていた我らがステヴァン君だったのですが、しばらくしてたまたま酒場に用があってやってきた町の娘さんが、酔った兵隊さんに腕をぐいと引っ張られているのを見つけてしまった時にはまいってしまいました。


 娘さんは嫌がっているようでしたが、酔った兵隊さんたちはそんなことお構いなしなようで、娘さんにお酒を注ぐように言っているところでした。

 ステヴァン君はどうしたものかと考えているうちに、そんな娘さんと目が合ってしまいました。

 困って助けを求めるようにこちらを見つめているその目を見て、ステヴァン君は内心びくびくしながらも、新しいビールを持ってテーブルへと向かいました。


「お、お客さん。その娘さんはその、店のお手伝いさんじゃないので、なんというか……」


「あ? なんだぁチビすけ」


 それまで上機嫌だった兵隊さんの顔が、みるみる怖いものになっていきます。 これはまずいと思ったステヴァン君は娘さんの腕を掴んでいた腕をほどきました。幸い、あまり力が入っていなかったこともあってすぐに娘さんは離してもらえ、ステヴァン君は代わりにその手にビールのジョッキを握らせました。


「し、失礼しました。このビールはなんというか、その、お代はけっこうですから……」


「チッ、なんだこいつ。わかったわかった、しらけちまったぜ」


 ステアヴァン君はひょいとおじぎをすると、娘さんを素早く外へと連れて行って送り出しました。娘さんからはお礼を言われましたが、その後ろ姿を見送った後からどっと疲れが出るのを感じました。




 結局その夜、かなり遅くなるまで兵隊さんは帰らなかったので、ご主人もステヴァン君も、身重の奥さんですらてんてこ舞いな一日でした。

 ステヴァン君に至っては、食器を持って少なくとも二百回は部屋と厨房を行ったり来たりしたほどでした。


 今日はもう弓づくりもできないなと、疲れていたステヴァン君は思いましたが、やっとこさ兵隊さんたちが帰るという頃になって、酔っぱらった兵隊さんたちがこんな話をしているのを聞いてしまいました。


「なぁ、本当にオーガをやったやつにゃあ、たんまりと褒美がもらえるんだろうな?」


「ああ、うちの若大将が貴族の親父どのから仰せつかったんだとよ。貴族の旦那は国王陛下から仰せつかったらしいがね。

 オーガを討ち取ったら若大将には跡取りとして大いに|はく〈、、〉がつく。親父どのも大事な坊ちゃんが大手柄で鼻たかだか、ってなもんだろ。ま、俺達のうちの誰がオーガを殺しても、結局はうちの若旦那の手柄になるってことだがね」


「ああ? それじゃあ褒美は?」


「ばーか、殺したやつには褒美が入る。お偉いさんにゃあ肩書きが入る。そういうこった」


「へえ、〝せいじ〟ってやつか。しかし相手はオーガだぞ、俺なんて話にしか聞いたことねぇ。そう簡単に行くかね?」


「なあに心配すんなって。町の連中の話じゃあ見つかっても誰もケガの一つもしちゃいねえってよ。案外、てんで大したことなかったりしてな。昔話じゃあよくある話さ」


「……」


 わっはっは、とご機嫌な様子で店を出て行く兵隊さんたちを見送りながら、ステヴァン君の胸の内は穏やかではありませんでした。








 明くる朝、早速森へ出発する兵隊さんたちを見送るために、町中の人が広場に集まりました。

 といっても、町の大人たちの中には酒場での兵隊さんの横柄な様子を見た人も多かったので、心から応援したいと思って見送る人は多くないように見えました。


 若大将の出発を告げるトランペットの音色が、高らかに響き渡ります。

 足並みをそろえて行進を始めた兵隊さんの中には、ちょっと顔色のよくない人たちがちらほらいました。きっと昨日お酒を飲み過ぎた兵隊さんたちでしょう。 そんな気持ちの悪そうな顔をしている何人か以外の兵隊さんたちは、走って追いかけてくる町の子供たちに向かってにこやかに手を振ったり、娘さんやおばあさんから花束や花の環を受け取ったりしていました。


 兵隊さんたちが町の門を出ていってしまうのを見届けると、町の人達はぽつりぽつりと自分の仕事に戻って行きました。

 酒場のご夫婦と一緒に広場に来ていたステヴァン君も、身重の奥さんの手をひいて酒場に戻りましたが、三人ともすっかり疲れてしまっていたので、その日は店を開ける頃まで仕事をせずにゆっくりすることにしたのでした。


 ステヴァン君は家に戻るなりぐっすりと眠って、昼にはすっきりと目を覚ましました。それから夕方になるまでは、せっせと弓づくりに励むことにしました。

 毎日こつこつと取り組んでいたこともあって、もう大分弓らしくなってきています。

 今や縦二つに割られた大きな角は煮沸されて真っ直ぐになり、横幅も広すぎない程度にやすりをかけられていましたし、魚のにかわやら獣の腱やらを幾重も重ねて張り付けてありました。


 ステヴァン君は前に使っていた弓の弦をほどいて新しい弓に巻きつけ、きつくピンと張ってみました。

 新しい弓は今まで使っていた弓よりも少し小さくて、狭いことろでも先端を引っかけなくてよいような作りになっていましたが、とんでもなくきつく弦を張ったせいで、ステヴァン君自身でさえ引くのに苦労するほど強い弓に仕上がっていました。

 どんなに強い力で引っ張っても、弾力を増した大きな角は頑固にもとに戻ろうとします。


「う~ん、どうだろう。こう造りが甘いと何本か射ただけですぐにたわんでしまうような気がするけれど……」


 ちょっぴりぐちをこぼしたステヴァン君でしたが、オーガが教えてくれたことをにわか仕込みで作ったにしては、上々の出来栄えだとも思えました。



 試し撃ちでもしてみようか、と思った矢先、ステヴァン君は外がなにやら騒がしくなっていることに気が付きました。

 何事かと思って屋根裏を降りると、酒場のご夫婦も同じように外に出ようとしているところでした。


「やあ、なにがあったんだい?」


 外に出たご主人が常連のでっぷりしたおじさんに尋ねました。


「ああ、兵隊さんたちが帰ってきたんだとよっ」


「あら、日のあるうちに戻られるなんて、お早いお帰りだこと」


 奥さんがお腹に手を当ててぴしゃりといいました。

 ちょっぴり怒っているようです。


「それで、どうだったんです。その、オーガは?」


 おずおずとステヴァン君が尋ねました。


「はっは、それがびっくり仰天さ。なんてったって七ダースの兵隊さんたちがみんなやられちまったんだから!」


「なに、それは本当かい!?」


 びっくりした様子の三人に、おじさんはどこか嬉しそうに笑いながら、


「本当だとも! まあ殺された奴は一人もいないみたいだが、みんな身体中なぐられたみたいにぼこぼこになっていたよ。あいつら昨日俺を店から追い出しやがったからな。あんまし大きい声じゃあ言えないが、正直ざまあみろってなもんだよ」


 そういって家へ戻って行きました。

 三人は互いに顔を見合わせると、とりあえず店を開く準備をするために家に戻ったのでした。







 その晩、またも酒場には兵隊さんたちがたくさん入ってきました。

 おじさんのいった通り、みんな顔や腕にアザやら傷やらをつくっていました。中には片目の周りが紫色のアザに覆われている人もいて、町の人たちにこっそり笑われていました。

 ビールを飲むときも口の中の傷に相当しみている様子で、ほとんどの人はなにか酸っぱいものでも飲むかのような顔でビールを飲んでいました。


 どこか偉そうで横柄な感じがした昨日とは打って変わって、兵隊さんたちはあんまり騒いだり笑ったりしませんでした。

 それを店に来ていた町の人たちがちょっとからかうと、さすがに怒りはしたものの、すぐにまた黙り込んでしまうのでした。


 ステヴァン君も昨日とは違って誰からもからかわれたりしなかったので、ずっと仕事がしやすかったのですが、さすがにちょっと兵隊さんたちがかわいそうに思えなくもありませんでした。


「……誰だよ、オーガなんざ楽勝だなんて大見得きってたやつはよ」


「やかましい、お前だって昨日は前祝いだとかいって大酒くらって二日酔いだったくせに」


「うるせえ……はあ、俺今回は降りようかなあ」


「……俺も。このままいくと命がいくつあっても足りねえよ」


 そんな風にぐちをこぼしていた兵隊さんたちは、店の壁に協力を求める張り紙をすると、今晩はあんまり遅くならないうちにさっさと帰って行ってしまいました。

 そんな兵隊さんたちを静かに見送った後、自分たちの居場所を取り戻した町の大人たちは、兵隊さんがみんな帰ったことを何度も確認してから、テーブルを囲んで小さく乾杯をするのでした。


 そうしてみんなが家に帰り、店を閉めて後片付けも済ませたステヴァン君は、洗ったお皿をふきんで拭きながら考えごとをしていました。




 考えていたのはもちろん、オーガのことでした。




 ステヴァン君には森でオーガが真っ赤になって、押し寄せてくる兵隊さんたちをばったばったとやっつけていく姿が目に浮かぶようでした。

 オーガにとって戦うこと、そしてそれに勝つことは大きなほまれであると、ステヴァン君はあの夜教えてもらいました。

 兵隊さんたちが戦うことを諦めない限り、きっとオーガは戦い続けるのでしょう。

 兵隊さんたちはもう戦いたくないようでしたが、昨日ステヴァン君が聞いた限りでは、これはどうやら貴族の若大将の手柄とりのための戦のようでしたから、もしかしたらオーガの首がとられるまでは、町には次々と新たな兵隊さんが来るかもしれません。


「……」


 ステヴァン君はむっつりとして何も言わず、お皿を拭き終えてそれをみんな戸棚にしまいました。


「あら、もう済ませてしまったのね。お疲れ様ステヴァン、今日はもういいからお休みなさいな」


 洗い場の外から奥さんが首だけ出してそう言いました。


「……はい。あの、奥さん」


「ん、どうしたの、そんなにむっつりして」


 いつもはのんびりとしているステヴァン君がいつになく真面目な感じなので、奥さんはちょっと驚いているようでした。


 ステヴァン君は表情を崩さずに言いました。


「明日の仕事なんですけど……」













 次の日の朝、兵隊さんたちは前の日と同じように若大将のトランペットの音色と共に森へと出発しました。

 足並みこそさすがに乱れてはいないものの、その足取りはどこか重たく見えましたし、どちらかというと下を見ながら歩いている兵隊さんが多いように思われました。


 兵隊の若大将は、行進する列の真ん中あたりを馬に乗って進んでいました。

 七ダースもいる兵隊さんの中でも、若大将は顔に傷がついていない数少ない一人でした。

 その腰には黒い牛の皮と真鍮のびょうでこしらえられた立派なさやに包まれた騎士の剣を下げています。

 他の兵隊さんたちがどこか嫌そうな顔をしているのを見て、若大将のきれいな青い目は、怒ったように細まっていました。

 森に着くと、若大将は馬の上から兵隊さんたちに指示を出しました。


「さあ、今日こそはあの憎き人食い鬼めを退治してくれようぞ!」


 昨日はみんな大きな鬨の声を上げて応えてくれたのですが、今日は応えてくれる人とそうでない人とで半分半分といったところでした。

 そんな兵隊さんたちを見た若大将はちょっとむっとしたようでしたが、何かを言おうとして口を開く前に、兵隊さんの一人が声を上げました。


「出たっ、オーガだぁっ!」


 声のした方へ目を向けると、冬でも葉の落ちることなく生い茂る松の木々の影からぎらりと輝く二つの目が、若大将を含めたみんなを睨みつけていました。

 そこからのっしのっしと雪に足跡を付けながら陽の下に現れたのは、身体を真っ赤に染めたオーガでした。


「わざわざそちらから出向いてくるとは! さあ、みなかかれ!」


 若大将が金色の髪をなびかせ、腰から騎士の剣を抜いて声を上げます。

 その姿に勇気づけられたのか、兵隊さんが十人がかりでオーガに立ち向かっていきました。




「やあっ……あぁ?」



 三人が振るった剣は、逆に真っ二つに折れました。




「てえっ……えぇ?」




 四人が突いた槍は、穂先がひしゃげて使い物にならなくなりました。




「はあっ……あぁ~」




 ふところに飛び込もうとした二人は、首根っこを掴まれて十メートルも向こうへ投げ飛ばされてしまいました。





 そんな仲間の様子に、残り一人はただただぶるぶる震えるだけで、他の兵隊さんたちもみんな呆気にとられたように立っていることしかできませんでした。


「くそっ、化け物め! ひるむなっ、矢で射殺せ!」


 若大将のラッパみたいな良い声に励まされて、弓を持った兵隊さんが列を組みました。きりきりと音を立てて弦を引き絞ると、四ダース半もの矢がいっせいにオーガに降り注ぎました。


「ぬ、矢か」


 オーガは綱のようにたくましい腕を交差させて顔をおおうだけで、後は真正面から四ダース半の矢を受けて立ちました。

 びゅんびゅん風を切って襲いかかってくる矢は、真っ赤な鋼みたいになったオーガの身体に当っては跳ね返っていきます。

 そうして結局四ダース半の内、オーガの身体に食い込んだ矢は一本もありませんでした。



「なにをしているのだっ! ただの一つも貫けぬとは全く情けない!」


「そこの金色の髪の若いの。お前さんが大将か?」


 オーガは太く通る声で若大将に声をかけました。

 若大将は怒ったような顔を崩すことはありません。


「いかにも。しかし貴様のような化け物と話すことはなにもない! 大人しくその首、即刻差し出せ!」


「ぬ、そいつはできん相談だ。欲しければお前さん自身の手で取りに来ることだな」


 そう言ってオーガは手で刀をつくってトンと自分の首に当ててみせました。

 そんなバカにされたような態度をとられた若大将は、今度こそかんかんに怒ったようでした。


「ええいっ、こうなったら火攻めだっ、森に火を放ていっ!」


「し、しかし若。火攻めは風向きをしかと見極めねばこちらが危なくなってしまいます」


「かまわんっ、現に風は我らに追い風に吹いているではないかっ、早く放て!」


 兵隊さんたちは少し迷っていたようでしたが、急いで矢じりに真っ黒なタールを塗りつけ朱色の火をともすと、松の木々に向かって一斉にそれを放ちました。 じつのところ、あまりにも怒っている若大将は今や馬の背の上から騎士の剣をぶんぶん振り回していましたので、機嫌を損ねると首をはねられるかもしれないとみんな思っていたのです。


 そんなやりとりと、じきにぱっと火の手を上げ始めた松の木々を見て、オーガは少し目を丸くしていました。


「やれやれ、やるのなら俺一人を狙えば良いものを。仕方ない、場所を移すことにしよう。ここで鹿をとれなくなるのは俺も困るからなぁ」


 灰色の長い髪をぽりぽりとかいてそうひとりごちたオーガはくるりと背を向けて、森の奥の方へどしどし走って行きました。

 それを見て、オーガが逃げたと思った若大将はそれみたことかといわんばかりに機嫌を良くして、


「やはり獣の類だな、火を恐れて逃げ出すとは! しかし向こうは確か崖になっていて、下は雪解けの大河が流れているはず。これは好機だっ、決してきゃつを逃がしてはならぬっ、押し包んで討ってとれ!」


 自信を取り戻した若大将のりんとした声に後押しされるように、兵隊さんたちもようやく声を一つにして「おおっ」と鬨の声を上げ、崖のほうに向かったオーガをみんなで追いかけたのでした。








 兵隊さんたちがオーガの後を追って崖に辿り着くまでにも、あちこちで森に火が放たれました。

 キツツキが開けた木の穴で冬眠していたリスやヤマネたちは、火の手が上がるとあわてて巣穴をはい出して逃げ回りました。

 まっしろな冬毛に覆われた野ウサギの親子も、火を怖がってぴょんぴょん逃げていきます。

 そうしてそのうち冬眠しているクマですら目を覚ましてしまうかもしれないほどに、森中はちょっとした大騒ぎになりました。


 若大将のにらんだ通り、オーガははるか下の方に雪解けで水かさを増した河がある崖っぷちに一人、めえっと立っていました。

 追いついた兵隊さんたちは、けれどみんなオーガが怖いこともあって、けっこうな距離をとってぐるりとオーガを取り囲んでいました。

 オーガは崖に背を向け、兵隊さんたちに両手を広げました。


「さあどうした、誰もかかってこんのか?」


 オーガの言葉に、兵隊さんたちは互いに顔を見合わせるばかりで、誰もかかろうとしません。誰も口にはしませんでしたが、その実オーガが恐ろしかったのです。

 オーガは灰色の眉を片方つり上げると、今度は兵隊さんたちに背を向けて崖の方を向き、そこにどっかりと腰を下ろしてしまいました。


「おいっ、貴様なんのつもりだ!」


 若大将が大きな声で呼びかけました。

 しかしオーガはそれには応えず、代わりに背中を自分でちょいちょいと指さして、それからニヤリと笑ったのでした。


 これにはさすがに若大将はもちろんのこと、それを見た兵隊さんの何人かもきっとむかっときたことでしょう。

 その証拠に、弓矢を持った兵隊さんたちは矢じりに火をつけたまま、再びオーガの大きな背中に向かって一斉に矢を射ました。

 兵隊さんたちの狙いは完璧で、四ダース近くの火矢がオーガの背中に確かに当たりました。


 矢はばちばちと音をたてましたけれど、やっぱりゆらゆらと湯気を立てている真っ赤で固いオーガの背中に刺さるような矢は、一本もありませんでした。


「なんていうことだっ、誰かあの背に矢を突き立てることができる者はいないのか!」


 若大将はまた騎士の剣を振り回して怒りましたが、こればっかりはどうしようもない兵隊さんたちは、しゅんと肩を落とすしかありませんでした。







 ちょうどそんなときでした。







 兵隊さんたちのはるか後ろの方から、まるで怒り狂ったスズメバチのようなぶーんという音を立てて飛んできた矢が、見事にオーガの厚い肩口にぶすりと突き刺さったのです!


 オーガは驚いたように目を丸くしました。


 若大将も、続けて怒鳴ろうとした言葉をびっくりして忘れてしまいました。


 兵隊さんたちなんて、あんまり驚いたものですから、互いに顔を見合わせて

「え、今の矢はお前?」「いいや、違うぞ」なんて小さく聞きあったくらいです。




 それからすぐに、二本目の矢が飛びました。

 兵隊さんたちの頭をかすめ、若大将のすぐわきをものすごい速さで駆けぬけたその矢はまたしても、今度はオーガの反対側の肩口を貫きました!




 今度こそ、兵隊さんたちは矢が自分たちの後ろの方から飛んできたことを知りました。

 そうして若大将を含めて誰も声一つ出さないうちに、人垣はあっという間に二つに割れていきました。

 後ろの方からは、ざくざくと雪を踏みしめながら走ってくる足音がしました。


「……ぬ」



 オーガの鋭い耳は、ざわざわとした騒ぎの中でもその足音が一人分であることをしっかりと聞き分けました。



 足音の本人は気付いていないかもしれませんが、雪の上を走っているというのに足音そのものはあまり大きなものではありません。


 これは普通の人や兵隊さんにはなかなかできることではありませんでした。



 それは間違いなく、夜の暗闇の中で獲物を追いかけ、追い詰め、そして狩る人の足音。



 残念ながら走ってきたせいで息が少し乱れているので、相手が鹿ならきっと気付かれてしまうことでしょう。

 その意味では、どこかちょっぴり詰めが甘い感じがします。



 けれど、それは確かに〝狩人〟だけが持っている足音でした。




 若大将と七ダースの兵隊さんたちは、そこで弓を構える若い狩人の姿を見ました。




 身体は小さいけれどしゃんと胸を張り、おもちゃみたいに短い弓を難儀そうにぎりぎりと引き絞る、そんな狩人の姿を。




 その灰色の瞳はまるでその向こう側が透けて見えるかとすら思えるほどにりんと澄んでいて、どこか決然とした輝きをたたえている、そんな狩人の姿を。



 

 狩人は少し矢柄を下げ、矢じりと標的が一直線になるようにして照準をあわせると、どこか泣きそうなくらい必死な顔つきで、三本目の矢を放ちました!




 矢は襲いかかる蛇のように素早く地面を駆け、二本目の矢のすぐ隣に、三本の中で一番深く突き刺さりました。




「ぬっ、この矢は……」



 オーガがこぼす小さな声を、そこにいた誰一人、聞くことはありませんでした。




「……さては、作り上げたな。いやはや、効いたぞ」


 そして、オーガのその口元にニヤリと不敵な笑みが浮かんだのも、そこにいた誰一人として、見えたものはいませんでした。


 オーガの大きな身体がグラリと傾ぎ、そしてゆっくりと前に倒れると、オーガは高い崖をまっさかさまに落ちていきました。






「グオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!」







 オーガの最後の叫び声は森全体がぶるぶると震えるほどに、それはそれはとてつもないものでした。

 その凄まじさといったら、兵隊さんたちが思わず一歩後ろへのけぞり、勇敢な若大将の馬ですら怯えて後ずさってしまうほどでした。

 けれどそんな叫び声も、やがて雪解けの荒川に落ちるばしゃんっという音がした後には、聞こえなくなりました。





 しばらくの間、若大将も、七ダースの兵隊さんも、誰一人としてなにも言わずにだまっていました。


 聞こえてくるのは、誰かが泣きながら鼻をすするような、そんな小さな音だけ。


「倒した……? 倒した、倒したぞ! ついにオーガを討ち取ったんだ!」


 若大将が真っ先に気を取り直しました。

 嬉しさでほくほく顔の若大将につられるように、兵隊さんたちも一人、また一人と「勝ったっ、勝ったぞ!」と声を上げ、すぐに七ダースの兵隊さんみんながやんややんやと勝ち鬨を上げました。



 そんなちょっとしたお祭り騒ぎの中で、笑うことも声を上げることもしない人が一人。

 馬の上の若大将が上機嫌の笑顔で話しかけました。


「おいそこの、見たところ町の狩人か! 義勇兵としての働き、まこと大儀であった!」


「……」


「あ、あれ、あいつ確か酒場の……」


 兵隊さんの一人が、ぽかんとした様子で見つめる先には、雨上がりの空のようにきれいな灰色の眼から静かに涙を流している年若き狩人の姿がありました。




 そう、誰あろう我らがステヴァン君の姿が、そこにはあったのでした。





「どうしたのだ。なぜ、泣いている?」


 若大将が心底不思議そうに聞きました。

 ステヴァン君は首を横に振るだけで、応えることはありませんでした。

 その涙のわけは流している本人にもよくわからなかったからです。

 それには困難を乗り越えた達成感も、努力が報われたうれしさも、そしてなんとも言葉にできず、どこかやりきれない気持ちも、ありとあらゆる気持ちが溢れていました。




 崖から見下した雪解けの大河の強い流れは決して一所に留まることはなく、冷たい激しさと共にどこまでも絶えることなく流れていくのでした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ