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第47話 『二杯』

「……悪ぃ!! 完全に身体が覚えてやがった」


そう言って、カイルは食堂の席で手を合わせ、俺に向かって素直に頭を下げた。


「まぁ、いいよ」


大事にはならなかったし、この態度を見る限り、わざとじゃないこともなんとなく分かる。


「……リュナも……もぐもぐ……こんなに食べていいの……?」


当のリュナはというと、俺たちのやり取りなど完全に眼中になく、両手にフォークを持ったまま、スパゲティをもぐもぐと頬張っている。


……まぁ、今日はカイルの奢りだし、遠慮する理由もない。


「いいに決まってんだろぉぉぉ!! 育ち盛りの女の子が遠慮すんな!! ほらほら、好きなだけ食え食え! 足りなきゃ追加だぁ、追加!!」


カイルの声も態度も、いつも通り……だが、ほんの一瞬だけ、リュナに向けられた視線が、わずかに変わった気がした。


……気のせいか?


言葉は優しいし、態度も自然だ……でも、カイルの瞳孔が歪み、勾玉が二つ噛み合ったような奇妙な形に見えた。


……この前、酒場で嘘を見抜かれた時と同じだ。


「ほんとー?」

 

そう言いながら、リュナはスパゲッティを口に含む、そんな他愛のない会話を交わしていた、その時――


「……カイルッ!!」


和やかだった酒場の空気を台無しにするような――場違いな怒声が入口から聞こえた。

カイルが顔を向けると、そこに立っていたのはテオドールだった。

 

「お前……! あんなヒーラーに負けてどういうつもりだ! それに、あんな反則を!! って……お前、あのクソヒーラーじゃねぇか! お前みたいなヒーラーがよォ……! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」


吐き捨てるように怒鳴った次の瞬間――テオドールは、俺たちのテーブルに置いてあったビールを掴み、そのまま俺の頭上から思いっきりぶちまけた。


……で?


俺は瞬きひとつせず、ただ黙ってその場に座り、テーブルの上の料理を一口食べ、濡れた前髪を指で軽く払う。


「どうだ? これが身の程ってやつだ! ヒーラーごときが、勇者をコケにした報いだ!」


「……あぁ……で、用件はそれだけか?」


俺はテオドールを鋭い目つきで見据え、淡々と返した。


「は……?」


「酒かけて満足したなら、もう帰っていいぞ、飯が冷める」


それだけ言って、俺は視線を皿に戻す。


俺の眼中にない。そしてリュナも、いつもなら真っ先にキレ散らかしているところだが、俺のこの表情を見て何かを察したのか、何事もなかったかのように食事を続けていた。


「な、な……ッ!! お前……!!」


テオドールの口が、魚みたいにパクパク動くが、その怒鳴り声に応える者は誰もいない。

周囲の冒険者たちは、酒杯を止めたまま、「うわ……」と言いたげな目でテオドールを見ている。


「……テオドール、一回お前は帰れ」


カイルが椅子から立ち上がり、低い声で言った。




「……あー、なるほど。来てみたら……またこれね」


俺たちの背後から、少し呆れたような声がした。

いつの間に来たのか、そこに立っていたのは赤茶髪の少女。

床にこぼれた酒、濡れた俺の髪、そして顔を真っ赤にして立ち尽くすテオドール。


少女は一度だけ状況を見回し、深くため息をついた。


「……ほんと、勇者様の世話って面倒ね、お祝いに来たら酒場で暴れてるって……剣技大会のあとに逆恨み? しかも相手に酒をかける……と」


「……っ」


「酒場での暴行未遂。大会後の私怨トラブル。おまけに、さっきは試合中にスキル使用……」


カイルが「ミリアちゃん、スキルなら俺も……」とぼそっと言うが、少女――ミリアはため息ひとつ「……うるさい」とだけ返し続ける。


「勇者だからって、全部なかったことにはならないわよ? むしろ目立つ分、余計に面倒」


その一言で、テオドールはようやく自分の立場を理解したらしい。

拳を震わせ、唇を強く噛みしめ……結局、何も言い返せないまま踵を返し、酒場を出ていった。





「……ふぅ、酒……もったいねえな」


俺はようやくナプキンを手に取り、酒で濡れた髪を拭く。


「……ごめんね。せっかくのお祝いだったのに」


ミリアが俺に向き直り、少し申し訳なさそうに謝った。


「……まあ、いいよ。ミリアさんのせいじゃないし」


リュナは運ばれてきたミートボールをフォークで刺し、そのまま口に運びながら、首をかしげた。


「……もぐもぐ……あの人、なんであんなに怒ってたの?」


ただ純粋に、よく分からないという顔をしてたので、適当に答える。


「小物だからだよ」

「ふーん……じゃあ、どうでもいいや、メロンソーダも飲みたーい」


リュナはそう言って、次のミートボールをフォークで刺す。


小物――それ以上でも、それ以下でもない。

俺はそう答えて、何事もなかったかのように、次の一口を食べた。









 


さて、剣技大会に酒場と、今日は何かと色々あったが……まあ、カイルに飯を奢ってもらったことだし、良しとしよう。


剣技大会の景品は、手のひらサイズの小さなトロフィーと銀貨五十枚。悪くない。いや、寧ろかなりいい。


そんなことを考えながら、夕方の街をリュナと並んでぶらぶら歩いていると……


「ねぇ、お兄さん……コーヒーショップ、行かない?」


視線を向けると、いつの間に距離を詰めたのか、肩が触れそうな距離に女が立っていた。


緑がかった髪。

目元は少し眠たげで気怠そうだが、よく見れば顔の作りはかなり整っていて……俺から見ても間違いなく、美人の部類だろう。


近くに居ると気付くが、微かに甘く……どこか薬草のような匂いがする。


……ってか、距離近くね?

  

そもそも、コーヒーショップって、オランダじゃ大麻屋の隠語だったり、場所によっては風俗店の隠語だったりもする。


……で、こいつはなんだ? 身なりは普通、胡散臭い感じもないが――趣味で観光客に街案内してる暇人? そんなところか?


日本じゃ珍しいが、海外ならたまにこういう物好きはいるし、異世界でそういう人がいても……まあおかしくはないか。


「イザナ様、どうする?」


小声で尋ねてくるリュナ。

もし、何かあったとしても、その場からすぐ逃げればいいし、観光感覚で付いて行ってみてもいいかもな。


「……案内してくれ」


俺がそう言うと、女は軽く手を振るだけで、振り返りもせず歩き出した。





歩いて数分。

連れてこられたのは、表通りから外れた路地裏だった。

だが、辿り着いた店を見て拍子抜けする。


古びた木の扉に、色あせた看板。

そして、中から漂ってくるのは、焙煎した豆の香り――どう見ても、ただの喫茶店。

 

「……普通の喫茶店だな」


正直、この流れなら、もっとこう……いかにも怪しげで、禍々しい大麻屋だとか、ヤバい店を想像してたんだが。


「まあね。期待外れだったらごめん」


女は気だるげに肩をすくめ、それだけ言って扉を押し開けた。

「カラン、カラン」と心地よい鈴の音が鳴り、店内に足を踏み入れる。


「いらっしゃ――……って、ユンか」


カウンターの奥でカップを磨いていた老人が、ぴたりと手を止める。


「……うん、ちょっと面白い客、連れてきちゃった」


「そうか」


それだけ言って、老人は再びカップを磨き始めた。

会話はそれで終わり……という空気。


ってか、面白い客ってなんだよ……。


俺たちはそのままカウンターに座ると、その上に売られてるものに、ふと目が留まった。


紙巻き……? タバコかこれ?

いや、タバコに似ているが……タバコ臭はしない、その代わりにちょっと甘い匂い……? これ……大麻か?


「……これ」


俺が指で軽く触れると、老人の手が、ぴたりと止まった。


「それは、クワイエット・スモークだ」

「タバコか?」

「嗜好品じゃない」

「美味いのか?」

「吸えばわかる」


それ以上の説明はない。

どうやらこの店のマスターは、余計な会話を嫌うタイプらしい。

古い喫茶店にありがちな、ブラックコーヒー以外は邪道――そんな堅物感がある。


ユンはカウンターに肘をつき、こちらをちらりと見て、にまっと笑った。


「平気平気。普通のタバコよりは」


……余計に怪しい。


だが、わざわざ隠す気もないところを見ると、後ろ暗い代物でもないらしい。


俺は一本を手に取る。


「……静かになりそうな名前だな」


「その通りだ」


さて、観察眼で見てみるか。




対象:クワイエット・スモーク

状態:通常品

効果:吸うと感情が鈍くなり、恐怖や痛みを感じにくくなる

副作用:感情が希薄になる、依存性あり。




……恐怖や痛み、怒りを感じにくくする代わりに、感情そのものが薄れていく。

しかも、繰り返せば手放しづらくなる、と。


なるほど……「嗜好品じゃない」って言った意味はこれか。





「注文は? ユンは、レッドコーヒーでいいよな」


老人の淡々とした声に、ユンは頷くと、ちらりとリュナへ視線を向けた。


「竜族の君は……どれにする? まだ子どもだし、苦いのは無理でしょ? ハーブキャンディと、カカオスティックならあるけど……で、イザナくんは?」


カウンターの上を気怠げそうに指でなぞるユン。


……名前、名乗った覚えはないんだが……剣技大会の観戦者ってところか? まあ、今さら気にするほどのことでもないか。


「じゃあ俺もレッドコーヒーでいい。リュナには、その二つを頼む」


俺の注文に対して返事はなかった。








時間だけが、ゆっくり流れる。


やがて、老人がカウンターに無言でカップを置いた。


カップの中には、赤色の液体。

立ち上る湯気は柔らかく、ほのかに甘い香り。


焙煎された豆とは違うな……どこか豆と果実を混ぜたような、不思議な匂いだ。


見た目だけなら、正直かなり美味そうだ。

 

「全部で、銀貨一枚」


相変わらず、感情のない声。


さて……念のため、観察眼。





対象:レッドコーヒー

状態:通常品

分類:擬似ポーション

効果:HPが回復した「気になる」実際に回復はしていない。

備考:痛覚遮断および、回復したと錯覚を引き起こす。味は非常に美味。





……なるほど、コーヒーというより――モルヒネに近い、これは麻薬だ。


限界を越えて動き続け、気づいた時には、もう取り返しがつかない。

……モルヒネを打ち、恐怖を掻き消して戦場で散った人間を、殺し屋時代に嫌というほど見てきた。


まさか異世界にも、こんなものがあるとはな……いや、アニメや漫画じゃねぇんだ。リアルなら、こういう代物が存在しても何もおかしくはない。


「わーい、うまうま」


そんなことは露知らず、リュナはカカオスティックを頬張ってご機嫌だ。


……さて。

  

俺はカップを手に取り、赤い液体を一口含む。


……確かに、やたら美味い。


深煎りのコクに、微かな甘みと香ばしさ……そして飲んだ瞬間、身体が軽くなったような錯覚とともに、「効いた」と確信してしまう……そんな感覚。


もしこれを飲んだ状態で戦闘に入ったら、致命傷に気づけないまま、動き続けるだろうな。


「へぇー、これ飲んでもぶっ飛ばないんだね。ひょっとして状態異常耐性ある? それとも、それ系の天命因子?」


「いや、普通に効いてる感覚はあるよ」


「そう」


「ユンさん、いい店教えてくれてありがとな。また来るわ」


カウンターの奥には、薬草や菓子類、簡易ポーション、調合用の素材らしきものが無造作に並んでいる。

気になるものはいくつもあったが――今日はもういい。


剣技大会に酒場、知らない薬みたいなコーヒーに……正直、少し疲れた。


もう夜も近いし、今日は宿に戻ろう。

シャワーでも浴びて、さっさと寝るに限るな……。


それにしても、ユン……どこかで聞いた名前な気がするが、まあいいか……今、考えるほどのことでもない。


――さて、続きは、また今度だ。








扉の鈴が鳴り、二人の気配が完全に消える。


しばらくしてから、カウンターの奥でカップを磨いていた老人が、ふっと息を吐いた。


「……帰ったか」


「うん。ちゃんと連れて出たよ」


ユンは少しだけ考える素振りをしてから、続ける。


「ね、面白いでしょ、あの人。ヒーラー名乗ってるわりにさ、足音静かすぎ……感情もぜんぜん読めないし」


一拍置いて……


「……まあ、少なくとも普通のヒーラーじゃないよね。アレ」


「職業で人は決まらん」




少しの沈黙の後、老人は、ようやくカップを置いた。




「だが、お前がそう言うなら間違いないだろうな」


「そりゃあね」


「でもさ、オーズさん。あなたから見てどうだった?」


老人――オーズは、しばらく沈黙した。


壁に掛けられた古いトロフィーと、刃こぼれしたままの剣。

それは、もう何年も触れられていない、過去の栄光。


「……彼の装備もいいが、立ち姿に無駄がない……魔法を使わずとも分かる――アレは、化け物だ」


「へぇ……一杯飲んだだけで、そこまで見るんだ」


ユンの軽い言葉に、老人は鼻で笑って返す。


「……昔、同じ目をした連中を何人も見てきた」


「……ふーん」


その言葉の重さを、ユンは完全には理解していない。

けれど、意味だけは、なんとなく察した……らしい。


「……なるほどねぇ」と、軽く相槌を打ちながらも、ユンはそれ以上踏み込まなかった。


カウンターの奥で、オーズの手が止まっている。


その視線の先、壁に掛けられた刃こぼれしたままの剣――もう二度と振るわれることのないそれが、静かに答えを語っている。



……ああ、きっと過去に何かあったのだろう。

それも、薬に縋らなければならなかった“ダレカ”の話だ。



オーズは何も語らず、再びカップを磨き始めた。

それ以上は……聞く必要も、ない。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


実は今回で、書き溜めがほぼ尽きました。

ここから先は、リアルタイム更新になります。


12月って、どうしてこうも忙しいんでしょうね……。


更新ペースが多少前後するかもしれませんが、物語自体はちゃんと続けていきますので、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。

 




お読みいただきありがとうございます。

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