田代京子
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
自分に向けられた激しい憎悪の念――
田代京子は、そこで始めて自分が起こした事の重大さを悟った。
怒りに満ちた瞳――
それは、必ず真実を見抜くだろう。自分のような小心者が、騙し通せるはずがないのだ。
(怖い……)
ガクガクと勝手に膝が震え出す。
思わず謝罪の言葉が口をついて出ていた。
「許さない」
彼女は、美しい声でそう告げる。
そして、虫も殺せない可憐な顔で残酷な言葉を吐く。
「死を持って償え」と――
(殺される……!!)
京子は彼女に手を出した事を後悔した。
彼女の桁外れな魔力を前にして、ただ震えてその制裁を待つ事しか出来なかった。如月家の頭首の娘の力が、これ程とは思わなかったのだ。
――一年前――
入学して早々、田代京子はクラスに馴染めずに悩んでいた。
ただでさえ、名家や名だたる資産家の多い魔法学校。しかも、名家の多いA組になった。本来それは栄誉ある事。勿論、京子も最初は喜んだ。
――だがすぐに、自分は場違いなのに気が付いてしまった。
特にあの十二名家の如月慶と雪乃を目の前にすると益々自分がみすぼらしく、無能に思えてならなかった。
自分はA組にいていい人間ではない。そう思うと、クラスメイトとも上手く話せなくなり、いつも下を向き、挙動不審な態度を取ってしまう。
そんな態度が悪かったのか、いつしか話し掛ける者もいなくなった。
誰とも話す事がなく、孤独な毎日が過ぎる。特に辛かったのが昼食の時間――皆が楽しそうに食事をとる中、京子はいつも一人だった。
食堂の二人掛けのテーブルにたった一人で陣を取る。しかし、教室よりはマシだ。
(ここには、私を知らない人達が沢山いる。一人でいても、注視する者もいない)
せっかくの美味しい昼食も一人だと、砂を噛むようだ。
何となく食欲が湧かず、御飯を箸でつついていると、不意に真っ白なテーブルに黒い影が出来、低い声が降ってくる。
「相席いいですか?」
思わぬ申し出に辺りをキョロキョロと見回すと、どの席も満席状態になっていた。
(この状況は断れない。男の人と同席は気が引けるけど仕方がないな。サッサッと食べて教室に戻ろう)
小学生の時に、眼鏡を掛けている事で男の子にからかわれて以来、京子は男の人が苦手なのだ。
「どうぞ」
渋々自分のトレイを引き、テーブルを半分空け、顔を上げた。
(あっ……!!)
その瞬間、京子の動きが、止まった。目を大きく見開き、声の主を凝視する。
浅黒い肌のがっしりと逞しい青年。
それは、京子ですら知っている有名人――葉月炎だ。十二名家の御子息という将来性もさながら、その凛々しい顔立ちも人気の一つである。
紅蓮の騎士という称号は伊達ではない。
炎と目が合うと、京子の頬が一気に蒸気する。
同じクラスの如月慶もかなりの美形で人気があるが、京子はどちらかというと炎の方が好みだった。
同じ人気者でも、二人は全くの真逆だ。
「ありがとう」
にこりと白い歯を溢し、笑顔でお礼を言う。テーブルにトレイを置いて、席についた。
京子の心臓はすでに爆発寸前。
周りの生徒達の視線が一気に二人に向けられていた。入学して一ヶ月になるが、炎が食堂に来たのを見たのは初めてだった。
(ど、ど、ど、どうしよう……)
京子の頭の中はパニックになっていた。どうして良いか判らず、取り敢えず食事に集中する事にする。
食欲が無かったのが嘘みたいに、黙々と御飯を口へと運び続ける。
(と、とにかく早く食べて逃げよう)
食べずに席を立つのは、炎が気を悪くすると思い、一心不乱に御飯を掻き込む。
「一年生だよね? いつも、一人?」
炎の言葉にビクリと箸を止め視線を上げる。此方に向けられる温かい瞳とぶつかり、京子は目を逸らした。
「あっ、はい、そうです」
緊張で少し声が裏返る。
「クラスには、もう慣れた?」
京子は目を瞠った。
(何もかも見透かされている??)
炎は学校とは、言わずクラスと言ったのだ。
それはただの偶然か、それとも気が付いたのか?
「………………」
「どうかした?」
優しい声で、心配そうな顔で京子の顔を覗き見る。
思わず震える唇を開いた。
「……私みたいな……私みたいな一般人が……A組クラスにいる資格がない」
誰にも話した事がない自分の本音を吐いていた。
過度に期待する家族をガッカリさせてはいけないと、家族にすら話せなかった本音だ。
炎は驚いたように京子を見、そして口を開く。
「それは違うんじゃないかな」
「えっ?!」
「一般人とか名家とか関係ないんじゃないかなぁ。第一、もしも家柄でクラスを選んでいるなら、逆に自信を持っていいんじゃないかな。名家に交じれるくらい、君の能力は素晴らしいってことだろう。引け目を感じるどころか、堂々としていていいんだよ。君は資格があるから、そこにいるんだ」
強い口調で、はっきりと言い切る。その言葉が京子の胸を射る。
(堂々としてていい……そうだ!! 私は努力したんだ)
入学試験に向けて寝る間も惜しんで必死で勉強したのを走馬灯のように思い出す。
「堂々と胸を張っていいんだよ」
優しい微笑みを炎は京子に向け大きく頷いて見せる。
京子の頬を涙の雫が静かに伝う。思わず、涙していた。炎が驚いたように、此方を見ている。
「す、すみません」
黒縁眼鏡を外して、慌てて右手で目元を拭った。
「いや、いいんだ。ちょっと驚いたけど。さぁ、食べようか?」
「はい」
二人は、その後他愛もない話をしながら、食事を取った。
その日、炎の事を切っ掛けにクラスメイトが再び話し掛けて来た。不思議と身構えずに話す事が出来た。
あの時から京子の心は、確実に楽になった。そして、京子は変わった。自分に自信が持てるようになった。
いつの間にか、少ないが友達も出来た。何もかも、自分自身のせいだったのだ。
炎とは、あれ以来話をしていない。多分、京子の事など覚えていないだろう。
だが、京子にとって炎は特別な人になった。
流石に十二名家の御曹司にアプローチする勇気はないし、そんな事をした所で無駄だという事も分かっていた。
ただ見ているだけで幸せだった――否、そう思い込んでいた。
そう、彼女が現れるまでは……
彼女――如月美優は、清純そうな顔をして男に取り入るのが上手い。入学式、男の人と一緒にいたのは周知の事実。その上従妹だという理由で学校のアイドル如月慶に取り入り、それだけでは、飽きたらず葉月炎にまでも手を出した。
許せなかった――
そんな思いからか、毎晩悪夢にうなされるようになった。
決して許してはならないと、鬼が言う。繰り返し繰り返し何度も……このままでは奪われると。
だが、何か行動に移すつもりは無かった。
そんな度胸など無かったはずだ。
毎晩のように繰り返される言葉――まるで復讐に燃える真っ赤な炎のような瞳で赤い鬼は語るのだ。既に京子はおかしかったのかもしれない。
あの瞬間――美優が自分の横を横切った瞬間、聞こえたのだ鬼の囁きが。
殺れ《やれ》――と
その囁きと同時に京子は美優を力いっぱい突き落としていた。
そして、彼女が落ちる様を笑顔で見送っていた。
これで、葉月炎は守られたのだと――――
読んでいただき有難うございます。




