デジャブ
久々の投稿となります。
遅くなり、すみませんでした。
開け放たれた窓から、外を眺める阿相の背中が見える。その後ろ姿からは、彼が何を考えているのか分からない。
ただ一つハッキリしている事は、美優と顔を合わすのを避けているという事――
休み時間の度に職員室に足を運んだが、一度も捕まらなかったのだ。現に今だって、二年生の教室にいるのだから……
美優を暗黒横丁へ置き去りにした事に負い目を感じているのか、それとも、昨夜聞いた柊哉の推測通りなのか?
祈るような気持ちで、その背中をドアの影から黙って見つめる。
どうか前者でありますようにと――
「では、行って来ますね」
美優の耳元に顔を近付け柊哉が囁いた。
阿相に気付かれないようにという配慮なのは分かっている。美優は緊張した面持ちで、黙って深く頷いた。
柊哉は、それに笑顔で返す。美優の緊張を少しでも溶きほぐそうと――
しかし、すぐにその顔を引き締め、教室へと足を踏み入れる。
美優は慌ててドアの影に身を隠した。
柊哉がドアを閉める。
美優が見付からないように――
髪を耳に掛け、少しでも中の様子を探ろうと耳を傾ける。
もし、柊哉の言う通りなら……
「随分と捜しましたよ」
室内から、柊哉の声が聞こえてきた。美優は必死で耳をそばだたてる。
不自然なくらいに自然なその声―― 彼は大して捜してなどいない。阿相の居場所など、柊哉には造作もなく突き止められる。
「あっ……えっ……湊くん」
美優にも分かる。 明らかに動揺した阿相の声。
「な、何か用ですか?」
うわずった声でそう質問する。
「実は、昨日……」
「昨日?!」
「どうかしたのですか?」
「あっ?! いや、何でもありません」
「昨日、スマホを無くしてしまいまして、取り敢えず、何かあった時に連絡出来ないと困るので先生の連絡先だけでも、お聞きしておこうと思いまして」
「なんだ、そんな事ですか。私は、てっきり」
「てっきり?」
阿相は、ハッとして慌てて口をつぐむ。
その言葉の先を容易く推測出来るが、今は何も言わない。
「番号なんて、如月さん達にでも聞けば良かったじゃないですか?」
話題を反らすように阿相は言った。柊哉も素知らぬ顔で、その話に乗っかる。
「そんな醜態を知られたくないじゃないですか。あっ、勿論、先生もご内密にお願いします」
何事も完璧にこなす柊哉に確かにそぐわない。阿相も納得し、了承する。
美優は、声を押し殺して二人の会話に聞き耳を立てる。
美優の胸に罪悪感が生まれる。
盗み聞きをして、良い事などないのだ…………否、違うか……
あの日、何も聞かなかったら、今でも大好きな父親と一緒にいただろう。そして、優作の決めた相手と結婚し、子を成す。
それは、それで幸せだったかもしれない。
だけど、それは――――
美優は、小さく身震いをした。
自分の思い付きに少なからず恐怖を覚えたのだ。
そう、何も知らずに過ごしていたら、柊哉を好きになることもなかったはずだ。
一生、この感情を知らずに生きていたのかもしれない。
自分の心を確認するように胸元を右手で抑えた。
「何か書くものありますか?」
阿相の声に、美優は慌ててドアにはめられたガラス窓の部分から、ソッと中を覗き込む。
今は余計なことを考えている場合ではない。
紺色のブレザーの胸ポケットから、メモ帳とペンを取り出す柊哉の姿が見えた。
その手には、しっかりとペンを握り締めている。
よくもまぁ、あれを顔色一つ変えずに持つことが出来るものだ。
「お願いします」
柊哉はメモ帳とペンを差し出す。
阿相は受け取るべく、手を差し出す。
美優はそれを祈るように見守る。
(あっ……)
阿相の手がメモ帳とペンに触れた。
そして、何事もなく、柊哉からメモ帳とペンを受け取った。
その瞬間ガックリと、美優は肩を落とした。
(やっぱり、柊哉さんの言う通りなのね)
昨日、マリーの店で柊哉が話した事を思い出す。
あの日、マリーを厨房へ追いやった後、指輪をテーブルに置き、柊哉は小声で言ったのだ。
阿相は、千年樹の杖を持ち込んだ男が連れていた子ではないのかと……
「まさかっ??」
驚いて、美優は大きな声で問い返した。
慌てたように、柊哉は“しーっ”とばかりに自分の唇に人差し指をあて、諫め厨房の様子を窺う。
美優もそれに習うように、厨房へと視線を運んだ。
厨房からは、相変わらず、マリーの鼻歌が聞こえてくる。
どうやら、調理に熱中していて聞こえなかったようだ。
ホッと胸を撫で下ろし、声をおとして、ヒソヒソと謝る。
「すみませんでした」
「いえ―――― 介爺のあの様子、十中八九間違いないと思います」
「えっ、でも、お爺さんは知らないって……」
「ひねくれ者ですからね」
困り果てたように言ってみせるが、どうやら、本心ではないようだ。その証拠に楽しそうに微笑んでいる。
「阿相先生が、その男の子だとしたら、杖のパートナーの血縁者でしょうね」
「杖が盗まれた物だとしたら、そうとは限らないんじゃないですか?」
「否、血縁者ですよ。 如月家を敵に回したうえに、選ばれた者しか扱えない杖と分かっていて、手に入れようとしているのですから――余程、金銭的に困窮しているか、自分には扱えるという自信がないと、とてもではないと出来ない。先生は、名誉ある魔法学校の教師。給与もかなりの額になるでしょう。そして、この学校の教師になるには生活面も調べられ、少しでも汚点があれば採用されない。借金なんて、もっての他です――となれば」
「血縁者ですか? 血縁者なら、扱えるのですか?」
美優は、長いまつげをパチパチと二、三度しばたたかせた。
「えぇ、血縁者は似た気を持つものです。そのうえ、自分の主人が大切に思っている方なら、なおのこと、杖自身も護ろうとする気持ちが働く。得てして、そういった場合、良い杖は形見として引き継がれることが多いですしね」
「それって、先生も杖を使える可能性があるってことですよね?」
「可能性ではなく、確信しているのかもしれませんね。子供時代に杖に触れていれば…… 適合者の美優ほどではありませんが、あれだけの杖ですから、先生自身の魔力も考えると十二名家と渡り合えるくらいにはなると思います。 何にせよ、確かめてみる必要がありますね」
「えっ、方法があるんですか?」
「はい、指輪に触れれば分かるでしょう」
「あっ!! あぁ」
納得したように、美優はコックリと頷く。
そうだ、杖に認められた者にしか触れる事は出来ない。
指輪を掴み上げた時のビリビリと電気に似た痛みを思い出し、思わず自分の手を撫でる。
「先生は、それを知っているはず……」
ボソボソと呟く柊哉の声が聞こえてくる。
どうやら、柊哉の中では、すでに可能性から確定に変わっているらしい。
「…………やはり、試してみるしかなさそうだな」
何かに納得したように、大きく一つ頷いたと思ったら、立ち上がった。
「戻ります」
美優は訳が分からずに大きな瞳をパチパチとさせた。それとほぼ同時に厨房から両手にお皿を持ったマリーが、ウキウキした声を上げながら出てきた。
「はーい、お待たせぇ」
立ち上がった柊哉に、勘違いしたマリーが嬉しそうに言った。
「あらっ、待ちきれなかった? うふふふ……」
柊哉は、一瞬“しまった”という顔をするが、マリーは気付いていないようだ。
「美優、指輪をお借りします。門限迄に戻らなかったら、先に帰って下さい。――すみません、マリーさん急用で……食事は二人で食べて下さい。戻ったらお代はお支払いしますから」
「えっ、ちょ、ちょっと……」
状況を把握出来ないマリーの声を、最後まで聞かずに、カウンターの上にある指輪を手中に収め、慌ただしく店内を出て行く。
勿論、美優を取り残して……
「何なの〜〜〜」
どこかで聞いた事ある台詞をマリーは絶叫した。
その後、美優はマリーと二人で食事をした。マリーの料理は、とても美味しかったのだが、食事の間中ずっと柊哉の愚痴を聞かされた。これでは、美味しい料理も旨さ半減だ。
「でも、どうして柊哉さん、急に戻ったのかしら?」
揚げたての唐揚げを摘み口に放り込みながら、言った。ジューシーな油が滴り、マリーの口元をしっとり塗らす。
美優のフォークを持つ手がピタリと止まる。
(試してみるって言ってたけど……)
何をしに行ったのかは詳しくは分からない。しかし、指輪を持っていったのだから、何らかの細工を杖に施す事は容易に想像つく。
「ちょっと、美優ちゃん聞いてるぅ?」
「は、はいっ」
マリーの不機嫌な声に、本当は何も聞いていなかったのだけれども、頷いてみせ、それを誤魔化すかのように、目の前のグラスを手に取り、一気に口へと流し込む。
「あっ!! ちょっと、待って、美優ちゃん」
慌てて静止するマリーの叫び声。その声で口からグラスを放すが、既に飲み干した後。
横を見ると、腰を浮かしかけ青ざめたマリーの顔。
(何を慌ててるのかしら?)
その時、何故か熱を帯びたように体中がカーッと熱くなるのを感じた。“何かおかしい”そう思いマリーに訴えようと、再度視線を戻すと、心配そうに美優の顔を覗き込むマリーの顔が……二つ…………
(なん……で………………)
理由を考えようとするが、頭の芯がボーッとなり、考えられない。
「美優ちゃん、……ちゃん、…………ん」
マリーの呼び声も次第に遠ざかり、いつしかその声も美優には届かなくなった。
気が付くと、美優は自分のベッドの上に寝ていた。
(えっ、何で?!)
確かマリーの店にいたはずなのだ、自分は。
驚いて勢いよく、跳ね起きると出掛けた時のままの服装。やはり、何かしでかしたのだろう。
何があったのか、必死で思い出そうとするが、何だか頭が重く思い出せない。
おまけに胸までムカムカして気持ち悪い。こんな感覚今まで一度だって味わった事が無い。
不安に思いベッドを下りようと床に足をつけると、不意に声を掛けられた。
「冷たいお水、いかがですか?」
美優の心臓が飛び上がる。誰もいないと思っていた自分の部屋で他人に声を掛けられたのだから、当然といえば当然である。
声のした方を見ると暗闇に浮かぶ人影――美優には、見えなくてもそれが誰だかすぐに分かった。自然と頬が緩む。
「いただきます」
美優の返事が終わるか終わらないかのうちに、パチリと室内の電気が点けられ、片手に氷の入ったグラスを持った柊哉が姿を現した。既に冷水は、準備されていたようだ。
起きた気配を感じ取っていたのだろう。
急な光に対応出来ず、美優は目を細める。
「これで、少しは気分が良くなると思いますよ」
水滴を身に纏ったグラスを柊哉はそっと差し出し、まるで、美優の具合が悪い事を知っていたように言った。
「ありがとうございます」
両手でグラスを受け取ると、氷が揺れカラリと冷たげな音を立てる。美優は、その音を皮切りに一気に冷水を飲み干した。冷たい水が胃に落ちると幾らか胸のムカつきがましになる。
「すみません。勝手に部屋に上がり込んで」
「どうして………… ここに?」
「美優を送って、すぐに帰るつもりだったんですが……」
柊哉の回答で主語が抜けていた事に気付き、慌てて訂正する。
「あっ、違うんです。そうじゃなくて…… 私、どうして、ここに? 何も覚えてなくて」
「そうなんですか? 僕が喫茶店に戻った時、美優はすでに眠っていました。マリーさんが言うには、美優が間違えてマリーさんのお酒を飲んでしまったと―― マリーさんが何度か起こそうとしたそうなのですが、全然目を覚まさないと慌てていましたよ。相当、強いお酒だったようですね。とにかく、門限の時間も過ぎていたので、直接テレポドアで部屋まで来たのですが、このまま一人残していくのが心配になって、少し様子を見ていたわけです。具合の方はいかがですか?」
「お酒って、こんなに気分が悪くなるものなんですか? どうして、大人は、こんな物を飲みたがるのか理解出来ません」
柊哉の問いに眉をしかめ、思わず本音をもらした。
両手で空のグラスを握り締めると、手のひらをひんやりとさせる。
美優の言葉に柊哉は、くすりと笑いを溢す。
「美優にも、そのうち分かる日がきますよ」
どうやら、柊哉には、お酒の良さが分かるようだ。
そして続けざまニッコリと微笑み言った。
「それに、奥の手がありますから」
「奥の手?」
腰を屈め美優の手から空のグラスを抜き取り、ベッドサイドに置いた。
「少し熱いかもしれませんが」
流れるような動作で、美優の前髪をめくり上げ額に手を充てる。柊哉の温かい手の感触を感じた瞬間、熱い気が頭の先から足の先へと駆け抜ける。
(何、今の――)
何だか、熱い物が体の中を駆け巡ったようだ。不思議そうに、気が走り抜けた手や足を眺める。確かに少し熱かったが、取り分け変わったところはないようだ。
「どうですか、気分は?」
「えっ、気分……」
“最悪に決まってます”そう続けようとした美優だが思わず「あれっ?!」とすっとんきょんな声を上げていた。
先程までの頭痛や胸のムカつきがきれいさっぱり消えている。
「柊哉さん、治癒魔法まで使えるのですか?」
目を大きく見開き、驚きの声を上げた。
治癒魔法は、誰にでも使えるものではない。医療についての知識や、それに伴う魔力行使の方法を学ばなければならないときいた事がある。その為、専門の学校まであるはずだ。
だが、柊哉がその学校へ行ったという話は、今まで聞いた事がない。
「治癒魔法、そんなたいそうな代物ではありませんよ。追い詰められて、自ら編み出した方法です。本当に微量な気の核を体へ送り込み、それを体内にあるアルコール分を燃料として体外に放出させる。まぁ、魔力の殆どない僕だからこそ、出来る戦法かもしれない」
「凄いです」
美優は尊敬の眼差しを向ける。魔力がないからと、最初から諦めるのではなく、与えられた範囲の中で、必死に模索し、そしてついにはその方法までも見つけだしてしまう。柊哉の凄さを、まざまざと見せつけられる。
(私には、到底無理……)
「はなから、諦めていたら何も出来ませんからね」
(えっ!!)
まるで、心の声を聞かれたような返答に戸惑うが、特段、柊哉に変わった様子はない。ただの偶然らしい。
「そろそろ、部屋に戻りますね…………そうそう、杖の方は、もう一日お借りして良いですか?」
「構いませんが……?」
「杖をペンにしていただきました。明日、何も言わずに阿相先生に渡してみます。これで、何もかもハッキリするはずです」
「私も一緒に行っていいですか?」
「えぇ、勿論です、杖の所有者は美優なのだから。しかし、陰から見守ってもらう形にしてもらえませんか? 美優に杖の気が感じられないと、先生に怪しまれるかもしれない」
「分かりました」
「それと、先生が杖を扱えるのならお返ししたいと思っています」
「勿論、お譲りして結構です」
そして、今まさに目の前で予想通りの展開を着々と進んでいた。
はめ込みガラスがら、こっそり覗き見る美優に、阿相が柊哉から預かったペンで紙に平然と書き込んでいる。
美優は、固唾を飲み中の様子を見守った。
読んでいただきありがとうございました。




