繋がり
体調崩しまして、しばらくぶりの更新です。
(やっぱり阿相先生だったんだわ)
食い入るように、中の様子を伺う。別のクラスといえども、多少の配置の違いがあるものの、教室の大きさは変わらない。
なのに、ガランとした二人きりの教室は、やけに広く感じられた。茜色の空が、淋しさを、演出しているせいもあるのかもしれない。
夕日を頼りに立ったまま、阿相はペンを走らせる。少し書きづらそうだ。
彼は、何も気付いていない。直に触れても分からないようだ。それ程までに杖の気を抑えこんでいるのだ。
もしかしたら、柊哉が力を使ったのかもしれない。
全く疑う様子のない阿相は、電話番号を書き込んだメモ帳とペンを柊哉へと戻す。
そろそろのはずだ。
柊哉は、どうやって話を切り出すのだろうか?
そして、阿相は何と語るのだろうか?
美優の胸が早鐘を鳴らす。今の美優には事の成り行きを黙って見守る事しか出来ないのだ。
息を殺して様子を窺っていると、柊哉は、無造作にメモ帳だけをポケットに突っ込む。そして、残されたペンを右手で握り締め、顔を歪めた。
「先生、やはり貴方なのですね」
「何がですか?」
意味が分からないとばかりに阿相は、尋ね返す。微塵も疑っていないようだ。
柊哉は、ペンを握る手を阿相に伸ばし、そっと開いて見せた。
「このペンは……美優の杖です」
「ま、まさか……そんなはずは」
明らかに動揺する阿相。
そして、マジマジとペンを見つめる。
だが、すぐに相好を崩した。
「悪い冗談ですね」
「冗談ではありませんよ」
柊哉がそう答えた途端、ペンの様相が変わった。何処にでもありそうな普通のペン。だが、そのペンからは異彩な気を放っている。
阿相の顔色が一瞬にして変わる。
「これでも冗談だと?」
「騙したのですかっ?」
阿相が語尾を荒げ、大声を上げた。美優は小さな肩をさらに縮こまる。
「騙すなんて人聞きの悪い。試させていただいただけです」
「試す? 何の為に?」
「知っていますよね? この杖に触れられるのは限られた人だけだと」
「…………」
その言葉を聞いた阿相は、青ざめた顔で口を閉ざした。答える事が出来ない……いや、答えられないのか?そう思った時だった。次の瞬間、素早い動きで、柊哉の杖を持つ手に飛び掛かった。
思いがけない行動に美優は固まる。
だが、柊哉はそれを念頭にいれていたようで、一瞬早く察知して、その手を引っ込めた。
阿相の手が虚しく空を切る。
空振りに終わったのだ。
「くっ…………」
唇を噛み、上目遣いで悔しそうに柊哉を睨む。あの、穏やかな阿相からは、想像もつかない程、敵意を剥き出しにしている。
「そんなに怖い顔で睨まないで下さい。美優が怖がって出てこれなくなってしまいます」
「えっ!! 如月さんもいるのかっ」
ギラギラとした瞳でキョロキョロと美優の姿を探す。そして、教室のドアの前でピタリと視線を止めた。
恐怖にかられ、思わずドアの陰に身を隠す。
出来る事なら、柊哉に何もかも任せて、このままずっと隠れていたかった。
だが、そうはいかない。
自分から申し出たのだから……
(大丈夫。柊哉さんがいるんだから……)
震える手で取手をとり、恐る恐る教室のドアを開け姿を現す。
だが、張り詰めた空気に、教室内へと足を運ぶ事を躊躇い、その場に立ち尽くした。
「美優、此方へ」
柊哉に中へ入るよう促され、仕方なくゆっくりと一歩足を踏み入れた後、そこから、覚悟を決めたかのように、一気に小走りで柊哉の横に並ぶ。
突き刺さるような阿相の視線が痛い。逃げるように俯きかけるが、すぐに思い直し、両手を握り締め真正面から、視線を受け止める。
(先生だって、私の事、騙してたんだ)
美優だけが、負い目を感じる必要はないはずだ。
それでも、罪悪感から謝罪の言葉を口にし、旋毛が見えそうなくらい、頭を深く下げる。
「騙すような事をして、すみませんでした」
「……で、どうするつもりなのです?」
冷たい声で問う。
「えっ!!」
柊哉に不満をぶつけても、勝ち目がない事を分かっている阿相は、矛先を美優へと向けた。鋭い視線を美優へと投げる。
その瞳に怯え、もごもごと返答する。
「ど、どうって……正当な持ち主の……御家族の方でしたら、お返ししようと…………」
「えっ!! 返していただけるんですか?」
美優の言葉が終わらぬうち、阿相は目玉が飛び出そうなほど大きく目を見開き、大声を上げ詰め寄った。
勢いに押されるように、美優は一歩後退りをする。
そんな二人を黙って見ていた柊哉が、口を挟む。
「やっぱり、御家族だったんですね」
「えぇ、そうです。だから、早く返して下さい」
早口でまくし立て、杖を持つ柊哉に、嬉々として手を差し出した。
だが、柊哉はすぐに渡さず諫めるように言った。
「待って下さい。一つだけ条件があります」
「条件?」
眉根に皺を寄せ、差し出した手を、下ろしながら不満そうに尋ね返した。
「えぇ、この杖を先生が扱えるのなら、お譲り致します。そうですよね、美優?」
「はい」
(そうだった、扱えたらという話だった。でも、柊哉さんの話だと……)
「おやっ、これは珍しい。湊君でも知らない事はあるのですねぇ」
眉を上げ、驚きの声を上げた。その声には安堵の声が入り混じっている。
「杖は形見として、遺族に引き継がれる事が多いのです。親子だと気の質が似ているから、杖を扱う事が出来るのです。そして、良い杖になれば成る程、その確率は上がる。心を持つ杖には、主人だった方の大切な人を守ろうとする気持ちが働くからです」
阿相が千年樹の杖の主人の家族だと言う事は分かった。だからこそ、自分には扱えると言いたいのだろう。
(柊哉さんだって、知っているはずなのに)
「さぁ、試して見てください」
握り締めていたペンを差し出し、ゆっくりと長い指を開く。柊哉の掌の上で、圧倒的な存在感を放っている。
促されるままに、手を伸ばす。その指先は微かに震えている。ペンに触れるか触れないかという程に近付いた時、何故かその手を止めた。
「どうしました? 怖じ気付きましたか?」
「まさか」
口では否定したものの、多少なりとも不安はあるようだ。
柊哉に背を押されるように、おもむろにつまみあげる。小さなペンは何の抵抗もなく、阿相の手の中へと移った。今度は何の抵抗もされなかったらしい。どうだと言わんばかりに得意気に柊哉の顔を見、すぐに視線を杖へと戻す。
「これが……」
まるで、長年恋い焦がれていた恋人に、やっと出逢えたような瞳を向け、震える声で呟いた。
真綿で包むかのように、優しく握り、その感触を堪能している。
柊哉は、そんな阿相の気持ちを組んでか黙って見守っていたが、突如、厳しい顔つきになり、ふいと視線を廊下へと走らせた。
(どうしたのかしら?)
そう思った時だった、廊下の方から声が聞こえてきた。美優は耳を澄ます。
「全く、お前のせいで、遅刻じゃないか。また、先輩にどやされるぞ」
「何だよ、人のせいにして!! お前だって調子こいてくっちゃべってたじゃないか」
廊下を大声をはりあげ、怒鳴りあう男子生徒二人の声と、パタパタと走る足音が聞こえてきた。
どうやら、お喋りをしていて部活に遅刻したようだ。美優と、そして阿相までもが、廊下へと視線を注ぐ。勿論、ペンをその手の内へと隠す。
杖の存在を他の者に知られては厄介な事になる。
自ずと三者に緊張が迸る。
だが、二人は何も気付かずに教室の横を走り抜けて行った。
その瞬間三人が同時に大きく息を吐き出した。どっと疲れがます。
「人が来るといけない。さっさと試して戴けませんか?」
下校時間は過ぎているといっても、ここは教室だ。忘れ物をした生徒がヒョッコリ戻ってくる可能性もある。その時、杖が見付からなかったとしても、違うクラスの教師と生徒がいたら間違いなく変に思うだろう。
かといって、結界を張るわけにもいかない。この校舎には様々な防犯の魔法がかけられている。後々面倒な事になるはずだ。
柊哉も阿相もそれが分かっているから、何もしないのだろう。
「そうさせていただきます」
隠すように握り締めていたペンを、今度は二人によく見えるように手の平を開いてみせる。
今のところペンは、別段変わった様子はない。
阿相は、落ち着きを取り戻すように、一度大きく深呼吸をし、集中力を高め始めた。
二人は静かにそれを見守る。
「さすがですね」
柊哉が隣で誰に告げるではなしにポソリと呟く、美優は横目でチラリと見た。腕を組み感心したように見入っている。
美優には、気を感じ取る能力がないので、正直その凄さは分からなかった。
(柊哉さんが認める程の力なら、きっと扱えるはず……)
そう思うと、何だか急に淋しくなった。
自分の小さな手を広げ、じっと見つめる。
初めて触れた時の杖の温かさ、今でもはっきりとこの手に刻まれているのだ。
(嫌だ、渡したくない)
そんな気持ちがむっくりと頭を持ち上げる。
「……ッ」
刹那、阿相が呻き声らしき声を漏らした。
顔を上げると阿相の手からペンが溢れ落ちるところが目に入る。
コトリと音を立て、クリーム色の床をワンバウドしたかと思うと、コロコロと転がり、美優の方へと向かって来た。
それは偶然か、あるいは必然なのか……
柊哉らしいシンプルなシルバーのペンが、美優の上靴の爪先にコツンと当たり、その歩を止める。
反射的に腰を折り、美優はペンを拾い上げた。
「……な……んで……」
絞りだすような阿相の声。
見ると、驚きと哀しみ、そして怒りの入り混じった複雑な顔で此方を睨む阿相と目が合った。
(なに?)
美優には理由が分からなかった。何故、自分が睨まれているのかも……
「拒まれましたか、杖に」
(えっ、まさか?!)
柊哉の一言に驚き、目を見開いた。
阿相は「そんな事あるはずがない」と憮然と答え、すかさず美優から、杖を奪い取ろうとする。
――が、柊哉が、手を伸ばして、それを阻む。
そして、対峙するように、阿相を見据え、キッパリと言い放つ。
「条件、お忘れでしょうか?」
「いいから、渡せ」
血走った目で睨みながら、苛立ちを露にし、声を荒げた。乱暴な口調、威圧的な態度――もう、いつもの温和な阿相の姿は、そこにはない。
美優は逃げるように踵を返し、教室のドアへと走る。怖かったからなのか、それとも…………
「待てっ」
「美優っ!!」
阿相の怒鳴り声。それと同時に柊哉らしからぬ、焦りの声が美優の耳に届いた。何事かと歩を止め、二人を振り返ると、眩しい程の閃光が一直線に美優の目の前に来ていた。
「きゃ!!」
悲鳴をあげかけた瞬間、美優の手の中が、急に温かくなった。
それが何なのか確認する余裕などない。すぐに閃光が到達し衝撃を受ける。だが、それも一瞬の事だった。
衝撃に耐えようと足を踏ん張った時には終わっていたのだ。
まるで、鏡で反射したように綺麗に弾き返される閃光を、ただ、ただ驚きの眼差しで、美優は見送っていた。
弾かれた力は、真っ直ぐに阿相へと返り、そして、今度は、彼の体を簡単に吹き飛ばした。
それはほんの数秒――なのに、美優にはスローモーションのように見えた。
ゆっくりと宙を舞う阿相の体は、窓ガラスを割り三階の窓の外へと投げ出される。
割れたガラスが夕陽を受け、キラキラと反射する。
美優には、どうしてだろうか、窓ガラスの割れる音も、大声で叫ぶ阿相の悲鳴すらも聞こえない。
音声のない映画を観ているようで現実味が湧かない。
衝撃で落としたのであろう、阿相の杖が教室の床を転がる。
それが何を意味するのか、思考回路の止まってしまった美優には、理解出来なかった。
柊哉が慌てたように、目を閉じ集中力を高めようとしている。
『助けて……』
ボンヤリとする美優に、どこからともなく声が聞こえ同時に、自分の手から気を吸い取られる感覚を覚える。
(何?)
驚いたように、視線を落とすといつの間にかペンが杖へと変貌していた。あれ程までに、杖になる事を拒んでいた千年樹の杖が、その姿を現していた。
『お願い、彼を助けて』
紛れもない杖の声だ。美優はそう思った。
誰かに返事をするでもなく、自分を納得させるかのように大きく一つ頷いた。
無我夢中で杖を握りしめ、そして――振るうた。
美優の気がスルスルと杖へと流れ込む。
まるで、杖も自分の体の一部ではないかと思われる程、何の抵抗もない。千年樹の杖自体もそれを望んでいるのだから、当然といえば当然である。
真っ直ぐに千年樹の杖は、その力を解き放つ。
既に窓の外に阿相の姿は見えない。だが、杖は迷いなくその力を一定の方向へと向けている。杖には阿相が見えているかのようだ。
美優が魔法を使っているのではない……使わされていりのだ。柊哉のリンク《それ》と似ているが、それとは全然別ものだ。
窓の外から腰を紐で釣り上げられるような体勢で、阿相が姿を現し、引っ張りこまれるように教室の床へと降ろされた。
何とか間に合ったようだ。
安心した途端、急に足の力が抜け、美優は冷たい床にへたりこんだ。スカートの裾がめくれあがり白い太股が露出する。
めくれあがったスカートをサッと手で直し、阿相はと見ると、此方に背を向けて床に転がっている。
ピクリとも動かない――
(まさか……?!)
嫌な考えが脳裏に浮かび、慌てて腰を浮かしかけた時、ユラリと阿相が半身を起こした。
「先生、大丈夫ですか?」
柊哉が心配そうに声をかけると、阿相は黙ったままゆっくりとこちらを振り返る。
柊哉と美優は思わず息を飲んだ。
その顔は虚ろで、目に光がない。まるで放心状態だ。
死を目前に感じ、恐怖から心を手放してしまったのだろうか?
「先生っ!」
心配になり、今度は美優が呼び掛ける。
声に反応してなのか、虚ろな目を此方に向けた。美優を見ているのだが、その瞳に美優は映っていない。
(どうしよう、ずっとこのままだったら…… 私のせいだ)
いいようのない不安に駆られる。
千年樹の杖は、美優の意思とは関係なく、美優を守る為に、咄嗟に阿相の魔法を弾き返してくれたのだ。
杖自身、力が阿相に返るなんて思ってもいない誤算だったのだろう。
(だからこそ……)
惚ける阿相に目をやると、身動ぎ一つせずに美優の手元をじっと見据えていた。その目に徐々に光を取り戻していくのが分かる。
その視線の先に何があるのか、確認しなくても容易く想像がつく。
千年樹の杖に対する執着心が正気を取り戻させたのだ。
柊哉は、床に転がる阿相の杖に近づきそっと拾い上げた。これで魔法を使う事が出来ないはずだ。
そんな柊哉の行動すら目に入らないのか、瞬きをする事さえ忘れ、座り込んだままの美優の手元を凝視したまま動かない。
「ふっ」
氷ついた顔の唇の端を僅かに歪め声を洩らす。それを皮きりに何かが爆発したように大口を開け、腹を抱えて笑い出した。
「あはははっ……」
一体何がそんなに可笑しいのだろうか?
美優と柊哉は、呆気にとられ呆然と見つめた。
とめどなく笑い続けるので、恐怖の余り気でもふれたのかと思った瞬間、ピタリと笑い声が止まり吐き捨てるように言った。
「自分の甘さ加減に、つくづく笑いが止まりませんよ」
「………………」
自虐的な発言。
何も言えず、美優は深くうなだれた。
黙り込んだのをよい事に、少しでも仕返しをとばかりに、更に恨み言を並べる。
「こうも簡単に切り捨てられるなんて思ってもみませんでした。特殊なんて言う割りには、打算で主人を選ぶとは。それだけでは、飽き足らず今まで散々利用した御厨家の人間を邪魔者扱いし、消そうとするなんて…………」
(えっ!!)
阿相の発言にパッと顔をあげ、大きな目を更に大きく見開き凝視する。
(先生は勘違いしている)
「何です。何か文句ありますか?」
視線に気付いた阿相が、ぴくりと片眉を不服そうに動かし、冷たく言い放つ。
重い空気が広がっていく。
しかし、美優は伝えずにはいられなかった。
素早く杖をペンへと戻し、ポケットへとしまう。
今回はおとなしく言う事をきいてくれたようだ。
力の入らない足腰を叱咤し、ヨロヨロと立ち上がりながら告げる。
「それは違います」
「違う? 何が違うというのです?」
「先生は勘違いしています」
「勘違い?」
「杖が先生を助けたんです」
「ふっ、バカな。そんな事あるわけがない」
小馬鹿にしたように鼻で笑う。
明らかに美優の言葉を信用していない。
あの声は、多分美優にしか聞こえていないだろう。
――証拠はない。
だからといって、美優は諦める訳にはいかない。否、だからこそ諦めてはいけなかった。
瞳に強い決意を湛え、再度食い下がる。
柊哉が、ほんの僅か口元を緩めた。
「でも、本当なんです。杖が先生を助けたんです」
「慰めてもらわなくても、結構です。余計惨めになるだけだ」
柊哉の横を擦り抜け、冷たくあしらう阿相へと走りより、腕に縋りつく。
必死だった。
このままでは、阿相も杖も可哀想すぎる。
「慰めなんかじゃありません。信じて下さい」
「いい加減にしてくれっ!!」
怒鳴りつけ、美優の手を振り払い、すかさず乱暴に美優の手首を掴み返し、くってかかる。
「じゃあ、何かっ。私を殺そうとしたのは、君かい? それを杖が助けたとでも言いたいのか?」
杖でなければ、美優――
阿相の頭には偶然という考えが一ミリもないのだろう。
「違っ…………」
長い髪を振り乱し、大きくかぶりを振る。それはブンブンと音がしそうなほどに――
「何が違うと? 私の魔法を弾き返したのは貴方の魔法なのですから」
「偶然なんです。故意じゃありません」
縋るような瞳で、懇願する。何としても信じてもらいたかった。
だが、返ってくる言葉は冷たい一言。
「口先では、なんとでも言えますよね」
それでも、諦めたら終わりと知っている美優は、必死に訴えかける。
「嘘じゃありません。本当なんです」
美優の声が教室内に響いた。
一向に諦める気配のない美優に、このままでは、埒があかないと判断した阿相はため息混じりに最後の切り札を口にした。
「では、証明してもらえませんか」
「証明……」
証明する方法なんてない。阿相だって、それを分かっていて、言っているのだ。
「どうしました?」
言葉が続かない美優に、阿相は意地悪く問い詰める。
「………………」
困り果て、黙って下唇を噛み俯く。
校庭からは、女生徒の高笑いが聞こえてくる。そんなはずはないのに、答えられない自分を嘲笑っているかのように美優には思えた。
「もう充分でしょう? 先生も分かっていらっしゃるはずですよね?」
不意に美優の後方から、声が飛んできた。振り返ると黙って二人のやり取りを聞いていた柊哉が、真っ直ぐに阿相を視線の先に捕らえ語り掛けている。
「特殊な杖です。どちらか一方の意思だけでは上手く発動しない」
「それなら、お二人が私を……」
「――だったら、何故助けたのですか? 第一、先生だったら分かるはずだ。あれが千年樹を介した魔力……だ……と…………」
何かに気が付いて、柊哉は言葉を発するのを止め、驚いたように阿相を見つめている。
(どうしたのかしら?)
そんな柊哉の様子に、美優も柊哉の視線の先へと目を向けた―― そして、目を瞠る。
美優は、見たのだ。
阿相の頬を伝う一筋の涙を……
美優の心臓がバクバクと鼓動する。これほどまでに追い詰めてしまったのは、間違いなく自分なのだ。
「勿論、分かっています…… だけど…… そうでも思わないと諦められなかったんだ」
ガックリと肩を落とす阿相に、半ば呆れたように柊哉が問う。どれ程強欲なのかと――
「それ程までに魔力が欲しいのですか?」
「違うっ!!」
「では、名声ですか?」
「……ち……がう。そんなんじゃないんだ。そんなんじゃ…………私は、ただ……母さんの形見の品を取り戻したかっただけなんだ」
ボロボロと大粒の涙を溢す阿相の姿は、母親に甘えたくて駄々をこねて泣く赤子のように見えた。
(同じだ)
阿相と自分の姿が重なって見える。美優は目を細め、じっとその姿を眺めながら、左手首に手をやる。指先に堅い金属のチェーンが触れた。
愛しそうに、手首ごとブレスレットを包みこんだ。
阿相にとって杖は、このブレスレットと同じなのだ。
大切な母親の唯一の思い出の品――
美優はゆっくりと歩を進め、阿相の前に立つ。
「柊哉さん、ごめんなさい」
一言後ろに佇む柊哉に声をかけ、右手を差し出した。その細い手には、指が白くなるほど、しっかりと千年樹の杖を握り締めている。
渡したくないという気持ちが自然と態度に出てしまうが、それを振り払うように言葉を発した。
「先生、やっぱりこれはお返しします」
「えっ」
涙に濡れた瞳で、驚いたように美優を阿相は凝視した。
固まる阿相に変わって柊哉が口を開く。
「美優、何を言っているんですか? 返した所で、先生は杖を使えませんよ」
「分かっています。それでも、先生にはこれが必要なんです。側にいるだけでいいんです…………それに、この子ももう気付いているはずです」
美優が杖へと視線を落とすと、いつ姿を変えたのか、その身をシルバーのペンへと変貌していた。
◇◆◇◆◇◆
「本当に良かったのですか?」
寮への帰りの道中、隣を歩く美優に、柊哉がそう問いかけてきた。
阿相を教室へと残し、二人は先に帰路に着いたのだった。
寮へ向かう道には、誰もいない。部に所属していない生徒はすでに帰路についているし、部活動を行う者はまだその真っ最中なのだ。
「ちょっと惜しい気もしますが、仕方ありません。それにしても、まだ千年樹の杖に触れられないなんて……」
美優の思惑では、阿相の言動に感化された杖が、心を許したと思ったのだ。
すっかり肩透かしを食らってしまった。
「まぁ、気持ちだけでは、どうにもならない事もあるという事でしょう。極稀ですが、成長の過程で気の質が変わってしまう人もいるようです」
「そんな事、あるんですか?」
「えぇ、環境で人は変わります。きっと幼い時に母親と離れたのでしょう。特に成長期は、共にいた者の影響を大きく受けやすい時期。その上、混血者の為、気〈オーラ〉も不安定だったかもしれない」
(やっぱり、私と一緒だったんだ……という事は私も可能性があるんだ)
母の気〈オーラ〉を美優は、よく覚えていない。自分では、変わってしまったかどうかは分からない。
分からないが――――
“母と違う”そう思うと何だか寂しい気分になる。
「阿相先生は、多少なりとも自分の気の変異になんとなく気付いてたんじゃないでしょうか? だからこそ千年樹の杖が欲しかった、それを確かめる為に―― そして、杖を手にし、はっきりとそれを確信した。母との繋がりが消えた気がしたんでしょうね。少しでも繋がりを残そうと杖を手元に起きたかった」
「分かります。その気持ち」
伏し目がちに美優が肯定する。
「親子の繋がりは気だけでは、ありませんよ」
「えっ?」
「力を持たぬ者は、血の繋がりで判断します。とかく魔法使いは気を重要視しがちですが、絆は自分の中にあるんです」
「あぁ、そうですよね。血縁者って言いますもんね」
思わず、声が一オクターブ高くなる。
柊哉の言葉に、美優自身も救われたような気がした。
魔法使いというものは、魔力に固執する生き物だ。かくゆう、魔法を使えない美優でさえも気で判断していた。
まぁ、そう育てられて来たのだから仕方ない。
これが環境で変わるという事なのだろう。
「阿相先生も、それに早く気が付いてくれればいいんですがね」
「そうですね」
柊哉の言葉に、美優も同意する。そして、すぐに新しい問題を思い出し、申し訳なさそうにチラリと柊哉を盗み見ながら言った。
「また、杖を探してもらわなくてはいけなくなってしまいましたね……」
結局振り出しに戻ってしまったのだ。
ここ何日かの苦労が水の泡。さすがの柊哉も嫌な顔をするだろう。
――と思っていた美優の思いとは裏腹にニッコリと柊哉は微笑んだ。
「問題ありません」
ブレザーのポケットに手を入れて、水色の鈴のキーホルダーを取り出し、手のひらの上に広げて見せた。
「それは?」
柊哉の意図が分からず、美優は首を捻る。
その瞬間、キーホルダーが杖へと形を変えた。
真新しい褐色の杖、どこかで見覚えがある杖だ。
「それって、もしかして……」
「そうです。阿相先生が用意された杖です。先程、頂いて参りました」
阿相を教室に残し、廊下に出たあと、すぐに柊哉は『忘れ物をした』と言って、一人教室へと戻ったのだ。“忘れ物”とは、杖〈これ〉だったのだ。
「さすが先生、思った通り良い目利きをされている」
杖を自分の目の前にかざし、じっくりと品定めするように眺める。
「素直で従順、初心者にはうってつけの特別な杖ですね。せっかくですから、先生が選んで下さったこの杖を使ってみてはいかがですか?」
「柊哉さんがそう言うなら」
コクリと頷いて、柊哉から杖を受け取った。
手の感触を確かめるように、ゆっくりと握りしめてみる。スベスベとした手触りが心地よい。
そんな美優を見つめながら、柊哉は呟いた。
「──短い間ですがね」
だが杖に夢中の美優には、その声は届かなかった。
読んでいただき有難う御座いました。




