第5話 『白いスライム』
林のさらに奥へと進んでいくと、視界がふっと開ける。
そこには鏡のように澄んだ湖が広がっていた。
夕暮れの光が水面を染め、風が吹くたび、さざ波が静かにきらめく。
湖を中心に、鹿の魔物や、見慣れない野生動物たちが集い、穏やかに水を飲んでいた。
「……やっぱ、平和な場所だな」
ふと、湖のほとりの木の根元に、光る何かが見えた。
近づいて拾い上げると、手のひらほどの七色に輝く板と、乳白色の欠片。
七色の板を指先で軽く叩くと、コンと澄んだ音が返ってくる。
「……なんだこれ? やけに硬いが金属では無さそうだよな……質感が違う……カーボンでもセラミックでもねぇし、樹脂にしちゃ軽すぎる。人工物か? いや、この世界じゃそんな技術ねぇか」
とりあえず困ったときは、観察眼。
考えるより視るほうが早いわな。
対象:硬殻虫の甲殻
状態:美品
効果:縄張り意識が強く、争いの絶えない種ゆえに甲殻は硬く軽い。盾や装備品に最適。
対象:苔猪の牙
状態:粗品
効果:削ると刃物や装飾品になる。
「ふむ……」
おそらく、苔猪と硬殻虫が縄張り争いでもして、その際に落とした素材だ。
血の跡はない、争いはもうとっくの昔に終わったのだろう。
……魔物を殺さずに手に入ったんだ。自然に感謝して、ありがたく頂いておくか。
他にも何か落とし物がないかと湖を見渡すと、奥のほとりに小さな水色の球体たちが群れをなして、ぷるぷると震えていた。
遠目には水溜まりみたいだが、よく見ると自律して動いている。
気持ち悪いと思いつつも、遠くからじっと様子をうかがう。
その群れの中に、ひときわ目を引く個体がいた。
ほかの個体より白っぽく、形が保てずにとろりと崩れかけている。
……白い球体? いや、もう球体ですらない。粘液のように地面へゆっくりと広がっていた。
すると、周囲の球体たちが、白い球体に何度も体当たりをし始めた。
衝突のたびに白い球体はわずかに震え、粘液を飛び散らせた。
あれは、もう瀕死寸前だ。
おそらく、色違いの突然変異個体。
群れの中で異質な存在と判断され、弾き出されようとしているのだろう。
「……差別ってのは、どの世界でも変わらねぇな……。けどなぁ。生命魔法使いとして、いや、人として……こういうのは放っとけねぇよな」
俺は昔から、周りと違うってだけで差別されるのが許せなかった。
特に腹が立ったのは、あの殺し屋時代だ。同期や上官は「アジア人は戦闘力が低い」「体が弱い」なんて平気で言うやつばかりだった。
最初のうちは何度も馬鹿にされたが、それも長くは続かず、気づけば、俺は組織でもトップクラスの強さになっていた。
……でも、だからって、こういうのを見るとどうしても黙っちゃいられねぇ。
とりあえず近づいてみる。
あの球体は多分スライムだろ? どのゲームでも雑魚キャラ扱いってのが相場だし、警戒するほどの相手でもなさそうだ。
すると、俺の気配に気づいたのか、スライムたちは体を小さく震わせ、跳ねるように林の奥へと逃げていった。
……だが、一匹だけ、逃げなかった。
白く濁った体を地面に広げ、かすかに震えている。
俺には「助けを求めてる」みたいに見えた……。
警戒してぷるぷるしてるだけかもしれんが……。
とりあえず、そっと指先を伸ばしてみた。
触れた瞬間、シューッ、と音を立てて、薄皮が溶けていく。
「……なるほどな。相当、腹が減ってるみたいだな。俺の手すら、食いもんだと認識してる」
思わず呟いた瞬間、スライムの体内から亀裂の入った半透明で菱形のコアが、半分だけ飛び出してきた。
反射的に観察眼を発動する。
対象:スライム
状態:突然変異個体・コア損傷により瀕死
詳細:コアは人で言うところの心臓に相当する重要器官
「……なるほど、そういう仕組みか」
殺し屋の感で分かる。
普通なら、もう手遅れだが……
「……このまま死ぬより、俺の生命魔法で博打してから死んだ方が、まだマシだろ?」
温度、pH、電位差、これも感覚でわかる。
戦場で生死を嗅ぎ分けてきた人間だ、これくらいの判別は造作もない。
おそらくスライムは、アメーバのような単細胞生物。
つまり、生命維持には電位が要になる。
その電位が維持できなくなれば、死ぬ。
「……くそ、コアが完全に沈黙してやがるな」
自分でも笑える。
殺しの現場で覚えた人体化学を、まさかスライムの蘇生に使うことになるとはな。
息を整え、指先に魔力と自身の生体電気の一部を集める。
人間の筋肉は動くたびに微弱な電流を生む、それを増幅するイメージでコアに流し込む。
慣れた手つきに見えるが、本当に直感頼みだ……成功するかどうかも分からない。
「まずは電位差を戻す……心臓をAEDのショックで叩き起こすみたいに」
俺の生体電気が流れた瞬間、コアの表面で水分子が再配列する。これを壊れた部分に再結合させていく。
「……いいぞ、その調子だ」
ゲルの中でイオン濃度が安定し、壊れたコアが再結合を始める。
魔力をほんの少しずつ流し込むたびに、スライムの身体がぷるりと震え、コアの亀裂が完全に塞がった。
「……ほら、立てよ」
俺が手を離すと、スライムはゆっくりと自力で形を取り戻していき、元の球体の形に戻った。
元気を取り戻したスライムが、ぷるん、と弾みながら俺の足に体当たりしてきた。
……全然痛くねぇ、むしろ餅みたいでかわいいな。
「ははっ、来い来い!」
どうやら知能はほとんどないみたいだ。
それでも、俺のことを餌か何かと勘違いして、懸命に絡みついてくる姿が微笑ましい。
なんか、懐かしいな。
前の世界でも、捨て猫に飯をやったら妙に懐かれて困ったことがあったっけ。
……そういや、スライムって、生態系で言えば分解者の部類っぽいよな?
ってことは……有機物を分解してエネルギーに変えるタイプか。
「なら、これなんかどうだ?」
さっき拾った硬殻虫の甲殻と苔猪の牙を取り出し、そっと差し出す。
スライムはぷるぷる震えながら、それをゆっくりと体内に取り込んだ。
――ジュウゥゥ……。
淡い湯気を立てながら、甲殻と牙をあっという間に溶かしきった。
「……意外と早食いだな、お前」
そう呟いた途端、スライムがぽよん、と大きく跳ねた。
もう一度、今度はさらに高く跳ね、まるで「ついて来い」と言わんばかりに、林の奥へと弾んでいく。
「おいおい……待てって!」
慌ててスライムの後を追いかける。
林を抜けた先、そこだけ、ぽっかりと空が開けていた。
その中心に、五メートルはあろう巨大な鹿の骨が静かに横たわっていたのだ。
……言葉を失った。
あまりにも、綺麗すぎた。
枝のように伸びた角は、夕陽を反射して淡く輝き、その身体の骨全体は透き通るようなクリスタルでできていた。
風が吹くたび、鈴の音にも似た静かな音が鳴る。
俺は息を呑み、観察眼を発動させる。
対象:ユクナトゥス
分類:霊獣
状態:死亡及び魔鉱化
その巨大な骨の前で、スライムがぽよんと跳ねた。
まるで、こいつも生き返してくれと言わんばかりに……。
俺はそっと骨に手を伸ばし、魔力を流し込んでみる。
だが、死んだ体に魔力を注いでも反応は返ってこない。
「すまねぇ……仏さんを生き返らせることはできねえみたいだ。ここで安らかにしてやろう」
スライムはじっとこちらを見つめているように見えた。
目がないから本当に見ているかはわからないが、あの必死な動き方を見ればこの白い塊にも、きっとあの霊獣に何かしらの恩か縁があったのだろう。
「じゃあ、そろそろ日が暮れてきたし、俺はもう帰る。お前も差別されたとしても、負けるなよ。殴られたら殴り返せよ」
そう言うと、スライムがぷるんと体を震わせた。
……頷いたような気がした。
その直後、スライムは骨の上に乗り、ゆっくりと体を押しつけるようにして、じわじわと骨を溶かし始めた。
……やっぱり知能は高くなさそうだ。
まぁ、本来の役割は分解者だし……食べて供養ってことでいいだろう。
俺は勝手にこう解釈した。
俺はそれ以上構わず、背を向けて帰路についた。
殺し屋だった頃とは真逆のことをしているけど、それでいい。
今日は、ちょっとだけいいことをした気がする。
……この回復魔法(?)は、<細胞ブースト魔法(仮)>でいいか、色々応用できそうだし、とりあえず仮で保留だ。あとは実験と調整と――
あ、もう遅いしビール作るのは明日だな。
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