2.奴隷のアイリス
「……あの眼……」
金髪を長く垂らし、アルベルの姿を牢屋から見つめていたアイリスは3か月ほど前に奴隷になった少女である。
町の中でもある程度裕福な家庭で育ち、16の誕生日を控えていた。しかしその矢先、お人好しの父が騙され莫大な借金を抱え込み、その形として奴隷商人に引き渡された。
料理が好きで家事も万能、穏やかな性格であり、街の住人達に好かれていた彼女だが、奴隷商を転々とする長旅を経て、ボロボロに疲弊しきっていた。
アイリスを含め、陳列されていた彼女たちは、あることを恐れていた。それは、いわゆる素行の悪い主人の家に買われていくことである。アイリスが奴隷としてこの牢獄に陳列されている間、仲良くなった少女がいた。
しかしその少女は、不運なことにその素行の悪い主人に買われていき、ものの1か月もしないうちに命を落としたという。その買主が奴隷商人に文句を言っているのを聞いたが、人の所業とは思えないむごたらしい最期を遂げたようだ。
「………………………」
少女たちは恐怖のあまり震え、動けなくなっており、アルベルの問いかけにまったく反応できないでいた。すると一人の少女が声を上げる。
「私が行きます」
アイリスである。疲弊しきった身体を奮い立たせ、スッと手を挙げている。
「…ほう…そうか。おい、こいつを牢屋から出せ」
「へい。ただいま」
アイリスを外へ出すために牢屋の扉が開く。
「私、外へ出るね。短い間だったけど仲良くしてくれてありがとう。もし生きてられたら、きっとみんなを迎えに来るから…」
出る前に、牢屋に残る少女たちにそっと挨拶を済ませるアイリス。その顔は笑顔ではあったが、同時に死地へ向かわんとする恐怖を押し殺した顔でもあった。
「…挨拶は済ませたか?」と黒髪の新しい主人が問うてくる。
「はい。みんなにはお世話になりましたから」
「…そうか」
心なしか、新しい主が一瞬不敵な笑みを浮かべたように見えたが、初対面のアイリスでは、彼の真意を推し量ることはできなかった。
「いやぁ旦那はお目が高い。そいつぁ見た目もそれなりにいいが、家での躾がある程度されているもんだからきっとすぐ使えるようになりますぜ。ところで請求書ですが…」
「…まだ“買い物”は終わっていない」
「へ?」
黒髪の客人の言葉に、奴隷商は首をかしげる。この奴隷商、男奴隷などのいわゆる労働力のための奴隷を売っているわけではなく、夜の相手としての奴隷を売っていた。そのため、複数人を買っていく客は案外珍しいものであった。
「ここにいる全員を買う。牢屋から出せ」
「は?」
「ここの奴隷全員を買うといったのだ」
「へ、へい!承知しやした。請求書はご自宅へ…?」
「いや、別の場所に新居を建てた。追って連絡するからそこへ」
「へい。お買い上げありがとうございます」
奴隷商との話を済ますと、彼女たちの新しい主人、アルベルはそっとアイリスに
「…挨拶が無駄になったな」と耳打ちする。
「は、はい。そのようですね…」
対するアイリスは困り顔だ。
(とうとう買われちゃった…。これからどうなるのかな…。)
アイリスを含め、これからの生活に不安を抱かない者はなかった。