その33
彼らの前に現れた【始祖の大魔女】は黒いローブに顔をクチバシのような仮面で覆い、右腕に鋭利な刃物が生えている。
始祖の大魔女は蜘蛛の巣を張り巡らせた様な金網を、鋭く甲高い摩擦音を立てながら切り裂いている。
「ひぃい、怖気の立つ気味の悪い音で耳が痛い。あの化け物が始祖の大魔女か」
鉄柵の向こう側で圧倒的な気を放つ黒衣の魔女に、宰相の目は釘付けになった。
その時、一筋の細く小さな光が地面を這ってルーファス王子の元へ飛び込んでくる。それは王子の守護白蛇だった。
「あれは魔女の黒装束姿。お前がオヤカタをここまで連れて来てくれたのか」
オヤカタの後ろから離れた場所に、赤毛の女騎士も見える。
これで大丈夫だ。オヤカタとアシュが一緒なら、きっと宰相を捕らえてくれる。
カナとの逃走劇で力を使い果たした守護蛇は、細い銀の鎖に戻る。
王子は宰相に気づかれないように銀の鎖を拾い、そして自分の両手を縛る縄を解くように命じた。
甲高い金属の磨耗する耳障りな音が止んだ。
カナは電動ノコギリをオフにすると、ゴーグルを外し鉄柵の向こう側を見る。そこには痩せた老人と白銀の髪の子供の姿があった。
「カナさま、ルーファス王子を見つけました。
そしてあの老人は、やはり王子はヤツに捕われたのか!!」
「王子ったらこんな所にいたのね。あれ、隣のおじいちゃんは誰?
ドコかで見たことあるような……」
老人とルーファス王子は二人とも全身泥だらけで、特に老人は着てる服がズタズタに裂け長いアゴヒゲに泥がこびりついている。
「カナさま、あやつが全ての元凶、クーデター主犯の宰相です」
「あの人、サイトウ(斉藤)さんっていうのね。
そういえば長いヒゲが行方不明のおじいちゃんにそっくり、名前も確かサイトウだった!!
大変だわ、早くサイトウさんを保護しなくちゃ」
「ええ、我々で宰相を捕らえましょう。そして王子を救い出すのです。
私は鉄柵の外から反対側にいる王子たちの後ろに回り込みます。
その間カナさまは、相手の注意を引きつけて下さい」
アシュは厳しい表情でそう言うと、急いで山頂を下り茂みの中に身を隠した。
カナは作業の手を留めて、ルーファス王子と一緒にいる老人に声をかける。
「サイトウさーん、どこに行ったんですか。長い間行方不明になっていて、皆が探していましたよ」
「始祖の大魔女め、俺が逝ったと思ったか。そして生き延びた俺を探しにきたな」
宰相は隣にいる王子を無理やり立ち上がらせ、細い首に腕を回す。
王子にのしかかるように腕で締めあげ、息苦しさに耐えきれずルーファス王子は呻き声をあげた。
しかしカナには、やせたアゴヒゲの老人が王子を激しくハグしているようにしか見えない。
「いいか、始祖の大魔女。妙な真似をすれば、王子の首をへし折ってやるぞ!!
今から俺の言うことを聞くんだ」
「おじいちゃん、そんなに強く抱きしめたら王子が嫌がるよ。
その子はサイトウさんのお孫さんじゃありません。
ハイハイ、おじいちゃんの言うことはなんでも聞きますよ」
カナは老人を落ち着かせようと、声かけしながら黒い雨合羽のフードとマスクを外し、自分の顔を見せた。
茶色い柔らかな髪に黒く大きな瞳、人形のような顔立ちの小柄な娘の姿に宰相は驚く。
王宮に飾られている始祖の大魔女の肖像画より若い。始祖の大魔女は若返りの秘術を習得したようだ。
それなら好都合だ、アレで大魔女を脅して自分を若返らせるように命じよう。
「くくっ、俺の言うことをなんでも聞くと言ったな。
始祖の大魔女よ、俺はお前に会いに来たんだ。その命を奪うためにな」
「あれ、おじいちゃんは大叔母さんに会いに来たの?
ごめんなさい、大叔母さんは今ここに住んでいないの。南の島でバカンス中よ」
何故か二人の会話は激しく誤訳変換された。
始祖の大魔女は宰相に対して、子供をなだめるような口調で話し、それが馬鹿にされているように思えて宰相は苛立った。
「うるさい、俺は始祖の大魔女とおしゃべりをするために、この妖精森に来たんじゃない。
始祖の大魔女に命ずる。
俺に王位を認めろ。そうすればお前とルーファス王子の命だけは助けてやる」
「おじいちゃんったら、物忘れが酷くなって自分の名前も忘れたの?
貴方は(オオイ)大井では無いわ、サイトウさんよ」
「俺は王位は無いと言うか!!
始祖の大魔女が認めないのなら、俺は真の簒奪者として全てを滅ぼして王の座に付くまでだぁ」
カナとの会話に興奮した宰相は全身を激しく震わせる。
変だ、どこかおかしい。その様子にルーファス王子は眉をひそめた。
痩せた老人の顔のしわが一段と深くなり、そして口角がつり上がると黄色い歯をむき出し怒りに血走った目で王子を見ると、悪鬼のように笑う。
「な、なんだ、急に魔力が膨れ上がった。人間の宰相から禍々しく膨大な魔力を感じる」
「そうさ、ルーファス王子。
妖精族のように魔力を持たない俺は、【魔女殺しの邪剣】を手に入れるため捧げモノをしたんだ。
そして【魔女殺しの邪剣】は我が身と一体となった」
やせ細った宰相の手に握られていたのは、古びた一振りの短剣だった。
刃先に赤黒い血がこびりついて、不気味な赤い色にルーファス王子は底知れぬ恐怖を感じる。
そして宰相は王子に見せつけるように自らの掌を開くと、指の数が足りない。
「まさか宰相、自分の体を贄にして邪剣と同化したのか!!」
その古びた短剣はグニャリと歪むと、血が飛び散ったような毒々しいマダラ模様の毒蛇に変化した。
「人間が【魔女殺しの邪剣】を扱うには、これぐらいの犠牲が必要だ。
さぁ、毒蛇に姿を変えた【魔女殺しの邪剣】よ。大魔女の喉元に食らいつけ!!」
宰相の手を離れた毒蛇はぬかるんだ土に潜ると、張り巡らされた鉄柵の下を這いまわる。
【魔女殺しの邪剣】は土の中から一直線に、鉄柵の向こう側にいる黒衣の魔女を狙う。
「やめろっ、オヤカタに手を出すな。
白銀の守護蛇よ、【魔女殺しの邪剣】をしとめろ!!」
ルーファス王子も、縄を解いて掌に隠していた守護蛇を放った。
しかし疲労困ぱいの守護蛇は、魔力の満ちた【魔女殺しの邪剣】に追いつけない。
向こう側にいるカナは、何も知らず再び金網切断作業を始めていた。
「ふはは、大魔女を殺せ。
何が大魔女の呪いだ、ひゃははぁ、俺はそんなものは信じないぞ」
「オヤカタぁ、逃げて、僕の声が聞こえないの、早く逃げて!!」
王子は必死で叫ぶが、鋭い金属の摩擦音にかき消されて声はカナに届かない。
狂ったように笑う宰相は魔力に酔い、もはや隣にいるルーファス王子の存在を忘れている。
使い魔を操るには意識の集中が必要だ。宰相の関心を魔女カナから自分に向けるため、王子は宰相に飛びかかると長いアゴヒゲを引っ張った。
「うあっ、このクソガキめ。俺のヒゲから手を放せぇ」
アゴヒゲを力一杯引っ張られた痛みに宰相は驚き、しがみついているルーファス王子を拳で殴りつける。
しかし王子は長いヒゲを両手に絡め、何度殴られても絶対に離さない。
二人はもつれて鉄柵に体当たりすると、派手な音を立てて鉄柵が傾いた。
その大きな音にカナもやっと気が付いて、作業の手を止めてルーファス王子の方を見る。
ふと、視界の隅に何かが地面を這う痕跡を見つけた。
鉄柵の下の土がもりあがり、長い紐状のモノが大きく蛇行しながらこちらに向かってくる。
カナは足元に落ちていたゴルフボールを拾うと、ソレに力一杯投げつけた。
ゴルフボールは抜群のコントロールで、金網の目をすり抜けて狙った獲物に直撃する。
そして土の中から現れたのは血糊のようなマダラ模様の不気味な蛇だった。
「あれ、さっきまで追いかけていた蛇と違うような……気のせいね。
このカナさまから逃れようと、土の中に潜ったって無駄よ。絶対仕留めるんだから」
【魔女殺しの邪剣】は、鎌首をもたげ大きく跳躍すると獲物に飛びかかる。
その瞬間カナは条件反射でバールをフルスイングすると、先端が二つに分かれた釘抜き部分がマダラ蛇の頭部にヒットして地面に叩き落とした。
だが毒蛇はすばやく起き上がると魔女の足首、分厚い作業用ブーツに噛みついたつもりが、打ち込まれた鋲に当たって毒牙がポキリと折れた。
「ぐわぁーー、口が、歯が折れるっ。まさかこの痛みは、俺は同化した毒蛇と痛みを共有するのか」
突然の痛みに唖然とした宰相の顔から、血の気の色が引いた。
魔女カナは足に噛みついた蛇を引き離そうと、胴体をスパイク付きの靴底で力一杯踏みつける。
「わたしだって蛇は怖い。でも、王子やおじいちゃんが蛇に噛まれたら大変!!
恐れてはダメ。みんなを守るためにも、害獣はワタシが徹底駆除をするっ」
「ぎゃあ、イタイイタイ、背骨が砕けるぅ。それは止めてくれ」
カナは使い込んだ愛用のバールを、容赦なく毒蛇の頭に振り下ろしトドメをさす。
魔物と同化した宰相は頭蓋骨が砕ける激痛に襲われ、痛みに耐えきれず大きな悲鳴を上げて口から泡を吹く。
「ふぅ、やっと害獣駆除完了したわ。
これで大丈夫って、いきなりおじいちゃんが発作を起こして倒れた!!
ルーファス王子、私も今すぐそこに行くから、おじいちゃんの様子を見て」
「……もう平気だよオヤカタ。宰相は、気を失っている」
害獣駆除完了




