8.大淫婦の娼館街
「お父さん…お母さん…、私、とうとう売られてしまうかもしれません…」
「何言ってんだ?アイリスは」
「ほっときましょ。そういうお年頃なのよ」
沈痛な面持ちのアイリスをしり目に、先輩のサンドラ、マリーナは馬車が目的地に到着するのをまつ。
予定していた販路をロースの圧力によって封じられてしまったアルベルたちは、ヴォルナット王国有数の娼館街である ヨーションカの街、通称「大淫婦の娼館街」に訪れていた。
ヨーションカの街はその東半分を娼館が占め、東西の境目にはカップル用の貸し出し部屋、現代で言うところのラブホが散らばっているという、いわゆる色町である。
また、とある事情で女性のファッションや化粧品、化粧技術のメッカにもなっている。
余談だが、西側には、酒屋や市場、一般の住居が混在しており、存外に住みやすい街のようである。
街の東側に、一際大きな娼館があり、本日の目的地はどうやらそこのようだ。
「アイリス、知ってっか?これから行く娼館の主のこと」
馬車が目的地に到着するまでの暇つぶしにと、サンドラがアイリスに問いかけるも、あまり世間を知っているとは言い難いアイリスが知っているわけもなかった。
「え?知りません。何かあるのでしょうか?」
「そこの主はギルダさんっていうんだけど、この人がすげーのよ。昔からこの辺は娼館が多かったんだけど今ほどじゃなかったんだ。それをここまでデカくしたのがギルダさんなんだよ」
「へー!なんだかすごそうですねー」
「あ、お前たいして理解してないね? ギルダさんももともと娼婦としてこの街で働いていたんだけど、その時の娼館の支配人が、借金なんかを理由に娼婦の稼いだ金をピンハネしてやがったんだよ。 それを知ったギルダさんは娼婦たちを結託させて、その支配人を追い出しちまったんだ。」
「わぁ!なかなか過激な方なんですねぇ!でもよくそんな素直に出ていきましたね?」
「そりゃあ出て行けって言ったって出ていくわけないさ。その館の女たちを連れて、なんと自分で娼館をつくっちゃったんだよ。」
その話を聞き、さすがのアイリスも目を丸くする。
「よくできましたねそんなこと!館も新しく作ったってことですよね?どこにそんなお金が…?」
「それがなんと、もともとお客さんだった職人たちを文字通り“抱き”込んでタダで作ってもらっちゃったのよ。もちろんそんなしっかりしたものじゃなくて、片手間で作れるような簡素な小屋みたいなのだったけどな。」
「簡単に語ってますけど、なかなかすごいことですよね。妨害とかなかったんでしょうか?」
「支配人と懇意にしてるチンピラだかマフィアだかが最初は来たらしいんだ。けど、そいつらのアジトに突貫してこれもまた抱きこんじゃったらしい…」
「もう今回の私達の騒ぎ、抱き込んじゃったほうが早いんじゃ…」
うつむきながら身もふたもないことをつぶやき始めるアイリス。
「いやいや、この時ばかりはそんなに簡単じゃなかったらしいんだ。相手もギルダさんも、当然ながら向こうを利用することしか考えてないし、対するはなんたってマフィアだ。あんまり下手に出たら、元々の環境より悪くなる可能性すらあった。」
「確かにそうですよね…。いったんその場をしのげても、そのあともサービスを続けろとかむちゃな要求をしてきそうですし、サービスをやめたらまた妨害が始まりそうですし。」
「そ。言ってしまえば、突貫した時点で悪手だったんだ。だがここで、ギルダさんたちに幸運が舞い込んでくる。マフィアのメンバーと結婚する娼婦が何人か出てきたんだ。この流れを利用して用心棒契約を結んで、事実上の和解に仕立て上げちまった。この時点で支配人は、後ろ盾も稼ぐ手段すら失っちゃったもんだから、出ていかざるを得なかったわけ。」
「そうこうして、無事に支配人を追い出すことができたと。」
「そゆこと。以降、似たような境遇の娼婦なんかを受け入れて、娼館の規模も大きくなった。そして非道を働く支配人を排除したりしながら、どんどんのし上がっていって、ギルダさんはいよいよ大淫婦なんて呼ばれるようになった。こうしてここ『大淫婦の娼館街』が出来上がったわけよ。」
「わーすごーい!不遇な人達を助けて仲間を増やしていくなんて、なんだかアルベル様みたいですね!少し親近感覚えちゃいます!」
アイリスが興奮気味に話していると、御者席のマリーナが声をかける。
「サンドラは昔話がすきねぇンフフ〜。もうすぐ着くから、馬事を降りる準備をしておきなさいね〜?」
どうやら、件の大淫婦が住む娼館に近づいてきたようだ。
先ほどサンドラがアイリスに語って聞かせた“武勇伝”はおよそ二十数年前のこと。
ギルダはその間に自身の娼館を大きくしたのもあるが、娼館同士が作った組合の代表も務めている。
組合の役割は、素行の悪い客や、館の金を持ち出すなどした娼婦、圧政を強いる支配人の存在、その他様々な情報を共有したり、行政側との折衝など多岐にわたる。
このように、徹底した管理体制を組み上げ、立場の弱い者たちをなるべく保護していく仕組みが出来上がっているのだ。
目的地に到着し、馬車を降りるアイリス達。
すると、彼女達に声がかかる。
「…全員いるな?」
アイリス達の主人、アルベルである。
「はっ、マリーナ、サンドラ、アイリス、以上三名、全員おります。」
返事をするのはマリーナだ。彼女の言葉を聞くとアルベルは特に返事もせず目の前の一際大きな娼館の入り口を入っていく。
サリアが扉を開けると、貴族の屋敷かと見まごうほどの豪奢なロビーが姿を現わす。
広い空間を照らすシャンデリア、壁や、天井にも、随所に意匠が凝らされている。
「しょ、娼館って初めて入りましたけど…すごくゴージャスですね…。」
「ここが特別なんだって(笑)。アルベル様はどっちかってとシンプルな雰囲気が好みだから驚くのもわかるけどね。」
圧倒されるアイリスに、サンドラが笑いをこらえながら相槌をかえす。
ロビーには2人の女性が控えていた。
「いらっしゃいませ。アルベル・デュランド様でございますね? ギルダは支配人室におりますので、ご案内致します。」
「…ああ、分かった。お前達、この建物は広い。迷子になるなよ?アイリス」
「は、はい!かかかしこまりました!」
案内係に返事をすると、アイリスに注意を促すアルベル。
「あんまりかたくなってたら失敗してしまうわよ?アイリス。ンフフ」
そっとアイリスの耳にささやくのはマリーナ。どうやら、固くなった新人を解きほぐそうとしているようだ。
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階段を上って、屋敷の4階。さらにその奥の部屋に彼女はいた。娼館街の主、大淫婦の異名をもつギルダ・マクネアその人である。
もう40代である彼女だが、その美貌は衰えを知らない。むしろ妖艶さにかけては増したかのように言われているくらいである。極東のたばこである煙管をくゆらせ、来訪者を見据える。
「おやぁ?アル坊やじゃないか。またアタシのベッドで夜を過ごしたくなったのかい?」
美貌の女が不敵に笑うと黒髪の男が言葉を返す。
「そんな夜がいつあったのかは知らないし、用件はそんなことでもない。」
「つれない男だねェ。じゃあ女の横流しかい?あんな見境なしに買うからだよ。とうとう首が回らなくなったんだねェ、かわいそうに」
わざとらしく悲しげな顔をするギルダであったが、アルベルは無表情のままである。
「付き合っていると終わらないので本題に入る。俺の工場で新しい石鹸を開発した。お前の部下たちにその試用と、口コミを行って欲しい。」
「報酬は?」
「契約確定から3か月の間、月1のペースで試供品を人数分提供する。そのうえで、宣伝費用500万ゴールドを支払う。」
「おや、中々太っ腹だねェ。でも、わざわざ普通のせっけんをアタシらが宣伝するってのは不思議な話だねェ。それこそ、広告屋にでも雑貨屋にでも任せればいい話だ。何を隠してるんだい…?」
アルベルの破格の提案にも、当然といえば当然だが、疑いの眼差しを向けるギルダ。それも無理からぬことである。そもそもそんなこと「娼婦の仕事ではない」からだ。やっていけないことはないだろうが、専門の人間がこの世にはきちんと存在しているはずだ。
なのにそこを頼らない。
「ンフフフフきな臭いねェ…いったい何を隠しているんだい?坊や」
笑みを浮かべながらもその眼光は鋭く射抜く様。それを受けてなお無表情のアルベルはこう切り返す。
「隠し事なんかないさ。俺は、俺たちとお前たちが双方利を得られる話を持ち込んだ。それだけのこと。今回お前たちに試用をしてもらうこのシルクは、植物性由来の高純度石鹸だ。生臭さもなく、従来のものより肌にやさしい。石鹸をよく使うお前たちにはうってつけの製品だ。」
「なるほど。質問に答える気はないか。」
「…わかった白状するさ。この街を出発点にして、化粧品としての価値、つまり『美しくなるための商品』というイメージを植え付けたい。先に説明したとおり、この石鹸は肌にやさしく臭いもないため、女性が肌のケアのために普段から使うことを念頭に置いている。そのために『化粧のメッカ』であるこの街で始める必要があった。」
今回、アルベルがこの街を訪れた狙いの一つではある。しかし本当のところは、ロースに販路をふさがれたことによる緊急の選択だった。騒動を相手に知られては何を吹っかけられるかわからない。最悪の場合、アルベルが口にしたような“付加価値”を付与できる土壌を利用する道筋が潰えてしまう。幸いにも、ギルダはロースのことを察知している素振りは見せていないため、急所を隠しつつ交渉をまとめることがアルベルの仕事だ。
「そのためにツテがあるアタシのところにきたと…?」
彼の説明にギルダが確認を重ねてくる。
「そのとおりだ。しかし、お前たちにデメリットはほとんどないはずだ。日用雑貨とはいえ、お前たちの人数を考えたら仕入れ費だってばかにならないだろう。しいて言うなら、『人体もしくはその他に何か影響が出るかも』といった点くらいのはずだ。だが、それもそこにいる女どもで実験済みだ。肌への感触、使い心地についてもレポートを書かせてある。…サリア」
「はい。ギルダ様、こちらがレポートになります。」
銀髪、眼鏡をかけたメイドのサリアが、書類をギルダに渡す。さっと目を通した後、考え込むしぐさをするギルダ。しばらく沈黙が続いたが、やがて口を開く。
「……引き受けてやってもいいが、条件がある。」
「聞こう」
「まず一つ、坊やのところから何人か、4日間ほどその石鹸を試用する人間をよこしな。アタシらが使うのはそのあとだ。1日四回、石鹸を使って体を洗ってもらう。それで肌に明らかな異常が出たら今回の話は無しだ。そしてもう一つ、試供品をもらえる期間を3か月から4か月にしな。」
「わかった。契約成立だ。お前たち、そういうことだ。今日からしばらく、この館で世話になるから、粗相のないようにな。」
「「はいッ」」
「いい返事だ。」
話がまとまったところで、マリーナがスッと前へ出る。
「では本日より、マリーナ、サンドラ、アイリス、以上3名。こちらでお世話になります。」
「はいよ。おまえたちには後で部屋に案内する。ここにいる間、石鹸の人体実験以外は特に何もしなくていい。食事もつけよう。アイリスって娘はあんたかい?」
急に水を向けられ、驚くアイリス。
「は、はい。そうです。」
「あんたはいろいろ見聞きをした方がよさそうだ。この4日間、少しこの街をまわってみるといい。」
「え…?いいんですか?…マリーナさん…」
困ったようにマリーナに目を向けるアイリス。しかし、マリーナも特に気にした様子もなく、いいわよとほほ笑むばかり。
「わかりました。勉強させていただきます。」
こうして、アイリスたちのちょっとした新生活が始まるのであった。