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第56話 『折れない槍』

血統魔法とは、特定の家系が代々積み重ねてきた魔法研究の最終成果を、血縁と共に継承する魔法体系を指す。


フェノールト家は数百年前から続く魔法研究一族であり、その研究方針は極めて単純で、そして同時に異常でもあった。


改修履歴、理論仮説、失敗例、事故記録、犠牲者の一覧に至るまで、すべてを理解、再現、更新できる実力がある者だけが継承者として認められた。


魔法と研究成果は、親から子へと受け継がれるが、兄弟姉妹が存在しても、継承者になれるのは常に最も適性と成果を示した者、あるいはごく少数に限られる。


だが、個人の感情や倫理は研究の障害であり、不要とみなされ、目的達成のためなら、人体実験も犠牲も一切躊躇しない。彼らにとって重要なのは、その魔法が「完成」に近づいたかどうか、それだけなのだから。


そんな一族の中で、ミリア・フェノールトは例外だった。

彼女は才能に恵まれ、魔法の理解も高く、魔法学校では優等生として知られていた。

 

――しかし同時に、彼女は人として優しすぎた。


研究成果よりも人間の命を優先してしまうその性格は、フェノールト家にとって致命的な欠陥だった。

結果、彼女は研究対象から外され、一族から追放される。


ここで前提として述べておくが、フェノールト家の血統魔法は炎魔法である。

炎魔法は初級魔法でも威力が高く、理論も確立しており、再現性も高い。しかし同時に、炎魔法には致命的な欠点があった。


あまりにも単純かつ強力である為、研究され尽くしていたのだ。防御、耐性、相殺、あらゆる対策がされ、既存の強化手法では限界が存在した。


そこでフェノールト家は、狂った結論に至る。


――対策されるなら、対策される前提で撃てばいい。

――防ぐという行為そのものが成立しない出力で撃てばいい。


こうして生み出されたのが、<血統魔法・アポカリプス・フレア>である。


この魔法は魔力出力の制限を完全に解除し、魔力消費という概念すら無視することで、使用者を一時的にS級冒険者相当の魔力出力へと引き上げる。


――ただし使用後の生存は一切保証されない。


だが、その魔法を打ってしてもなお……








 


「あは……あははははははははっ!! すっごぉ……♡ なにこれ……!! さすがにちょっとは持ってかれたかも……魔力、三割くらい? でも……最高に楽しいんだけど♡」


リリスは打倒できなかった。


衣服には焦げ一つなく、白い肌に(すす)も付けず、ただ喉を反らして、けらけらと楽しそうに笑っている。

その傍らには、盾を構えた姿勢のまま、髪も、翼もすべて焼き尽くされ、丸焦げの炭と化したガルドが残されていた。


「……あー……やっぱ盾ってさぁ、最後まで、つまらないんだよねぇ♡」


リリスはその光景を見下ろし、満足そうに口角を上げる。


――その視線を、カイルは正面から受け止め……槍を構えた。


(……こうなったら、俺の天命因子を解放するしかねえ)


……そう、心に決めた。







一方、扉の前では――

猫娘の冒険者、ダルタニャンが立ち尽くし……絶望していた。


「……なんで、にゃん」


獣人族、特に猫科は、生存に関わる危険を本能的に識別できる。

ユンが死亡した瞬間、ダルタニャンの中で判断は終わっていた。


……リリスには勝てない……この場に長居すれば、全滅する。


明言しておくが、ダルタニャンもまた、数々の死線を越えたB級先鋭の冒険者であり、決して弱くはない。

瞬間的な反応速度においては、A級と比べても上位に食い込む水準にある。


……そんな彼女だからこそ、助けを呼ぶため、逃げたのだ。

それが、この状況で取り得る最も生存確率の高い選択だと、理解していたから。


「メイカにゃんっ!! いるにゃん!? 返事してにゃん……っ!!」


必死に扉を引っ掻き続け、爪が折れて血に染まる……それでも今度は肉球でぷにぷにと叩きながら助けを求めたが、扉は無情にも沈黙したまま……。


「……なんで、にゃん?」


その言葉は、二つの意味を孕んでいた。

仲間が死んだ理由への問いと、逃げ場であるはずの扉が開かないという現実への絶望。

……そう、この部屋は逃げることすら、許さなかったのだ。


(クソ……最悪にゃん……!)


「にゃ……にゃあ……っ、にゃあああ……っ!!」


扉に、何度も、何度も――爪のなくなった指先を押し当てる。裂けた皮膚が擦れ、血で滑る感触が肉球に残っても、止められなかった。

そう……無意味だと理解していても、それをやめた瞬間、最後の希望まで手放してしまう気がしたから……。

 

「……気づいて……お願いにゃん……」


その声は、扉の向こうに届くことなく……冷たい扉に吸い込まれていった。








――そして同じ頃、別の場所では、まったく違う理由で追い詰められた者がいた。


「ああああああああああああ!! なんでだよ! なんでいつも俺ばっかりこんな目に遭うんだ!! 俺が何したって言うんだよ!! ガルドが……あんな……あんなふうになって……それなのに、あいつは……なんなんだよ……ガルドが死んだはずの攻撃を正面から喰らって、傷ひとつないとか……おかしいだろ!! だいたいさぁ!! なんで俺が、あんな使えねえ槍使いと一緒に、あんな化け物相手に突っ込まなきゃいけないんだよ!! こんなの……最初から無理なんだよ!!」


カイルの方を一瞥し、テオドールは吐き捨てるように続けた。


「こんなの、最初から無理なんだよ!! 派遣するメンバー、間違ってるだろ!! もっと……もっと、ちゃんとしたパーティーだったら……! 俺が聞いてたのはさぁ……美少女ばっかりで、チヤホヤされながら冒険して、なんかこう……成長して……最後に魔王を倒す、そういう――そういう話だったんだよ!! こんなの、違うだろ!! 俺が思ってた勇者じゃない!! 血まみれで、焼け死んで、あんな化け物と戦えとか……聞いてねえよ!! 勝てるわけないだろ……あんなの……あんな化け物に……!! 俺は悪くない……悪くないんだ……だって、無理だろ!? あれは!! あれと戦えとか、正気じゃない!!」

 

「……本気で、そう思ってるんですか」


リカは声を荒げず、真っ直ぐ問いかけた。

だが返事はない……いや、もはやその言葉を受け止める余地そのものが、テオドールには残っていなかった。


「ちが……ちがう……俺は……」


首を振り、意味を成さない声を漏らす。

現実を理解する力も、それに向き合う精神力も失ったまま、

彼はただ恐怖から遠ざかるためだけに、情けなく後方へと走り出した。


「たすけて……たすけてくれぇぇぇ……!! こんなの……こんなの、きいてな゛い゛!! お゛れ゛は゛……お゛れ゛は゛ゆ゛う゛しゃ゛な゛ん゛か゛じゃ゛……!!」


足がもつれ、姿勢を崩し、それでも必死に――扉へ向かって駆け出した。


涙と鼻水が顔中に塗れ、唾が口元から垂れ、呼吸は嗚咽に絡んでまともに吸えない。


背後で何が起きているのか、誰が死んでいるのか、もう何一つ認識できてはいなかったが……ただ一つだけ、ぐちゃぐちゃになった頭を占めていたことがあった。


 


逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい。逃げたい。死にたくない助けて怖い無理駄目駄目死ぬ死ぬ死ぬ嫌だ嫌だ嫌だ止めて来るな来るな見ないで生きたい生きたいまだ生きたい帰りたい家に帰りたい息ができない息が苦しい喉が鳴る胸が潰れる足が動かない震える転ぶ立てない走れない逃げられない痛い怖い怖い怖い分からない分からない考えられない置いていかないで独りにしないで見捨てないで誰か誰か誰か助けて助けて助けて嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ逃げたい逃げたい逃げたい生きたい……死にたくない。




……言葉にならない恐怖、ただそれだけだった。

 


リカは、その背中を追わず、ただ見送った。


「……聞こえていませんね。カイルさん。私も一応、魔法使いではありますが……前職は殺し屋です。時間稼ぎくらいなら、できます」


リカは短剣を逆手に構え、一拍、間を置いてから続けた。


「それまで先輩や、メイカさんが来てくれるのを。信じましょう」


「――あぁ……いや……」


「え?」


カイルは視線を伏せ、覚悟を決めた者だけが見せる、ニヒルな笑みを浮かべた。


「リカちゃん、俺はな。レディーを前に出す趣味はねえんだ。ここは俺が行くから下がってくれ」


その背中を見て、リカは何も言わなかった。

止めたところで――もう、聞き入れるつもりがないと分かっていたからだ。


「槍の人、ほんとに私とやる気なの?」


「……()る。女かどうかは関係ねぇ、仲間を殺した敵は俺が殺す」


「あは……♡ 出た出た……そういうの。いいねぇ……♡ 追い詰められた人間ってのがさぁ……一番、壊しがいがあるんだよねぇ♡」


そう言い終えると同時に、リリスは大鎌を低く構えて地を蹴り……


――笑ったまま、カイルへと突進した。

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