その22
カタカタッ、カタカタカタ
妖精森の夏別荘から、リズミカルな機械音が聞こえる。
艶やかな長い黒髪を結い上げて、黄色いハイビスカス柄のムームー服を着たエレーナ姫が、応接室の片隅に置かれた足踏みミシンを踏んでいる。
「このムームーはとても着心地が良くてお気に入りです。
私は多少洋裁の心得はあるので、自分でムームードレスを作ってみたかったの。
それにしても、この布に針が刺さって糸を通す魔法道具(足踏みミシン)はとても便利ね」
「夏別荘は自家発電だから、ミシンも電動ではなく足踏みミシンが現役なのです」
エレーナ姫は洋服(主にムームー)の通販取り寄せだけでは飽きたらず、ついにオリジナルムームー作りを始めた。
エレーナ姫の国にミシンはなく服はすべて手縫いで、たしなみとしてほとんどの女性は縫い物が出来るそうだ。
カナは縫い物は苦手で、夏休みの宿題で巾着袋を縫った経験しかない。
そんなカナから足踏みミシンの使い方を教わったエレーナ姫は、ミシンを器用に操作して一日一枚ムームーを完成させる。
「袖のフリルを三重にして、スカートの裾が綺麗に広がるように布をたっぷり使ったの。
綺麗な緑色の布は、茶色い髪のカナさまに似合うと思うわ」
「えっ、このムームーを私が着てもいいんですか?
うわぁ、センスのあるエレーナ姫さまが作ったムームーは、まるでエーゲ海の高級リゾートでセレブがヨットの上で着るような、とにかくスゴいお洒落」
すでに二人のメイド娘もエレーナ姫制作のムームー服、メイド長はムームー風割烹着を着ている。
「スカートのフリルが五段切り替えで袖が大きくふくらんだ可愛い服をルーファスに作ったのに、怒って着てくれないの」
「エレーナ姫、金魚のようにひらひらして可愛いムームーだけど……男の子にソレを着せちゃダメですよ。
ほら、王子は自転車に乗る練習をしているから、転んだら服を破いちゃいます」
カナはエレーナ姫に男性はアロハシャツを着るのだと説明したが、姫はフリル無しの服は作りたくないらしい。
エレーナ姫に作ってもらったムームー姿のまま、カナは夏別荘の外に出てルーファス王子の自転車練習を指導することにした。
運動神経の良い王子は、自転車練習三日目にはバランスが取れるようになり、転ばず前に進むようになる。
「オヤカターー見て見て、ジテンシャが真っ直ぐ走るぞ。
ブレーキをかけて停まっても、ジテンシャを倒さなくなった」
「がんばったねぇ王子、たった三日間でこれだけ自転車を乗りこなすなんてスゴいよ。
それじゃあ次は、管理人小屋の裏の坂道を上まで登って降りる練習しようか」
「オヤカタ、坂道は登りにくくてジテンシャを立ちこぎしないと出来ないよ。
うう、僕は疲れた。今日のジテンシャ練習は終わり。
部屋に帰って荷車をカスタマイズして遊ぶんだ」
カナのスパルタ自転車教習に、ルーファス王子は逃げ腰になっていた。
それに王子は、競争相手がいないと集中できない性格らしい。
「やっぱり年の近い遊び相手が必要だよね。
そういえばアシュさんは、ニール君を家まで送りに行ったまま三日も帰ってこない。
エレーナ姫はアシュさんに、敵の同行を探りに行かせた。って言っているけど大丈夫かな?」
リリン、リン、リン
その時、妖精森の入り口へ続く白い石畳の道から、自転車のベルとペダルをこぐ音が聞こえてきた。
ふと後ろを振り返ったカナは、道の向こうからマウンテンバイクに二人乗りした、ニール少年とアシュの姿を見た。
***
一晩で成長してたわわに実を付けた『金剛石の雫』に村人たちは驚く。
「この世界と妖精森は時間の流れが違い、妖精森の一日は十日、十日は百日になる。
妖精森に迷い込んで数年暮らした若者が、村に帰ってきた途端百歳の老人になったという昔話がある」
「もしかして老婆が捨てた種も百歳になった老人と同じで、一晩で百年分成長したのですか。
それならカナさまから貰った果物の種を植えれば、瞬く間に成長して実を付けるかもしれません」
村長は村人を集め、昨日食べた果物の種を植え始めた。
昨日まで杖をつき歩いていた年寄りが、大きな鍬を地面に振り下ろし穴を掘っている。
背中を丸めていた老婆は、頭に重たい水瓶を乗せて軽々と運び、種を植えた場所に水をかけていた。
「昨日果物を食べた村の老人たちも、おじいさまのように若返っています。
僕も妖精森で魔女カナさまに助けられた時、食事をごちそうになって一晩寝たら元気になりました」
ニール少年がそうアシュに話しかけると、彼女自身も森に逃げ込んだ時は疲労困憊だったのに、妖精森の果物を食べた翌日には疲れが消えた事を思い出した。
病んだ年寄りがこれほど元気になるのなら、『金剛石の雫』を味方の兵士に食べさせれば、敵を打ち破る力を得られるはずだ。
「この事は極秘に、『金剛石の雫』は村の中で育てましょう。
村はケルベロスさまが守って下さるから、逃げた若者や子供たちも呼び戻せます」
それから女騎士アシュは、現在の戦況を知るために味方に付いた兵士から話を聞いた。
エレーナ姫たちが城を焼かれ逃亡した後、国王軍は北の戦いを停戦に導くと、その勢いのまま宰相が支配する王都に向かう。
素早い国王軍の立て直しに慌てた宰相は、無理やり王座に就く儀式を行おうとした。
しかし人間族の宰相は、妖精族の魔力と豪腕族の体力を持たず、秘儀の施された王の間の扉を開ける王座に就くことができなかった。
クーデターの共犯である第三側室の姫は人間で魔力を持たず、捕らえた第一王妃は高齢で魔力と体力が衰えている。
王の間の扉を開くには、第二側室のエレーナ姫とルーファス王子の魔力が必要だと知った宰相は、クーデター軍を辺境の妖精森に向かわせたのだ。
「国王軍は王都のすぐそばまで迫り、数日の間に都を取り戻すでしょう。
宰相はすでに都から逃げ出し、反王族派最大貴族の領地に逃げ込んでいます」
「反王族派最大貴族とは、この妖精森の隣の領地。
ケルベロスに襲われ撤退したクーデター軍がそこに再集結しているなら、今度は宰相が直接出てくるのですね」
宰相はエレーナ姫とルーファス王子を諦めるどころか、ふたりを人質にして王の間の扉を開く妄想に駆られている。
村長の館でアシュと兵士の話を聞いていたニール少年は、兵士が帰った後しばらく何かを考え、決意した表情でアシュに話す。
「アシュさま、どうか僕もこの戦いに参加させて下さい。
姫さまと王子さまと、魔女カナさまから頂いたご恩に報いたいのです」
「それならニール君は、豪腕族より早く走る車輪の魔物を乗りこなせるようなってください。
そして私にも、車輪の魔物の扱い方を教えて欲しい。
この村に馬はいないし、クーデター軍の馬はケルベロスさまの気配に恐れ慄き、腰を抜かし立つことも出来ないそうだ。
車輪の魔物を乗りこなせれば、馬代わりに敵より早く移動することが出来る」
その日からニール少年は自転車に乗る猛練習を始め、自分がある程度乗れるようになると、アシュにそのコツを教えた。
アシュは情報収集をしながら、『金剛石の雫』を与えることで味方の兵士を増やしてゆく。
村に若者と子供たちも戻ってきた。
時々夜盗と化した兵士が村を襲うが、ケルベロスが敵にじゃれて遊んだ。
ほぼ一ヶ月が過ぎ、長い冬が去り荒れ地にも若葉が芽吹く頃、宰相がクーデター軍を率いて再び妖精森に攻める準備をしているという報告が入る。
「この事を早く、エレーナ姫と魔女カナさまに知らせなくては!!」
アシュとニール少年が妖精森に戻ってきたのは、あちらの世界では三十日、妖精森の中ではわすか三日間の出来事だった。
***
一台のマウンテンバイクをニール少年がこぎ、後ろは女騎士アシュが立ち乗りしている。
二人乗りの自転車は妖精森の白い石畳の道を猛スピードで駆け抜け、夏別荘前の広場に乗り込んだ。
「えっ、ニール君いきなり二人乗り、しかも凄い早さで自転車を走らせている。
たった三日でこれほど上手に自転車に乗れるなんて、スゴいというか奇跡!!」




