渇かぬ路面
駄文ですが、ぜひ読んでみて下さい
爽やかな晴天――
濡れた路面さえ無ければ昨日の雨が嘘のようにさえ感じられる。
水溜まりに反射する光の粒に美優は眩しそうに目を細め、視線を動かす。
学生服に身を包んだ人の波が校内へと消えて行く。ふと、その陰に一人佇む穏やかな青年の姿に目を止めた。
瞬間、美優はビショビショに濡れた路面の上を、構う事なく一直線に走りだす。靴底から水飛沫を飛ばし、その飛沫によって靴下が濡れる。
「柊哉さんっ」
足を止め、息を切らせながら、不安混じりにその名を呼ぶ。
呼び声に吸われるように柊哉は視線をあげた。
真っ直ぐに向けられる瞳――
目と目が合うと柊哉は黙って頷いてみせる。
「安心していいよ」と言っているように――
美優達より一足先に学校に行き、今後、健全な学校生活を送る為、雪乃にお願いに行っていたのだ。
勿論、この事を知っているのは、当事者の二人と柊哉の三人だけである。
雪乃は、美優の従姉だ。何事もなかったのだから、わざわざ身内の恥を晒す事はないと判断し、エミリと真生にも秘密にしてある。昨日の行方不明騒動は、柊哉の勘違いと和人の爆睡で幕を閉じた。
真生曰く「和人くんが爆睡していて起きなかったというのはありそうだけど、柊哉さんが美優の出掛ける日を勘違いするなんて信じられない」との事だった。
真生の鋭いツッコミに、柊哉は困惑しつつも「僕も普通の人間ですよ。忘れもするし、間違いもします」と苦笑いを浮かべ答えていた。
今思えば、和人は随分な言われようである。真生にしては珍しいが、それだけ心配していてくれていたのだろう。
ボンヤリと昨夜の出来事を思い出していると、頭の上から不意に低い声が降ってきた。
「何かあったのか?」
ドキリと心臓が跳ね上がる。
いつの間にか追い付いた葉月炎が、美優の真後ろに立っていた。ボディーガードと称し、毎朝迎えに来てくれているのだ。
ほんの数秒のアイコンタクトに炎は気付き声を掛けてくる。
将来を背負って立つ逸材は、やはり慢れない。
どう答えようか考えながら振り替えると、少し遅れて到着したのか、エミリ達は訳がわからずキョトンとした顔をしていた。和人は雰囲気で察したのか、シマッタ!! という顔をしている。そんな表情をしていたらエミリ達にも変に思われてしまうだろうに――
「何もありませんよ」
美優がこたえあぐねいていると、柊哉は顔色も変えず平然と言ってのける。その堂々とした様子に疑いを持たず素直に信用する炎。真っ直ぐな気質の彼は扱い易い。
時として、その逆も然りなのだが。
「それならいいんだが。何かあったら言ってくれ、微力ながらいつでも力になるぞ」
ニコリと浅黒い肌に歯浮かべ、美優に向かって力強く微笑んだ。登校中の女生徒が一斉に色めきだつ。
流石は紅蓮の騎士、どこにいても、注目の的である。
エミリと真生も、その笑顔をとろけそうな顔で眺めている。
「あっ……はい、ありがとうございます」
そんな二人をはた目に返事を返すが、少々声がうわずる。やはり、柊哉のようには上手く出来ない。
だが、しかし幸いな事にエミリと真生は炎の笑顔に引き込まれ、美優の異変にまで気がまわらないようだ。また、炎もばか正直に美優の言葉を鵜呑みにしている。
こうまで真っ正直に信じられると、美優の心に罪悪感が生まれてくる。だからといって本当の事を話すわけにはいかないのだが。
美優はチクチクと痛む胸を押さえながら、話題を変える。
「そういえば、先生のお話は何だったんですか?」
柊哉が一緒だったら、閉じ込められる事もなかっただろうと、そんな思いが頭を過ぎる。
「クラス委員の件ですよ。来週、全校生徒の前で挨拶があるそうです。遅くとも今週中には決めないといけないみたいですね」
クラスの代表となる為、顔を覚えて貰う必要があるようだ。
「そうか、湊君なら適任だ」
炎が、腕を組み、うんうんと頷いている。
「えっ!! 柊哉さん、受けるんですか?」
(以前は断ると言っていたけど?)
美優は驚いて訊ねた。
「いや、申し訳ないけど断らさせて貰いました」
「どうしてだ? 君が一番向いていると思うのだが?」
明らかに意外そうな声を炎が上げた。
「買いかぶりです。僕には荷が重すぎます」
「しかし、将来を思えば……」
「分かっていますよ」
最後まで言わせずに、炎の言葉を静かに遮った。
分かっているのだ。本来、一般生徒だったら諸手を挙げて了承する。
何の力も後ろ盾も持たない柊哉にとっても、魔法学校のクラス委員をやる事は、この先就職するにあたって大きな戦力になるという事は。
炎は、じっと柊哉を見つめる。断る事で、どれ程の損失を受けるのか分かっているのかと――
揺らぐ事のない柊哉の瞳に、やがて根負けしたように吐き出した。
「……そうか、なら仕方ないな」
「心配していただき、ありがとうございました」
柊哉は深々と炎に頭を下げる。
「いや、いいんだ。本当は阿相先生に説得を頼まれていたんだが、本人にやる気がないんじゃ、残念だけど諦めるしかないな」
「すみません、先生には、昨日断り済みです。少しでも力になれればと、何名か候補者を推薦しておきました。後は先生と本人次第ですね。無理強いはよくありませんので」
釘を刺すように、最後にさりげなく一言加える。本当にクラス委員を引き受ける気はないようだ。
「そろそろ行きましょうか? 注目の的になってます」
「あっ!! あぁ……」
常に注目を浴びているせいか、少々人の視線に疎い。言われて初めて気が付いたように、辺りに目を配る。
柊哉の言う通り、チラチラとこちらを伺う女生徒の姿が多数見受けられた。中には堂々とガン見している者もいる。
柊哉を先頭に玄関へと、歩き出す。
「あぁ、そうだ!! 今日、一緒にお昼どうだい? 風紀室なら、誰もいないし」
今度は周りを気にしながら声を落とし、美優に向かって炎が提案する。
「…………」
視線を地面へと落とし考える。
(風紀室なら、久しぶりにノビノビと食事が出来そうだけど、炎さんのファンにまた恨まれるんじゃ……)
「如月にも声をかけようと思っているんだ」
(えっ、慶くんも……)
「行きますっ!!」
顔を上げ、嬉しそうに即座にオーケーする。
先日会った時は、雪乃がいて、あんまり話が出来なかった。
「如月のこと、余程好きなんだなぁ」
美優を元気づける為に、設定してくれようとしているようだが、その顔は少々寂しそうだ。
しかし、美優は気付いていない。
炎の言葉を聞いて柊哉に誤解されていないか、柊哉の横顔を盗み見ていた。
「一体、どうゆうこと……」
雪乃は、薄明るい倉庫内を呆然と見つめ呟いた。シンと静まる庫内。中に特に変化は見られない。
そう、あの二人が居ない以外は……
柊哉の迫力に押されて、つい承諾はしたものの、自分の力に絶大な自信はあった。その場に一人取り残された雪乃は、念のため中を確認したのだ。
あの男なら、人を騙すのはお手のものだろう。
うっかり騙されて、せっかくのチャンスを潰すわけにはいかない。
用心に用心を重ね魔法を解く。
――しかし、柊哉の言う通りだった――
この学校の生徒で破れるとしたら、如月慶か葉月炎しかいないはずだ。
(まさか、慶が……)
自分の考えを否定するように、ブンブンと頭を横に振る。
そんなことあるはずがないのだ。現に自分が掛けた魔法は“破られてはいない”
倉庫の入口を上目遣いで睨み付ける。
(シールドの魔法は掛けられたまま。誰かが一度シールドを解き掛けなおしたのか……? だとしてもおかしい。どんなに似せて魔法を掛けたとしても、必ずどこかにボロが出るはず。それに、間違いなくこれは自分が掛けたシールドの魔法。では、何故誰もいないのか? ……あの男が何かしたのか?)
様々な考えが頭の中を一気に駆け巡る。
「……ふっ……」
雪乃は、最終的に行き着いた自分の考えに、思わず鼻先で笑った。
(何を畏れているのかしら。あの男にそんな魔力がない事は分かり切っているというのに)
それだけ混乱しているという事だ。落ち着きを取り戻すように大きく深呼吸をする。
取り乱していた心が次第にクリアになっていくのを感じる。冷静さを取り戻した証拠だ。
「まぁ、いいわ」
まだ、始まったばかりで、先は永い。焦る必要などないのだ。時間を掛ければ、あの男にも一泡吹かせてやれるはず。穏やかな柊哉の顔を思い出す。その顔とは裏腹に油断のできない男だ。
(この屈辱、必ず倍にして返してみせる)
雪乃は悔しさを抑えつけるように、自然と力強く手を握り締めていた。




