その31
ベーコンの香ばしく焼ける匂いに、カナは鼻をクンクンさせながら目を覚ました。
閉じた雨戸の隙間から明るい光が射し込み、夜中激しく荒れ狂っていた風の音は聞こえない。台風が過ぎ去ったことを知る。
子供部屋のソファーベッドで寝ていたカナは、思い出したように隣に眠る温もりをみた。
小柄なルーファス王子は、大きすぎる寝袋に頭まで潜り込んでいる。そしてカナは寝袋に足を絡め、抱き枕状態にしていたことに気が付く。
「ひやぁ〜〜はずかしい。王子の寝袋を抱いて寝ていた?
でも王子はよく寝ているみたいだし顔は外に出ていないから、抱き枕にされたって気づかないよね」
そういえば昨日はルーファス王子より早く寝てしまった。
夜中じゅう激しい暴風の音に雷も鳴っていた。王子はなかなか寝付けなかったかもしれない。
カナが軽く寝袋をゆさぶったが起きる気配はないので、このまま寝かせることにした。
今日は妖精森管理人の仕事が待っている。台風一過の後片づけで忙しくなりそうだ。
子供部屋を出て顔を洗い着替えをすませたカナは、ふんわりとした焼きたてパンの香りが漂う食堂を覗く。普段は三人のメイドで朝食の準備をしているが、厨房にいるのはメイド長一人だ。
「お早うございます、カナさま。
カナさまのおっしゃったとおり、夏の嵐は一晩で通り過ぎたようですね。
今侍女と家来たちは、夏別荘の周囲を後片づけしています」
「お早うございますメイド長さん。
王子さまは夜遅くまで起きていたみたいで、まだ眠っているの。一時間後に起こしてあげて下さい。
ワタシはこれから台風の被害状況を調べて、警備保証のミノダさんと連絡を取らなくちゃ」
電波状態の悪い妖精森ではテレビやラジオ、スマホも受信できない。外との連絡手段は電話だけで、カナはアンティークな黒電話のダイヤルを回し受話器に耳を当たるが発信音が聞こえない。
「困ったなぁ、昨日は凄い強い風だったし近くに雷も落ちたから、電話線が切れている。
妖精森の外の電波が届くところに出て、スマホから修理を頼みに……って、なにこれ!!」
夏別荘の玄関を出たカナは、外の状況を見て思わす大声を出してしまう。
前日にしっかりと台風対策をしたが、予想以上に暴風が吹き荒れた。
数本の巨木が根こそぎ夏別荘前の広場に倒れて、枝葉が辺り一面に散らばっている。
しかしそれよりも、妖精森裏山のゴルフ場から飛んできたと思われるゴルフボールや看板が地面に転がり、巨大なフェンスがシンボルツリーの上に引っかかっている。
「この卵みたいな白い玉はなんだろう?」
「余所から飛んできたゴミが散らかって、どこから手を付けたらいいのかわからないわ」
カナより先に片づけを始めたメイドや護衛の者たちは、ゴミだらけになった広場を見て困惑している。
「裏のゴルフ場、台風対策を怠ったな!!
山のようなゴミを人の別荘地にまき散らすなんて許せない。
みんな、後かたづけはいったん止めて、この状況を現状維持。ゴルフ場の連中に片づけさせてやる」
カナは怒りに声を震わせながら、地面に突き刺さるゴルフフラッグを引っこ抜いた。
骨だけになったビニール傘が数本、木の枝に引っかかっている。これが風で飛んできたら危険な凶器になる。
「まぁ、暴風の夜に外を出歩く命知らずはいないよね」
白い石畳の遊歩道にも倒木があり、自転車で走ることは出来ない。仕方がないのでカナは遊歩道に散らばる倒木やゴミをよけながら、歩いて妖精森の外に向かうことにした。
それから一時間後、ルーファス王子は侍女長に起こされて、寝袋の中から出てきた。
「あれ、オヤカタはどこ。嵐は過ぎ去ったのか?」
「はい王子様、今日はとてもよい天気です。
でも外はヒドい状況で、カナさまはその被害確認のため妖精森の外へ出かけられました」
「ええっ、オヤカタはココにいないのか。
僕は昨日の夜、高位の守護獅子を使役できるようになったんだ。オヤカタに教えたかったのに」
がっかりした声を出し、ルーファス王子は壁の獅子の写し絵を見た。
サバンナに寝そべる獅子は、王子と目を合わせると不機嫌そうに顔を逸らす。
「さすがは妖精族祖先返りの魔力を持つ、ルーファス王子さまです。
壁の中の守護獅子は、王子の事が気になっている様子。
なんて素晴らしい、帝都の覇王でも守護聖獣を二体も持っていません。早速エレーナ姫さまにご報告いたします」
妖精族の侍女長は、守護聖獣の気配を感じ取ることができる。
この夏別荘に来てから短い間に、ルーファス王子の魔力は驚くほど増している。これも魔女カナの影響だろうか?
「そういえば守護獅子はオヤカタの白いジテンシャに変化しているのに、どうして部屋の中に留まっているんだ」
「外は倒木が遊歩道を塞ぎ、ジテンシャを使役できないのです。カナさまは徒歩で森の外に出かけられました。
外はガラクタが散乱して危ないので、片づけが終わるまで王子さまは夏別荘の中でお過ごし下さい」
侍女長は子供部屋の雨戸を開けて、窓の外を眺めた。
妖精森を美しく彩っていた花々は、昨日の嵐ですべて散ってしまった。
もうすぐ自分たちは夢から醒めて、あちらの世界に戻るのだ。
ルーファス王子は倒れた巨木を広場のはじに移動させようと、大人に混じって作業するニール少年の姿を見た。
「僕だって、オヤカタがいれば手伝いできる。
そうだ。森の中を近道して、オヤカタを妖精森入口で待ち伏せしてやろう」
一月以上妖精森に滞在しているルーファス王子は、森の中をほとんど熟知している。白い石畳の道から外れた場所に、子供しか通れない起伏の激しい裏道を発見した。
侍女長がエレーナ姫を呼びに行った隙に、王子は勝手口から外に出ると茂みの中に飛び込んだ。
木の枝にはグラゲのような袋が引っかかり、蛇の卵の形をした玉が転がっている。
森の中に散らばる玉を面白がって拾い始めた王子は、次第に裏道をはずれ森の奥に迷い込んでいった。
***
カナが妖精森の外に出ると、道路沿いの電線が垂れ下がり復旧工事をしている作業員の姿を見た。台風被害はかなりヒドいようだ。
スマホの電波が入るので、カナは妖精森の警備を頼んでいるミノダに連絡をとる。
「ミノダさん、私カナです。台風後でとても忙しいと思うけど、裏山のゴルフ場に連絡をとってもらいたいの。
裏山のゴルフ場から別荘地にゴルフボールやら看板のガラクタ、それに大きなフェンスまで飛んできてヒドい状態なの。
うん、後片づけには人手も足りないし、よろしくお願いします」
カナはスマホで話をしながら大通りを横切り、コンおじさんの雑貨店の前に来た。店入口のガラス扉には探し人のポスターが貼られている。
店は開店休業でおじさんの軽トラは見あたらない。
きっとコンおじさんも台風の後片づけで忙しいのだ。
カナは妖精森前広場に停めたワゴン車に戻ると、後ろの荷台から工具箱を取り出し、再び森の中へ戻っていった。
カナは妖精森入口の木のトンネルをくぐり表に出ようとした時、不思議な現象が起こった。
背後から人の気配がする。
誰かが自分の後ろからやってくる。石畳の上を駆ける足音と息づかいが聞こえるが、しかし姿は見えない。
先にトンネルを出たカナは、立ち止まるとソレが現れるのを待つ。
トンネルの中が微かにゆがみ、向こう側に別の風景が見えた。
風の吹き荒れる大きな黒い沼地と、妖精森へと続く細い石畳を駆けてくる赤い髪の人物には見覚えがある。
何もない空間から、突然カナの目の前にアシュが現れた。
「えっ、今のなに?アシュさんドコから出てきたの」
妖精森の外には、道向こうで電線修理をしていた作業員がいただけで、アシュが通りを歩いていれば気が付いたはず。
それに台風一過で晴天なのに、現れたアシュは全身ずぶ濡れの姿だった。
驚いたカナは目の前に現れたアシュにたずねようとしたが、アシュはコレまで見たことのない真剣な険しい表情でカナに話しかける。
「大変ですカナさま、敵がこの妖精森に潜り込みました。
カナさまが我々のために魔力で嵐を呼び敵を退けたというのに、肝心の宰相を取り逃がしてしまい申し訳ありません。
クーデターの主犯は、敗走する兵に紛れて大魔女の結界を越え、妖精森に入り込んでいます」
「えっ、クーデター主犯のサイって人が、森の中に入り込んでいるの!!
落ち着いてアシュさん。今エレーナ姫と王子は夏別荘にいるし、もうすぐ警備保障のミノダさんも妖精森に来るから」
まさか昨日の台風の最中、そんな危険人物が妖精森の中に入り込んだなんて。
カナも顔面蒼白になり、アシュと共に大急ぎで夏別荘へ戻った。
しかしそこで、とんでもない事が待っていた。
「館の中を探したのですが、ルーファス王子さまの姿がありません。
そして勝手口から裏庭の茂みに子供の足跡があります!!」
「大変ですエレーナ姫。茂みの奥に王子の靴が片方と、杖が置かれていました。
この金地に赤文字で呪文が刻まれた杖は宰相のモノだ。
ル、ルーファス王子は、宰相に連れ去られたのか!!」




