その14
新しい壁紙の匂いが鼻につく子供部屋の天井に、家庭用プラネタリウムは美しい星空を映し出ていた。
しかし絹糸のような白銀の髪を持つ幼い王子は、その星空には目もくれず、ひたすら壁に貼られた巨大写真を凝視している。
青空と緑の草原が広がるサバンナで、黄金色に輝く美しいたてがみを持つ獅子が休んでいる。
茶髪の小さな魔女が『お気に入り』と告げたモノは只の写し絵ではない。異界の壁を隔てた向こうに『高位の魔獣』が佇み、こちらの様子をうかがう気配がする。
「妖精族の末裔であり、先代より偉大な加護と祝福を授かった我の声を聞け」
眠れる獅子よ
偽りの平原から
現の闇夜へ招かれよ
獅子の瞳が微かに揺らく。
それと同時に獰猛な獣の気配が膨れ上がり、絵の前に立つ王子は圧倒的な存在感に思わず威すくんでしまう。
(しまった、怯えた気持ちでは召喚は失敗する)
王子は焦りながら再度呪文を唱えようとするが、獣は萎縮した相手に興味を失い、壁の向こう側へ去っていった。
背中に冷たい汗が流れ、腕がかすかに震える。
ルーファス王子は額の汗を拭うと深いため息を付き、その場に座り込んだ。
「ダメだ、僕程度の魔力で高位の聖獣は使役できない。
この部屋は、膨大な魔力を持つオヤカタが創造した結界空間。
そして黄金色の鬣を持つ獅子は、僕のためにオヤカタが遣わした異界の守護獣だ」
***
夏別荘の子供部屋リフォームを完成させたカナは、次に王子の護衛をする彼らの待機所を作ろうと考えた。
しかしそこで問題にぶち当たる。
豪腕族と呼ばれる彼らはムキマッチョの素晴らしい体格で、NBAバスケット選手のように背が高い。
外のテントで寝起きする彼らのためにベッドを探したが、ホームセンターで売っているベッドでは幅も長さもサイズが足りず、重量オーバーで横になった途端つぶしてしまう。
「そうだ、護衛の彼ら、特に隊長は何でも壊すから丈夫な部屋にすればイイ。平屋の別荘は、畳敷きの柔道場風にします」
夏別荘の隣にある緑の屋根の平屋。
可愛らしいカントリー調の玄関に、応接室とテラスがひと繋ぎで、奥には小さなキッチンがある2LDKタイプの別荘だ。
とてもファンシーな外観で、女の子が大好きな人形遊びのハウスに似ていた。
「この小さな玄関では、男の人たちが頭をぶつけるし、ドアそのものを破壊しそう。
建物のテラスから中に入って下さい。
ココで料理はしないから、応接室とキッチンの境にあったカウンターテーブルを解体して、部屋をくっつけた方が広く使えそう」
「カンリニンさま、俺は何を手伝えばいい?(ギコーギコ)
靴を脱いで家の中に入るのだな(ミシミシ)」
「ヒッ、隊長、テラスの子供用ブランコに乗らないで。早く降りて降りてっ、ひさしの柱がきしんでる!!」
お約束のアクシデントに女騎士のアシュが素早く対応し、隊長をブランコから引きずり下ろす。
カナは隊長以外の者に家具の移動を指示して、部屋を片づけると寸法を測る。
「家具を奥の部屋に押し込んで、床全部に畳を敷き詰めればゴロ寝が出来る。
この寸法だと畳十六畳はあるから、デカい彼らでもゆったり過ごせるわ。外のテントで寝るよりずっと快適よ」
畳ならすぐ取り寄せられるし、いくら隊長でも畳に穴を開けるようなことはしないだろう。
ファンシーで可愛らしい緑の屋根のおうちを『柔道場仕様』にするが仕方ない。
昼過ぎに作業は終わり、カナは昨日仕上げた子供部屋の様子を見ようと夏別荘に向かった。
今日の作業は完全に力仕事で、小さなルーファス王子が手伝える事はない。
子供部屋で性能チェックを終えたミニカーのカスタマイズに熱中していると、そこへ作業を終えたカナがやってきた。
「ルーファス王子、どう、この部屋気に入った?」
「オヤカタ、この部屋は最高だ。
そうだ、オヤカタに壁の獣の写し絵で聞きたいことが……な、なんだ?!」
ブワ、ウワァァンッーーーー
カナが部屋に入ってきた途端、子供部屋に潜む巨大な気配を増した。
目覚めたソレはゆっくりと起き上がり、異なる世界の壁をすり抜け、こちら側へ姿を現そうとしている。
空間が圧倒的な密度となり、それは妖精森の結界に押しつぶされそうになった時と似ていた。
ルーファス王子は危険を感知して叫び声を上げる。
「オヤカタ……危ない、早く逃げ……」
ソレがカナを狙っているのが判る。
しかし王子の体は、まるで金縛りにあったかのように指一本動かせず、声も出せない。
壁の中からゆっくりと歩み出てきたのは、黄金色のたてがみにしなやかな四肢を持つ美しい獣だった。
それがカナの前で一瞬姿勢を低くし、飛びかかろうと……。
『グォオオゥー、ゴロ、ゴロゴロゴロォン♪』
カナの体に顔をすり寄せると甘え声を上げながら、大きな舌で手の平をぺろぺろ舐めだした。
カナの周囲をぐるぐると回りながら鼻面を押しつけるが、肝心のカナはガン無視だ。
「この部屋は静電気がすごいね。なんだか足の周りがムズムズする」
「えっ、まさかオヤカタには、この聖なる獣が見えていない?」
驚いた拍子にルーファス王子の金縛りの解けた。
カナにじゃれる聖獣を見ると、口は半開きで舌をだらりと垂らし、目尻が下がった情けない顔で、昨夜自分を射すくめた獰猛さはない。
「こいつ、オヤカタが獣の姿を見えないのをイイことに、ワザとまとわりついて甘えている」
王子の心の中に芽生えた小さな独占欲と嫉妬心は、自分のオヤカタが高位の霊獣に横取りされると思いこむ。
「ねぇオヤカタ、そろそろ侍女長が焼いたパイが出来上がるんだ。
蜂蜜たっぷりの柘榴林檎のパイは母さまが大好物なんだ。
僕が侍女長にお願いして、オヤカタにも食べさせてあげる」
「さっきから甘い匂いがしていると思ったら、パイを焼いていたのね。
柘榴林檎って凄く美味しそう。ふぁっ、メイド長が作るお菓子は一級品だもんね」
カナはすっかりメイド達の作る料理の虜になっていた。
ルーファス王子はカナの手を引くと、急かして部屋の外に出る。
思った通り、モサモサで黄色頭の獣は部屋からは出られないのだ。
王子が後ろを振り返ると、子供部屋の扉の影から淋しそうな表情でカナを見送る守護獣が見え、少しの優越感と少しの後ろめたさを感じた。
応接室から賑やかな笑い声が聞こえる。
二人が中を覗き込むと、母親のエレーナ姫が女性の写し絵が描かれた分厚い本を眺めていて、若いメイドふたりも本を見て騒いでいる。
「ああカンリニンさま、ちょうど良かったわ。
この写し絵に描かれているドレスは何日で仕立てられるのかしら」
「服の通販カタログに載っている商品は、だいたい二日で届く予定になっています。
エレーナ姫なら素敵な服を選び……って、またムームーですかぁ。隣のページにある総レースのロングドレスの方が似合うのに」
「ええっ、カンリニンさま、こんなに手の込んだお洋服が二日で手に入るのですか?」
カナの言葉にメイド娘たちは大喜びで、気に入った服のページに付箋を次々と貼り付けた。
他人の服の趣味は、見た目ではよく判らない。メイド娘が大量の貼り付けた付箋のページをチェックしながら、カナは呆れたようにぼやく。
「メイドさん、このデコスィーツを上着に縫いつけた原宿ファッションでは、お仕事の家事なんか出来ないよ。えっと、鉤十字にドクロ柄の服もやめたほうがいいと思う」
そしていつの間にカナも服選びに加わり、ルーファス王子は放ったらかしになる。
侍女長が王子に声をかけ、エレーナ姫親子は応接室を出て外のサンルームに向かった。
広いおでこのメイド娘がファッション通販カタログのページをめくると、中から小さな本が出てきた。
何だろうとそばかすメイド娘が本を開くと、大きな悲鳴をあげた。
「キャーーッ、なんてイヤラシイ!!
本の中に、男たちが隠れて読むイカガワシい本が混じってたわ」
「まぁ、こんな小さな布切れに紐だけの下履きじゃ裸と同じじゃない。
嫌だわ、早くこんな本燃やして処分しましょう」
「ちょっと待って、これは女性下着の通販カタログで、いかがわしいエロ本じゃないよ。
ほら、モデルが着ている下着を選んで購入できるの」
カナはそばかすメイドの手にした本を覗き込んで答えると、彼女たちの目の色が変わる。
「ええっ、それじゃあコノ金糸の縫い込まれた花柄レースの胸当も買うことができるの?
それにしても本に描かれた娘は、皆すいぶんと胸が大きいわね」
「そのブラは胸パットが入っているタイプで、わき下の贅肉をかき集めて寄せて上げているの。
貴女たち、自分のスリーサイズをしっかり確認してから注文してよ」
「カンリニンさま、こんな小さな布切れの下履きでは腰が冷えてしまいます」
「今履いているカボチャパンツじゃジーンズやミニスカは着れないよ。まぁ冷えるのがイヤならおばちゃんパンツを注文しようか」
カナは小柄な体型だが一応成人していて、彼女たちは自分より年下だ。
きっと親兄弟家族を置いて、お姫さまと異国の日本まで逃げてきたんだろう。
いろいろと世話が焼けるけど、ココで少しでも快適に過ごしてもらうのが管理人の仕事だとカナは思った。
夏別荘の前にある小さな噴水のそばにパラソルを広げ、綺麗に刈り整えられた芝の上に座りながら、侍女長は焼きたての林檎パイにナイフを入れた。
「カンリニンさまは、すっかり女官たちと仲良くなりましたね」
「ええ、仰るとおりですエレーナ姫さま。
それにしてもココは辺境の森の中なのに、なんて豊かで満ち足りた場所なのでしょう」
外界は重たい雲が垂れこめ冷たい風が吹いていたが、妖精森は夏のように少し蒸し暑く、花が咲き誇り果樹の実がたわわに生っている。
屋根のある場所で寝られれば充分だと思っていたのに、夏別荘を小さな魔女が魔法のように部屋を作り替え、快適な住み心地だ。
美しい絵柄の異国の服は着心地が良く、知らぬ間に台所に食べ物が届けられて、衣食住全て満たされていた。
「母さま、オヤカタは凄い。僕の部屋にはオヤカタの守護獣がいるぞ」
ルーファス王子は熱々の柘榴林檎パイをほおばりながら興奮した様子で母親に話すと、彼女は微笑みながらうなずいた。
始祖の妖精族の血が濃いエレーナ姫と侍女長も、守護獣の気配を感じ取ることができる。
「でもルーファス、守護獣さまはお部屋から出たい様子ですよ。
ほら寂しそうに、窓の外を眺めています」
小さな噴水の真向かいから、夏別荘の子供部屋の窓が見える。
なぜか部屋の中から外に向かって風が吹き出し、カーテンが激しくはためいている。
夏の日差しの下で半透明に浮かび上がる黄金の獅子は、前足を窓枠にかけた外の景色を物珍しそうに眺めていた。
それから数日間、天気に恵まれたおかげで別荘の修繕はほぼ完了した。
庭の片隅に置かれたままになっているブロックとレンガを眺めながら、カナは手にした大きなシャベルを天に掲げる。
「日曜日は仕事を休もうかと思ったけど、ダメ、我慢できない!!
明日からワタシのDIY趣味に取り組むわ。
この妖精森に、夢にまで見たMYピザ釜を作るのよ」
***
低く垂れ込めた灰色の雨雲は、時々大粒の雹を降らした。
やがて雨は雪となり、沼と化した大地に降り続ける。
妖精森での数日は、外の世界では一月以上の時が経過していた。
「この妖精森を取り囲み続けて、すでに一月以上が過ぎた。
エレーナ姫も王子や家来たちも、森の中で寒さに凍え食べ物もなく飢えているだろう。
もうすぐ我々に助けを求めて中から出てくるはずだ」
辺境の領主である痩せた男は、沼に囲まれた妖精森への唯一の出入り口である細い道の上に家臣たちと居座っていた。
沼地を囲い込む軍に手柄を横取りされたくないのだ。
「しかし領主さま。村に留まる宰相の軍は冬を越すために必要な備蓄の食糧まで要求しています。
妖精森を焼き払おうと貴重な油を撒いたせいで、村人はもはや暖をとる事もできません。
いつまでこうして、王子親子が出てくるのを待てばいいのですか」
クーデターを起こした宰相は、エレーナ姫とルーファス王子を捕らえるために、辺境の地に大軍を送り込んできた。
辺境に住む村人たちは軍に食料を提供するように指示されたが、土地が枯れてロクに収穫もない村ではわずかな備蓄もすぐ底をつき、一部の軍は村で略奪を始めている。
「そんな事少しは我慢しろ、王子を捕らえれば金も食料も十倍にして返してやる。
始祖の大魔女の結界には何者も立ち入れないが、エレーナ姫付きの間諜聞いた話では、子供の王子は森に入れたそうだ。
そうだ、村の子供を何人か連れてこい。試しに森に潜り込ませてみよう」




