6.Factory& Factory
アイリスが市場へいったあの日から3か月。サボナはその安さにものを言わせて飛ぶように売れた。貴族をはじめとした上流階級はともかく、一般市民にとって「安さ」というファクターはとても魅力的に思えたからだ。
ロースは、大ヒット商品を飛ばしたことで、名実業家の名前を欲しいままにしていた。
彼にインタビューをしていた新聞記者は問う。
「ロース社長! ずばり、サボナの安さの秘密はなんですか! 」
「ぎょほほほほ! そんなん簡単なことでっせ、新聞屋はん。その秘密は、“ぎょーさん作ってぎょーさん売ること”や」
「…それと安さはどういう関係にあるんですか? 」
まだ新聞記者はぴんと来ない様子だ。
「仮にわてが、一時間1000ゴールドの賃金で300ゴールドの石鹸を1個作って売る。そうすると、単純にいくらの利益や? 」
「利益どころか、700ゴールドの赤字になりますよね?」
記者の答えに、ロースも頷く。
「そうや。この場合、出てきてる数字だけで考えても一個の石鹸を売るだけで1000ゴールドのコストがかかることになるわな。しかしや、もし石鹸の数が1個やのうて1万個になったらどうや? 石鹸1個当たりのコストなんぞ1ゴールド以下や。同じような理由で、大量に材料を仕入れればそれも安ぅなるし、お客様にも商品を安ぅ提供できるっちゅう訳や」
その話を聞いて記者も納得する。
「なるほど。安さの秘密はこんなところにあったんですね! でも、そんなに大量に作って、在庫になったりしませんか? 」
「ぎょほほほほ! いいところに気づきましたなぁ! あんさん、将来出世しまっせぇ? 」
記者からの質問に、不気味な笑顔とお世辞を返すロース。
「せやからキャンペーンがあったんやろうに。」
「ああ、石鹸を一定量買うと、同じ量のものがついてくるっていうやつですね?」
「そういうことや。安くて、量も入っとったらお得やろ? 」
ロースの言葉を逐一メモする記者。
「なるほど…。サボナの安さの秘密は量産することにあったんですね。それなら、工場もそれなりのものが必要ですよね? 是非取材させてほしいんですが…」
「あかんなぁ…それはいくらなんでもあかんよぉ…企業秘密やさかい。ぎょほほほほ! 」
実は見せたいくせに、ロースは意地の悪い表情を浮かべる。
「そこを何とかお願いしますよぉ」
記者がどうにかネタをもらえないかと粘っていると、ブラウンのスーツを着こなす青年が部屋へ入ってきた。
「ロース様、工場見学の準備が整いました。」
「おおグライド、わかったで。ほらあんさん、何ボサッっとしとるんや。工場が見たいんやろ?」
「あっ、はい! 行きます行きます! 」
案外すんなりと見せてくれることに拍子抜けしつつも、記事のために奥に飛び込んでいく。
ロースについていき工場に向かっていくと、頭髪が落ちるのを防ぐ頭巾と白衣を着せられ、石鹸製造場へ入る。
「な…なかなか臭いますねぇ…サボナ自身も生臭いという話は聞いていましたが、ここは想像以上ですね…」
工場内に入ると、肉類特有の生臭さが鼻を衝く。その理由をロースが説明する。
「それは動物性の油脂を使っているせいやな。これのせいで、多少の生臭さはどうしても出てしもうての。せやけど香水でも入れようものなら、値が跳ね上がってしまうからのぉ。ま、安いの提供しとるんやから、多少のことは我慢してもらわんとな。」
この世界において、サボナ以前に販売されていた石鹸も、別に臭くないわけではなかった。ものによっては香草などが入れられ、その生臭さを消すよう努力されたものも存在する。しかし、いかんせん高い値段が設定される場合が多いし、そこまでするくらいなら、香水でも使ったほうが匂いの自由度が広かった。その為、日常的に使用する消耗品としては、そう頻繁には手が出ないものだったのである。そういった経緯もあって、一般市民の間では、「石鹸は程度の違いはあれど基本的に生臭いもの」と認識されている。
記者が工場を散策し始めると、あるものに目が行く。
「ベルトコンベアーですかぁ! 」
記者が驚きの声をあげると、ロースも満足そうに頷く。
「そうや。最新式の工場設備。大量生産の代名詞やでぇ~! ぎょぉぉぉぉぉほほほほ! 」
元来の石鹸作りといえば、材料を加熱する巨大な鍋につきっきりで作業にあた
るものであった。油脂とアルカリ剤などの調合には、職人の経験と勘が重要な要素となり、本来であれば、そこには熟練の技術が求められるものである。
「それらの工程を流れ作業にするために、鍋ごと動かし、加熱する場所、材料を加える場所、かき混ぜる場所をくぐらせるよう設計しておる。ここの機械さえ扱えれば誰でも石鹸を作れるようにしたんや。これのおかげで、大量生産ができるようになったからのぉ! 」
ロースの言う、「鍋ごと動かし、特定のポイントを潜らせる」という言葉について説明しよう。まず、石鹸を作るための材料を、一定の分量、鍋に入れる。その鍋をベルトコンベアが、トンネルのように作られた窯へ運んでいき、そこを進むことで、一定の時間加熱される。そうして流れてきた石鹸の種を、従業員がかき混ぜて鹸化させる。この工程を経て、石鹸が製造されていく。
「なるほど…大量生産を支えるためにこんな仕組みがあったのか…」
「ま、熟練の職人がいないせいでちょぉとばかし質は良くありまへんが、そこは値段相応っちゅうことで勘弁してや。さ、もう企業秘密の御開帳はおしまいやで。はよう出ていかんと、わしのアレを御開帳したるからのぉ」
冗談交じりに退出を促され、記者は礼もそこそこにロースカンパニーを後にした。
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一方その頃
「うわぁ…すごく大きいですねぇ」
アルベル様、サリアさんと、私、そしてサンドラさん・マリーナさんペアは、アルベル様の命令で彼の経営する工場に来ていました。
あたりを見回すと、石鹸の種が入った大鍋達が静かに湯気を噴出しています。あ、そういえば私、ずっと気になることがあるんでした。
「そういえば、アルベル様ってここで何を作っていたんですか? 」
「は? 何をいまさら。この鍋に入ってるのは石鹸だよ。ご主人様が作ってるのはこれだけじゃないけどな」
サンドラさんの返答に続けるようにアルベル様がおしえてくれます。
「蒸気機関や内燃機関、電気や電話、列車に自動車など、世の中を劇的に変化させたものは基本的に工業製品であり、重厚長大なものが多い。そしてそれらは、まず軍事や工場などに革新をもたらす。お前たちのような、一般的な市民かそれに準ずる者たちにその恩恵が降りてくるのは後の話だ。だが逆を言えば、市民側の領域から“世の中を劇的に変化させたもの”は、まだ珍しいともいえる。俺は、この“市民側から世の中を劇的に変化させる何か”を創りたい。今までの人間たちと違ったアプローチで街を、国を、世界を変えていきたいのだ。その第一歩がこの石鹸、通称“シルク”だ」
私としては珍しい、アルベル様が饒舌に喋るシーンです。さらにアルベルは続けます。
「最近の工場では、彼の自動車王『スタンリー・フォード氏』が考案した、ベルトコンベアーを使った大量生産体制である、フォードシステムを採用する工場が増えてきている。だが現在の技術では、それを採用しても良質の石鹸を作ることはまだできない。俺が求めるのは独りよがりなまでの“高純度”だ。これに活路を見出している。」
アルベル様が力説し、サリアさんが微笑みながらこれにうなずいてます。
私にとっては、まだその高純度とやらがなにをもたらすのかはわかりません。でも、私ががそのことを質問をする前にアルベル様たちは工場の奥に進んでいきます。
いくらか歩を進めると、ふと思い出したかのように、アルベル様が口を開きました。
「…そういえば、まだアイリスには説明していなかったな。ハウスキーピング部のもう一つの役割を…」
廊下をズンズンと進んでいきながら、ふとアルベル様はそんなことを口にしました。
「お屋敷のお掃除やお料理、お客様の対応が役割なのではないのですか…?」
恐る恐る、聞いてみます。元来私は、娼婦用奴隷として売られていたこともあり、「別の役割」などと聞かされるとどうしてもそっち方面に頭が行ってしまうという困った癖がついてしまいました。いくら「年頃の娘」だからと自分に言い訳してみても、やっぱりちょっと恥ずかしいです。
「…いや、後で話そう…」
(ええええ!!!??? 別の役割って一体何でしょう!? とうとうその時が来てしまうのでしょうか? 確かにお世話になってる恩もありますけど、だからって…こ、心の準備がぁ…)
私の不安を知ってか知らずか、多くを語らずアルベル様の目線は廊下の先へ戻ってしまいます。そうこうしているうちに、ある部屋の扉にたどり着きました。
「…サリア、マリーナ、サンドラ、アイリス。今からお前たちには、新製品の実験台になってもらう。この扉の向こうはその実験室だ。わかったか…?」
「「「「はい!」」」」
「…いい返事だ」
返事をしたものの、アイリスはきょとんとしている。
「へ? 新製品? 実験? あっ…」
自分の妄想があらぬ方向へ進んでしまったことを改めて認識すると、どうしようもない恥ずかしさがこみ上げてきました。そしてそれを見逃すほど、私のの先輩方は優しくありません。
「おや? アイリスちゃん。“別の役割”の話が出てきてからソワソワしているようだったけど、一体何を想像していたのかな? んー?」
「いやん! いけませんわご主人様…だって私…初めてなの…ポロリ」
「いやー!!! やめてくださいサンドラさん!!! マリーナさん!!! そ、そんな妄想、私してません!! 」
ニヤニヤしながら詰め寄るサンドラさん、しなりと体をくねらせ、色っぽい声で私(に似たなにか)のモノマネをするマリーナさん。私派は反論を試みるも、図星をつかれたにも等しいので、ただ声を上げるほかありませんでした。
「3人はもう仲良しさんのようですね? フフフ」
「…下らんことを言ってないで、さっさと中へ連れて行け」
「はい。かしこまりました、フフフ。ほーらみんな、別に痛いことはないから、早く終わらせるわよ? 」
「「「はーい」」」
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「うわぁ…すごく大きいですねぇ」
「あんたさっきもそういってなかったか? 」
扉を開けると、そこはお風呂場でした。
サリアさんによると、実験のためと言いつつ、力仕事がメインの重労働をこなす工場部の身体を癒すために、アルベル様が作らせた大浴場なんだそうです。
屋敷の浴場よりもフロアの面積は広く、私たちは感嘆の声をあげました。
「お屋敷にも大きいお風呂がありますけど、こっちも大きいですねぇ。大きい湯船とは別にシャワーとバスタブもいくつかあります。これは何のためなんですか? 」
私の質問にマリーナさんが答えてくれます。
「アルベル様が、今回石鹸を新商品として売り出そうとしているのは知っているわよね? では、その作った石鹸は、誰が、どんな場面で使うと思う? 」
「それは…みんなが、お風呂に入る時に使うんですよね? 」
「そうよね? でも、その“みんな”っていうのは、基本的にはそこにあるようなバスタブで、シャワーを浴びながら石鹸を使うことが多いわよね? 」
「あ、わかりました! なるべく使われる現場に近い形にして実験をするんですね? 」
「そのとおりよ! そして、今日実験するのはわたしたちなので、大きいほうの湯船ではなくこっちのバスタブを使うからね~。脱衣所へレッツゴー! 」
「あっ! マリーナさん! 勝手に服を脱がそうとしないでください!! 」
マリーナさんのセクハラをどうにかかわそうとする私。それをみてサリアさんも思わず笑ってしまっています。
「ハウス部は仲良しさんのようですね? フフフ。」
「サリア先輩、さっきもそれ言ってたよな。」
どうにかこうにか支度を整えると、新製品のシルクを使うために入浴を開始。
「フフフ。どうみんな? 新製品の使い心地は? 」
「おお! 泡のキメがこまかい」
「肌になじむ感じがいいわぁ! 」
「あ、この石鹸生臭くないですよ? 」
サンドラさん、マリーナさん、私が三者三様の感想を話し、それにサリアさんが解説を加えます。
「きめが細かくて肌になじむのは、シルクが純度の高い石鹸だからよ。肌への刺激が少ないから、肌荒れもぐっと減るわ。生臭さを消せるのも、植物性の油脂を使っているからね。動物性と違って臭みがないの」
「へぇ、そうなんですか。いまお店で売っている石鹸は“ただ汚れをおとすだけ”という感じですけど、匂いや肌のことを気にしている製品ってほとんどないと思います。」
「そう。そこに目を付けたのがこのシルクなのよ。みんなと同じ製品を売っても、誰も喜ばないし、人々が抱えている問題、たとえば石鹸で肌が荒れてしまったり、石鹸自身の臭いがきつかったり、そういったものも何一つ解決しないわ。だけど、こうして新しい切り口で製品を作っていけば、それらが少しずつ減っていって、より生活しやすくなるわ。それをアルベル様は“市民側の領域から社会を豊かにする”といっているの」
力説するサリアさん。それほど子の人はアルベル様の思想に共感をしているのでしょう。サンドラさん・マリーアさんも、当然のことだという表情で頷いています。
「すごいです! 」
なんだか気が逸って叫んでしまいました。
「アルベル様や皆さんはそこまで考えて製品を作っていたんですね! “市民側の領域から社会を豊かにする”、とても素敵な考え方です! 」
なんだかやる気がみなぎってきます!! 当然ながら、別に私が製品を作るわけではありませんが。
そんな私に女に忍び寄る影。
「ちょっといい話きいて鼻息荒くするアイリスちゃん、ピュアガールかわいいわぁぁ!! 」
「きゃっ、ちょっとマリーナさん! こっちのバスタブに入ってこな…変なところ触らないでくだ…いやんッ」
「よいではないかよいではないか~! 乙女の柔肌をもっと堪能させちくり~」
「マリーナはこういう時すぐにおっさん化するよな」
「フフフ、おもしろいからいいんじゃないかしら? 」
「やッ、もうはなしてください! ほら、石鹸がバスタブの中に落ちちゃったじゃないですか。もう、沈んじゃって探すの大変なんですから…え!? どうなってるんですか!? これ!! 」