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早春の風、爽やかに  作者: ダイ
2/6

少年と夢


 ステヴァン君が森を抜けて町に着くころには、もう夜の底は白くなっていました。

 結局鹿一頭どころか、テン一匹すらしとめられなかったので、ステヴァン君の背嚢は軽いままでした。小さくため息をつくと、我らがステヴァン君は静かな町の中へと入ります。


 あんまり早いので、町の人はおろかニワトリでさえまだ夢の中です。

 ステヴァン君は細い路地を通って、重く閉まったドアをあけました。中に入った拍子にドアの上についていた鈴が、小さく落ち着いた音を立てて鳴りました。


「いらっしゃい、悪いけどもう店じまいだよ」


 入ってきたステヴァン君の方を見もしないで、せっせとグラスを拭いていたお店のご主人が言いました。


 ここは町の酒場でした。

 流石にお客さんは皆帰ってしまったようで、中には二人以外には誰もいません。壁に掛けられた大きな獣の角を気味悪そうに見つめながら、ステヴァン君が疲れたように足を引きずってカウンターまで来たところで、ご主人はようやく顔を上げました。


「おぉ、ステヴァン、偉大な狩人が戻られたぞっ」


 そう言って笑っていたご主人でしたが、肝心のステヴァン君の方が落ち込んだ様子なのを見ると、少しばつが悪そうに咳払いをして、


「き、今日は、きっと見えない獲物なんだろうな」


 そんな冗談を言うのでした。

 ステヴァン君が何も言わないでいると、ご主人はグラスを拭く手を止め、木でできた大きなコップに水を汲んで、ステヴァン君に渡してくれました。


「それで、見えない獲物をたんまり持ってる狩人さんは、何の用で来たんだい」


 ステヴァン君が水を飲み終えるのを待ってから、ご主人が聞きます。


「買い取ってほしいものがあるんだ」


「へぇ、悪いが見えない肉に払う金はないぜ」


 ご主人は笑いましたが、ステヴァン君が背嚢から出したものはお肉ではなく、大きな袋でした。

 それを見て、ご主人は眉をひそめます。


「なんだい、もしかしてじゃがいもじゃあないだろうな。そんなものは買い取れないよ」


「違うよ、森で見つけたんだ」


 ステヴァン君が袋の中を見せると、ご主人はひゅう、と口笛を吹きました。


「おお、こりゃあ見事なマッシュルームだな。しかもこんなにたくさんとは」


 そう、ステヴァン君が持ってきたのはマッシュルームだったのです。オーガに獲物を横取りされ、手ぶらで森を出ようとしたときに運よく見つけたものでした。大粒ぞろいだったので、もしかしたら買い取ってもらえるかもしれないと思って、ステヴァン君は酒場にやってきたのです。


「買い取ってもらえるかい」


「ああ、いいとも。払いは現物かい、それとも貸しにするかい」


 現物を選べばお金がもらえます。

 だたし貸しにしてもらえば、いつかお金が必要なときにそれを返してもらえるのです。町にあるお金の量は限られているので、帳簿の上だけのお金の貸し借りの方が、お店を営んでいる人にとっては嬉しいことなのです。

 もっともこれは商人さんたちの決まり事なので、我らがステヴァン君にはあまり関係のないことでした。


「ちなみに現物だと、どれくらいかな」


「ううん、そうさな」


 ご主人は袋の中身をまさぐって、マッシュルームの大きさや数を調べました。


「銀貨二枚でどうだい」


 ステヴァン君は唸りました。つつましく暮らせば銀貨一枚で七日は暮らせます。けれど自分にケープや頭巾を織ってくれた村のおばさんたちや、自分がいない間畑の世話をしてくれていたおじさんたちに、きちんとお礼をしなければなりません。そうなるとどうにも首が回らないといった感じでした。

 もちろん、きちんと獲物をしとめてさえいれば何の問題もなかったのですから、悪いのは自分だと割りきるしかありません。

 なにより、手ぶらで帰るところが銀貨二枚に化けたのですから、文句を言うのも筋違いというものです。

 そうして、ステヴァン君は苦い顔で銀貨を受けとりました。


 そんなステヴァン君の顔が面白かったのか、ご主人はおどけたように肩をすくめました。


「まぁ気を落とすなよ。また弓の練習をすれば、今度はきっと大猟だろうさ」


「別に獲物に会わなかったわけじゃないんだ。ただオーガが……」




 その一言で、ご主人の顔色が一気に変わりました。

 それまでのんびり眠そうにしていた顔から、血の気が引いています。




「お、オーガだって! お前、オーガに会ったのかっ」


 まるで幽霊でも見るような目でした。この辺に住んでいる人はみんな、子供の頃に「オーガに会ったらすぐに捕まって、頭からばりばり食べられてしまうぞ」というお話を聞かされているのですから、無理もありません。


 ご主人はよほど気が気ではないのでしょう。

 なにせぼんやりと遠くを見るようにして、グラスを拭く布で自分の汗を拭ってしまっているのですから。


「最近、店に来た旅の人もそんなことを言っていたんだよ。そのときは誰も信じていなかったから、『オーガに会ったなら、なんでアンタには首がついてるんだ』なんていって笑っていたんだが……」


 不安そうなステヴァン君の顔を見て、ご主人ははっとしたように口を濁しました。


「い、いや、取り乱して悪かった。このことは俺の方から町長さんに話しておくとしよう。誰かが本当に食われてしまう前に、兵隊さんを呼んでもらったほうがいいな」


 また用があったらいつでも来な、そういってくれたご主人にお礼を言って、ステヴァン君は店を後にしたのでした。








 村までは歩いて半日以上かかるのですが、村へと向かう荷馬車にステヴァン君は運よく乗せてもらえることになりました。

 村でとれるライ麦と交換するための塩やハチミツなどが入った荷台はとても狭く、固い板の上に座るのでお尻が痛くなりました。

 けれどずっと歩き通しで疲れ切ったステヴァン君にとっては、固くてぎしぎし揺れる荷台も上等なベッドと一緒でした。


「兄ちゃん、もうすぐ着くぜ」


 行商のおじさんにそう言われて目を覚ました時には、辺りは夕焼けで真っ赤になっていました。ステヴァン君は塩のツボを倒さないように気を付けながら前に移り、おじさんの隣に座りました。


「乗せてくれてありがとう、助かりました」


「なぁに、行く道が同じなら当然さ」


 おじさんは髭の生えた顔にやんちゃそうな笑みを浮かべ、


「と、言いたいところだが、俺も商人でね。お代といっちゃあなんだが、どうだい、一つなにか話をしてくれないか」


 そう言ってステヴァン君の方を見てきます。

 少々困ったステヴァン君は、何も話せることがなく、結局酒場のご主人にしたのと同じ、オーガに会った話をしました。話を聞いたおじさんは「どっひゃあ」といって馬車から落ちそうになりました。


「そういうことで、酒場のご主人に話したら、町長さんに言って兵隊さんを呼んでくれるって言ってました」


 ステヴァン君が話し終えると、おじさんは手で顔を拭ってため息をついてしまいました。





 じきに、ステヴァン君の村が見えてきました。

 村が近づくにつれて、クワやスキを担いですれ違う知り合いも増えてきました。馬車の上から手を振って話をするステヴァン君の隣で、おじさんはぼそぼそと独り言をこぼしていました。


「いやはや、きょうびオーガが森に出るとはなぁ。兵隊さんが来るなら一安心だが、まったく。昔はオーガを討ち取った者には、自分の土地と馬が与えられたらしいが、そんな危ないこと、銀貨百枚積まれたって誰がやるもんかいな」


「えっ、今なんて?」


 あまりにはやくステヴァン君が振り向いたので、おじさんは目を丸くして驚きました。


「な、何って兄ちゃん。オーガとやりあうなんざごめんだって話だよ」


「違う、その前だよ。オーガを討ち取ったら、本当に自分の土地と馬がもらえるの?」


 あんまりステヴァン君が真剣に聞くので、おじさんは苦笑いしてしまいました。


「昔の話だよ。都の方で吟遊詩人が歌っていたのを聞いただけさ。それに、オーガと一対一で勝負しようなんざ正気の沙汰じゃない、兄ちゃんはヤツをじかに見たんだろう?」



 

 ……そうこう言っている間に馬車は村長さんの家の前に着いていました。


 馬の声を聞いて家から出てきた村長さんにあいさつして、ステヴァン君は狩りの結果を報告しました。

 村長さんはため息をついただけでステヴァン君を責めませんでした。ただ、明日からまた畑仕事をしっかりとこなすようにとだけいって、ステヴァン君に荷馬車の荷物を降ろすのを手伝わせた後で、静かに行商人のおじさんと家に入って行きました。


 近くの井戸の水で顔を洗って、濡らした布で身体を拭いたステヴァン君は、今はもう誰も住んでいない小さな家に帰ってきました。

 おじいさんが死んでしまってからは、ステヴァン君は一人でここに住んでいます。一人になったばかりのころは、夜になるとひどく怖くて寂しかった思い出がありましたが、今ではもう平気です。

 家に入ったステヴァン君は、かまどのそばに置いてあるツボのふたを開けました。中にはハチミツを使って作ったお酒が入っていて、大きな木のスプーンを使ってそれを飲むと、水で冷えた身体がじきに暖まりました。

 最後の一切れの干し肉を食べ終わると、ステヴァン君はわらにシーツを敷いたベッドに横になりました。馬車でたくさん眠ったというのに、すぐに眠たくなってきてしまいます。


「自分の土地、そして馬かぁ……」


 馬が一頭いれば、村ではそれだけで偉い人の仲間入りです。

 畑仕事をする人にとっては、馬は五人分も働いてくれる貴重なものですから、誰ものどから手が出るほど欲しいのは当たり前なのです。

 それに、自分の土地があれば、税金だと言って役人に持って行かれることもありません。

 それがもし、自分にもらえたなら、どんなに幸せなことでしょう。

 だんだんふわふわとしてきた頭の中で、ステヴァン君の想いは広がって行きました。






 ……じきにぐっすりと眠ってしまった我らがステヴァン君は、にやにやとしてしまりのない顔になってしまっていました。


 明日からまたいつも通りの畑仕事だけれど、今はきっと、とてもよい夢を見ているのでしょう。


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