死を懇願する者
私はその日、どうして自分が死にたいと思うのか知ったーーー
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私は毎日同じ夢を観る。
どこか懐かしい場所。
顔は見えないけど懐かしいと感じる人達。
そして最後に、十一人の人達と何か話している“私”。顔が見えないのに悲しい顔をしているように感じる。
そこで目覚める。
目に映るのはいつもと変わらない天井。それが心底嫌に感じる。
あの夢は何なのだろうか、思いつくものはない。わからないのなら考えるのなんて止めてしまえばいいのに、心の一部が言う“思い出せ”と。
私は小さく息を吐く。
「今日も目覚めてしまった」
眠る前に思うのだ、このまま目覚めずに死ねたらと、でも朝目覚めてしまう。
幼い頃から死にたいと思っていた。
理由は他人から見たら沢山あると言われるけど、私自身にはわからないのだ。
親はろくでもない人達で、虐待をうけた。殴られ蹴られ、食事を貰えなかったり。
むしろ私は、そのまま死ねたらと死にたいと思っていた。
学校ではいじめられた。無視や陰口、罵倒は当たり前。時には、上級生に殴られもした。
子供の腕力ではただ痛いそれは、なんの意味もない。死を与えるようなものが欲しかった。表情を変えない私に上級生達は、恐がって離れていった。
私は一人だった。別に構わないと思っていた。けどある日私は一人ではなくなった。
家が燐家の火事に巻き込まれた。深夜であったために気づいた時にはほとんど助からない状態だった。
私はその時嬉しかった。念願が叶うと。珍しく笑みさえ浮かべていたかも知れない。
なのに私は助け出された。両親は火事で死んだのに。
病院に入院した私はただ何度も「なんで」と呟いていた。そんな私を見て周りは、虐待をされていたのに親を失って悲しんでいるように見られた。本当は何故自分を助けたのだと、死なせてくれなかったのだっと思っていた。
それから数日後私の前に伯父夫婦だと名のる男女が現れた。私は親戚なんているのも会ったこともなかった。
しかも伯父夫婦は私を引き取るとも言った。
そんなに私は哀れに見えるのだろうか。
伯父夫婦には私より三つ上の息子がいって、私の両親とは違い良い家族だった。
三歳年上の翠君は出会ってすぐに私に付ききりになった。妹ができたのが嬉しいのか、私を哀れんだのか知らないが翠君のおかげで逃げ出す事もできなかった。
私が伯父夫婦に引き取られ六、七年たった、中二の夏。
学校の帰り道。
踏切の前。
降りた遮断機。
死にたいと思う気持ち。
一歩踏み出す足。
掴まれた腕。
何故と振り返る。
息を乱し立つ翠君。
口を開け「何故」と聞こうとして、抱きしめられる。
何故死なせてくれないの?溢れてくる気持ち。
その日から今まで死のうと何度もした。けれどその度に翠君が現れて止められた。
ああ、今日も死にたいーー
ベッドから出て制服に着替える。
着替え終えれば朝食をとりに部屋から出る。
「おはよう、氷乃」
「おはよう」
リビングにはもう翠君がいた。
食事はできるだけ家族皆で食べる。その時の他愛ない会話も昔から。
その後私は高校に送ってもらう。これは私が二度目の自殺をした後から始まった事。私の自殺を少しでも止めるためだろ。
送り迎えは主に翠君がしてくれる。
車の中では特に話もしないけど穏やかな空気が流れて嫌いじゃない。
「氷乃、着いたよ」
「うん。ありがとう」
氷乃。名の通り氷みたいに冷たいと思う。両親がどういう意味でつけたか知らないが名の通り育ったと思う。
翠君と別れて自分の教室に向かう。
私が通う学校は田舎という事もあって小さいそれに、私の事情をしていて私を受け入れている。伯父夫婦も出来るだけ私を普通の高校に入れたかったらしい。
ここではいじめもない。あっても軽い無視くらいで、優しい人達だ。
こんなに優しい場所にいても私は死にたいと思う。これは異常じゃないのだ、きっと。
だから私は今日も死を選ぶ。
学校の屋上。
遺書は書いた。
後は落ちるだけ。
学校の回りはぐるりと木が植えてある。出来るだけそれが薄い場所を選ぶ。
私は。
躊躇わず。
落ちる。
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暗闇、静寂。
それで語り尽くせる場所に立っていた。
私は死ねたのだろうか。それだけが気になる。
「氷乃」
呼ばれて声の方を振り向く。
知らない声。知らない人だった。
なのに懐かしさを感じる。
特別何か飛び抜けて良いわけでも、悪いわけでもないブレザーの制服を着た青年。私と同じか上くらい。
誰なのかわからない筈なのに。
「…睦月」
それは口から溢れていて、懐かしい響きで。
「うん。睦月だよ。久し振りだね。……まだ思い出してないみたいだね」
知らないと思うのに知っている、懐かしいんだと知っている。不思議だ。
「少し話してあげようか。その方が幾分すっきりする筈だから」
頭の中がぐるぐるするようで、でも冷静なようでわけがわからない。
「昔々、大昔の事。僕と君と他に十人の仲間は、神によって生を授かった。神は言った。世界の管理と平穏を任せたと。それから長い事死んでは転生を繰り返し世界を守った。けれど唐突に世界の崩壊は始まった。僕らは考えた末に、一時避難をし世界の復活をさせようと決めた。今この氷乃、君のいる世界は避難先として神から授かった力を使い作った“仮の世界”」
突拍子もない話と思う反面、懐かしい思い出を思い出すような感覚がある。
「それから、僕らと他の生命体はこちらに移った。時間が経つにつれ僕ら以外の生命体は“本当の世界”を忘れてしまったようだけど。世界の復活のために僕らは自らの生命エネルギーを送り世界を形成し直す力に変えた。僕らには転生し直しても二十年前後で記憶を思い出す事ができたから、その度に死と引き換えに生命エネルギーを送り続けた。そしてとうとう」
「私の生命エネルギーを送る事で世界の復活が成される」
ストンとその言葉がふにおちて、思い出した。
ああ、そう私はだから死にたかった本能が告げていたのだ、私で終わりだと。
死ぬ事で私達は残りの寿命分の生命エネルギーを送る。
私以外の十一人は既にそれを済ませた。私達はわかっていたのだ今回で最後だと。
「睦月、思い出した」
「そのようだね…霜月」
霜月。懐かしい響き、私の本当の名。
思い出した記憶には楽しかった日々、大切な仲間達の姿。戻れるのだ、あの日々に。
「霜月、君はまた目を覚ます。」
やっぱりね。
「次は大丈夫よ。“本当の世界”に戻ってくるわ。……待っていてね」
睦月は柔らかく笑う。
その笑顔が懐かしい。
「当たり前。待っているよ、僕も皆も」
暗闇の世界が明るい野原へと変わる。
睦月の側に十人の人影が現れる。
睦月の姿が本来の姿にもどり、睦月達の格好が懐かしい物に変わる。
「霜月、待っているよ」
皆が私にそう言う。
私の身体の感覚が戻り始めて、皆が遠ざかる。
世界はもう一度だけ暗闇に染まる。
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目を開ける。白い天井。薬品の匂い。またここも見慣れた場所。
「氷乃!」
ああ、聞き慣れた翠君の声。
貴方はいつだって私の死を止めて私の名を悲痛に叫ぶ。
そして、
「よかった。氷乃。よかった」
いつも決まった台詞を言いながら私を抱きしめる。
この温もりが好きだと思う私もいて不思議だ。
どうやら私は避けていた木が結局クッションとなり助かってしまったらしい。
夜になった。月が綺麗な夜だ。
私はベッドを抜け出す。見張りはいない。巡回の時間は過ぎた。逃げ出すチャンスは今。
この病院は何度も入院している。だから何処を通れば見つからないかくらいは知っている。
私は病院を抜け出し走る。身体が痛い気もするが走る。
目的地は何となく浮かんだ。
海。
何度か伯父夫婦と翠君と私で行った場所。
病院から遠いわけでも近いわけでもない。
夜の月とさざ波の音はすごく幻想的で綺麗で。
私はそのまま海に向かって歩く。
「氷乃ー!!」
ああ、貴方はやっぱり私を止めるのね。
私は振り返る。膝下まで浸かった海水は少し冷たい。
「翠君、止まって」
海に入りかけていた翠君を止める。
手に握ったもしもと思って持ってきたカッターを持ち上げ刃を首に当てる。
驚いて翠君は止まった。
「翠君、止めないで欲しいんだ。私は死ななきゃいけないの」
「氷乃が死ななきゃいけない筈ない!」
必死に叫ぶ翠君。でも、ごめんね。
「私が氷乃として生まれたのはこの為なの。…何度も失敗したけど今度こそ私は死ぬの、皆が待っているから。……ごめんね」
本当は海に浸かって綺麗に死にたかった。
一気にカッターを引く。
広がる赤、けして不愉快な色じゃない。
思ったより深くなく即死ではなかった。でもこれだけの勢いがあれば死は免れない。
体が倒れる。
「氷乃…!氷乃!」
バシャバシャと走ってくる翠君の必死な顔に笑みが浮かぶ。
翠君は私を抱きしめる。
「どうして……どうして」
ごめんね。これが私がやらなくちゃいけない事で、悲願なの。
それにもう会えない訳じゃないんだよ。“本当の世界”で私はまた生まれる。そしてこちらの世界の生命体も次に生まれて来るのは“本当の世界”。
また、会えるよ翠君。
ああ、泣かないで。貴方の涙は好きじゃないの。
貴方が名を呼びながら抱きしめるのが、好きだった。
貴方が笑ってくれるのが、好きだった。
私は貴方の事が、
「好き…翠君……また、会い、ましょ」
翠君の声が聞こえるけどもう貴方がなんて言ってるのかわからない。
世界が暗転する。さよなら、“仮の世界”。
また、会いましょう。翠君。
次は翠君視点。