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早春の風、爽やかに  作者: ダイ
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オーガと少年

 これは遠い遠い北の果てのお話。


 なんといっても北の果てですから、森の木々は松の樹ばかりで、なんだかとげとげちくちくしています。

 松ばかりですから、森は冬が来ても葉っぱが落ちることはありません。

 葉っぱが落ちないものですから、森の中は一年中暗くて、なんだかちょっぴり怖いところです。

 そんなちょっぴり怖い森ですから、人々もあまり中へ入ろうとはしないのでした。


 ある夏の夜のこと。そんなちょっぴり怖い森をたった一人で歩く人がいました。

 毛織りのケープをすっぽりとはおり、頭には先がぴょんと尖った頭巾を被っています。夏にしては少し厚着のようにも思えますが、ここは北の果てなので夏でも夜はすこし肌寒いのです。

 木々のすき間からこぼれたお月さまの光が、その人の顔と手に持った弓とを、うっすらと照らしました。


 あらわになったのは、まだ若い青年の顔。名前はステヴァンといって、森から歩いて二日くらいのところにある小さな村に住んでいました。住んでいるといっても、彼は村では自分の家を持っていません。村長さんから家と畑を借りて、畑を耕しながら暮らしていました。

 北の土地は痩せていて、なかなか小麦は育ちません。じゃがいもならば寒いところでもよく育つのですが、教会の神父様たちが育ててはいけないといってお触れを出しているのでした。なにせじゃがいもは雄雌の区別がなく根っこからそのまま芽を出すのだから「とても不純なものだ」といって、じゃがいもを裁判にかけたこともあるほどです。

 

 小さな畑と痩せた小麦だけでは、人はどうしても生きていくことはできません。可哀想な我らがステヴァン君も、そのことを何度か村長さんに話したことがありました。

 けれど貧しいのはみんな同じですし、話したからといってどうなるわけでもありません。村長さんは寒くても育つライ麦のもみをくれましたが、あとはなにもしてくれませんでした。これは村長さんが意地悪なわけではありません。村で一番立派な家と畑を持っている村長さんでさえ、その暮らし向きはあまり豊かとはいえないものだったのですから。


 さてさて、我らがステヴァン君がちょっぴり怖い思いをしながらも、こうして森に来ていたのはこういう理由からでした。

 今の暮らしが少しでも楽になればよいなぁとみんなが思っていましたが、村で唯一それを成し遂げることができる人こそ、ほかならぬステヴァン君でした。

 なぜなら彼には、他の人にはない特技があったからです。


 それは弓の腕前でした。

 彼が持っているイチイの木でできた弓は、彼が小さい頃におじいさんがこしらえてくれたものでした。ステヴァン君の両親は彼が小さな頃に病気で亡くなってしまいました。だから一緒にいてくれたのはいつだっておじいさんで、ステヴァン君はそんなおじいさんが大好きだったのです。

 そんな大好きなおじいさんにもらった弓を、ステヴァン君は子供の頃から毎日必死になって練習しました。あんまり下手なので周りの人にはいっぱい笑われたこともありましたが、おかげで今ではとっても上手に矢を射ることができるようになったのでした。


 鹿の一頭でもしとめれば、肉は塩漬けや干し肉にして食料に、皮はなめしてコートやチョッキに、角は削って道具や飾りものとして売ることができます。そしたら寂しい暮らしにほんの少し、暖かさと豊かさが生まれるのです。

 村の人たちもそれが楽しみで、森へ出かけるステヴァン君のために毛織りのケープと頭巾を縫ってくれました。出発のときなど、ステヴァン君はあんまり嬉しくて、鹿をいっぱいしとめてもどるぞぉ、と大見得をきったくらいです。


 けれど、森へ入ってはや二日。

 残念ながら我らがステヴァン君は、鹿どころか、いたち一匹しとめていませんでした。

 動物たちはとても素早く、彼が一生懸命に矢を放ってもまるで当たらないのです。思えば我らがステヴァン君は今まで動かない的でしか弓の練習をしていなかったのですから、当然といえば当然です。


 だからこそ三日目になってしまった今日、ステヴァン君はこうして夜の暗闇と一緒になってまるで泥棒のようにこそこそと動き回っているのでした。町で買った干し肉も残りわずかですし、ステヴァン君自身もとっても疲れてしまっていました。


 小さな獣でもよいから、せめて一匹だけでもしとめたい。ステヴァン君は心の底から、そう思いました。

 お月様もだいぶ空高く上った頃、ステヴァン君は何やらころころとしたものが固まって落ちているのを見つけました。


「まだ新しいな。しめた、ここにはまだたくさん鹿がいるぞ」


 それは鹿のフンでした。

 においを堪えて丁寧に調べると、疲れきっていたステヴァン君の顔が、ほんの少し明るくなりました。


 暗い森の中である程度の見当をつけてずんずん歩き、ステヴァン君は森の中の窪地にたどり着きました。 真ん中の一番低いところに、立派な角を持った大きな牡鹿と角のない牝鹿が何頭か、お互いによりそっていました。気配を悟られないようにしてステヴァン君は離れた木の陰に隠れ、音を立てないようにゆっくりと矢を弓につがえました。


「やっぱり、一番大きいのがほしいな」


 歩き通しだったので、おなかも減ってきています。

 今までの苦労を思い出し、それに見合った獲物がほしいと思ったステヴァン君は一番大きく立派な角を持った牡鹿にねらいを定めました。

 今まで何百回となくやってきたように、矢柄を下げ、やじりと標的が一直線になるようにして照準をあわせます。きりきりと鳴る弦の音に気づいたのか、群のうちの一頭が耳をぴんと動かしてステヴァン君の方を見つめます。




 息も止まるような数秒。




 我らがステヴァン君は当たるように祈りを込めて、矢を放ちました。夜の冷たい空気を切るように、矢はものすごい速さで鹿めがけて一直線に飛んでいきます。


 命をとられた鹿の声が、かなしく響きました。

 しかし、いつまでたっても我らがステヴァン君の「やったぁ!」という声は聞こえてはきません。

 なぜなら彼の口は、途方もないほどの驚きで、あんぐりと開いてしまっていたのですから。


 ステヴァン君の放った矢は確かに命中しました。

 けれど、当ったのは鹿にではありません。

 ステヴァン君が矢を射る直前に窪地に飛び込んできた、『とても大きな生き物』に当ったのでした。


 もっともそれだけなら、いくら我らがステヴァン君が少々気弱な青年でもここまでびっくりするはずはありません。

 ならどうしてそんなに驚いてしまったのかというと、それは飛び込んできた大きな生き物がステヴァン君の大事な獲物を横取りしてしまったからだったのです。しかもその生き物は、角を持った大きな牡鹿を、その大きな拳で殴りつけて殺してしまったようにステヴァン君には見えました。


 さらに極めつけは、ステヴァン君が放った矢は狙いを外し、その生き物に当ってしまったのですが、それがあろうことか音を立てて跳ね返されてしまったことでした。

 矢はくるくると宙を回って、それからぽとりと地面に落ちました。

 その小さな音でステヴァン君ははっとして我に返りましたが、途端にとても恐ろしくなってしまいました。夜の暗闇に慣れたステヴァン君の灰色の眼が、震えながらも大きく見開いて窪地の真ん中でぐったりとした牡鹿と、そのそばで立っている大きなものを見つめました。


 いつの間にか空にかかっていた雲が晴れ、お月さまの光がまた差してきます。

 それが窪地の真ん中を劇の明かりのように照らすと、立っていたものの姿があらわになりました。


 獣の皮をまとった大きな体は筋骨隆々で、体中から湯気のような煙がしゅうしゅうと立ち上っています。 髪の毛はお月様の光によく映える灰色で、女の人のように長く真っ直ぐでした。とても堂々とした姿に、思わずステヴァン君は見とれてしまうほどでした。

 どうやらとても大きなところ以外は人間と変わりがないようです。


 しかしその人が地面に落ちた矢を拾い上げ、髪をかきあげたとき。

 ステヴァン君はその人のおでこの辺りに二つ、小さな角のようなものが生えているのに気付いてしまいました。




「まさか、お、オ、オーガ……?」




 囁くようにステヴァン君は言い、そしてがたがた震えだしました。

 思わず踏んでしまった木の枝がぱきりと音を立ててしまい、二人の目が合いました。


 それは昔話や言い伝えで、人間と幾度となく戦争をしてきたというとても古い種族。

 とても大きく……強く……素早い……人とは違うおそろしい怪物。

 戦いで負けた人間をむしゃむしゃと食べてしまうことから、その名の意味は〝人を食べる鬼〟だという。


 そう、ステヴァン君が出会ってしまったのは、そのオーガだったのです。


 「あ、あ、ああ……」


 ステヴァン君は怖くて動くことができませんでした。

 子供の頃からずっとおじいさんや大人の人からオーガの恐ろしさを聞いていたからです。このままでは自分も食べられてしまう。そう思ったステヴァン君の目には、涙が浮かんでいました。

 だから、窪地に立っているオーガがいきなり声を上げたときには、ステヴァン君はびっくりして心臓が止まるところでした。


「そこにいるのは、人間だな?」


「ひぃっ」


 オーガの声はとても太く、雄々しい声でした。

 お腹の底がびりびりとするようなそんな声で、オーガは尋ねました。


「何か当ったと思ったんだが、この矢はお前さんのものかね?」


 ステヴァン君は思わず首を横に振りそうになりました。

 ここでうんといってしまえば、自分がオーガを襲った仕返しに、食べられてしまうかもしれないと思ったからです。

 けれど、ここで嘘をついてしまえば、それもまた嘘をついた罰として食べられてしまうかもしれません。 ですから我らがステヴァン君は、首を縦にも横にも振ることができずに、フクロウを怖がっているリスのように木の陰で震えていることしかできませんでした。


 いつまでも返事がないとわかると、オーガはあごに手をあてました。

 そうして少しの間黙っていると、今度はにやりと笑いました。


「俺の身体は石みたいに丈夫でな。まぁ、せいぜい頑張ることだ」


 そう言うとオーガはぐったりとした牡鹿を背負いあげ、森の奥へと去って行きました。


「………………え?」


 一人残されたステヴァン君はというと、怖くて腰が抜けたやら獲物をとられて悔しいやら、さらにはお腹が減って仕方がないやらで、しばらくそこから動けなかったのでした。



 これが、少年とオーガとの初めての出会いでした。


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